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2人目

「どうして治るんだ」

 景虎に背骨を折られた(実際には折れていないが)翌朝、目覚めると腰は確かに痛むがそれほど痛いわけではなく普通に動き回れるほどに回復していた。

 前回鍛錬で景虎にぼこぼこにされたときも翌朝には動けるようになっていた、こんなにも治りが早いとそのうち殴られてもすぐに治る→殴られるのって実際どのくらい痛いのかな?→このくらいかー→物足りないなー→気持ち~、みたいな感じでドMにでもなってしまうのではないだろうか。

 若干の戦慄を覚えながら身支度を整えていざ食事へ。

 やはり慣れというものは恐ろしい、前は起きられる自信などなかったが、今では明け六つに起きるのは当たり前、それより早く起きるのも割と思い通りときた。

 だから俺は食事に遅れたりはしない、ただでさえお昼ご飯は無いのだ、朝までなかったら育ちざかりで体が大きい俺はすぐに栄養失調で倒れてしまうだろう。

「今日のご飯はなんじゃろな~」

 昨日はご飯と魚の半身、それに漬物といった献立だ。

 こんなけで足りるか! とか言いたいが草履取りでこれだけのものをただで食べられているのだから文句は言うまい。

 それに腹をすかして歩いていると景虎がどこからか用意してきたお菓子を食べさせてくれる。昨日食べた団子は美味しかった、2000年頃の砂糖をふんだんに使った甘いお団子ではなかったがあれは美味しかった、単純に腹が減っていて腹にたまりそうなお団子を見て想像力による味の補完があったであろうことは否めないがとにかくうまかった。

「あれ、これは餌付けというのでは?」

 腹の減ったところに食べ物を持ってきて懐かせる・・・餌付けだよな?

 だがそんなことはどうでもいい、食べたりない、食べ物をくれる、嬉しい、それで十分だ。

「今日の餌はなんじゃろな~」

 餌に変えてみたが特に違和感がない、自分でも受け入れている証拠だ。

 そんなのんきなことを考えていたら目の前に景虎が。

「げ・・・」

 景虎が向っているのは玄関、つまりはお出かけだろう。

 景虎が出かけるのなら俺はついていかないといけない、なぜなら俺は景虎の草履取りだから!

 つまり朝ご飯は抜きだ。

「まずは玄関まで先回りだ」

 仕事だから仕方がないと断腸の思いで朝ご飯を切り捨てると急いで玄関へと向かう。


「何でこんなところにいるのよ?」

 え? そっちこそどうしてそんな不思議そうな顔して聞いてくるの?

「なんでって・・・仕事だから?」

 何で仕事で来たのに疑問を投げかけられるのか。

「仕事? ・・・ああ、出かけるんだからそうか」

「なんでそんな感じなんだ! 仕事やらなかったときにあれだけ怒ったのに何でこんなに軽いんだ!」

「いいじゃない、そんな昔のこと」

 そんな風にバッサリと言われるとかんだか悲しい。

「それよりもちょうどよかったわ、あなたも一緒に来なさい」

「・・・仕事なんだからどっちにしても一緒に行く」

「そうだったわね、なら黙って付いて来なさい」

「はいはい」

 ついていくのは構わないが、どこに行くのか教えてほしい。


「ここは?」

 景虎に連れてこられたのは大きな家、つまるところ長屋?

「見たまんまの長屋よ」

 やっぱり長屋であっているようだ。

「俺が来た理由は?」

「あなたの持ち物だからよ」

「は?」

 何でこの長屋が俺の持ち物?

「もう忘れたの?」

「何を?」

「・・・取り壊すわよ」

「待て、絶対に思い出す、だから待て」

 なんだ、何で長屋なんだ、俺が長屋を必要としている理由は・・・なんだ?

「本当に覚えていないの?」

「・・・すまん」

 本当になんでだっけ?

