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頼る

 想定外。これですべてのことを言い表せただろうか。

 ・・・どうでもいい。

 この世のすべてがどうでもよく思えてくる。

 頭上から照り付ける日の光は、暗闇を照らすのには十分ではあるが、この寒さを和らげるにはあまりにも弱すぎる。

 頬や手足などの晒された素肌をなでる風は、冬の寒さを増すだけのように思えて全く持って必要性を感じない。

 ・・・そして俺。俺はいったい何のためにここにこうしているのだろうか。

「いい加減に動け、そんなことしていても何にもならない」

 向日葵の声。

 そんなこととはいったい何のことだろうか。今の俺がしていること・・・そうか、呼吸か。いや待て、心臓の鼓動かもしれない。いやいや心臓の鼓動は俺の意志でしているものではない、だからこれは「していること」には含まれないから違う。つまり、やはり呼吸だろう。

 そんなことをしていても何にもならない、呼吸をしていても何にもならない、つまり生きていてもしょうがないと言うことか。

「あーもう! こんなに面倒くさい貴久は初めて! 段蔵も手伝って! このままだと貴久たぶん死のうとするから縛る!」

「はい」

 いったいどうしろと言うのだろうか。生きていても仕方がないと言われたから死のうとしたと言うのに。

 ああ、もう本当に、何もかもがどうでもいい。


「焦るな、焦るんじゃない、まずは考えろ、前向きに考えて落ち着いてから最悪の方向も考えろ」

 焦っている、混乱している。だからとりあえず頭の中身を実際に言葉に並べて自分の考えをはっきりとしたものに変えていく。

「貴久、気持ちは察する、だからとりあえず場所を変えよう。ここにいたら貴久が落ち着けないだろうし、下手したら捕まる」

「・・・ああ」

 甲斐に着いた、躑躅ヶ崎館に着いた。

 越後から北陸道を南下し、川中島を通って甲斐にやって来た。

 もう何日も前に思える景虎から離縁を言いわたされたあの時。俺はそんな景虎の真意が聞きたくて、景虎と話をするために、甲斐の国主、武田晴信、俺の奥さんを頼ることにした。

 越後では、もう景虎に会うことはおろか城に入る事だってできないが、ここで晴信の力を借りて、同盟国である甲斐の国主の夫が正式な使者として訪れたとなれば、越後国主としてではあるが、会わないわけにもいかないだろう。

 ・・・そう思って、こうして頼りに来たわけなのだが・・・。

「・・・」

 俺は向日葵に引っ張られるようにしてその場・・・甲斐躑躅ヶ崎館の前を後にした。


「ひとまずは順を追って状況を整理しよう、状況が変わりすぎたし、想定外の出来事もたくさん起きた」

 向日葵が真剣な顔で話を切り出した。

 躑躅ヶ崎館から場所を町中の宿に移し、部屋の中で俺と向日葵と段蔵が輪になって話をしている。イリスは話が分からないことを理解しているからか、おとなしく輪の外側でこっちの話をとりあえず聞いている。

