向日葵
「腕は大丈夫か?」
「大丈夫に見えるならその目玉をよこせ、お腹すいたから食べる」
「食ってもうまくないぞ」
物騒なことを普通に言ってくる向日葵、何日もろくなものを食べていなかったのであろうこの痩せ細った体で言われると死神に言われているような気がしていけない。
向日葵が景虎に腕を折られた翌朝、俺は向日葵の様子を見るために長屋を訪れていた。
「ならとにかく食べ物を出せ」
「・・・お前は少しくらい遠慮した方がいいぞ」
「遠慮してもいいことはないし、あんたは言えば用意してくれると確信してる」
わかってるじゃないかこの野郎。
「なら食べ物は用意してやる、その代り、元気になったら働けよ」
俺は向日葵の食事を用意するために部屋を出た。
「貴久様はもう少し威厳というものを持つべきですよ?」
「ならもう少し敬った言い方をしてくれても・・・」
「無理です」
そんなきっぱりと言わなくても。
今話をしているのはりす・・・ではなくてとらちゃんだ。
この長屋が俺の集めた人たちだけで回せるようになるまで手伝いに貸してくれるそうだ。
やってもらうのはとにかくこの長屋で生活するのに必要ななんやかんやだ。炊事も洗濯も裁縫も何でもできる、一家に1人とらちゃんを常備すべきだ! とか言いたくなるくらい何でもできる。
そんなとらは今、台所でみそ汁を作っている。
そして昨日飲んでみたがとらのみそ汁はとても美味しい、今も向日葵のため、と言いつつ自分ももらうためにみそ汁を作ってもらってる。
「どうして」
「なんとなく貴久様の傍に居るとふにゃっとなるんですよ」
「ふにゃって何だ? ちょっと可愛らしいがそれは理由にならんだろ、自分から言ったんだから意識して何とかしろ」
「でも景虎様が言ってましたよ、貴久様には気を遣わなくていい、むしろ迷惑をかけるくらいに甘えてあげた方か喜ぶだろうって」
そんなことは・・・。
「貴久様」
とらが可愛らしい声で名前を呼んでくる。
そのまま俺の腕に抱き付く。
・・・そんなことありそうだな。
「その通りな気がしてきた」
「ではこれからも色々失敗して迷惑をかけることになるとは思いますが、よろしくお願いします」
迷惑はともかく、失敗はないんじゃないだろうか。とらは景虎がわざわざ貸してくれただけあって家事は何でもそつなくこなす、とても失敗する姿が想像できないほどだ。
「そうかもな」
でもこうかえす。
「はい、よろしくです」
「で、なんだが」
「はい、何でしょう?」
「みそ汁、吹きこぼれてる」
「え・・・あーーーー!」
とらが慌てて鍋を火から離そうとつかみ上げる。
「熱ーーーーーーい!」
そりゃあ火にかけてる鍋を素手で触ったら熱いわな。
「どうしようどうしよう⁉」
慌てているとらを見ているとなんだかふにゃっとした。
「美味しい」
「だろ」
向日葵にもとらのみそ汁を飲んでもらったがやはり好評だ。
「このみそ汁はあんたの好み?」
「俺に合わせて作っているわけではないが、かなり気に入っている」
向日葵はしばらく目を閉じて何か考えていたが目を開けた後は何事もなかったかのようにまたみそ汁を飲み始めた。
「ところでさ」
「なに」
「俺の名前って教えてたっけ」
「教えてもらってない」
「だからずっと「おまえ」って呼んでたのか」
「教えてもらっても呼んでいいと言われなければ呼ばない」
「なんて呼んでもらっても俺は構わないから名前は教えておこう。
俺の名前は加藤貴久、細かいいろいろは教えられないが仕事は景虎の草履取りだ」
向日葵が訝しむような目を向ける。
「草履取りのくせにこんなところにいていいの?」
「景虎がいいって言ったからな」
「草履取りのくせに私を拾ってきて面倒見れるほどの財があるとは思えない、それにすでに一人いるって言ってた」
「金に関しては細かいいろいろってことで」
「細かくない・・・けど言いたくないならいい」
何で向日葵は上から目線なんだろう。
「ぞりゃどうも、ところで聞きたいんだが・・・」
「なに」
「昨日、どうして景虎に襲い掛かった」
「あいつが貴久に敵意を向けたから」
「敵意?」
敵意なんて向けられただろうか?
