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背後

 体の関係がある・・・。

 成政の告げたその言葉は、俺の動きを止めるのには十分すぎた。

 その言葉を聞いて、場の雰囲気も固くなったような気がする。

 みんなが動きを止め、体を硬くし、表情を険しくした。

「・・・大丈夫ですよ。納得してやったことですから」

 大丈夫なら・・・本当に、大丈夫なら・・・どうして尾張で見たような、自然な、柔らかい笑顔じゃないんだ。どうしてそんなにも辛そうな笑顔なんだ・・・。

「・・・とは言っても、ここにいるような方々に、意味はありませんよね」

 そう言う言葉も、やはり諦めたようなそんな口調で、どうしても聞いているこっちが辛くなってきてしまう。

「どうせ聞かれると思うので先に話しておきます・・・どうしてこんなことになったのか」

 そしてどうしてだか、今の言葉は何処か晴れやかな表情で語る成政。

 わからない。どうして・・・さっきまであんなにも辛そうにしていたと言うのに、どうして今はそんなにも堂々としているんだ。

「まず、私が本田元亘と体の関係を作ったのは、私から迫ったからです」

 成政から・・・これほど嫌がっているのに成政から迫った。それはつまり、成政がそうまでしてでもする必要があると、そう判断したからだろう。

 ではそうする理由は? 恐らくは今から話してくれると思うが、残念ながらそこまでして成政が元亘と体の関係を作る理由が思い付かない。

「・・・信長様、本当にここで話してしまってよいのですか?」

 話すと言っておきながら、ここで信長に確認を取っている。と言うことは、信長はすでに成政が何を話そうとしているのかを知っていると言うことだろう。

 そして、成政が話そうとしていることが、主に話していいと言われていても話しにくい事・・・もしかしたら、話したくないことなのかもしれない。

「私は構わないわ、あなたが良いと言うのなら。本当のことであろうとなかろうと、少なくとも松平に動いてもらうためにも、何かしらしっかりとした理由も必要だろうしね」

 いったい成政が何を話そうとしているのかわからないが、どうやら今から話そうとしていることは、織田家、もしくは成政にとって外には知られたくないようなことのようだ。

「それに、ここにいる人はみんな、すでに織田がどういう状況なのか、少なからず知っているような人ばっかりだしね・・・情けない話、今更隠したって仕方がないわ」

 信長の言う、隠しても仕方がないこと、成政の言おうとしている、隠したいようなこと・・・いったい何なのだろうか。

「・・・では」

 一度小さく息を吸い込み、心を落ち着ける成政。俺ではそんなことで落ち着くことなどできない・・・こんな時ではあるが、成政の強さに感心してしまった。

「私が本田元亘と体の関係を作った理由、見ての通り、何もしたくてしたわけではありません・・・織田家存続のために、必要だと考えたからです」

 織田家の・・・存続?

「皆さんご存知の通り、今尾張は織田と本田で割れています。そしてすでに、本田元亘と言う傀儡を得た亡者どもは、主家である織田家をしのぐほどの力を持っています」

 俺たちが尾張に寄った時、信長はまだ力があるうちにと、そう言っていた・・・まさかすでに負けているような状況だったとは。

「本田元亘自身は、信長様のことを愛しているとのたまい、あくまで尾張の当主は織田である、自分はその下にいると言ってはいますが、尾張にいる者ならば誰がどう見ても、本田が織田についているなどと言う者はいないと言う惨状です」

 自分でも気がついていないのだろうか、少しずつ表情を険しくしながら話す成政。そしてその隣で、まるで物語でも聞いているかのような穏やかな表情で話を聞いている信長。

「その本田、彼の勢力に取り入るには、今ならば方法はすでに一つしかありません」

「それが、頭である本田元亘と体の関係を作る事、もう少し言えば、気に入られることだと・・・」

 成政の話に、家康が言葉を挟んだ。

「そうです。今更、上面だけの恭順の意を示したところで、周りにいる者たちを欺くことも何も、できたものではありません。ですから、織田家存続のため、本田元亘と織田家の敵を消すために、私はこの道を選びました」

 ・・・文句はない、これは成政が自分で決めたことだから・・・納得なんてできたものではないが、間違っても文句なんて言ってはいけないだろう。

「つまり、そうやって本田元亘に取り入って、内側から壊す、あと今回はこうやって信長に会うために使ったってことかな」

「北条殿の言う通りです、此度の松平攻めに参加するためには、本田元亘にこれくらいは気に入られていないと無理でしたから」

「そして今こうして、逃げ出して来た、と」

「・・・」

 話を打ち切るようにして発せられたくーちゃんの一言で、場は水を打ったように静まった。

「それでどうするんだい? 無理をしてここまで来て、それでおいてきた仲間はどうするのさ、ここにお前一人来たところで、たいしたこともできないって言うのに」

 止めようと思った。話を始めた時の成政のあの辛そうな表情を見ていれば、とても言えた言葉ではない。

「君についてきた兵は? 君が逃げ出したせいで、もうすでに殺されているかもしれないよ? それとも何かい、本田の方がいいと言っているような兵を集めてきたからいいとでものたまうつもりかい? 君が守るのは織田信長だけで、織田信長が守ろうとしているものはどうでもいいとでも言うつもりかい?」

