最強の男
「どいやっ!」
お世辞にも格好がいいとは言い切れない声を上げつつ、右から斬りかかってきた男の剣を、フィアーゼは右足を半歩、左足を一歩引くことで受け流す。
「うおっ」
勢い余ってフィアーゼの正面につんのめる敵に、フィアーゼはとどめを刺さなかった。
「はっ」
代わりに、その男の体を横倒しにするように、自身の正面へ蹴る。もともと体勢を崩していたこともあって、男はあっけなく横倒しになった。
「くっ」
正面から斬りかかろうとしていた別のオレス兵が、歯噛みしながら攻撃を中断して下がる。さすがに自分の仲間を切ってまでフィアーゼを仕留めることはできなかったらしい。
フィアーゼはそれを確認するや否や、一気に体勢を低くした。
「――ぜあっ!」
直後、鋭い風切り音を上げながら横なぎの剣閃が、フィアーゼの頭上を行き過ぎる。左側の男の放った剣戟だ。体をかがめていなければ、ちょうど首辺りを両断していた軌道だった。
「はぁっ」
フィアーゼは男が剣を引き戻すのに合わせて、その男の懐に潜り込む。そして、ちょうど低い体勢から突き上げるように、勢いそのまま剣を男の胸に突きたてた。
「ぐっ……」
短くうめき声を上げた男の体から力が抜ける。フィアーゼは人体を貫いたその独特の手応えに顔をしかめつつ、男の体からずるりと剣を引き抜いた。
「ちっ」
残った二人の男が、フィアーゼの逃げ場を防ぐように位置を調整しながら舌打ちする。どうやらこれ以上の増援はないらしい。
フィアーゼは二人のオレス兵を、同時に視界に収められるような位置に立ちながら、心の中でつぶやいた。
(――弱い)
先ほど和人に言った通り、フィアーゼは多対一の戦いの経験などない。それどころか、人間相手に殺傷可能な剣を向け、また向けられる戦い――いわゆる実戦と呼ばれるものは、これが初めてである。
にもかかわらず、三人に囲まれた状態のフィアーゼは、いまだに傷一つ負ってはいない。それどころか、敵を一人減らすこともできた。
(父上の言っていたことは、事実だったか)
そう、フィアーゼは思う。
ミリシアの誇る十二騎士団の一つ、紅蓮騎士団の団長を務めるオードは常々『他国の兵の弱さ』を語っていた。曰く「普段から戦闘訓練をしていない奴らなど、物の数ではない」らしい。
しかし、そもそもオード自体が、バケモノと称しても違和感ないほどに人間離れした人物であり、彼にかかればミリシアの兵も赤子のようなものである。なので、フィアーゼは父の話を話半分で聞いていたのだが、どうやら事実だったようだ。
目の前のオレス兵たちは、決して虚弱ではない。むしろ凄まじい腕力を持っている、とさえ言える。実際、先ほどから放たれる一撃一撃は、どれも決して侮っていいものではない。受け流し方一つ誤れば、フィアーゼの命はないだろう。
しかし、いかんせん動きが単調である。的確にフィアーゼの急所を狙っているのだが、それ故に、狙ってくる場所が分かりやすい。この場合、焦る必要はないのだから、殺すことよりも怪我を負わせることを重視すべきだ。そうして動きが鈍った敵を、そこで初めて殺しにかかれる。この程度の基本的なことさえ理解できていないのだから、このオレス兵たちの熟練度は、推して知るべしである。
そして何より、連携が拙い。せっかく三人で囲んでいるのに、剣を振ってくるのは一人ずつ。しかも、攻撃の前に視線で譲り合うので、攻撃してくる順がフィアーゼに丸わかりである。それさえ分かってしまえば、いくらでも連携を崩せる。先ほどの攻防が良い例である。
(まあ、仕方ないか……)
眼前で焦っている二人のオレス兵を見ながら、フィアーゼはそう思った。
リーダーが農民出身であったことから考えて、このオレス軍内には職業軍人はいないのだろう。普段の訓練の差は、少人数戦闘で明白になる。三人に囲まれているとはいえ、乱戦でない以上、オレス兵とフィアーゼの間には、戦闘技術に大きな差があった。
「――そろそろ、あきらめたらどうだ」
敵に囲まれた状況のまま、フィアーゼはわざと不遜に言って、動揺を誘う。余裕を作ることで、数的有利の状況の敵に、それでも危険だという認識を植え付ける。
こういう駆け引きは苦手で、あまり好きではないのだが、必要と言われて習っていたのだ。その甲斐あってか、二人のオレス兵は面白いように動揺する。
退くべきか否か。お互いに視線で責任を譲り合う二人。フィアーゼはその間に、和人の方の様子を見ようとして――
「は?」
信じられないものを見た。
実のところ、フィアーゼは和人のことを見直していた。自分とセシリアを、だまし討ちに近い形で捕らえ、オレス軍に売ったのには腹が立つが、それも考えあってのものだった。
何より、後方にフィアーゼを置き去りにしたとはいえ、三十人近いオレス兵を引きうけてくれたのだ。全滅させるなどと言う冗談はさておき、おそらく彼が引き受けてくれたのは、フィアーゼとセシリアが逃げるための時間稼ぎだろう。