「貴久怯えてた」
「あー」
あの威圧感のことか、あれって敵意だったんだ。
「・・・馬鹿?」
「そのようだ」
てことは景虎は俺に対してそれほどに許せないこと、憎いことがあるってことだろうか。
「心当たりは?」
「ない」
むしろ俺の方が景虎の我儘に付き合っているくらいだからな。
「ならどうしてあれだけの敵意を向けられてもあいつへの態度が変わらない?」
「変わってないことはないぞ、何回も向けられているうちに、ちょっとずつ変わってきてはいる」
それを聞いて向日葵は信じられないという顔をする。
「どうしてそんなことされてあいつと一緒に居られるの?」
「今まであれが敵意だなんて思ってなかったからかな。
あ、それと今では夫婦だからかな」
それを聞いた向日葵の目が見開かれる。
「正確にはもうすぐなるって予定であって、まだ夫婦ではないんだけどな」
「なら貴久はどこかの名家出身?」
「いや、違うが」
「でも加藤なんて・・・」
「加藤がどうかしたのか?」
「藤」
「あー」
そこもか、景虎と初めて会った時も名前は気を付けないと、とは思っていたが名字があったりすることもそうだが、文字一文字とっても気を付けないといけないかもか。
俺の名字の『加藤』、その中の『藤』なんかは『藤原』とか有名な権力者も使っていたような字だからそれだけで勘ぐられるようなこともあるのか。
「言えないこと?」
「言えないわけではないが・・・俺の名字が『加藤』の理由なんて俺も知らん」
それを聞いた向日葵の顔が呆れたと言わんばかりに非難の色を帯びる。
「どうしてそんなことも知らないの」
「どうしてと言われても」
俺のいたころの一般男子高校生が自分の名字の由来なんて知っているとは思えない。
「・・・まあいい、じゃあ次に、どうして景虎なんかと夫婦になるの」
何で向日葵に妥協されて、その上詰問されてるんだ。
「景虎なんかってなんだ、なんかって」
「あんな奴の名前を呼ぶだけでも殺したくなる、呼んでやったんだから泣いて感謝してほしいくらい」
「よっぽど景虎のことが嫌いなんだな」
「当り前、私はあいつのせいでこんな目に合った」
景虎のせいでこんな目に合っている、つまりは景虎の政のせいで家が潰れたとかだろうか。
国を治めていればどうしたって向日葵みたいに不幸になる子が出るのは防げない、仕方がないで済ませるのは俺には無理だが、今はそうなってしまった子を1人でも多く助けることが俺にできることだ。
「何があったのかは知らないが、あんまり憎しみを貯めても仕方がないし、それが溢れたら多くの人が傷つくきっかけになるぞ」
『殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで本当に最後は平和になるのか』
ならんだろうな。これは機動戦士ガンダ〇SEEDでカガリ・ユ〇・アスハが言った名言だ。
向日葵も景虎のせいで不幸な目にあったのかもしれないがそれでやり返していたら今度は景虎の家臣が間違いなく向日葵に仕返ししにやってくるだろう。
二人の関係だけならここで争いは終わるかもしれないが、景虎が死んだら武田は分からないが北条や芦名、伊達なんかはこぞって領地拡大に乗り出すのではないだろうか。そうなればいったい何人の人が死ぬことになるのか、想像するだけでも恐ろしい。
「だからどうした、あいつに手を出すなと?」
「まあ、それも言いたいことの一つだな」
「なら二つ目は」
「できることなら、誰も傷つけるな。俺の知ってる言葉で、『涙と悲鳴は新たなる争いの狼煙となる』って言葉がある、争いなんて誰もやりたくてやってるわけじゃないだろ」
でも実際にはラウ・〇・クルーゼみたいに望んで争いを起こすやつがいることもわかってはいるんだけどな。
「約束はできない、私は貴久の言うことを聞かなきゃいけないわけじゃない」
「追い出されるかもしれないぞ」
「貴久にそんなことはできない、せいぜいどこかに閉じ込めるか、食事を抜くくらいしかできない」
・・・たぶんそうだろうな。
