晴信と祝言 壱-勘違い-
「お屋形様、改めてお教えください、何故加藤殿と祝言を挙げるのでございますか」
評定の間、今話し合われている議題はもちろん俺と晴信の祝言についてだ。
今日は道中に信繁が言っていた、俺と晴信の祝言に反対する勢力の方々と話し合いだ。
武田晴信の夫、つまりはこの先自分たちが頭を下げる相手を決める話し合いだ。
今俺には、両手では足りない数の目が「動けば切る!」とでも言いたげな視線を向けている。そんな視線を向けられている俺は、見た目だけは涼しい顔をしていると思うが、膝の上で握られている手は汗でべっとりだ。
「我らの信濃統一を邪魔する宿敵の力は、悔しいが認めざるを得ない、それは皆理解してくれていると思う。そして貴久はすでにその宿敵、越後の長尾景虎と祝言を挙げている」
そんな俺の緊張とは関係なく、晴信が話し出す。
「その一事を見ても、貴久が只者ではないことが想像できると思う」
「しかし、仮に加藤殿が只者ではないとしても、尾張の織田の例があったばかりです。悔しながら長尾がやる分には何か理由があると勘ぐりますが、織田がやってもうつけが訳の分からぬ享楽に興じているようにしか映りませぬ。今加藤殿と祝言を挙げれば織田と同じうつけに見られてしまいます」
確かに一国の主が建前上は農民の俺と祝言を挙げるなんていうのは普通に考えたらありえないことだ。
甲斐でも越後の時みたいに、何かしらの結果を出せればいいのだが、晴信が決めた祝言まであと2日しかない。つまりあと2日で誰もが納得するほどの結果を出さなくてはいけない、だが恐らく不可能だ。
ならどうすればいいのか、ということになるが、そんなことは分からない。分かっているならすでにやっている、分からないから困っているのだ。
あ~苛立たしい、本の主人公、本田元亘は織田信長に気に入られて何もせずに信長の夫に収まっていた。こっちでもそうなっているのかは知らないが、そうだったらむかついて仕方がない。
「力があれば問題ない」
「しかしながらお屋形様、たとえ力があっても、それを示さねば周りの印象は変わりません」
だから頭の中では頑張って考えてるんだから言わないでよ。
「? 貴久はもう力は示してる」
え? なんかしたっけ?
みんなでそろって晴信が続きを話してくれるのを待つ。
「昨日の町中での出来事は聞いてないの?」
「何のことでしょうか?」
どうやらこの甲斐の城下で起こったことなのに集まった重臣の皆々様は事の詳細を知らないらしい。
かくいう俺も何も知らないが。
いったい晴信の言う俺の示した力とは何だろうか?
「私は昨日、町中で貴久に抱っこしてもらった」
晴信がそれはもう可愛らしい笑顔で恥ずかしいことを言ってきた。
そんなことで俺のどんな力が示せたって言うんだよ!
周りの皆さんを見てみなさい! 何を言われるのかと集中して聞いてたら抱っこしてもらったってなんだよ⁉ 皆さんびっくりしてるじゃないですか! こんな場所だっていうのに目が飛び出しそうになってるよ!
「そ、それは真でございますか・・・」
「本当にやってもらった。こっちからお願いして」
訪れる静寂、満ちていた緊張の霧散。
自分の鼓動がうるさい、流れる汗が煩わしい。
すでにこの空間には緊張感なんてないし、誰も俺のことを見ていない、なのに俺は緊張せずにはいられない。晴信がどうしてあんなことを言ったのかわからない、だからこの空気が話し合いの失敗を意味しているようにしか感じられない。
「お・・・」
お?
「「「お喜び申し上げます!」」」
「(えええええぇぇぇぇぇぇえええーーーーーーーーーー!!!) 」
え、何で? どうしてそうなるの!
「いやーそれほどの御仁とは、それなら我々からは何も言うことはございません。此度の祝言、我ら一同心よりお喜び申し上げます」
「え? あの・・・」
状況が飲み込めない、なぜ晴信を抱っこしたとわかったら、反対派の皆さんは祝言に賛成してくれるんだ?
「加藤殿、これからはお屋形様の隣でわれ・・・甲斐のためにお力をお貸しください」
我って何だ、我って!
