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ただいま礼拝堂

 船はすごい、あっという間に津島港に着いてしまった。

 海の匂いがする。さっきまでずっと海の上にいたのだからずっと嗅いでいたはずのだが、逆に海から離れたからだろうか、草や木とまでは言わないが、なんとなく大地の匂いみたいなものを感じる。だから海の匂いと言うものも感じているのだろう。

 朝から働く働き者の人々の喧噪も、海から離れたという点を実感させるのに一役も二役も買っているに違いない。

 そし・・・てやってきました津島港!

 島津港と言えば! というのは少々大げさかもしれないが、織田信長の経済を支えていたのは、主にこの津島港を通じた荏胡麻油の専売、交易による莫大な収益だ。

 ちなみにこの収益は信長の祖父、信定の時代から権益を獲得していたようだ。

 もともと津島は津島神社の門前町として栄えてはいたが、織田信長の父である織田信秀を尾張下四郡守護織田大和守家の三奉行の一人という低い身分ながら、尾張の旗頭として一国を動かせるほどの力、尾張随一の財力を持たせるまでの収益を生み出せた理由は、もちろんそれだけではない。今は先の世とは違い、海岸線が大きく後退していたために、島津まで船で乗り入れることができた。木曽川に水運でつながっていたこともあり、伊勢湾から太平洋沿岸にまたがる交易の中心となっていた。だから島津港、と言うよりも島津は、それだけの収益を生み出すことができたのだ。

 そんなわけで織田家がいったいどのくらいの財力を有していたのかを・・・残念ながら記述では具体的に出てこなかったから軍事力から推測するに、俺としてはだいたい七万石ほどはあったと考えるわけだ。

 あくまでも目安程度だが、大名とはもともと地方で勢力をふるう者のことを言った。そのうち、武家社会において、多くの所領や部下を所有する武士を意味する語となった。室町時代には守護職が領国支配を強め、守護大名となった。戦国時代には、さらに強固な領国支配を確立した大身領主が現れ、大名分の国人や戦国大名と呼ばれている。そして江戸時代には主に石高1万石以上の所領を幕府から禄として与えられた藩主を指す言葉となった。

 時代が時代だったのなら、当時の織田家は十分に藩主格だったのだろう

 こうして考えてみると信長の台頭も、元となる力、祖父である信定、父である信秀などの力があったからこそだとも考えられる。

 学校で習うものだけ見ていると、いかにも信長が何もない状態から一人でのし上がったようにも思えてしまうが、是非とも皆に織田家は信長よりも前の世代からとても優秀、立派であったことも知ってもらいたいものだ。

 とまあ島津港と言う言葉一つからずいぶんと考えてしまったが、織田家も津島も今は正直どうでもいい。思うべきと言うか考えるべきは、大分速く津島まで来られたと言うことだ。

 歩けば倍どころではない時間がかかっただろうし、安全にこれだけ時間を短縮できたのは嬉しいことだ。

「それで貴久! 礼拝堂ってのは何処だい!」

 まだ朝も早いというのにくーちゃんが元気である。朝日よりも目がきらきらしている。

「イリスのいた礼拝堂は・・・もう少し南だね、寺本城の辺りだ」

 今更ながらどこか近いところで降ろしてもらえばよかったと思ったが、残念ながらみんなそろって寝ていたから普通に清洲港まで来てしまった。

 起きていたであろう小太郎はもともと予定で決まっていた清洲港に着くまで起こすつもりも途中で止めるような気もなかっただろうし、起きれたであろうくーちゃんは目的地を知らなかったため一緒に夢の中であった。

「だったら最初に船頭に伝えておけばよかったのに」

 くーちゃんが目のキラキラを吹っ飛ばしてジト目で睨んでくる。

「まあまあ、もともとイリスが行きたいというかどうかで決めるってことだったんだからいいじゃないか」

 イリスがこの辺りの地理に明るいかどうかは知らないが、ちょっと戻るとかそんなことは言わずに、近くに礼拝堂があるけど行く? くらいに聞いてみるとしよう。気を使われたくないからな。

「iris. The chapel where lived in before Iris follows me here is near; do stop?(イリス、ここはイリスが俺についてくる前に住んでいた礼拝堂の近くなんだけれど、寄っていくかい?)」