 成政の気持ちもわかる。だがしかし、だからと言って今回成政の選んだ手が良い手であったかどうかと問われれば、少なくとも今知っている限りの情報では、良いと言うことはできない。

 もともと、本田元亘にそこまでして気にいられなければ、ついてこられなかったような状況だったのだ、恐らくはついて来るのにも、周りの者たちの反対を押し切るような形でついてきたのだろう。そんな将が敵地について颯爽と出奔しているのだから、くーちゃんが指摘したように、今頃本田の軍に残されている成政についてきた兵はひどい目に合っている可能性がある。

 それに、情報を持ってきてくれたことは嬉しいが、それだけならわざわざ成政本人が来る必要はない。成政個人がどれだけ腕に自信があったとしても、ここに一人で来たところで状況はさして好転などしないのだから。

「・・・兵は・・・そもそも連れてきてなどいません」

「・・・どういうことだい?」

 兵を連れてきていない? ならば成政は、いったいどういう名目でこの戦についてこられたのだろうか? それに信長たちが見つけたと言う三階菅笠の馬印はいったい何だったのだろうか?

「此度の戦、私は将としてついてきたのではなく、本田元亘の慰み者として連れてこられただけなのです」

 何でもない世間話でもするような、そんな軽い感じで、その言葉は発せられた。

「落ち着かなくてもいいけれど、それはやめておいた方がいいよ」

 反射的に立ち上がってしまっていた。

 反射的に立ち上がったのだから、実際に何をしようとしていたのか、俺にはわからない。でもくーちゃんはやめておいた方がいいと言っている・・・恐らく、今の俺はよっぽど分かりやすく怒っているのだろう。

「・・・ごめん」

 はっきりとしない口調でそう言って、顔を俯けながら座りなおした。

 いったい何に対して謝ったのか。話を中断させてしまったことか、成政が自ら決めた行動を侮辱したことに対してか・・・分からない。ひとまず、この血の昇ってしまった頭で考えるのはやめておこう、無駄だ。今はただ与えられる情報を取り込むことに専念しよう。

「パパ・・・」

 立ち上がった拍子に膝の上から放り出されてしまったイリスが、少しばかり怯えたような表情で俺の顔を覗き込んできている。

 覗き込んでくるその目には、不安や恐怖なんてものよりも、何より心配が見えた気がする。

「sorry…」

 一言そう謝り、優しくイリスの頭をなでながらもう一度膝の上にイリスを座らせる。

 そして、イリスを安心させるため・・・などではなく、俺が落ち着くために、柔らかくイリスを抱きしめた。

「まあ話はだいたいわかったよ。君は織田家のためにと本田に体を差し出し、慰み者としてでもこの戦について来ることでこうして信長の元までやってきた。あとは目的だけ教えてもらえないかな。できるなら、このまま信長を君と一緒に本田元亘のところまで送り届けて終わらせておきたいんだよ、こっちとしてはね」

 俺と違い、ほとんど動揺もなく淡々としているくーちゃんがきっぱりと言い切る。

 事実くーちゃんや向日葵の頭の中はそんなところだろう。はっきり言って他家のお家騒動だ、首を突っ込むなんてまっぴらごめんだ。

「目的なんて決まっています! 今本田元亘は明らかに織田に刃を向けています! だから今ここで、本田を潰すのです!」

 言葉を強くして、そう主張する成政。

 仮にもまだ主の夫、しかもその主を目の前にしてこうも言い切るとは、その強さには感服もするところだが、若干無鉄砲だとも思えてしまう。まあ俺はそのくらいの方が好きかもしれないが。

「潰すってさ・・・いったいどうやって潰すつもりだい? 君は兵を率いてきたわけではないんだろう? まさか松平に全部任せるだなんて言わないだろうね?」

 くーちゃんがこれでもかと言うほどに呆れたような顔をしている。

 確かに残念ながら、今は俺もくーちゃんに同意だ。兵を引き連れてきたわけでもないし、ここに信長が自由にできる兵がいるわけでもない。ならば、今本田を潰すと言うのであれば松平に頼る、はっきりと言ってしまうのなら松平に尾張を差し出すようなものだ。さすがにそんなことはしないと思うのだが・・・。

