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景虎と祝言 弐-あと5日-

 向日葵に師事し始めて5日、身に付きましたよ礼法! そしてつきましたよ心に大量の傷が!

 村上さんの稽古も確かに辛かった、肉体的に。向日葵の稽古は精神的に辛かった。

「よく頑張った、お礼に私を・・・」

「だからそういうのは駄目」

 向日葵が不満そうな顔をする。

 向日葵を拾ってきて早7日、骨が浮き出るほどにガリガリだった向日葵の体も一応痩せすぎている、くらいの体になった。

 無造作に伸びていた黒い髪も肩口で切りそろえてなかなか可愛らしく見えるようになった。胸は・・・。

「そんなに気になるなら触ってみるか」

 向日葵が頬をひきつらせながら聞いてくる。

「いや、そういうことはしないから」

 こういうことはきっちりとしておかないとな。

「もうちょっと自分のことを好いている女の子に優しくしようという気は起こらないの?」

「向日葵にそんな気を使ってもいじられるだけだと認識している」

「むかつく」

「分かった分かった。それじゃ、俺は景虎のところに行ってくるから」

「死ぬなよ」

 そんなことはたぶんない、たぶん。

 適当に手を振って俺は長屋を後にした。


「村上殿から聞いてるわ、向日葵に師事したんですって? ちゃんとできる様になったんでしょうね?」

「自分的には恥をかかない程度にはできる様になったと思ってる、その確認も含めて会いに来たんだが」

「必要ないわ、あなたができると思っているならそれで構わないし、もし失敗してもあなたが勝手に困るだけだもの」

「でも俺の失敗は景虎の顔に泥を塗ることになるぞ」

「私はそんなの気にしないわ、それにすでに周りからは非難が雨霰のように届いているわ。越後国主の夫って言う座を欲していた屑は結構多かったていうことね、ちなみにこれはあなたのことを排除しようと考えている輩のことでもあるから気を付けてね」

 景虎が笑顔で物騒なことを言ってくる。

「快く思わない人たちがいることは分かっていたが、排除しようと考えるやつがいるってことは忘れてたな。景虎、今のところどうなんだ、俺のことを排除しようとまで考えているやつの目星はついているのか?」

「だいたいはついているけどそれを確かめるためにも祝言にはそういう輩も呼ぶわ、心しておきなさい」

 祝言でさえもそういった駆け引きを行う場なんだな。

「少し悲しくなってくるな」

「あなたの元いたところがどんなふうになってたのか知らないけど、ここはそういうところよ、納得したならちゃんと備えておくことね」

 景虎が淡々と告げてくる。

 ・・・これは・・・結構きつい。なんだか祝言がめちゃめちゃ軽いものに感じてきた。

「あんた、もう少し感情を隠せるようになった方がいいわよ、顔に出過ぎ」

 そんなに顔に出やすいのか、俺。

「そんなに残念なの? 今回の祝言が敵を見つけるための道具に使われるのが」

「そうだな、きれいごとだと分かってはいるが、できればそんな打算なんてなくただただ幸せな祝言が挙げたいな、どうしてもそんなのが入ってくるなら、誰も呼ばずに二人だけでひっそりと挙げるだけでもいい」

 俺としてはそっちの方がいいのだが、越後国主の祝言が二人だけのひっそりとしたものというわけにもいかないだろう。

「ま、言うだけなら簡単ね」

「そうだな」

「で、あなたもそんな風に考えながら私との祝言に臨むの?」

「まさか」

「じゃあ、どうするの?」

「ん? そんなの決まってるだろ、自分の奥さんの晴れ姿を堪能しておくだけだ」

 それだけだろ、どうせ俺には他人の感情の機微を読み取るような力なんてないからな。

 だから俺は、俺のできることだけやっておこう・・・つまり全力で俺の大好きな奥さんを愛でよう。

「分かってるならいいわ。それじゃ、私はまだやることがあるから、長屋にでも行って来たら? 夜には帰ってくるんでしょ」

「ああ、それじゃ、また夜に」

 今夜は景虎の屋敷で夕食を食べることになりそうだな、みそ汁は誰が作るんだろう? 美味しいかな?

