おかしい
できることなら避けて通りたかったところだ。しかし、時間に余裕があるわけでもない、段蔵のことを考えてもそうそう遠回りをするわけにはいかない、俺たちはまず、できるだけ早く越後を出て甲斐に行かなくてはならなかった。
だからそう、ただ近いだけの道なら他にもあったのかもしれないが、俺の通ったことのある道の方が早く進めるとの考えからここを通った・・・川中島を。
越後の春日山を後にして、北陸道を南下、鮫ヶ尾城を通って妙高山へ、そして黒姫山を越して今は善光寺へ。
何も来たくてここに来たわけではない。
いや、実は善光寺にはかなり来たかった。
前に人でごった返した善光寺には何度か足を運んでいる。七年に一度の御開帳、ワクワクドキドキで深夜から並んでいたものだが、終わった時の感想は・・・人が多くて思うように参拝できなかった、くらいのものだった。
人が多くてやたらと五月蠅いし、あとからあとから人が来るから立ち止まって見学することさえままならない。
残念だった、せっかく愛知から長野まで出向いて、深夜から並んで・・・結局見学は一時間もかからずに終了、次はもっと何の行事もない誰も来ないであろう日に参拝しようと決めた。
「駄目ですよー、旦那ー」
だから・・・ね。
「急いでいるんですからー、景虎さんに会いたいんじゃないんですかー」
言わないでほしい、ここまで来る間に多少なりとも回復した俺の心の力が一瞬で枯渇しそうだ。
「わ、分かっている・・・そうだな、のんきに見て回るのは、全て終わってから、景虎や晴信やくーちゃんと一緒に見て回ればいいんだもんな」
そう、だから・・・。
「だったら早く足を動かしてください、私は荷物を背負った旦那を担いで歩くのはちょっと嫌です」
だから、今人があんまりいないからと言って、今善光寺を見学するのは間違いだ。
「今日は海津城のあたりまでの予定ですから、あと少し頑張ってください」
そう言われながら、結局俺は段蔵と向日葵に両腕を掴まれて引っ張られるようにして善光寺を後にした。
「ようこそおいで下さいました、加藤殿」
話しているのは高坂昌信。善光寺を後ろ髪をひかれながらも必死の思いで振り切ったのだが、ある程度距離を取ったらそれほど気にならなくなると言う裏切りっぷりに若干うつうつとしていたのだが、そうこう考えているうちに気がつけば海津城に到着していた。
高坂昌信、史実から言わせてもらうと、この海津城の初代城主となった人だ。若くして武田晴信の近習として仕え、その後若くして侍大将となり、第四次川中島合戦の時には妻女山攻撃の別動隊に選ばれ、海津城の城主にもなり、三方ヶ原の戦いにも参戦した。その後武田晴信の没後も武田勝頼に仕え武田家二代の重臣として生涯武田家に仕えた。
「今回はお忍びでここまでお越しになられたとのこと、このことは長尾殿もお屋形様もお知りにはならないと言うことでよろしいので?」
「はい、なので軒を貸してもらっておいて悪いのですが、俺のことは内密にお願いします」
ここに来たことは伏せてもらうことにする。
理由はまず、今俺と景虎の不仲が知れ渡ることを恐れてのこと。越後で離縁を言い渡されてから数日が立っても、景虎は俺と離縁を世間に公表しなかった、それはつまり、今のところ景虎にとって俺との離縁ないし不仲が世間に知られることが不利益につながると言うことだろう。
次に晴信にも伏せていると言うことにしたのは、晴信にも都合があるだろうと言うことと、もともと晴信のことを好ましく思っていない景虎が、この段階で晴信が護衛と言う名の兵を引き連れて信濃まで出向いてきたりでもしようものならその場で第五次川中島合戦の始まりとなりそうだからだ。
「わかりました、それではそのように。私は何のお構いもできませんが、せめてゆっくりとお休みください」
