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意地

「くーちゃんを頼るよ」

 ここに来てもまだ、俺は自分よりも他人を優先しようと・・・しているわけではない。

 織田や足利ではなく北条を頼る。ぱっと見ると、まだ奥さんではないが俺のことを好きだと、そう言ってくれているくーちゃんのためだと見えるかもしれないが、実のところそうではない。

 ここで俺がこのまま京に行き将軍様を頼ったのなら、その時くーちゃんはどう感じるのか。恐らくは裏切られたとか、信用されていないとか、そんな風に考えることだろう。そう思われることを防ぐために、俺はくーちゃんのところに行くのではないかと、周りは考えると思われる。

 ここでちょっと惚気ると、くーちゃんなら物事を合理的に考えて、俺があくまでも最善と思われる選択をしたのだと考えて逆に喜んでくれたりもするかもしれないと考えられなくもないのだが、今の俺ではそこまで前向きな思考をもって行動することなんてできない。

 で、くーちゃんのところに行く、これがどうして俺のためかと言うと、いたって簡単なことで、ただ俺がくーちゃんに嫌われたくないから、それだけだ。

 ここで俺が将軍様を頼って、先に考えたようにくーちゃんに嫌われてしまったら、今度こそ自殺しかねない。

 もう本当に、これ以上何も失いたくない。

 これが贅沢な望みなのかどうかはわからない。なにも失いたくないと言うのは贅沢なのか、これ以上なにも得られなくてもいいと言う分謙虚なのか。

 俺にはわからないが、とにかく俺は願う、これ以上失いたくない。

「それでいい? 後悔しない?」

 向日葵が俺に聞いてくる。

 恐らくこれが最後の確認。ここで出した決断が、下手をしたら日ノ本の多くの民を巻き込んだ大戦を起こすかもしれない大切な決断。

「ああ、大丈夫だ。俺はくーちゃんを頼るよ」

 しかし、ここで迷ってはいけないと思った。だから迷わなかった。迷えば迷うだけ、最後に出した答えが嘘に固められた偽物のように思えてしまうから。

「それでは、どうするかも決まったことですし、早く動きましょう! これでも私は追われているので!」

 すたっと立ち上がりながら胸を張ってそんなことを言う段蔵。結構危ない状態にあると言うのに、段蔵はとても明るくて、なんとなく俺の気持ちは軽くなった。

「よし、いくぞ、イリス」

 ここまで部屋の隅でじっとしていてくれたイリスが、話の終わりと自分の名前を呼ばれたのとでおおよそのことを察したのか、元気に立ち上がって俺のところまでやって来た。

「What do you do now?(今から何をするの?)」

 おっと、イリスはまだそこからわかっていなかったのか。少しばかり自分で傷口を掘り返すことになるが、話せないことではない。やることが決まったのと段蔵とイリスの明るさに助けられてか、今はまだ楽な方だ。

「Because Ihad been rejected by a wife of Echigo, I come to worth in this way, but even worth has been rejected by a wife to do so mething about it.(越後の奥さんに振られて、それを何とかするためにこうして甲斐まで来たのだけれど、甲斐でも奥さんに振られてしまってね。今度は小田原の奥さんを頼ることにしたから、今から小田原に行くよ)」

 イリスは小田原と言ってもわからないと思うが、まずはありのままを説明した。

 正直な話、俺だってこうして越後から甲斐に来るのは楽ではなかった、それがこの幼いイリスならどうか、辛いのは分かっている。だから、もしイリスが少しでも辛いと言うのであれば、俺よりもイリスを優先して一度越後の長屋に帰ることも検討しなければならない。

「Odawara…where?(小田原・・・どこ?)」

 うむ、まずはおおよそどのくらいかかるのかくらい言っておかなくては考えられないか。

「Well, odawara is a place taking around ten days from here from about six days.(そうだな、ここからならおおよそ六日から十日くらいかかるところだ)」

 ここから小田原城まで行くのなら、東海道を通って甲斐から駿河を通って小田原へ行った方が近いし楽かもしれないが、安全面を考えると、いつかの甲斐侵攻の時のようにここから甲州街道を使って岩殿城、上野原城、津久井城を通って、大山を超えて小田原を目指した方が駿河を通らずに済み武田と北条の領土内しか通らないから安全だろうと思われる。危ないところと言えば大山を超えるときが危ないかもしれないが、そこは小田原が近いと言うこともあるしくーちゃん達がしっかりと安全を確保してくれていることを信じよう。

「It is near than it reaches Echigo from Owari!(尾張から越後に行くよりはとっても近いね!)」

 そして結構遠いと伝えたつもりだったのだが、尾張から越後までついてきたイリスにしてみたらそんなに遠くないと感じられたようだ。よくよく考えてみれば、尾張から越後まで五十日かかるよと言っても平気で「そんなに遠くないね」と答えていたイリスだ、聞くだけ無駄だったかもしれない。

「But it is hard becouse there is not a horse this time. May I come back through thinking that Iris is onec to a tenement house of Echigo?(でもイリス、今回は馬がないぶん大変だ。イリスが辛いと思うのなら、一度越後の長屋、お家まで帰ってもいいんだよ?)」