「では皆の者、2日後の祝言、怠りのないように」
「「「は!」」」
そう答えると家臣の皆様方はにこやかに談笑なんかしながら出て行く。
俺が混乱していることなどお構いなしに、評定は終わってしまった。
「なあ、晴信」
みんなが出て行った後、俺と晴信しかいなくなった評定の間で俺は晴信に問いかけた。
「どうして俺が晴信を抱っこしたってだけで、あの人たちはあんなにも簡単に考えを変えたんだ?」
最初は殺されるんじゃないかとさえ思っていたのに、抱っこしたってわかった途端に態度がコロッと変わった。
お屋形様を抱っこしたからなんだというのだ、どう考えても祝言を認める理由にはなりえない。それどころか、まだ祝言を挙げていないのだから打ち首にしようとか考えてもおかしくはないはずだ。
「普段私が皆にどうしてるか、思い出して」
晴信が普段皆にどう接しているか、か。
「あんまり喋らないで、感情を表に・・・」
そういうことですか晴信さん。
「分かった?」
「分かった」
要するに通訳か何かが欲しかったのか。普段ろくに話さない晴信の代わりに、町中で抱っこをせがまれるくらい感情をあらわにさせる俺から晴信の考えを聞き出そうという考えか。
「私の日ごろの行いのおかげ」
晴信が随分と誇らしげに胸を張って言ってくる。
それを聞いて俺は若干イラッとする。
「だったら俺が来るまでに反対派を抑えておけよ」
この程度の感情を表に出してしまうようなことはないと思うが、恐らく晴信は気づいていると思う。
ほら、その証拠になんかか小刻みに震えてるよ。
「ご・・・ごめんなさい」
あ~あ、プルプル震えてるよ、目の端に涙が溜まってるよ、可愛いな~。
「あ、謝らなくてもいいんだよ、怒ってないから」
「・・・ほ、本当?」
上目づかい、可愛いな~。
「本当に怒ってないから、そんなにプルプル震えなくてもいいんだよ」
晴信はそれでもしばらく震えていたが、俺がもう一度「大丈夫だよ」と言ってあげると、晴信の顔が花が咲いたような可憐な笑顔になる。
「貴久!」
晴信がそのまま俺の胸に飛び込んでくる。
この可愛い生物は何なのだろうか? もうこれはぎゅっとすればいいのだろうか? いやもうしてるけど。
女の子ってやわらかいな~、それに小さい、こんなか弱そうな子に守られなきゃいけないのは情けないと思うが、一方でこんなかわいい子と夫婦になるのだと思うと、とても幸せだ。
「こうしてると、幸せ」
「そうだな」
「ずっとこうしていたい」
「そうだな」
「へぇ~」
部屋の温度が3度は下がった気がする。
「あんた、晴信とずっとそうしていたいのね」
「え・・・いや・・・その・・・」
新婚だったからかラブラブだったので、最近はこの威圧感のことを忘れていた、いや向日葵曰く敵意だったか。今ならわかる、これは間違いなく敵意だ、殺気だ。
「今は私の時間」
晴信さんや、前にも言ったがそういうのは火に油を注ぐと言うんだよ。
「貴久、一度だけ助かる機会をあげるわ」
「え」
「今すぐに離れなさい」
「は・・・!」
「む」
晴信が俺にぎゅっと抱き付いてくる。
「え? ・・・ぁ、え?」
「絶対離れない」
晴信がさっきまでの幸せそうな空気を一瞬で消し、怒気をあらわにする。
「あんたはどうでもいいわ。
貴久、もう一度だけ言うわ、助かりたいなら晴信と離れなさい」
「晴信、とにかく一度離れてくれ!」
「嫌!」
「そんなわがまま言わないで! お願いだから!」
「い~や!」
晴信が、駄々っ子よろしく俺の腰に抱き付いて離れてくれない。
「そう、それがあなたの回答なのね、貴久」
景虎がゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。
「ま、待て景虎! 話せばわかる!」
それでも景虎は止まらない。
あー怖い!
だ、だが焦るな、思い出すんだ、こんな時の景虎のとる行動は、結局のところ殺すんじゃなくて、一緒にぎゅっとするに違いない。
景虎が怒っているのは間違いないだろうが、それよりも寂しいって感情の方が強いはずだ、だって今までそんな感じだったもん! そうであってくれ!
戦々恐々としている俺に景虎が近づいてくる、そして目の前にまで来たところで景虎が立ち止り・・・刀には手をかけず、顔を赤くしながら膝をついて俺に向かって手を・・・。
「シュ!」
俺と景虎の間には、獲物を狙う獣の牙のような恐怖を感じさせる刃が振り下ろされていた。
「・・・何のつもり」
「姉上様をお守りする事が我務め。姉上様の近くに強い殺気を感じ、なおかつその殺気が姉上様に近づいてきているとなれば、こうするのも致し方がないことかと」
俺と景虎の間に飛び出してきた信繁は、それこそ景虎もかくやというような殺気をみなぎらせている。
この殺気、俺は今までにも感じたことがある。同じなんだ、景虎や晴信と。ただそこにいることさえも許されない、そんな気がする。
「忠義を示すことが悪いとは言わないわ。でも、あなたが今やったことがどういうことか、教えてあげましょう」
景虎が信繁にこれまでにないほどに強い殺気を放つ。
「っ!」
景虎と信繁がにらみ合う。晴信は何をするでもなく2人をただ見ているだけだ。
しかし俺には耐えられそうにない。2人の殺気は俺に向いているわけではない、なのに俺の呼吸ははやくなっていく、鼓動が激しくなっていく、背中を冷汗が伝う。