そう言って部屋を出て行く昌信。
「旦那旦那! 遊んできてもいいですか!」
これでも一応絶賛脱獄中の段蔵がのんきにも遊んできたいとか言い始めている。
ちなみに場所は天井。段蔵は天井から頭だけを出して話をしている。
遊ぶと言うのは忍び的な観点から見た偵察や潜入的なものか、それとも見た目通りに考えた平和な遊びか、今の状態から考えると危険なことをしそうな感じは多分にある。
「まあ甲斐では追われる身でもないから・・・少しくらいなら・・・」
「行ってきまーす!」
「・・・迷惑かけないようにならいいぞ・・・と」
好奇心旺盛、遊びたがりな段蔵ちゃんは人が全部言い終わる前に部屋を・・・と言うか天井から飛び出していった。
「確かに護衛と言うわけではないが・・・」
「段蔵ならうまくやる、心配するだけ無駄」
向日葵が即座に段蔵の話を切り捨てた。
まあ実際何をするにしても、段蔵ならこちらが心配しなくてはいけないような何やかんやなど起こさずに、全部うまくやってのけるだろう。
「と言うわけで、さっそくごゆるりとしよう」
と言いながら、向日葵がごろんと寝転がって俺の膝の上に頭を乗せてきた。
「貴久を独り占め」
向日葵が寝転がったまま、さらにごろんと体の向きを変えて俺の腰に手をまわして抱き付いてきた。
まあ向日葵が独り占めしたいのは勝手だし、できるのならしてもらっても構わないのだが。
「パパ! ぎゅー!」
イリスが背中から抱き付いてきた。
俺と向日葵の会話が分かったとも思えないから、向日葵の独り占めを許さなかったわけではないだろうが、まさにそんな瞬間に抱き付いて来たものだから、何だか会話が分かっていて対抗しているように見えて一人で勝手にちょっと照れてしまったり。
「にゅ~・・・」
と、少しばかり思ったのだが、当のイリスはここまでの旅で疲れたのだろう、あっという間に眠ってしまった。
「イリスが頑張っていること、ちゃんとわかってあげて」
そしてそんなイリスにもっと気を遣えと言ってくる向日葵。
なんだか俺が景虎に振られた後から、向日葵がとても皆に対して優しくなった気がする。恐らくは、傷ついている俺に対しての配慮なのだろう。
「イリスはここまで貴久に迷惑をかけないように、結構我慢してる。尾張で始めた会ったころに比べて随分と大人しくなったし、最近なんて貴久が辛そうだってことを感じ取ってとっても我慢している」
確かに最近元気ではあるが大人しくなったなとは思っていたのだが、向日葵がここまで言うほどに変わり、そして我慢していたとは。
イリスは自分でついてくると言い出したとはいえ、最終的にそれを認めたのは俺だ、それなのに、イリスがたくさん我慢していると言うのにそれに俺が気がつかないとは。
背中に張り付きながら寝ているイリスの頭をなでた。本当に疲れているのだろう、今回は全く何の反応も帰ってこなかった。
「全部終わったらでいいから、その時はイリスに思いっきり甘えさせてあげて」
・・・全部終わったら、か。
「・・・そっか」
ここで、俺に一つの考えが生まれた。
していいのかはわからない。もしかしたら、後になって景虎と話ができた時に、このことのせいで相手にもされないかもしれない。
「向日葵」
それでも、今この時を除いて、他にいつ言うのかと自分に問いかければ、はっきりとした答えは返ってこなかった。
「大切な話がある」
今なら、誰かに縋りたいと思ってしまっている弱い俺がいて、駄目だと言う理由が少しでも減った今、言わなければとも思った。
「なに?」
俺の態度を不思議に思いつつも、起き上がって俺と一緒に正座で向かい合ってくれる向日葵。
「頼みがあるんだ、自分勝手だってわかっているんだけどさ」
「大丈夫、そんな貴久のことも私は好き」
・・・もったいない。