 だがやっぱり今はこれだけ元気でも、この先どうなるのかはわからない、イリスにこんな可能性もあるよと示しておくことは必要だ。

「Disagreeable! I want to be with papa.(嫌! パパと一緒がいい!)」

 しかし俺のそんな危惧など全く無意味だと言わんばかりに間髪入れずに否定されてしまった。

「Are you really all right? If there is uneasness with little that you return even if I say that I hate it on the way after this, and is not devoted yo, you shoule return here.(本当に大丈夫かい? この先は途中で嫌だと言っても帰ってはこられない、少しでも不安があるのなら、ここで帰るべきだ)」

 イリスは即答してきたが、今度はさっきよりも強い口調で聞いておいた。イリスが本当に小田原までの旅を大丈夫だと思ってくれているのならまた大丈夫だと答えるだろう。もしただ俺といたいだけとかなら、ここで真剣に考えてくれれば帰ると言う選択をしてくれるだろう。イリスはそう言う子だ。

「I want to go with papa. I want to be with papa.(パパと一緒に行く。パパと一緒にいたい)」

 だが今度もイリスはすぐに答えを返して来た。今度は静かに、確かな自分の意思を真剣に伝えてきた。

「I am alright because you're here.(私は大丈夫、パパが一緒だもん)」

「…OK, Then is all right. Let's go Iris.(・・・そっか、なら大丈夫だな。一緒に行こうか、イリス)」

 イリスが返事の代わりにぎゅーっと抱き付いてきた。

「イリスも行くってことでまとまったように見える」

 俺とイリスが話している間、今度は変わって俺とイリスが話しているのを隣で黙って聞いていた向日葵が、イリスの反応から答えを予想して聞いてきた。

「ああ、イリスも一緒に小田原に行くことになったよ」

「わかった、話もまとまったことだし、すぐにでも小田原に向かう。貴久があの馬鹿と別れてから少し時間が経ってる、急いだ方がいい」

 景虎と別れてから、もう半月くらいか・・・早いものだ。

 小田原に着くころには景虎と別れてから一月近い時間が経っていることになる。そしてそこからくーちゃん、北条を動かすのにまた時間がかかり、そしてその後になってやっとこさ景虎と晴信の二人と話すために動く。そこから最終的に二人にまた会えるのは、一緒に笑っていられるのはどれほど先のことだろうか。

 次に二人に会えるのはいつになるだろうか、今は見当もつかない。

「落ち込んでいるような暇はない、さっさと行く」

 そう言うと、向日葵は本当にさっさと部屋を出て行ってしまった。

 俺はなんとなく部屋から出て行く小さな背中を見送りつつ考えてしまった。

「向日葵としては、このままの方が都合がいいだろうに」

 どうしてだろうか、どうして向日葵が俺のために、俺が景虎と晴信の二人と仲直りするために手を貸してくれているのか。向日葵は初めて会ったその時から景虎のことが嫌いだし、今回の例を見ても俺と夫婦になりたいと望んでいるのなら自分以外の嫁なんて少ないに越したことはないと言うのに。

「確かに、今の状態の方が、夫婦でいるのにはいいとは思いますけどね」

 俺のつぶやきを拾ったのは、今現在絶賛脱獄中で俺の知っている史実通りに甲斐で仕官しようとしたと思われるが、史実とは違って失敗してしまい、今度は北条に仕官しようとしていると思われる段蔵さんだ。

「夫婦でいるのには、とは?」

「夫婦でいるのには、他の奥さんが少ない今の状態の方がいいですけど、旦那の奥さんになる時は、他にたくさん奥さんがいても、それでもなお自分が欲しいと思われたい、そう言うことじゃないですかね。今奥さんになっても、自分は別れた奥さんの代わり、前の奥さんには勝てなかったって思えて嫌なんじゃないかと思いますよ」

「女心と言うやつか?」

 俺はいいと言ったんだがな・・・向日葵の気持ちの問題だけに、これは俺にはどうしようもないから深くは考えないが。

「女心と言うよりは、意地じゃないですかね」

 大嫌いな、自分の好きな人を振ったような、景虎には負けたくないと言うことだろう。

「ところで段蔵、段蔵は結局のところどうして甲斐に来たんだ? このままだと、特に何もせずに小田原に行くことになるんだが」

 恐らくは甲斐で仕官しようとしていたものだと思われるのだが、段蔵自信はまだ晴信どころか甲斐の人物とまともに話すらしていない、仕官しようとはしていなかったはずだ。

「ああ、単純ですよ。旦那が甲斐に行くことは間違いないと思っていましたから、一つは旦那が甲斐に行く理由を作るため、あれは本当ですよ」

 一つ目、当たり前の様に表情一つ変えずそんなことを言う段蔵は、どことなく楽しそうだった。

「じゃあ二つ目は?」

 そしてここで、段蔵は俺を大いに驚かせる解答を返して来た。

「旅をしたかったからです、旦那と一緒に」

 旅? 確かに越後から甲斐までの移動は旅と言えるのかもしれないが、俺と一緒に旅をしたかったとはどういうことだろうか。

「旦那と播磨国まで旅をして、たくさんのことをしました。久しぶりのお仕事ももらったし、広く世の中のことを知ることもできました、旦那や御大将の役にも立てました」

 それは・・・確かにそうかもしれないが、今回の旅は完全に俺の私的なものだ、お仕事でもないし、広く世のことを知ることもできない。やはり段蔵がどうして甲斐に来たのか、もしくは俺について来たのかが分からない。