「あんた、りょうみたいな子を助けてあげたいんじゃないの?」

「・・・」

 思い出した、言ってた、言ったよ俺。

 優しい国を作る。そのため、と言うわけではないが、りょうたちのような境遇の子を助けたいってことを言ったな。

 りょうが普通に長尾家の屋敷で暮らしていたからすっかり忘れていた。

「言ったな、そんなこと」

「そんなことって・・・」

 久々のゴミでも見るような目、なんだか懐かしい気がする。

「そ、それはそれとして、この屋敷には何人くらい住めるんだ?」

 話題を変える。

 景虎はゴミでも見ているような目をとりあえず収めて続ける。

「長屋の大部屋で寝てもらうことになるから正確な数は言えないけど、だいたい100人くらいは入るんじゃない」

「それはまた結構な数だな」

「あんたのことだもの、見つけた傍から拾ってくるんでしょ」

「多分な」

 たぶんじゃなくて絶対だとは思うが。

「それで、あんたはりょう以外の子は見つけてきたの?」

「え・・・」

「え、じゃないわよ。あんた、この長屋にりょうを1人で住ませる気なの?」

 りょうが1人でこの長屋に住む・・・させられんな。

「早く他の子を探してこないと!」

「そんな子、見つからない方がいいんだけど」

「あー」

 そりゃそうだ、りょうみたいな境遇の子が他にたくさんいたらそれは景虎の政がうまくいっていないってことだ。

「別にいいわよ、どれだけ善政を敷いてもそういう子は出てしまうものよ。さっさとりょうの家族になる子を探してきなさい」

「そんなこと言うな、やるからには一人も出さないって言っとけよ、言うだけなら勝手だろ」

 だいたい俺の前ではもうそんな国を作りたいとか言っているし。

「それを聞かれたら「あの時こういったでしょー」って言われちゃうでしょ。面倒なのよ」

「あっそ」

 それだけ言って俺はさっそく町へ見つからないに越したことはないが身寄りのない子を探しに出た。


 誰も見つからないといいなと思いつつ、一応そんな子がいそうな町はずれの寂れた一角に足を運ぶ。

 やっぱりどうあがいてもこういうところはできるものなんだなとか考えながら歩き始める。

 そしてさっそく・・・。

「見つけてしまった」

 痩せ細っていてかろうじて着ている、というよりは巻き付けているだけの服から出ている手と足は肉も削げ落ちていて骨が浮き出ている。

「・・・」

 あの子のことを思い出した。助けられなかったあの子のことを。

 あの子との違いと言えば、お腹が膨らんでいないところくらいだろうか。

 もちろん髪の長さとか、体の大きさなんかも違うが、あの助れらなかった少年とかぶってしまうくらいには似ていた。

 男の子か女の子かも分からない、すでに死んでいるのではないだろうか。

 せめて死んでいるなら埋めてやろう、生きているなら長屋に連れて行ってやろう。

「なに」

「っっっ!!」

 びっくりしたーーーー! ぎょろって、ぎょろって動いたよこの子の目!

「・・・」

 子どもが何も言わずにただ俺を見つめている。

「君はいつからここにいるんだ」

 このままにらめっこをしていても仕方がないので話をしてみる。

「・・・忘れた」

「そうかい」

 つまりはもう何日経ったかもわからないくらいここにいるってことか。

「家に・・・来るか?」

 子どもはさっきから変わらずに俺の目を見ている。

「どうする、うちに来るなら一生とは約束できないが俺が元気なうちは最低限の衣食住は何とかしてあげるよ」

 子どもはまだ俺の目を見たまま動かない。

「・・・」

「・・・」

 言いたいことは言ったから俺も子どもの目を見て黙り込む。

 たっぷりと何分か経って子供が話し出す。

「どうしてそんなことするの」

 小さな声で聞いてくる。

「できるからだ」

「でもずっとじゃない、一時の幻を見せて結局私はまたここに戻ってきて死ぬ。

 ・・・もう一度お腹を空かせて、雨に打たれて、風にさらされ、体の肉が削げていく、また苦しむだけ」

 なんとなく分かる、たぶん今言ったのはこの子が今日までに体験したことだろう。

「君は、死にたいのかい」

「(ふるふる)」

 子どもは無言で首を振る。

「生きていたいと思っているのかい」

「・・・」

 今度は答えない、考えているのか答える気がないのか分からないが俺はとにかく待つ。

「・・・拾ってどうする」

 俺の質問の答えは返さずに質問を返してくる。

 だがなんとなくこの子が生きていたいのだろうということは感じられた。

「どうもしないよ」

 子どもの目が鋭くなる。

「ならどうして拾う」

「自己満足じゃないかな?」

 りょうを拾った時にも明確な理由はなかった、ただ目の前にいる子を助けられるなら助けたい、別に子どものことが特別好きなわけでもなければ、人助けに生きがいを感じているわけでもない。