「それに別に追い出されても私は構わない、またあそこに戻って死ぬだけ」
「そんなこと言うな、死ぬだけとか、簡単に言ってほしくない」
「それも貴久がいくら言っても、私が言うことを聞く必要はない」
「勝手にしろ」
必要は確かにないし、命令なんかしてもこいつが従わなきゃいけない義務なんかももちろんない。
俺にできるのはただ言い続けるだけだ。
「・・・でも」
「ん?」
「貴久がどうしてもって言うなら・・・考えなくもない」
向日葵がそっぽを向きながら言ってくる。その横顔は真っ赤だ
「なんだ、照れてるのか?」
「そうだよ」
「・・・そこは隠すものじゃないのか」
「こんなバレバレのやつを隠せるわけがない」
えー、そこは分かってても隠そうとして煽られたところで「照れてない!」って怒るところじゃないのか。
「まあ素直なのは魅力だな」
「惚れた?」
「まずはそのガリガリの体が健康的に見えるくらいに肉をつけてから言え」
「胸が大きい方が好みか? だからあいつと夫婦になるのか?」
「違う、断じて胸の大きさで決めたわけではない」
胸が大きいことが夫婦になる条件だったら晴信と夫婦になるわけがないだろう。
いや別に晴信の胸がぺったんこって言うわけじゃないからな、そもそも景虎だって巨乳ってわけじゃないし、美乳って感じだし、大きさで言うと晴信が醤油皿くらいのふくらみで景虎がお茶碗くらいのふくらみだから!
「貴久は今間違いなく失礼なことを考えてる」
「そんなことは・・・」
「みんなの胸の大きさを具体的に考えてた」
何ですか、ニュータイプか何かですか。
「・・・そんなこと、今は詮無きことだ。
とにかく、周りに迷惑かけるなよ」
「さっきは傷つけるな、だった、条件が厳しくなった」
「あーそこは最初に言った方でいいや、ちゃんと守れよ」
「あいよ」
返事を聞いて俺は長屋を後にした。
にしても向日葵は過去に何があったのか、あれだけ景虎のことを嫌っているのだから過去に景虎がらみの何かがあったのだろうが・・・。
「そのうち気が向いたら話してくれないかな~」
別に他人の過去に踏み込んでどうこうしようなんてことは考えてないから無理に聞き出す気もわざわざ訪ねようと意識することもない。
「前見てないとこけちゃうよ、兄ちゃん」
「りょうか、何してるんだ」
町中を歩いていると背に野菜の入った籠を背負ったりょうに出会った。
「お買い物だよ! 今日は長屋に越してきた子に食事を作ってあげるんだ!」
これまた可愛い顔して言ってくる。とりあえずぎゅーと・・・すると本格的にロリコンになりそうなので最近は自粛している・・・人前では。
「何を作ってやるんだ?」
「おみそ汁! 兄ちゃんが好きだから、いっぱい練習して、上手になったんだよ。兄ちゃんもいるって聞いてたからおみそ汁にしたんだけど、兄ちゃんはもう帰っちゃうの?」
「いやいや、ちょっとお散歩してただけだよ。ちょうどりょうに会えたし、一緒に長屋に帰るか」
りょうの料理の師匠はとらだ、よってりょうのみそ汁も美味しい。美味しいみそ汁のためだ、長屋に戻ろう。
「やった! じゃあ一緒に行こ!」
そういうとりょうが俺の腕に抱き付いてくる。
まったくもって可愛すぎる、俺が悪いんじゃない、可愛いりょうがいけないんだ。
「と、言うわけで今日の夕食はみそ汁だ」
「どうして夜もみそ汁飲まなきゃいけないの、飽きるから別のがいい」
「お前は随分と偉くなったものだな」
こいつは農家の出身とかじゃないな、今の口ぶりだともともとはいろいろなものが食べられるような家柄だったみたいな気がする。
そうなるとそれなりに大きな商人の家か武士の家柄だろう。
そして景虎に襲い掛かったときのことを考えると武家のような気がする。
ならば向日葵の家は景虎によって取り潰されたなり攻め滅ぼされるなりしたのだろう。
景虎に滅ぼされた家でぱっと思いつくのはあのお家だが・・・あそこは一族ともども自害させられたはずだ。
「・・・自重する」
本人も言い過ぎたと感じたようだ。
「まあ美味しいんだからいいじゃないか」
