神薙流
背後で何かフィアーゼが叫ぶ声が聞こえたが、和人はすでに聞いていなかった。
眼前に構えるオレス軍の兵士たち。そこに向けて、徐々に意識が細く張りつめていくような感覚。
無謀に見えた突進だが、和人は冷静に敵を見つめていた。幼いころから道場で仕合いをしていた時間が一番長かったせいか、この瞬間こそが、和人の最も頭のまわる瞬間であった。
(Zで機先は制した。……が、もう一つインパクトが欲しいな)
Xを使う、と言う選択肢が一瞬頭をよぎったが、和人は即座にそれを却下した。
戦闘と言うものは、最終的には条件反射であると和人は思っている。頭を巡らせるのは戦闘を始める前で、戦闘に入ればいちいち考えてなどいられない。それはもちろん、敵の攻撃を思考を別の部分に割きながらかわせるものではない、と言う理由もあるにはあるが、それだけではない。
というか、和人ほどのレベルになると、銃ならまだしも剣相手であるならば、ある程度の敵ぐらい考え事しながらでも倒せる。
和人が「戦闘とは条件反射である」と思うその最たる理由は、戦場が予測不能にうごめく一個の生き物であるからだ。
思考している間にも、戦場は――戦況はめまぐるしく切り替わる。思考する、と言う1つのプロセスが挟まるだけで、わずかに、しかし致命的に遅れる。
脊髄反射で刀を操れ、とは和人の父、双玄の台詞であるが和人もそれには同感である。結局のところ、戦いにおいて行動の選択の根幹となるのは、今までに自分が培ってきた経験なのである。
そう、経験。今まで積み上げた数多の戦いの、その結晶。
和人がこれから行うのは、和人が幼いころからずっと行ってきた、刀を用いての対人戦闘である。確かに敵の数は少しばかり多いが、しかし根っこの部分は変わらないのだ。今までの和人の経験が物をいうのは明白である。
そして、今までの和人の戦闘スタイルに『銃』と言うものはなかった。そこに新たなものを加えてしまうと、戦闘に若干のすきが生まれる。経験に基づくことができなくなるのだから、当然だろう。
そういうことは訓練や模擬戦の中でやることであって、今のような実際の命のやり取りの中で行うものではない。故に和人はXを使うことを選択しなかったのだ。
(だったら――)
和人はそこまで思考した後、体を低く沈めて、腰の刀に手を添えた。これ以上の考えは必要ない。あとは戦場の空気に身を任せるのみ。
「――ッ」
加速。周りの景色の流れが速くなる。一瞬で敵の懐に入り込む。
「んなっ!」
オレス軍の兵士が驚きの声を上げる。彼らの目には、和人の姿が一瞬消えたように見えたことだろう。
別に人の目で追えないほどの動きをしたわけではない。速さは常人離れしているが、さすがにそれほどまではない。
ただ、和人は一度立ち止まっただけだ。立ち止まり、もう一度走り出しただけである。
人間に限らず、基本的に速度と言うものは徐々に上昇していくものである。少なくとも、0から100に持って行けるものではない。
しかるに、和人の実家である道場の流派――神薙流の創始者の考えは至極シンプルだった。
曰く、「誰にもできないのなら、俺が初めてできる人間になればいい」。
あまりにも馬鹿げたことだが、真に恐るべきなのは彼がそれを成し遂げてしまったことだ。
神薙流歩法・水鏡門
これこそが、神薙流の基本であり、奥義である。神薙流に属する者は、まずはじめにこれを会得し、生涯この歩法を磨き続ける。
さて、この歩法を行うとどうなるのか。
そう、先ほどの和人のように、まるで消えたように見えるのである。
一度足を止めることで、敵は「止まった」と認識する。そしてその認識が敵の脳にたどり着いた時にはすでに敵のもとにたどり着いている。
この歩法を用いれば、一時的にではあるが銃の照準も狂わせることもできる。神薙流の門徒たち――つまりは零隊のメンバーが、銃弾飛び交う戦場に刀一本で飛び出せるのは、この歩法によることが大きい。
閑話休題。
敵の目前にまで迫った和人は、流石に敵が体勢を持ち直すのを待つほど悠長ではなかった。
しかし、ただこのまま剣を振りぬいたのではインパクトに欠ける。
だから――
「疾ッ――!」
抜刀――斬撃――納刀。一連の動作を刹那の間に行う。速度を最も重視する神薙流の中で、歴代最高峰のスピードを持つ和人の、神速の居合。
神薙流陽刀一式・霞風
「がっ!」
うめき声とともに赤い花が散る。はたから見れば、ただ和人が通り過ぎるだけで、男が切り裂かれたように見えただろう。
「――なっ」
一瞬、あまりに常識の埒外の光景だったためか固まったオレス軍の兵士たちに、和人は容赦なく追い打ちをかける。
「ふっ」
軽く息を吐き――
神薙流陽刀一式・霞風
その斬撃は、不可視故に回避不可。瞬く間に、二、三人のオレス兵が崩れ落ちる。
「ひぃ」
息を呑んだのか吐いたのかよく分からない悲鳴が、オレス兵たちの中から響く。あとは堰を切ったかのようだった。
「う、うわああああ」
悲鳴を上げて、オレス兵たちは次々に逃げ始める。数の上では、オレス兵たちの方がまだ圧倒的に優位であったが、そんな計算をできる余裕が彼らにはない。彼らの頭にあるのは、ただただ目の前の黒髪の青年から逃げることだけだった。
「――ふぅ」
和人はそれを追いかけることはせず、軽く息を吐いて足を止めた。「さてと、あっちは大丈夫かな?」
振り返った和人の視線の先では、三人に囲まれたフィアーゼがいた。