「Go!(行く!)」

 うむ、元気でよろしい。

 俺の質問にイリスが振り向いて何故だか万歳をしながら即答してきた。まあ元気だからいい。

 元気なイリスを見ているとこっちも元気になってくる、嬉しそうなイリスを見ているとこっちも嬉しくなってくる。イリスとはそういう存在なのだ。

「言葉は分からないけれど、なんとなく嬉しそうってことは行くってことでいいんだよね! さあ行こう!」

 一人道もわからず突っ走って迷子にでもなりそうなイリスを肩車し、同じような心配をしなくてはいけなさそうなくーちゃんに手を引かれ、ちょっと眠たげな向日葵のては引っ張りながら、俺たちは礼拝堂に向かって歩き出し・・・走り出した。


「だーーーまーーーーーー!」

 たぶん「ただいま」だな。イリスとしては自分が成長したところ、日ノ本の言葉を話せるぞってところをルイス様や皆に見せたかったとかそんなところだろう。微笑ましい。

「・・・」

 だが、礼拝堂に着いた瞬間に飛び降りたイリスによって何の躊躇いもなく大きな音を立てて開け放たれた扉の先に広がっていた礼拝堂の中には誰もいなかった。

「にゅ?」

 イリスが可愛らしく首を傾げている。

 俺はここで普段何が行われているのか知らないから何とも言えないが、少なくとも前に俺がここに来た時には、みんな奥の扉に隠れてしまっていてここには誰もいなかった。あれは音を聞いて隠れてしまったのかそれとも音を聞いてあそこまで出てきたのか? イリスなら知っているのだろうが・・・今の反応を見るに、普段は普通にこっちにも誰かしらいたのだろう。

「Ms. Lewis!(ルイス様ーーー!)」

「うわ!」

「おおー」

「よくこんな大きな声が出せるね」

「驚きです」

 先ほどの元気いっぱいのだーまーよりもさらに五割ほど大きな声でイリスがルイス様の名前を呼んだ。

 俺はその大声にビクッと盛大に驚き、みんなもイリスの信じられないような大声にそれなりに驚いている。

「・・・」

 だが、そんな大声が響いてもこの礼拝堂からは物音一つかえってはこなかった。

「・・・にゅ?」

 イリスが今度はこっちを向いて可愛らしく首を傾げてきた。

「・・・」

 こちらとしても何か返したいところではあるのだが、残念ながら分かっているのは今ここに誰もいないということくらいだ、特に何か言ってやれることがない。

「とりあえず外をふらふら~っと彷徨ってみようか。誰もいないみたいだし」

 う~む、まあせっかく来たのだしルイス様達に俺も会いたい、彷徨ってみるとしようか。何よりもイリスが会いたそうだったしな。

「(イリス、外にルイス様達を探しに行こう)」

 そう言いながら、イリスの方へ背中を向けてかがみこむ。イリスが悲しんでいたりしないかと心配しておんぶなり肩車なりしてあげようかと思ったのだが・・・自他ともに認める阿呆の子があっという間に背中に張り付いてしまった。

「さあ貴久早く行こう」

 この子はいったいどういう時にこんな風に積極的になるのだろうか? さっき背中に張り付いてから肩と言うか背中と言うか首と言うかその辺りに頬ずりして猫のように喉を鳴らしている・・・可愛いではないか。

「イリスが変わってほしいって言ったら変わるんだぞ」

「大丈夫イリスはそんなこと言えないから」

 この阿呆の子め、イリスが「変わってほしい」だなんて日ノ本の言葉が話せないとかそんな言い訳をする気だな・・・きっと口で負けるから言い返さないでおこう。

「パパ!」

 それにイリスがすでに一生懸命手を引っ張ているのだ、きっと今のイリスにとってとるに足らないことであろうおんぶするかどうかの問答に時間を割く必要もあるまい。

 ルイス様達、近くにいると言いな~。

「ところでさ、ここにはどのくらいの子どもたちがいたんだい?」

「・・・」

 ん~おかしいよな。

 さすがに何人いたか正確に覚えてなどいないが、片手では足りないくらいの人数はいたと記憶している。そんな集団で、ルイス様でさえまともに日ノ本の言葉を話せていなかったのだ、それなのにみんなそろってお出かけと言うこともあるまい・・・どこに行ったのだろうか?