 つまるところ、なんとなく助けた。

「自己満足?」

「ああ、すでに一人拾ってるんだけど、その子の時も拾った理由は特になかった」

「・・・馬鹿?」

「たぶんな」

 たぶん馬鹿であってるんだけどさ・・・正直に言われるとちょっとへこんだりとか。

「・・・なら仕方ない」

「・・・」

「・・・さっさと拾ってけ、馬鹿」

「・・・言い方ってものはないのか」

「嫌なら捨てて行けばいい」

 こいつ・・・笑ってやがる。

「性格悪いな」

「嫌なら捨てて行けばいい」

「はぁー」

 この子にも勝てそうな気がしない。

「名前は?」

「・・・」

「ないのか?」

 この時代だし親によってはないこともあるのかな?

「・・・ひまわり」

「ひまわり?」

「悪いか」

 目に殺気がこもる。しかしそれと同時に浮かんだ恥ずかしそうな表情で全部台無しだ。

「そんなことないよ、いい名前じゃないか、字はどう書くんだ?」

「知らない、花と同じって言うのは聞いた」

「なるほど」

 この子は向日葵という名前なのか。

 字が書けないなら元は農家だったのかな?

「立てるか?」

「・・・むり」

 立とうという仕草は見せたがこの痩せ細った足では立てないようだ。

「どっこいしょ」

 お姫様抱っこで持ち上げる。

 うわっ軽いなー。

「今の状態の私が重いとでも?」

「そんなわけないだろ。

 ていうか女の子だったのか」

 あの少年と重ねて考えてしまっていたし、なんとなく言葉遣いからして男の子のような気がしていた。髪だって伸び放題でどっちだかわからないし、胸だって年のせいもあるのであろうぺったんこだし。