 そんなどうでもいいことを考えながら部屋を出ようとしたらえらい爆弾を落とされた。

「あ、そうそう祝言に関してはそんなんだけど、夜の方は期待してくれていいわよ」

「・・・・・・・・・え」

 こんな飛んでもなことを言ってる景虎の顔は・・・今までで一番可愛い笑顔で・・・俺はしばらくその場を動けなかった。


長屋に向かって歩く、ゆっくりと歩く。

「焦るな、大丈夫だ、あれは演技のはずだ・・・あんなの・・・」


「夜の方は期待してくれていいわよ」


 嘘だ嘘だ嘘だ! 景虎が・・・景虎があんなこと言うなんて!

 信じられない、ああいうことをいう時はもっと嫌な笑みを浮かべるはずだ、それが頬を朱に染めてちょっとはにかみながら・・・あんなに可愛い笑顔で言ってくるなんて・・・うわぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!

 いかん! 煩悩が! 煩悩が頭の中を支配する! 景虎が可愛すぎる、あんなことをあんな顔で言われたら・・・俺には刺激が強すぎる。

 俺がそんな煩悩と戦いながら町をフラフラと歩いていると。

「兄ちゃん発見!」

 そんな声とともに俺の下半身に衝撃が。

「兄ちゃん! 今から長屋に来てくれるの!」

 りょうの目が期待に輝いている・・・。

「いや・・・今日は・・・行かない」

 やめてくれりょう。今そんなに可愛い顔をしないでくれ今の俺の頭の中は煩悩でいっぱいなんだできれば誰にも会いたくない!

「こないの?」

 りょうが悲しそうな目で俺を見る。

「そんなわけないだろ、行くに決まってるじゃないか!」

 そんな顔されたらいかないなんて言えないじゃないか!

「本当! じゃあ一緒に行こ!」

 りょうが眩しい笑顔を見せる。

 子どもの笑顔は最強だ、俺の中にあった煩悩が消え失せている。

「えへへ~」

 りょうが俺の腕に抱き付く。可愛いなーもう!

 俺は何も言わずにりょうの頭をなでる。


「あ、貴久発見」

 長屋に着くと向日葵がいた。

「よう、元気してたか?」

「昨日の夕食一緒に食べておいて何言ってる、頭の中沸いてるのか?」

 相変わらず口が悪い。

「俺のことが好きならもう少し可愛らしくふるまえ」

「嫌だ」

 最近恒例のようになっているやり取りをしながら長屋の中を進んでいく、目的地はもちろん台所だ。

「とーらー、みそ汁できてる?」

「できてません」

 もうここに来たらみそ汁があるんじゃないかと常に考えている、ていうかとらのみそ汁が美味しすぎていけない。

「え~」

「変な声出さないでください、駄目亭主じゃないんですよ、長尾様の夫なんですからしっかりとしてください」

「とらっていいお母さんになりそうだよな」

 家事は何でもできるし、気立てもいい、容姿にも中身にも問題がない。

 あれ、とらって完璧人間?

「お、お母さんですか? 私にはまだお相手もいません、それにお金もないし何かできるわけでもないこんな小娘を好いてくれる殿方なんていませんよ」

 赤く染まった頬に両手をあててうねうねしながら言ってくる。

 この流れはうまいこと運ぶと、とらルートに進めると見た。

 いや、進まないけどね? だって好かれるのは嬉しいけど関係を持つってことは面倒事の種が増えるってことだよ? 嫌だからね、俺はただただ平和で平凡な人生を歩めればそれでいいんだから。