「おや~、もしかしたら結構危ないことになっているかもしれないとか?」

「・・・ないとは思うが、織田か本田が邪教とか仏敵とか言いながら追い回していたりしないだろうな?」

 ・・・と、まあそういう予想は・・・。

「お前たち! こんなところで何をしている!」

 だいたい当たってしまったりするのは、俺に限らず人が生きていくうえで当たり前に起こることだと思うわけだ、うん。

 イリスによって開け放たれたままの扉から外を見て見れば、なんだか役人のような方々、見えている限りでは三人が、俺たちに向かって槍を構えていた。

「じゃあまたいつかのように逃げようか? あんな奴らさっさと肉片にしてもいいけれど?」

 くーちゃんが一体何を言っているのかさっぱりわからない? 肉片? ・・・本当にやりそうで怖いからさっさと逃げようではないか。

「今度は置いて行かないでくれよ」

 いつぞやの斎藤の時のことはまだ忘れてはいない。あれは・・・少しではあるが恨んでいる。

「はいはい、分かったよ」

「じゃあまずは目の前にいる三人と裏にいる二人を肉の塊に・・・物言わぬ屍に・・・えっと・・・」

「向日葵、言わんとしていることは分からなくもない、だからないに越したことはないが次のためにもう少し柔らかい表現を覚えような」

 どうして相手を無力化するのに肉の塊とか物言わぬ屍とかそんなにも物騒な単語しか出てこないのだ。普段もっといろいろな言葉を話しているだろうに。

 もしかしなくても、この出てきた言葉が、今の向日葵の精神状態を如実に表しているのかもしれない・・・よし今晩は一緒に寝よう、優しく抱きしめて一言くらいなら愛を囁こうではないか! ・・・考えたくはないが、ダルマにでもされたらたまらないからな。

「他にはいないようですね、さっさと行きましょう」

 そしてこっちが今は関係ないことを考えているうちに目の前にいた三人の無力化は終わっていた。小太郎さんの仕事が早くて助かります。

「裏の二人はさっさと出て行っちゃえば残しておいても大丈夫だけれど・・・追ってこられても面倒だし、小太郎」

「分かりました」

 瞬き一つしている間に小太郎の姿が消えていた。

「じゃあ私たちは、ここにいたはずの人たちを探しつつ、どうしてこんな奴らが来たのかも探ってみようか」

 言葉の最後に「面白そうだから」とかそんな言葉でもつけたそうな、そんな楽しそうな表情をしながら、くーちゃんは真っ先に走り出した。


「あーあの建物かい? 何日前だったかね~、お侍様が仏敵だとか何だとか言いながら誰か連れて行こうとしていたよ」

 まさか本当に織田か本田がルイス様や子どもたちにに何かしたんじゃないだろうな?

 とりあえず礼拝堂を出て少し走った後、近くにあった茶屋に入ってみた。

 少し礼拝堂に近すぎる気もしたが、いったい何があったのかを探るならやっぱり地元の人、それも近くにいる人に聞いてみるのが一番だろう。

 と言うことで人が集まっていた茶屋に入って、団子を持ってきてくれたおばちゃんに礼拝堂とは言わず礼拝堂の場所を伝えて何があったのか聞いてみた。

「でもま、お侍様がやって来た時にはもう誰もいなかったな」

「ここだけの話、俺たちからしたらあの異人さんたちが悪い人たちには見えないんだよな。仏敵だとか邪教を広めようとしているとかいろいろ言われちゃいるが、あの人たちは誰も俺たちと話をできなかったんだからさ、広めるとか無理な話だろ?」

 同じく茶屋にいたおじちゃんとお兄さんが付け足してくる。

「それに巷では織田ではなく本田が捕まえるように振れを出したってもっぱらの噂だぜ」

 どうやらあの本田の馬鹿野郎が天主教を邪教として礼拝堂を潰しみんなを捕らえるか何かしようとしたようだ。幸い建物も残っていたし、みんなも事前に知って逃げ出していたようだが。

「そっかー、他人事だから言っちゃけれど、大変だな」

 どうでもよさそうに話しながら、団子を握っていた手に力を込めた。

 本田の政策に義憤を覚えたとでも言えば聞こえはいいかもしれないが、実際に俺が覚えている怒りは、あっちからしたらただのきれいごとと一蹴してしまうようなことだろう。

 それになにより、こっちでは天主教が邪教だの仏敵だのと言うのはあながち間違ってもいないからな。

「お侍様の決めたことだ、俺たちに下手なことはできないがな」

 おじちゃんが諦めたふうに言っているが、その言葉にはどこか残念そうな響きが混ざり、視線は意識しているのかいないのか、礼拝堂のある方へとちらりと動いた。

 どうも町のみんなは礼拝堂のことやみんなのことを嫌ってはいないみたいだな。それに本田のとった行動も腑に落ちていない、もっと言えば不満でもあるようだ。

「ふむ、ところでお兄さん、お兄さんの話だとあそこの人たちは日ノ本の言葉は話せなかったんだろう? それにしてはなんだか憎からずって感じに聞こえるんだが?」

 仲良くしているとは言わない方がいいだろう。普通に話しをしてしまっているが、役人に追われているような人たちと仲良くしていただなんてあまり声を大きくして話したいとは思うまい。