「向日葵、俺と夫婦になってくれないか」
実にもったいない、こんなにいい人が、すでに何の力もなく金だってない、また特に何ができるわけでもないし何かをする能力もない。この俺のためでしかない旅にだって真っ先に名乗りを上げて付いて来てくれた。本当に、俺にはもったいない。
「・・・」
前と同じ、播州の時と同じように、向日葵が呆けている。
不安でたまらなかった。本当に、もし向日葵が尾張でのお仕置きのようなことを本気で思っていたら、後は長屋の金を奪うだけなのだからこんな話に乗る必要はない。そうでなくても、今の俺のことを・・・別に前の俺がそんなに格好良かったと言うわけでもないのだが、とにかく今の俺のことをそこまで好いてくれているのかもわからない。
もし断られたら・・・怖いな。
だが後悔はしていない、この際にいろいろとやれることはしておこうと思った。何時までも、向日葵を待たせたおきたくもなかった。
「・・・いや」
そして向日葵の口から紡がれたのは、拒絶の意だった。
「今の貴久は、まだ私との祝言に負い目を感じている。私はそんな貴久の気持ちを受け入れたくはない」
よくできている、本当によくできている、俺にはもったいない。
「だから、私は待つ。貴久が、あいつや武田、北条と言う嫁を持ちながらも、本気で私のことを欲して、思いを伝えてくれるのを」
本当に、向日葵と言う女の子は、俺のことをどうしてそんなにも好いてくれているのか。顔がいいわけでもない、金や権力があるわけでもない、そんな俺の、何をそんなにも好いてくれているのだろうか。
「じゃあ、この話はこれで終わり。私は貴久といちゃいちゃする」
そう言って、向日葵が再び俺の膝の上に頭を乗せてきた。
「いちゃいちゃ、ね」
毎度思わされるが、向日葵の言ういちゃいちゃと言うのは随分と健全だ。普段は人の布団に無断で潜り込んで来たり、やるときは本当に変態のようなことだって平然とやってのけるくせに、こんな時はこのくらいのいたって健全なことしかしない。
「じゃあ嫁云々の話はなしで、今俺は向日葵をどうしても抱きしめたい。抱きしめてもいいか?」
向日葵の頭をなでながら聞いてみた。
向日葵は、撫でられた瞬間は気持ちよさそうに表情を緩めていたものだが、俺の頼みを聞いた瞬間に一瞬びくりと体を震わせて固まってしまった。
「・・・」
そして少々緊張したような目でこちらを見上げてくる。
「べ、別にいいけど・・・」
「じゃあ遠慮なく」
胡坐をかいた膝の上に寝転がっていた向日葵を座らせて、向日葵の肩の上から体の前に手をまわして抱きしめる。
向日葵は抱きしめられた瞬間にもう一度びくりと体を震わせながらも、その後はとにかく借りてきた猫のようにおとなしく俺に抱きしめられていた。
「ははは、なんだかおもしろいな、向日葵は」
「・・・五月蠅い」
拗ねたように言いながらも、顔が真っ赤で照れ隠しなのがまるわかりだ。
「じゃあとりあえず、このまま寝るとするか」
「・・・なんかおかしい」
「何が?」
「普段の貴久なら、段蔵以外が突然入ってくることのない部屋だとはいえ、知らない人が出入りしてもおかしくないこの部屋で、私を抱きしめたまま寝ようだなんて言わない。しかもイリスだって背中にいるのに」
ん~、そうだな、確かに普段の俺ならしないだろうな。
「たぶん答えは簡単だ」
正確には分かっていないから少々濁すが、おおよそは分かっている。
「ぬくもり、人が恋しいんだと思う」
イリスは背中にいるから駄目なんだろうな、たぶん同じように前にいたら同じような効果が期待できたはずだ。
「・・・つまり誰でもいいと。と言うよりは、今回の場合私はあの馬鹿の代わりだと」
おいおい、人が確信を持てないから傷つけないようにと思って言わないでおいたのに自分からあっさり言わないでくれ。