 俺はいまだにどこかふわふわとした感じだ。しかしそれだからこそ、この状況を何とかするためにもっとしっかりしなくてはいけない。

「まず越後。そもそも事の発端は貴久があの馬鹿に離縁を言い渡されたこと」

「そして、話を聞いてくれない長尾と話をするために、私が甲斐に逃げるついでにこうして甲斐まで来た」

 自ら行動を起こせなかった俺は、段蔵の言う通り、誰かが何かをするついでと言う形の言い訳を作って、こうして甲斐まで来た。

「そして、こうして甲斐まで着た結果が・・・晴信からのこれだったわけだ」

 躑躅ヶ崎館の門前で渡された一通の手紙。差出人は晴信で、受取人は俺。

 躑躅ヶ崎館に着いた俺たちは、門で晴信に会いに来たと告げると、しばらくの間取次で待たされた後、出てきた信繁にこれを渡された。

 その場で読むように言われたこの手紙、その内容は・・・別れよう、端的に言えばそれだけだった。

 足元が崩れ落ちるような感覚と共に頭の中の脳だけがなぜかやたらと重く感じた。

 とにかく訳が分からなかった、よくは覚えていないが、手紙の内容を読んで俺はその場でかなり取り乱して暴れた。

 信繁さんは怱々にその場を去り、みんなが止めるのも聞かずに門を強行突破しようとした俺は門番にあっさりと止められて、しばらくの間呆然自失で門の前にたたずんでいた。

 そして場をこの宿に移して今に至る。

「とにかく、もっとまとめると、貴久が馬鹿と武田の二人と別れた、そう言うこと」

 まさに、向日葵の言う通りだ。それ以上でも以下でもない。

 嫁二人に追い出された。難しいことなど何もない、ただそれだけのことだ。

 景虎と話したい、それのためだけにこうして甲斐に来た・・・だからだろうか、晴信に会いに来たわけではないと言う俺の考えが伝わってしまったからだろうか、だから晴信にも嫌われてしまったのか・・・。

「はい起きて起きて、また面倒臭いことになってる」

「いたたたたたたた!」

 決してどこかの二千年間敗れたことのない一子相伝の暗殺拳の奥義の時の掛け声などではない。向日葵に両耳を引っ張られているだけだ。

「状況の整理は終わった、次はどう動くかを決める」

 次・・・残っている俺の選択肢、手札は。

「小田原、か」

 残っている手札で、俺が切れる最高の手札だ。

「でも俺はまだくーちゃんとは夫婦でも何でもない、しかも景虎と晴信の二人に離縁を告げられた以上、俺は本当に何の力もない民草と同じ状態だ。この状態でくーちゃんを頼っても、二人とは会えない」

 仮にあわよくばくーちゃん達の使者と一緒に城にまで入り込めたとしても、そこから先はどうにもならない。景虎と晴信の二人が建物から出てこなければそこで終わりだ。

「まだ、もっと他にも同じくらいに強い手がある」

「どんな」

 素直にわからなかったし、あるのなら言ってみろと言う思いも込めて聞いてみた。

「貴久、何も人は家族しか頼れないわけじゃない」

「・・・つまり?」

 まだわからなかった。それに、くーちゃんだってまだ家族ではないのだから、今のはいまいち上手く答えられてはいなかった。

「例えば、織田」

「旦那は織田と結構親しそうにしていましたよね」

 なるほど、その考えは確かになかった。

「でもそれはどう見たらくーちゃんを頼るのと同じくらい強い手と言えるんだ?」

 仮に今の俺が織田を頼ったとして、果たして信長が俺のためのどのくらい動いてくれるのか。さらに言えば、今織田家の中では、当主の信長よりも夫の元亘の方が強い発言力があると言っていた。そして俺はその元亘に絶対に良い印象を持たれてはいないはずだ。

「でも信長は貴久のことを恐らくは好いている。助けを求めれば、元亘の方を説得して何とかしてはくれる」

「でもそれだと、結局は小田原と同じような状況だろ? この状況を何とかできるほどの手ではない」

「そう、だからこれはただの同じくらい強い手」

 なるほど、つまり向日葵にはこれよりもさらに強力な一手があるか、もしくは思いついてはいないが、くーちゃんしか思いつかなかった俺にもっと頭を柔らかくして視野を広くもてと、そう言っているのだろう。

「大丈夫、北条や織田に頼るよりももっと強い手がちゃんとある」

 ここで向日葵が得意げにふっと笑うと、自慢げに話し始めた。

「まず一つ目、時間はかかるけど安全な方法。北条、織田、浅井、この三国に行って越後と甲斐に圧力をかける」

「ずいぶんと過激な一手だな」

 確かにこれなら圧力に耐えかねて話し合いに応じて出てくることも考えられるが・・・。

「その手はかなり危険なんじゃないのか? 圧力をかけられて二人が戦を始めることも考えられる」

「それはない」

 しかし俺の危惧は向日葵からしてみれば一瞬でないと言い切れる程度のものだったようだ。

「旦那、旦那は二人の旦那ですから分からないかもしれないですけど、もともとあの二人はと~~~っても仲が悪いんです」

 ・・・言われるまで失念していた。こっちに来てから、もうちょっと言うとこっちで二人に会ってから、俺は二人が喧嘩をしているところは見ても、俺が間にいれば基本的に大人しかった。