「今度お礼参りに行くから待ってろ」

 目に殺気がこもる。今回はちょっと怖かった。

「はいはい、しっかりつかまってろよ」

 怖いことを言ってきたが、痩せ細った腕で弱々しくつかまってくる。

 俺が歩き始めると安心したのか何なのか、向日葵はすぐに眠ってしまった。


「またずいぶんな子を拾ってきたわね」

「ずいぶんってなんだよ」

「よくもまあこんなにもボロボロな子を見つけてきてくれたわね」

「見つかってよかったじゃないか」

 見つからなかったらこの子は明日にでも死んでいたかもしれない、見つけて何がいけないというのか。

「こういう子が出るのは私の責任なのよ」

「あー」

 そうか、こういう子が出るのは景虎の行う政に原因があるってことになるのか。

 景虎からしてみればこの子は自分の政がうまくいっていないって言うことを見せつけられているわけなんだな。

「ま、しっかり面倒見なさいよ」

「面倒見ろよ」

「何でお前にまで言われなきゃいけないんだ」

 向日葵は布団に寝転がりながら言ってくる。

 向日葵はお願いしますと言うべきではないのか。

「何言ってるの、この子の言う通りよ。拾ってきたんだから責任もって面倒見なさい」

「もちろん見るけどさ・・・」

 でも向日葵に言われるのはやっぱり気に障る。

「ところで、この子は何かできるの?」

「何かできるか?」

「何もできない」

「だって」

「だってじゃないわよ」

 そういわれても困る、俺は能力で拾ってくる子を決めているわけではない。

「でも、働かざるもの食うべからずよ」

「まあ、そうかもだが」

 俺としては助けられればいいから、別に働いてもらおうとは思っていないのだが。

「あなたは本当に何もできないの?」

「・・・」

 向日葵は何も答えない。

「何もできないのか?」

「できない」

 答えた。

「なら家事でも覚えさせたら? ここで生活していくなら誰かがやらないといけないんだし。

 あんたはどうなの、やる気はあるの?」

「・・・」

 向日葵は何も答えない。

「家事、やる気はあるのか?」

「べつにいい、あんたがやれと言えばやる」

「・・・」

 景虎が笑顔で向日葵のことを見ている。

「なら、体調がよくなったら家事を覚えてもらうから、そのつもりでな」

「はいよ」

 普通に会話が成り立つ。

「・・・あんた、名前はなんて言うの」

 景虎が優しそうな笑顔で問いかける。

「・・・」

「・・・長尾家で家事をしてみない? こっちなら給金も出すわよ」

「・・・」

「・・・」

 あ、景虎の笑顔が引きつってる。これはもう明らかに不機嫌なのだろう。

「・・・何で答えないの?」

「・・・」

 やっぱり景虎の問いには答えない。

「どうして答えないんだ」

「答えたくないから」

 あ、やっぱり俺からの問いには答えた。

「・・・貴久、こいつにどうして私の問いに答えないのか聞いてみて」

「やだ」

 絶対にろくなことにならない。

「聞きなさい」

「やだ」

「聞けって言ってるのよ」

「ぅ!!」

 こいつどんだけ苛立ってやがる。こんなに威圧感出しやがって。

「お・・・お前・・・」

 その時、俺の隣で布団が跳ね上がった。

 もちろん布団を跳ね上げたのは向日葵だ。

 跳ね上がった布団は景虎の方へ飛んでいく、景虎が驚きながらも体を左に倒しつつ右手で布団を右に払う。

「ちょっと何を・・・!」

 景虎の顔が驚きの色を帯びる。

 景虎の目の前には、恐ろしい顔をした向日葵がいた。

「ふっ!」

 向日葵が勢いよく拳を振り下ろす。

「・・・」

「!」

 景虎は向日葵の拳を無表情に腕をつかんで止めていた。

「どういうつもり」

「・・・くそが」

 景虎は何も言わない。

 しばらくすると向日葵は糸の切れた人形のように布団に倒れる。景虎に握られたままの左腕にぶら下がっている体から、首が力なく垂れる。

「あんた、死にたいの?」

「・・・」

「答えたくないならいいわ」

 それだけ言うと景虎は向日葵の腕をつかんだまま歩き出す。

 向日葵は景虎に引きずられるままだ。

「待て、景虎」

「なに」

「向日葵をどうする気だ」

「そう向日葵って言うのね、この子」

「で、どうする気だ」

「打ち首に決まってるでしょ。越後国主に向かってあんなことしたんだから当然よ」

「本気で言ってるのか」

「本気よ」

「俺、はっきり言うが、かなり怒ってる」

「だからどうだって言うの、命を狙ってきた刺客を見逃すほど私は甘くないわ」

「本当に狙ってたのか」

「ええ、この子の目は本気だったわ。私が命の危機を感じるくらいにわね」

「それで、絶対に自分のことを殺せないと分かっている相手の腕を握りつぶすのか」

 今景虎が握っている向日葵の腕はあらぬ方向に曲がっている。

「当たり前でしょ、実際にどうなるか、なったかはどうでもいいのよ、こいつは私の命を狙った、それで十分よ」

 そして、景虎はそれが当たり前だと断じる。

 確かに命を狙われたのだと考えれば、これは当たり前のことなのかもしれない。