「まあ誰でもいいってところは、知っている人なら、たぶん長屋にいるみんなとかなら当てはまると思う、背中にいるイリスでもな。でも、向日葵が景虎の代わりだなんて、俺は思っていないぞ」
たとえ本当は違っても・・・いや、違うから、しっかりと言葉にして伝えたかった。
「向日葵は断じて景虎の代わりなんかじゃない、向日葵は向日葵で、俺の大切な人だ」
「・・・や・・・やっぱり・・・おかしい」
気がつけば、腕の中で向日葵がプルプルと震え、首筋はなかなかに赤くなっていた。
「た、貴久が・・・こんなこと・・・」
こんなこと・・・言われたから考えてみようか。
まずは向日葵を抱きしめた、そしてお話開始。・・・その後は・・・少々抱きしめる力を強め、顔を向日葵の横まで持っていき、耳元で話しかけた・・・内容は・・・「向日葵が好きだー!」みたいなこと。
「・・・ごめん、ちょっとおかしかった」
思い返してみて恥ずかしくなってきた。普段の俺ならやらないどころではない、過去にやったことなんてないし、これから先もやる予定なんてないしやろうとも思えないことだった。
「・・・いかん、変な気を起こしそうだ」
「っ!」
向日葵が顔を期待と喜びと緊張と・・・あと何かいろいろを詰め込んだ複雑な表情にして固まった。
「だから段蔵を呼ぼう。今の段蔵はりょうと同じような役割を期待している」
「つまりこういうことですね!」
「ガフ!」
今のはどっちだろうか。「痛い!」とか「ぐへ!」みたいな一般的なところに分類していいものだろうか? それともエヴ〇大好き人間から考えると扉の方を想像しておかないといけないのだろうか? 個人的には扉の方ではないかと思うのだが。
まあとにかく、段蔵が天井から俺の背中に降臨した。
「えっと、りょうちゃんだと、こんな時は「兄ちゃん見っけ!」の掛け声とともに貴久様に突進、と言う流れですよね?」
はいその通りDEATHね。ただしりょうの突進は間違っても重力の力を得たヒップドロップとかのしかかりとかとは全く持って違って、俺のわけのわからない悲鳴的なものが出る様な驚異的な威力はない。
「で、その後はぎゅーっとして甘える」
甘えると宣言して、段蔵が俺にぎゅーっと抱きつきながら背中に頬をすりすりしてきた。
・・・くそう、よくわかっているではないか。可愛くていまいち怒れない。
「って! イリスは⁉」
イリスはさっきまで俺の背中で寝ていたはずだ、段蔵が俺の背中に降臨して無事だったとは思えない。
「イリスちゃんには、ちょっとお布団の方に移ってもらいました。
そう言いながら段蔵が指差している方を見ると、いつの間にか敷かれていた布団にイリスが寝かされている。
全く気がつかなかった、段蔵がこの部屋に布団を敷いたのも、イリスを布団に移したのも・・・。いくら向日葵との話に集中していたとはいえ、ここまで気づかせないとは・・・さすが段蔵は優秀だ。
「・・・貴久の気持ちが段蔵に流れた」
そして目的の方もしっかりと達成されたようだ。今の俺の気持ちは変な気を起こすどころか、向日葵の言ういちゃいちゃくらいの健全なことも特にしたいとまでは思わないくらいになっていた。
「さてと、一息ついたことだし、日もそこそこ傾いてきたし、明日の予定でも確認して寝るとしますか」
「さっき高坂殿が夕餉とお湯を用意させていましたよ」
俺の中の何かが一瞬で変態した気がする。
そんなわけで、段蔵の情報をもとに部屋で待っていると、昌信が夕餉とお湯の支度が出来たと呼びに来たから、寝ていたイリスを起こしてありがたく夕餉とお湯を堪能させてもらった。
そして寝る前に明日の予定を確認し、俺たちはなぜだか段蔵が敷いた一つしか用意されていなかった布団にみんなで入って眠りについた。