「え? とらさんはお母さんでしょ?」

 りょうが首を傾げながら聞いてくる。

「りょ、りょうちゃん、私にはまだ子どもなんていないよ」

「でも、私は貴久の娘で、とらさんは貴久の奥さんだから、とらさんは私のお母さんでしょ?」

「「「・・・」」」

 俺ととら、向日葵の3人が口を閉じる。

 しかし黙っていてはいけない、誤解を解かなくては。

「りょう、俺ととらは夫婦じゃないぞ?」

「でも、兄ちゃんとおんなじ家に住んで、毎日楽しそうにお洗濯やお掃除してるし、兄ちゃんの好きな料理を楽しそうに作ってる、お家を守るのが奥さんの務めなんでしょ?」

 確かに奥さんのやることではあるけども、それをやったからと言って奥さんというわけではないんだぞ、りょう。

 数学の必要十分条件みたいなやつだ、「AならばB」であっても「BならばA」と言えるわけではない。

「りょりょりょりょうちゃん! 変なこと言わなくていいのよ、私のこれはお仕事だから! べ、別に貴久様のことがどうこうって言うわけでは・・・!」

 とらがちらっとこっちを見て頬を赤く染めてそっぽを向く。

 謀らずも、とらルートへ進めたみたいな感じだ。

「とら」

「す、すみません貴久様、私用事を思い出したのでちょっと出かけてきます!」

 500年後も通じる言葉を言い残して台所から出て行くとら。可愛い。

 りょうとかぶってる気もいない気もするが、まあ気にしない。

「りょう、とらのことをお母さんと呼ぶのはとらが呼んでいいって言ってからな」

「?、うん」

 りょうは要領を得ていないようだがとりあえず頷いていた。

「私のことならいつお母さんと呼んでも構わない」

 向日葵がりょうに告げる。

「向日葵は兄ちゃんの奥さんなの?」

「その通・・・」

「違うからな、りょう向日葵の俺との関係がうんたらという話はだいたい嘘だ」

「向日葵、嘘ついたら駄目!」

 りょうにたしなめられた向日葵は、ばつの悪そうな顔になった。


「なるほど、それで私の屋敷に」

「はい、他に知ってるところも行くところもなく」

「いいことですね。今回はとりあえず家にいていただいて構いません、何のお構いもできませんがゆっくりしていってくださいね」

 俺が現在訪れているのは直江景綱さんの屋敷だ。

 長屋を後にした俺は景虎の屋敷に帰ったのだが、あろうことか門前払いをくらった、景虎からの命でとにかく俺を屋敷に入れるなとのことらしい。

 さっき長屋を出たばかりなのに戻ったりするのもなんか嫌だったし、町をぶらぶらしてもお金はない上にとらに会ったらなんか居心地悪そうだし。

 そんな感じで行くところはないかと考えて思い至ったのが直江家だ、親しいわけでも何でもないがとりあえず知り合いだし、なんとなく景虎の我儘に付き合う仲間のような気もするし・・・みたいな事を考えながら屋敷の前まで来てみるとちょうど景綱さんが帰ってきて部屋に通された。

「景綱さん、行くところがないのがいいこととはどういうことですか?」

「だって貴久殿の行くところがないということはつまり、貴久どのが長尾家の屋敷にいる時間が長いということです、それは御大将の我儘が私ではなく貴久殿に向いている時間と同じです」

 考えていることが自己優先的でいけない、自分良ければ全て良しみたいな感じだ。

「ですから、今後も色々と歩き回らずに屋敷にいてください、そうすれば私が幸せです」

「景綱さんはもう少し言葉に気を使った方がいいんじゃないですか」

「ご忠告ありがとうございます、しかしご安心を、こんなにも歯に衣着せずに話をしているのは御大将と貴久殿だけですよ」

 どうして最高権力者とその夫にだけ衣着せないんだよ!