向日葵は不満そうな顔をしているが異を唱えることはなかった。
「ところで、そのりょうって子は私の前に拾ってきた子のこと?」
「そうだ、仲良くしてやってくれ」
「今のところ、貴久の知り合いで会ったのは女だけなんだけど」
「そんなことは・・・あるな」
思い返してみたら男でそれなりの身分の知り合いなんていない、みんな農民か商人だ。
改めて主人公みたいだ。・・・つまりは絶対に苦労する。
「酒池肉林」
「酒は飲まない、飲めるかどうかも知らん、肉林に関しては相手次第だから何とも言えん」
「つまり相手が望めば拒まないと」
「そこまでは言ってない」
「どこまでならいい?」
「祝言まで考えるような相手なら拒まないかもしれん」
向日葵の目が細められる。
「つまりはあいつのことか」
「・・・まあそうだ。あとは、取るつもりはないが側室や愛妾なんかも当てはまるかもしれん」
「どうして取らない?」
「お前には理解できんかもしれんが、俺が何となく側室や愛妾にいいイメー・・・えっと、いい印象を持ってないからだ」
「理解できない」
「だから言っただろ」
「なら、貴久のことを好きな女の子がいて、貴久もその子のことを好きになったらどうする」
「ん~、それは今日明日にでもできたらってことか」
「そう」
それだとまだ景虎と祝言は挙げていないのか、でもこの気持ちが揺らぐとも考えにくい、晴信のこともある。
・・・てちょっと待て。
「なあ向日葵」
「なに」
「向日葵は今の俺の置かれている状況を知っているか?」
「知らない、貴久が教えてくれたことしか私は知らない」
「そうか、ならいいや」
景虎と晴信は俺とどういう関係になるのだろうか、二人とも正室?
とりあえず、何も知らないのに聞くのはなんとなく嫌だ。
「で、好きな子ができたらどうするの?」
「ん~、俺としてはそんなことになったらみんな正室にしたいけど・・・無理だろうから、その時は正室の人と相談して側室か愛妾かを決めることになると思う」
「つまり貴久としてはできたらできたで問題はないと」
「ないことはないだろうが・・・」
「でも側室や愛妾はとるかもしれない」
「可能性としては否定できないな」
まあ願望を言えばたくさんの可愛い女の子に囲まれて暮らすなんて男の夢なのではないだろうか? だから俺もそんな願望がないわけではない。
・・・向日葵がこっそりと拳を握る、ガッツポーズをしている。
「なんだ向日葵、お前は俺のことが好きなのか?」
「気づいても言わないのが優しさってものだと思う」
向日葵が顔を真っ赤にしながらも口調だけは努めて平然とした感じで返してくる。
「だったらせめて否定くらいしてくれ」
「手遅れになってからでは意味がない」
「どこまでいったら手遅れなんだ」
「貴久が自分のことを慕っている女の子がいることを知らずに祝言を挙げたら手遅れ、その前に言っておけば、貴久は必ず逃げ道を作っておくはず」
「・・・」
確かに俺は今できた時に備えていろいろと考えていた、本当にできても大丈夫なように真剣に考えていた。
「じゃ、お肉とご飯食べて元通りの可愛らしい姿になったらもう一回告白するから、その時までに愛妾か伽役か考えておいてね」
「・・・」
「返事は」
「はいはい、向日葵が俺のことを本当に好きで、俺が向日葵のことを奥さんにしたいって本気で考えるようなことがあったらその時はちゃんと愛妾なりなんなりにはするように掛け合ってみるよ」
「それじゃ駄目、伽役の場合もあるから貴久が私に欲情した時もね」
「分かったよ」
「なら、さっさと食事を持ってきて」
「はいはい」
なんだかんだと言っても人に好意を向けられるのは悪い気はしない。
ただ、やっぱり向日葵には勝てない。もし本当に愛妾にでもなったら景虎と同じようにいいように尻に敷かれるのだろう。
「モテモテだと喜べばいいんだろうか」
そんな情けないことを考えながら俺は向日葵と俺の食事を取りに台所へ、帰りに台所にいたりょうも誘って4人で夕食を食べる。
「みそ汁は美味しい」
何があってもみそ汁は変わらず美味しかった。