「確かに、松平にお力添えいただければと考えてはいます」

「そこまででいいわ、ここから先は私が話すから」

 成政がくーちゃんの呆れながらの言葉を一応だが肯定したところで、何を知っているのかはわからないが、信長が話しを引き継いだ。

「簡単に言ってしまえば挟み撃ち、松平が前から本田を止めておいて、その間に私たちは清州まで戻って後ろから本田を叩く・・・まあ理想の話だけれどね」

「分かっているのならそんなことを言うな」

「こら向日葵、まだ現実的な話を聞いてもいないのに、そんなことを言うんじゃない」

「え? そんなのないけど?」

「じゃあ行こうか、貴久。こんな馬鹿たちは捨てていこう。私たちはさっさと京に行って、貴久のしたいことをぜ~んぶ終わらせて、私と祝言を挙げて、その後織田を滅ぼした本田を滅ぼす方法について考えよう」

 京でああだこうだとした後はくーちゃんとの祝言はもちろんだが、景虎や晴信との再会だって忘れてもらっては困る。

 あと滅ぼすとか当たり前の様に使わないでほしい。確かに俺だって少なからず本田に悪い印象を持っているが、口で簡単に本田を滅ぼすと言ったところで、それを実際にやることはとても難しいことだし、多くの犠牲を払う事になるだろう。できることならば、信長と元亘の仲が元に戻り、そして本田がもう少し俺たちみたいな人間にも受け入れられるような人間になれればいいのだが・・・。

「まあ待ちなさいよ、実を言うと、すでに家康には話を通してあるの。今回も、すでに手を貸してくれる約束はできているわ」

「はい、私も本田を潰したいと言う思いはありました。しかしそれは簡単に叶うようなことではありません。信長様に話を持ち掛けられた時はさすがに驚きましたが、こちらとしても喜ばしい事だったのです。こんなことを言うのもどうかとは思いますが、だからこそ今回の本田の暴走は、私たちからしてみれば好都合だったのです」

「それだけ決まっているなら・・・」

「まだ駄目だって、分かっているでしょ」

「・・・私は貴久と違って、良いように使われるなんて嫌だからね」

「まさか、私たちが北条家をいいように使うなど、あるはずがないではないですか」

「・・・父上に言ってよね、そういうことは」

 えっと・・・なんだか三人は理解して話をすすめているようなのだが・・・家康がくーちゃんでも北条殿でもなく北条家と言っていると言うことは、後ろが怖いってことでいいのかな?

 家康が本田を止めるのはいいとしてだ、まだぽんと沸いて出てきた松平家としては、そんな時に背後を北条家に突かれでもしたらたまらないと言うことだろか?

「あまり舐めた口をきくなよ。私は松平がどうなろうと知ったことではないからね」

「もちろんただでとは言いません。同盟を結んでくださるのであれば・・・」

「悪いけど、私たちが松平と結ぶことに理は少なすぎるよ。それに私たちは間違いなく越後長尾と甲斐武田の二国と同盟を結ぶ。貴久が何と言うかはわからないけれど、私たちはその同盟で下につくつもりなんて全くない。どうしてもと言うのなら、父上を説き伏せることだね、私は嫌だけれど」

 格下とは嫌、と言うことなのか、それとも何かしっかりとした同盟を結びたくない理由があるのか・・・まさか攻め落とす腹積もりがあったのか・・・国のことなんてわからないから困る。

「そこを何とかしてもらわないと、松平がまともに動けなくて困っちゃうのよね~」

 だろうな。それにくーちゃんの言い方がまた怖い。北条家のことは分からないが、くーちゃんは同盟を拒み、少なくとも今の段階では松平に良い印象を持っていないと言っているようなものだ。これでは松平としては背後が怖くてまともに本田の相手などしてはいられまい。