 しかし俺の知っている史実でも川中島で五回、こっちでも実際に川中島ですでに四回も戦をしているのだ、もともと仲が良かったとはとても思えなかった。

 さらに言うと、ふと思い出したのだが、いつか二人は俺に「いいところだけ見ている」とか、「我慢している」と言っていた。これはもしかしたら、殺したいほどに嫌いなやつと一緒にいるのを我慢してやる、と言うことだったのかもしれない。

「つまり、もともと仲の悪い二人が貴久と言う夫、繋がりなしに手を組むことはない。それなのに越後と甲斐を囲む三国と戦をしようとは考えないはず」

「なるほど、とりあえずそれは一つの案だな。で、一つ目と言ったな、なら二つ目は何だ?」

 これほど自信満々に言ったのだ、よほど自信のある手があるのだろう。

 だが気になるのは、先ほどの案で安全な方法とわざわざ言ったことだ、かなり怖い。

「二つ目、時間をかけずに済むけど、変わりに例え貴久が二人に会えてもその先の生活を保障できない危険な方法。尾張に行って信長を動かして北条氏政にも尾張から呼びかけて、越後と甲斐に宣戦布告をする」

 これはまた・・・とんでもない案が出てきたな。

「三国で囲んで圧力をかけていない状態だと、甲斐は塩のために、越後はもともと恐れていた織田の天下統一阻止のために、恐らくは手を組んでくる。今の越後と甲斐の二国を相手にするなら、織田だけでも、北条だけでもできない」

「でも、その案は戦で勝つことが前提だが、今の向日葵の話だとこっちが勝てるとは言い切れないみたいだな」

「尾張の兵は弱いから」

 ここで呆れた様に言われるのは尾張の出のものとしては少々不満もあるのだが、ここでそれを突っ込んだところで、そもそもこの案を採用する気がないのだから無駄だ。

「まあその案は実行しないぞ、お前の言った通り、たとえこっちが勝っても無関係なたくさんの人が死ぬことになるし、そもそも当の俺たちの命だって危ないんだからな」

 関係ない人たちを巻き込むなんてしたくないし、戦と言うものは何が起こるかわからない。もしかしたら、流れ弾一発が俺たちの誰かの命を奪うかもしれないのだ、そんな危険なことはできない。

「まあ旦那がこの案を受け入れるとは思っていませんでしたけどね」

 だろうな。つまり、二人には俺が受け入れるであろう安全かつ一つ目に比べて時間のかからない案があると言うことだろう。

「今は時間が惜しい、いくつか案があるとは思うがこれ以上はいい。今二人が思いついている一番いい案を教えてくれ」

 恐らくはまだ複数の案があるのだろう。しかし今はそんなことはどうでもいいのだ、俺は二人に会える最も適切な案が知りたいのだ。

「じゃあ言わせてもらう、今の貴久ができる最も安全かつ時間のかからない手・・・それは将軍を惚れさせること」

「・・・なるほど」

 その通りだ、初めに言われたとおり、頼れるのは家族だけではないと言うことか。

 視野も驚くほど狭まっていた。最初に織田と言う選択肢が出てきた時点で、もっと自分が何をしてきたのかを考えるべきだった。

 俺が今頼れる人物、ここでの判断のためにも少しばかりしっかりと振り返ってみよう。

 まずはくーちゃん、北条氏政。今俺に力を貸してくれるであろう人物の中で最も確実で力もある人物だ。

 次に織田信長。まだ力を貸してくれるかはわからないし、例え貸してくれたところで元亘ら内部からの邪魔のせいで思うようにできない可能性は高い。

 親しさで言うのなら近江の浅井はかなりの可能性があるだろう。長政なら恐らくは高い確率で力を貸してくれると思われる・・・しかしながら、長政はまだ当主ではないだろうし、今の浅井個人でできることはかなり少ない。それこそ、浅井の力を借りるのなら向日葵が示した一つ目の案のように長い目で見て行かなくてはならない。

 一応だが小寺孝高の名前も上げておこう。孝高は俺が播州から帰るときに一緒について来ようとしたくらいだし、少なからず俺に良い印象を持っていることだろう。しかしながら孝高は小寺家の当主でもないし、仮に小寺家を動かせたとしても小寺家はここからあまりにも遠すぎる、動かすことにさほどの意味はない。