そう思っていた。が――
「なんだ……あれは……?」
フィアーゼの視線を追ったのか、フィアーゼと同じ方向に目を向けたオレス兵の一人が、呆然とした声を上げた。
先ほどまで、オレス兵たちが蠢いていた場所に立っているのは、和人たった一人だった。その近くに、三人のオレス兵の死体。残りはおそらく逃げたのだろう。
しかもあろうことか、和人はにやにやと軽薄な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「あ……あ……」
喘ぐような声を上げて、オレス兵たちが和人から後ずさる。完全にフィアーゼの存在が頭から抜けているようだが、そのすきを突こうとしないフィアーゼも、似たようなものだった。
「――っ!」
声にならない奇声をあげつつ、オレス兵が逃げ出す。フィアーゼは呆然と和人を見た。
「……」
「――おつかれ」
こちらに歩み寄ってきた和人が言う。フィアーゼはその声で、やっと我に返った。
「あんた……無茶苦茶ね」
「そっかな?」
「そうよ」
肩を竦めた和人を、フィアーゼは呆れ交じりに見た。
「っていうか、そんだけ強いんだから、いちいちあたしたちを捕まえたりしなくても良かったんじゃないの?」
「いやいや、買いかぶりすぎだって」
和人は苦笑交じりにそう言って首を振った。
「まあ、魔導士の力が分からなかったって言うのが、一番の懸念だったからね。それに、オレス兵の中に潜入してみないと、相手の実力が分からなかったし」
「そう言われてみれば、魔導士の姿が見当たらなかった」
フィアーゼはそう言って、軽くあたりを見回した。魔導士が使う魔法は攻撃的なものがほとんどだ。それ故に、マケス大陸では強力な戦力とみなされている。魔導士を産業に利用しているミリシア皇国の方が、異端なのである。
しかし、先ほどの戦闘では一切の魔力の噴出を感じなかった。とある事情で攻撃的な魔法の魔力を探知できるフィアーゼからすれば、今さらながら疑問だった。
そんなフィアーゼの疑問を感じ取ったのか、和人は少し笑って言った。
「フィアが始末した隊長。あいつを見つけたって言って、魔導士たちをおびき出したんだよ」
「じゃあ、ぐずぐずしてると戻ってくるんじゃないの?」
「あーいや、大丈夫だよ。多分」
「多分?」
いぶかしげに首を傾げたフィアーゼに答えたのは、和人ではなかった。
「随分と信用がないんだね、和人くん」
そう言って、森の木立から現れたのは木崎だった。白衣に付いた木の葉を神経質そうに払いながら、続ける。
「こっちは片付いたけど……そっちも大丈夫だったみたいだね」
「ああ、思ったよりもあっけなかった」
「それはよかった」
目の前でフィアーゼを無視して、どんどん進んでいく話に、フィアーゼは「ちょっと待った」とあわてて割り込んだ。
「どういうこと?」
「まだ説明してないのかい?和人くん」
「ああ、今しようと思ってたとこだ」
「そっか」
木崎は頷くと、フィアーゼの方に顔を向けた。
「まずはお詫びを。説明もないままに、気絶させたりしてすみませんでした」
「いや、それはもういい。考えがあってのことだったみたいだし」
「感謝します」
一つ頭を下げると、木崎は続ける。
「それで、わけを話そうと思うのですが……セシリア様はどちらに?」
「あっ」
完全に忘れていたフィアーゼは、小さく声を上げると、背後のテントを指した。
「この中にいる」
「そうですか……では、中で――」
「木崎さんっ!」
突如、和人が今までにないほど切羽詰まった声を上げた。同時に、ほとんど体当たりするようにして、木崎を突き飛ばす。
直後――
ゴオォッッ!!
つい先ほどまで、木崎と和人が立っていた場所から、火柱が上がった。灼熱の炎は、生えていた草木を焼き払いつつ、三メートルほど宙を駆ける。
「――なっ」
火柱の余波の熱風を浴びながら、フィアーゼは思わず声を漏らした。
先ほど言ったように、フィアーゼは攻性魔法の発動を予知することができる。その仕組みは、魔法が発動前に魔力を収集して魔方陣を構築するのだが、その魔力の収集を察知できるというものだ。
しかし今、明らかに攻性の魔法が発動していながら、フィアーゼはその予兆を、発動する直前まで気付けなかった。それは今の魔法が、魔力の収集から発動に至るまでの速度が桁外れに早いことを意味している。
恐るべき構築速度を誇る精緻な魔方陣。そして、その繊細さからは想像もできない豪快な火属性魔法。
マケス大陸広しといえども、ここまで完成された魔法を扱う者は、やはり珍しい。そしてその中でも、このタイミングで、フィアーゼには攻撃せずに和人たちにだけ攻撃する人物と言えば、ただの一人しか思い浮かばない。
振り返ったフィアーゼの前にいたのは、果たして――
「父……上……」
十二騎士団紅蓮騎士団団長――マクミリアン・オード。「炎神」の二つ名を持つ、ミリシア最強の呼び声高い男が、憤怒の形相で立っていた。