「ですが甲斐武田と結ぶと言っても、今すぐではないのでしょう? それにまだできるかどうかだってかなり・・・」

「もう一度言う、舐めた口はきくなよ」

 ・・・こんなところで、瞳孔開いてまで本気で怒らないでくれ。

 状況がどうであれ、それなりの力を持った大国の当主が三人も集まっているんだ、ちょっとしたことで日ノ本中に戦火が広がる大戦が起こるかもしれない場だぞ。

「貴久がそうしたいと言った、私がそうしようとしている、理由はこれだけでいい、これだけあれば絶対と言い切れる」

 くーちゃんが冷たく言い捨て、話は終わりだとばかりに立ち上がる。

「お待ちください! 北条殿!」

 家康が焦って立ち上がろうとしたところで、小太郎が何気なく立ち上がりくーちゃんの後ろに立つことで家康を制する。

「松平、これ以上私を怒らせるんじゃないよ。これ以上怒らせたりしたら、今すぐ潰すからね」

「感謝するわ」

「・・・ありがとうございます」

 信長の簡単ながらも気持ちのこもった言葉と、家康の頭を下げながらの気持ちのこもった言葉を背に、くーちゃんは俺たちを置いて本当に出て行ってしまった。

「・・・説明を求めたい」

 はっきりと言おう、ついて行けていない。

 どうやら北条が松平の背後を攻めるか攻めないかを話していたようなのだが、いったいどう落ち着いたのかわからない。

 信長と家康の反応からして、攻めないと言うところに落ち着いたことは分かったのだが。

「愛しい愛しいくーちゃんの言葉を復唱してみなさい」

 愛しい愛しいくーちゃん・・・いかん、こんな時にただ本当のことを言われただけだと言うのに顔が熱くなってきている気がする。

「ほら、惚気てないで早く」

 誰が惚気てなど・・・いないと言いたいが、こんな顔で言っても無駄だろう、たぶん噛んだりもするだろうしな。

「これ以上怒らせるな、これ以上怒らせたら潰す・・・」

 ・・・はて? わからん、やっぱり説明を求む。

「わざわざ二回も言ってくれたじゃない、愛しい愛しいくーちゃんの言葉なのに、そんなことでいいのかしら?」

 ええいさっきから愛しい愛しい連呼しやがって・・・いい加減本当のことを言うのはやめてくれ、何か言い返したりしたら後で怖いことになりそうだし、そもそもできないから。

「信長、わからないことは認める。だからそのにやけた顔はやめろ」

「貴久も北条がどうのこうのでにやけるのはやめろ、刺す」

 向日葵のこの言葉で、俺の表情が凍ったことは言うまでもなかろう。

「あんたも・・・本当に大変ね」

 望んだような形ではないが、一応信長の表情が変わった・・・呆れたような表情もむかつきはするのだが。

「まあいいわ、簡単に言っちゃえば、「これ以上怒らせなければ攻めないぞ~」ってことよ」

「・・・お前たちってさ、そんな分かりにくいことして楽しいのか?」

「素直であれば全部いいだなんて言うつもり?」

「ひねくれていればいいと言うわけでもあるまい」

「貴久、私は素直、とても真っ直ぐ」

 向日葵が結構きらきらした期待に満ちた目で何かを訴えかけてくる。仕方がないから後でぎゅっとしておこう。

「それじゃあ、松平の問題も片付いたし、次は私の問題ね」

 ここで信長の問題か。

 なんとなくだが、くーちゃんが出て行った後だと言うのにそれでも話し始めると言うことは、家康か俺で解決できる問題だと言うことだろう。

 家康か俺と言うのも、随分とできることに開きがある気がするが、つい先ほど松平の問題について考えたばかりだ、なんとなく予想するに、俺でも何かできてしまうのではないかと、少々自惚れた考えも浮かんでしまう。

「もう察しはついていると思うけれど、もちろん私も背後が怖いわけ」

 ほらきた。

 織田家だって、と言うよりも、織田家が本田を叩くのだ、国にどれだけの力が残されるのかなど、考えるのも恐ろしいくらいだろう。

「私たちには美濃と言う脅威があるわ、それを何とかしてほしいわけよ、あなたにね」

「おいおいちょっと待て、俺は美濃に伝手なんてないぞ。いや恨まれてならいるかもしれないが・・・」

 竹中半兵衛・・・まさかこんなところで問題になるとはな、帰ったら恨み言の一つも言わねばなるまい。

「あら、それは意外・・・ではあるけれど、美濃を止める方法は、何も美濃斎藤を誑すだけではないでしょう?」

 また嫌な笑みが信長の顔に張り付いた。

 さて、美濃をとめる方法か、いったいなんだろうか? と言うか、誑すとは何んとも失礼な。

 美濃を止める、美濃が動けなければいい・・・なるほど、今の信長たちと同じように、美濃にも敵を作ればいいのか。

 ならば美濃の敵、そして俺がどうにかできる勢力となると・・・あー、そう言えば、わざわざここに来た時にも家康が言ってくれていたな。

「なんだか、結構真剣に考えていたみたいだけれど、答えは出たのかしら?」

 こんな時だけ真剣な表情に戻るのはずるいと思う。

「俺はまだよく知らないから教えてほしいことがある」

「何かしら」

 当たり前に質問を許すとは、たぶん分かっているな、もう。

「朝倉は、何処かと結んでいたりするのか?」

「そうね、つい最近だと・・・」

 わざわざ考えるふりなんてしなくていい、だいたいの予想はついている。

「浅井ね」

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