 そして最後に、俺が繋がりを持っている中で最も力を持っている人物、室町幕府第十三代将軍・足利義輝。去り際に「我が健在である時であれば困ったことがあったら我を頼ってまいれ」とのお言葉をもらってはいるが、さすがにこんな私的なことで将軍様を動かせるのかと聞かれたら無理なのではないかと思う。さらに言うと、今の俺たちでは京までの道だってかなり危ないだろうし、たとえたどり着けたとしてもそこで将軍様とどうやって会うのかが問題だ。俺たちがいきなり二条館に行ったところで、俺たちのことを知らない門番に取次を頼んでも門前払いが関の山だろう。

 さて、恐らくはこのくらいだと思うのだが・・・この中で誰を頼るのか・・・。

「そうだな、将軍様を頼ろう」

 道中に危険があるだろうし、たとえたどり着いても会えるかどうかさえ分からない、それでも今の俺ができることを考えれば、時間はかかっても最も安全で確実な手だった。

「貴久、一つ勘違いをしていそうだから正しておく」

「勘違い?」

 はて、今の思考を丸々読まれたわけではないだろうが、いったい何を勘違いしていると言うのだろうか。

「貴久は道中の危険と、京に行った後のことを心配しているみたいだけど、本当に心配すべきは会った後」

 会った後? なるほど、どうやって将軍様を動かすのか、そう言うことか。

「たぶんまた違いますね。旦那、言ってはいけないと思いますけど、今の将軍にはあまり力がありません。それこそ、下手をしたら長尾や武田に下手に話をして潰されるのを恐れてしまうかもしれません」

 ・・・歴史好きの俺としたことが、将軍と言う言葉に思考が引きずられてしまった。

 この時代の将軍様、足利義輝様がしてきたことを今一度思い返してみよう。

 まずは戦の調停、大名同士の抗争の調停を頻繁に行い、将軍の威信を知らしめたこと。懐柔策として偏諱を与える例が多くあったこと。政にも精通していてその政治的手腕は、「天下を治むべき器用有」と評された。

 とまあとにかくいろいろと頑張っていたのだが、それは裏を返せばそうしないといけないほどに将軍様に力がなかったと言うことなのだ。

 ではそんな将軍様を仮に動かしたとしたらどうなるのか、考えてみよう。

 まず動いてもらう内容だが、それはもちろん俺が景虎と晴信に会うことだ。なら会うために将軍様にしてもらうことと言えば、二人にここまで来るように命令してもらうことだろう。

 だがこの案には問題がいっぱいだ。まず簡単に呼んでもらうとは言っても、将軍様が特定の誰かを都に招くと言うのには意味が出てくる。呼ばれたと言うことは、その大名は将軍様に良い見方されていると言うことだ。そしてそのまま京に行ってしまえば将軍様と繋がりができる。そうなるともう景虎や晴信たちは天下を取ったも同然だ、将軍の後ろ盾を得つつ、そもそも逆らえるほどの力を持った勢力はいても大きく上回っている勢力はいないのだから。

 そうなるとそれを邪魔しに尾張の本田元亘が動いてくることだろう。信長がどう動くのかわからないが、それでも元亘が動くことは間違いないだろう。そうなれば何としてでも景虎と晴信の上洛の邪魔をしてくるはずだ。

 その邪魔する手段と言えば・・・もちろん手っ取り早いのは戦だろう。

 次にそもそも将軍様に来るように命令してもらったとして、景虎や晴信が素直にそれに応じてくれるのかが問題だ。事実、俺の知っている史実でも将軍の力が弱まっている時には有力な大名は上洛を拒否している。また呼ぶことに対して有力な利益を提示しなければ相手もわざわざ今の将軍に会いに来たりはしない。

 ろ、いろいろと考えれば考えるだけ問題が飛び出してくるわけなのだが・・・。

「それでも、俺に今残された手で、良い選択と言えるのは将軍様を頼るか、くーちゃんを頼るかの二つだけだろ」

「確かに、貴久の考え方で考えるのなら、その二つしかない」

「では旦那、こればかりは選んでください」

 まあそうだろうな、こればかりは俺が選ばなくてはなるまい。

「北条か、足利か、旦那はどちらを頼りますか?」

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