「ん~なんて言うんだろうな。子どもたちは明らかにこっちを嫌っている感じだったんだが、一人いた異国の着物を着ていた女はな、とにかく無害って言うか、仲良くしたいっていう雰囲気みたいなものがにじみ出ていたような感じだったんだよ」

 おお! あと一歩ですよルイス様! 人はついに言葉もなくわかり合えるところまで来ていますよ! 心の中でひっそりとトランザムと叫んでしまったのは好きだから仕方がない。

「本当に悪い人で、裏で何かをしていたって言うならそれまでだけどさ、そんな人が会うたび会うたび笑顔で話しかけてくるのかね~?」

 やっぱり逆らうとかそんなところまではできないが、今の言葉に誰一人反対の意を示さなかったのは、本田の行いに不満があるということで間違いなさそうだ。

 恐らくだが、もしも尾張から皆を連れて逃げるとかそんなことになった時は、みんな表向きには無理でもばれない程度に手を貸してくれる、少なくとも密告したりはしないでくれそうだ。

 ルイス様がしていたのはハローとかグッドモーニングくらいの挨拶だろう。もしかしたら挨拶くらいは話せるようになっていておはようかもしれない。

 どちらを話していたにしろ、やはり挨拶は大切だ。おかげで恐らくは一度としてまともに話してたことがないであろう異国の人々に、こんな状況になっても嫌われていないのだから。イリスにもあいさつの大切さをしっかりと教えていかなくては。

「それにしても、近くに住んでいる俺たちにも気づかれずに、いったいどこへ逃げちまったんだか」

「お兄さんはどの辺りに?」

「俺はその異人さんたちの住んでいた建物のはす向かいに住んでんだ。だから逃げ出したってんなら絶対に気が付くと思ったんだけれどな~」

「そう考えると、そういうことに慣れていたって思えちまうじゃねえか」

 お兄さんの疑問をおじちゃんが否定した。今のはうっかりかもしれないが、はっきりとルイス様達を擁護するような発言だった・・・分かり合えていましたよルイス様!

 さて、つまるところみんなの話をまとめるとこうなるわけだ。

 ルイス様たちのいた礼拝堂に何日か前にホンダの低よって役人が送られてきた。理由は物的だからとか邪教を広めようとしているからだとかそんなところ。そしてルイス様達は事前にその情報をつかんで逃げ出した、しかも周りに住んでいる人たちにも気づかれず。

 と言ったところか。もっと探ればもっと情報を得られるのかもだが、正直必要あるまい。今俺が考えるべきことは、いなくなったルイス様達が今どこにいるのかということだ。

「どこに行っちゃったんだろうな?」

 それとなく皆を見回しながら聞いてみる。大した答えは期待していないが、みんなならどうするかくらいのことは聞いてみたい。

「ん~っとね~、案外探したら近くにいるんじゃないかな?」

「床板でもめくってみたらたぶんいる」

 おっとずいぶんと適当というか雑な回答が返ってきたものだ。「ん~っとね~」とか言ってはいるが実際は言い方を考えたくらいで、思考時間なんて一秒にも満たないだろうに。

 まあそれでもくーちゃんの意見には賛成だが、向日葵の意見はどうだろうな、そんな近くにいたのなら小太郎辺りが気がついて・・・まさか気がついているから言ったんじゃないだろうな?

「ひま・・・」

 またそれとなく確認してみようと思ったら、向日葵がお団子を食べ正面を向いたまま俺の手を握ってきた。恐らくは、それであっているからこんなところで聞くなとかそんなところだろう。

「・・・」

 後でもう一度行くしかないか。

 なんとなくだが、みんなで近江に行くことになりそうで怖い。普通に考えて、あの礼拝堂にいた全員を連れて旅をすることなんてできない・・・困ったことになりそうだ。

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