 しかし俺は、こんなことを・・・こんな子どもの腕を、平然と握りつぶすなんてこと、とてもではないが無視できない。

 これは俺だからこんな風に考えてしまうのだろう。

 こんな残酷と言える状況をまともに見たことのない、平和ボケした俺だから考えてしまうのだろう。

「理由は?」

「だから、それはどうでもいいのよ。何度でもいうけど、こいつが私の命を狙った、それで十分よ」

「こいつはお前に飛びかかるまでは微塵も殺気を見せなかった」

「刺客なら当たり前ね」

「目標を殺せる程度の力も残さずに接触してくる刺客がどこにいる」

「こいつは・・・」

「知らねえよ」

「・・・へ~」

 景虎が不気味な笑顔を向けてくる・・・そして威圧感も。

 どういうわけか景虎の顔には笑みが浮かんでいる。いったい何が嬉しいのか、おかしいのか、面白いのか・・・。

 景虎の考えは全く分からなかったが、その反応は、俺の神経を逆なでするのには十分だった。

「知らない、だからどうしたっていうの? そんなの私の知ったことじゃないわ」

「ああそうかい」

 それでも今の俺は何とも思わない。

「腕を折る必要はあったのか? 殺せもしないことを分かっていても、子どもの腕を折って、そのうえ打ち首か?」

「当り前よ、刺客は殺す、それだけよ」

「そうかい」

 おれはゆっくりと景虎に歩み寄る。

「なによ? る?」

るわけないだろ」

 俺じゃあ景虎には勝てない、そんな分かり切ったことは試さない。

「悪いが、刀借りるぞ」

 返事を聞く前に刀を景虎の腰から刀を抜き取る。

「止めないんだな」

「何をする気」

 景虎が険しい顔で聞いてくる。さっきまで浮かべていた笑みは鳴りを潜めていた。

「向日葵、起きてるか?」

「・・・何か用」

「起きててよかった」

「早く言え」

「悪かったな、あのままあそこに捨て置いていけばもう少し長生きできただろうに」

「・・・」

「俺のせいでこんな目に合わせてしまった、これ以上苦しみたくないみたいなこと言ってたのに・・・腕、痛かっただろ、ごめんな」

 向日葵の目が俺を見る、だがその眼からは何も感じない。

「だから死ぬ前に選べ・・・俺を殺すかどうか」

 俺のせいだ、俺がここに連れてこのければ少なくとも今この場で死ぬことはなかった。

 俺が向日葵を殺したんだ。

「俺が向日葵を殺したんだ、こんな人殺しはどうせ極刑だろう。だから殺される前に選んでくれ、お前が俺を、殺すか殺さないか」

 ここに至ってやっと向日葵の目に意思が感じられた。

「どうする、向日葵」

 向日葵の手が俺の手の刀に伸びる・・・そして刀を持った手の指を、弱い力でゆっくりと離していく。

「・・・どうして、私があんたを殺せる」

 向日葵が声を震わせながら言ってくる。

「あんたは、私を生かしてくれようとした・・・それだけ」

「・・・」

 声は震え、両の目は潤んでいた。

 しかし、決して表情は変わらなかった。

「・・・本当は・・・ぅ・・・嬉しかった・・・・・まだ、生きていけるって」

「ああ」

「・・・実は・・・抱っこされて・・・嬉し・・・かったぁ・・・」

「どうも」

「ぁ・・・あり、が・・・とう」

 向日葵が涙をこぼす。

 最後の最後にだけ、向日葵の顔が悲しみにゆがんだような気がした。でもその顔すらも、どことなく幸せそうで・・・。

「・・・」

 言いたいことはもう言い終わったのだろう。もう向日葵は何もしゃべらなかった。

 悲しいのだろう、その両の目からは涙がこぼれている。

 嬉しいのだろう、その涙にぬれた顔は笑顔で彩られている。

 そして、その眼は最初から最後まで、俺から逸らされることはなかった。

「・・・さあ景虎、しょっぴけ」

「いい度胸ね」

 景虎が刀を拾って腰の鞘に収めて、向日葵と俺の腕を掴み表に連れて行く。

「そこに座りなさい」

 景虎が俺たちを庭に投げ出す。

 俺は黙ってそこで正座する。

「・・・」

 向日葵は座ろうとしているのか手足を震わせる。

 景虎が俺の後ろに歩み寄る。

「最後に言い残すことは」

「晴信に悪かったって伝えてくれ」

「死になさい」

 景虎の刀が振り下ろされる。

 刀は俺の体を傷つけることなく遅れて風を切る音だけを俺の耳に残していく。

「怖かった?」

「ああ、腰が抜けて立てない」

「分かったなら今後こんなことが起きないようにしっかりと物事教えていきなさい」

 景虎が満面の笑みを残して去っていく。

「・・・向日葵、生きてるか?」

「・・・そんなことを聞く前にさっさと腕を何とかして」

 淡々と答えてくるよ。

「なんだ元気じゃないか」

「元気じゃない」

「そんなことなさそうだが、とにかく返事ができるなら大丈夫だな」

 なんだかこの先もこいつはいろいろとやらかしてくれそうだ。

「もうこんなことするなよ」

「それはあいつ次第」

「あっそう」

 できればあんまり俺に迷惑はかけないでほしいけどな。

「いいから腕の手当てをしろ」

「はいはい」

 図太いやつめ。

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