「それはまたどうして?」

「御大将には許可をもらっています、貴久殿は言っても怒られなさそうだったのと、御大将のせいで溜まった憂さを少しでも晴らせればと」

 何で憂さ晴らしに利用されなきゃいけないんだ。

「確かに怒らないから別にいいですけど」

「ではついでに愚痴でも聞いてくださいませんか」

 どうして景虎に関する愚痴を俺が聞かなくてはいけないのだろうか、あと何日かしたら夫になるんですけど。

「はあ、どうぞ」

 それでも暇つぶしになるならいいか。

「ありがとうございます。

 それではさっそく昨日のことなのですが・・・」


 そこからは長かった、聞いているうちに自分がされてきたことが景綱さんに比べたら大したことではないと痛感し、最近も変わらず景虎の我儘に振り回されている景綱さんの話を聞いて辛かったんだろうと同情していたら自分が来る前よりはましになったとか言ってくる・・・もう可哀想で・・・。

 結局日が沈むまで景綱さんの愚痴を聞き続けていた。


「貴久殿、今日はありがとうございました」

「いえいえ、このくらいのことならいくらでも、また愚痴くらい聞きに来ますから」

「そうですか、では今度来るときは美味しいお酒でも飲みながら」

 酒はあまり飲みたくはないのだが・・・どうせ祝言で浴びるほど飲む羽目になるから今のうちに少しでも慣れておくべきだろうか。

「分かりました、それでは」

 俺は景綱さんに見送られながら、真っ暗になった道を提灯の明かりを頼りに景虎の屋敷に向かって歩き出した。


「お帰りなさい」

「おう、ただいま」

 屋敷に帰ると今度はちゃんと屋敷に入れてくれた、それどころか景虎様が呼んでるとのことだ。

 んで部屋に来てみたらとっても笑顔な景虎さんがいました。

「えらくご機嫌なようだが、どうしたんだ」

「そんな風に見える?」

 なおも笑顔は崩れない。

 もっとも、この笑顔は嫌なことを考えているというよりは悪戯をしようとしている子どもっていった感じだ。

「ああ見える、何考えてるんだ」

 悪戯くらいなら構わない、景綱さんのことを考えれば!

「ふふ~、こっちに来なさい」

 景虎が嬉々として隣の部屋へ続く襖の前に立つ。

 手招きまでして催促するので俺も景虎の横までやってくる。

「で、隣の部屋に何かあるのか?」

「ええ、あなたを驚かせるために用意したとっておきがあるわ」

 悪戯なのに驚かせると公言するとは、どうやらはしゃぎ過ぎているようだ。

 そんな外れたことを考えていたせいだろう、俺は油断していた。

「ほう、何があるんだ」

「見たい?」

「ああ見たい、すっごく見たい、もう見たくてたまらない」

 適当に流さずによく考えるべきだった。

「そこまで言うなら仕方がないわね、見せてあげるわ」

「早くしてくれ」

 どうして景虎が驚くものだと先に言ったのかを。

「開けるわよ」

 景虎が見せたくてたまらないといった様子だったのを。


「・・・・・・・・・」

 開かれた襖の先には、見事な紋付羽織袴があった。

 今まで着たことはない、知識として知っているだけだ。

 個人的に浴衣や袴は好きだ、もちろん紋付羽織袴も。

 しかしこの紋付羽織袴は今まで見たどんな衣服より素晴らしかった。

「・・・・・・・・・」

 何があるのかは理解した、紋付羽織袴は祝言のときに男が着る服だ、つまりこれは俺が景虎との祝言のときに着るものだろう。

 それだけわかっている、だから景虎には何か感想を言うべきだ、「よくできてる」、「格好いい」、何でもいい、自分が思ったことを言えばいい。

 しかし俺は何も言えなかった。目の前の服に見入っていた。

「放心してるんじゃないわよ、何とか言いなさい」

「っ!」

 景虎に声をかけられてようやく我に返る。

「あ・・・その・・・すごい」

 正直に今思っていることはそれだけだ。

 我に返ってもなお目の前の紋付羽織袴には圧倒されるばかりだ。

「ありがとう」

 景虎がそっと俺の腕を抱く。

「5日で仕上げたのよ、その分も誉めてもらいたいわ」

「まさか、景虎が作ったのか」

「そうよ、わかったなら誉めなさい」

 俺は景虎を抱きしめる。

「ありがとう。

 ・・・すごく・・・嬉しい」

「そう」

「ありがとう」

「ええ」

 しばらくの間、俺は景虎に「ありがとう」と言い続けた。

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