「そして、とっても楽しかったからです」

「・・・それが、一番の理由のようだな」

「はい。わいわい騒いでも怒られないし、素の自分を知っても優しくしてくれたし・・・とにかく、旦那との、皆さんとの旅は、楽しくて仕方がなかったです」

 そんな、聞いているこっちがちょっとばかりむずがゆくなるようなことを淡々と話す段蔵の顔は、いつもの張り付いた笑顔ではなくて、実に可愛らしい無邪気な笑顔だった。

「でも、本当の一番の理由は」

 そして俺はさらに驚かされる。

「信じてくれる人、旦那と、一緒にいたかったからなのかもしれません」

 こんなことも、可愛らしい無邪気な笑顔のままで言ってくる。

 果たしてこれが本当に、段蔵が俺と一緒に来る理由なんだろうか? 甲斐まで来た理由なのだろうか?

「だから、旦那が小田原まで、京まで、どこに行くにしても、私はついて行きますよ」

 ・・・わからない、わからないが、それでもいいか。

 最近よくよく思い出してみれば、段蔵が京で見せたあの怖い笑顔、顔に張り付いた不自然な感じの笑顔を見ることは少なくなったような気がする。少なくとも越後に帰ってから、俺たちと長屋にいる間は一度としてあの怖い笑顔を見たことなんてなかった。

「それでは、そろそろ行きますか。向日葵さんが戻ってきてしまいます」

 そう言って段蔵が荷物となぜだかイリスを担ぎながら出て行った。まあイリス本人が楽しそうだったから別にかまわないのだが。

「贅沢だな」

 すでに二人の奥さんに振られ、越後の長屋に何人も残してきて、それでもなお、俺の周りにはこんなにもいい人たちが残っている。これで振られた奥さんを戻してそのままがいいと言うのは、やはり贅沢かもしれない。

 そんなことを考えながら、俺もみんなを追って長屋を出た。


「・・・」

 いけない、全く仕事が手につかない。

 先ほど受けた報告が耳から離れてくれないのが原因だ。

 貴久が来た。

 あまりにも信じられなかったから最初は相手にもしなかったのだが、やっぱり気になって信繁を向かわせてみれば、本当にいたと言う。

 最初は信繁を突き飛ばして部屋を飛び出したのだが、そこから数歩進んだところで足を止めた。

 自分はいったい何をしているのか、いい加減未練がましいにも程がある。

「・・・」

 何事もなかったかのように部屋に戻り、筆を執る。

 何とか思いなおしたが、さすがに直接会ったりしたらもうだめだ、こんな軟弱な私では乗り切ることはできない。

「これを渡してきて」

 だからこれだけ。少々卑怯だとも思うが、今の私には、まともに会って話をすることなどできない。私にはこれが精いっぱいだ。

 貴久がこんな時にやってくるとはさすがに考えてもみなかった。

 貴久はつい先日越後に戻ったばかり、今頃は景虎と旅の思い出を語り、疲れを癒している頃だとばかり思っていた。

「・・・」

 少しばかり、ほんのちょっとだけ期待してしまったのは今日と言う日。

 貴久に話したのはいつだっただろうか。

 十二月一日、私がこの世に生を受けた日だ。

 今まで、特にこの日に特別な思いをいだいた日はなかった。

 だが貴久によると、先の世ではこの自分の生まれた日に祝ってもらうと言う風習があるらしい。

「・・・」

 貴久があんなにも急いで帰ったのは、今日この日までに、景虎に会って戻ってくるため・・・。

 希望的な観測が頭をよぎる。どこまでもおめでたい頭だ。

 すでに手紙は渡した、これでもう後戻りはできない。もうすでに、私は貴久の奥さんではないのだ。

「・・・」

 だからもう、甘える権利も、我儘を言う特権もないのだ。

 手に取った。常に、絶対に肌身離さずに持ち歩いている。例外はありえない、寝ている時も、朝餉夕餉を食べている時も、湯を使っている時も、絶対に持ち歩いている・・・櫛を、手に取った。

 何も言わずにそれを胸に抱き、目を閉じる。

 今でも迷うが、こうしている時は、思い出すことに決めた。

 最初は辛かっただけだが、今はその辛さにも慣れてきた。

 決して辛くなくなったわけではないが、それでも、思い出している間の幸せをより強く感じることで目を逸らすことには成功した。

 楽しかった、嬉しかった、幸せだった。

 ほんの少し、一月にも満たない程度の短い時間、私に一生忘れられない思い出をくれた。

 そのことを思い出して、十分に幸せを感じたところで目を開ける。

 ・・・大丈夫、やれる。

 すでに下準備は終わっている、あとは事を起こすだけ。

 貴久のために・・・まずは織田を潰す。

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