「・・・」
「・・・」
ほんの少しだった、ほんの数秒だっはずだ。なのに俺の意識は少しずつ遠のいていた。
「貴久」
「はっ!」
晴信の言葉で我に返る。あのままだったら時期に意識を手放していたに違いない。
「はぁ~」
急に場に満ちていた殺気が鳴りを潜める。
「やめやめ、わかったわよ、この場は身を引くわ」
さっきまでの怒りはどこへやら、景虎は何事もなかったように部屋を出て行ってしまった。
「・・・はっ!」
景虎が部屋から出て行ったところで信繁が刀を取り落して膝をつく。
「はあはあはあ」
信繁が荒い息をつく、見てみれば滝のように汗を流している。
「信繁」
「は・・・はい」
信繁が、まさにやっとの思いで言葉を絞り出した。
「下がって」
「はい」
信繁がしたことと言えば、景虎の前に飛び出して睨み合いをしただけ、なのに信繁は疲労困憊という言葉がぴったりな、ふらふらとした足取りで部屋を出て行く。
「晴信」
「なに?」
「どうして何も言わなかったんだ」
さっきの信繁の行動は明らかにやりすぎだ。景虎は確かに殺気を出していた、しかし晴信はあの状況でまったく動じていなかった、それは自分に危険がないと分かっていたからだ。もちろん信繁がいたからだとも考えられるが、それなら今信繁にかける言葉は「下がって」ではなくて「ご苦労」とか「大儀」とかのねぎらいの言葉のはずだ、それがなかったのは、晴信が信繁の介入に良い印象を持っていないということだろう。
「景虎が邪魔だとは思った。でも、いても構わなかった。」
「どうして?」
「貴久は、私のこと、嫌い?」
「そんなわけないだろ」
「だから」
つまりは、俺は景虎のことも晴信のことも好きだ、それはすでに公言しているから、景虎が来て、俺が景虎を贔屓したらそれは晴信自身が悪い、と言うことだろうか? 景虎と同じ考えだろうか。
「景虎には負けないと」
「そう」
俺の考えで合っているようだ。
「だから信繁の介入は余計なお世話だったと」
「そう。そもそも私は傍に居るように命じた覚えはない」
晴信が不機嫌を隠そうとせずに告げてくる。
「でも実は景虎と一緒に居たいとか・・・」
「それはない」
さいですか。
できることなら2人には仲良くしてもらいたいのだが。
何はともあれ、この評定で甲斐にいる俺と晴信の祝言に反対する勢力はほとんどいなくなった。
いちゃいちゃする雰囲気でもなくなったし、何より晴信にその気がなさそうだったので、俺はりょうと向日葵ととらを探しに出かけた。
「信繁に私の部屋に来るように伝えて」
貴久が部屋を出ていったところでわたしも部屋に向かいながら、私は近くにいた下働きの者に信繁を呼んでくるように言いつける。
さっきの信繁の様子は明らかにおかしかった。
あの子はもともと融通の利かないところはあるが、今回のように、捨て身の行動に出たりするような子ではない。
あそこで貴久が気を失って私がそれを景虎に知らせなかったら、景虎はあのまま信繁に何かしら危害を加えていたに違いない。
「お呼びでしょうか、姉上様」
私が部屋について間もなく信繁がやってきた。
「先ほどの行動の意図を聞きたい」
信繁は困ったような顔をしながらもぽつぽつと語りだす。
「姉上様は・・・貴久様の秘密を・・・ご存知でしょうか」
驚いた、貴久が先の世から来た秘密を知っているのは、まだ景虎と私だけだと聞かされていた。それをなぜ信繁か知っているのか、どこかで話が漏れていたのか、それとも貴久が信繁に伝えたことを忘れているだけか、いずれにしても信繁が貴久の秘密を知っている理由は知っておかないといけない。
「どこでその話を聞いたの」
「姉上様はご存知でしたか。私は道中で見てしまったため・・・」
見た? どういうことだろう、「見た」ということは貴久は今も自由に元いたところとここを行き来できるということだろうか?
「見た、とはどういうこと?」
「はい、道中で休息をとっていた時のことです。私は兄上様が人目に付かない草陰にいるところを見つけ声をかけましたが、兄上様は何でもないと言って足早に去っていきました。しかし、兄上様が去る時の顔は真っ青で、とても何もないとは思えませんでした」
おかしい、貴久の秘密とは先の世から来たことだと思っていたが、信繁の言っていることは先の世から来たこととは何の関係もない、それどころかまるで・・・。
「兄上様が去った後、変な臭いがしたので兄上様がいた草陰を覗いてみたところ」
だんだんと鼓動が激しくなってきているのがわかる。これから信繁の言おうとしていることが、なんとなく想像できてしまう。
「・・・地面が赤く染まっており・・・その・・・血を吐いた後ではないかと」
私は、手が震えるのを止められなかった。
信繁の話を考えてみる。貴久は人に見つからないところで血を吐いた、そしてそれを私には話していない、景虎からもそんな話は聞いていない、恐らく貴久は体が悪いことを誰にも話していない。もし景虎が知っていたならあの時信繁が乱入したところで身を引くなんてことはあり得ない、少しでも貴久と一緒にいる時間を増やそうとするはずだ。いや、それ以前に、私と貴久の祝言を認めるはずがない。
私がどうして貴久が何も話してくれないのか考えていると、信繁がその理由として考え付いてた最悪の理由を口にする。
「姉上様、兄上様はあとどのくらい生きられるのですか」




