百地和人という男
(……さすがにいい気分じゃないな)
天幕から出た和人は、そう嘆息した。
しかし、それは仕方のないことだ。和人は生き残るための最善の策として、オレス軍に組み込まれることを選んだ。そのために、セシリアたちを傷つけることになるのは、当然だった。
一度目をつぶり、開ける。そうやって気持ちを切り替えると、和人はこの軍の責任者のもとへ足を向けた。
「どうした?」
和人が天幕の外から声をかけると、責任者である偉丈夫はすぐに出てきた。どうやら酒を飲んでいたようで、顔が少し赤い。しかし足元はしっかりとしているし、声も明瞭だ。さすがに節度というものはわきまえているらしい。
「セシリア第一皇女が目覚めました」
「そうか」
無表情に言った和人に偉丈夫はそう返すと、セシリアたちのいる天幕へと歩きだす。和人は特に何も言われずとも、その横に並んだ。
「お前……」
「なんでしょう」
「……いや、なんでもない」
偉丈夫は苦虫をかみつぶしたような表情で、そう言った。おそらく、今自分がしようとしていることは、人に見られたらまずいことだと思ったのだろう。それでも「なんでもない」と言うにとどめたのは、断る文句が思い浮かばなかったからだ。拘束されているとはいえ、セシリアたちは敵なのだ。彼女らのもとに責任者が赴くのに、護衛もなしの一人きりと言うのはいかにも不自然である。
偉丈夫と和人はお互い黙ったままだったが、セシリアたちのいる天幕の前で偉丈夫がふと声を上げた。
「――そうだ、和人」
「はい」
「魔導士たちの姿が先ほどから見当たらないのだが、何か知らないか?」
「ああ、それならいまだ帰らない隊長を探しに行ったようですよ」
「そうか……最後に一度だけ聞くが、お前らのもとにオレス人の魔導士は現れなかったんだな?」
「ええ、そんな人は現れませんでしたよ」
「……そうか」
偉丈夫はそう言った後、しばし考え込んだが、やがて首を振った。どうやら考えることを放棄したようだ。そしてその顔を、もう一度和人に向けた。
「おい、分かっているだろうが――」
「今からあることは、絶対に他言無用、でしょう?」
「ああ。分かっているならいいんだ」
「はい。その程度は心得ています」
和人がそう言うと、偉丈夫は一つ頷いて天幕の中に足を踏み入れた。
「――貴様……」
天幕の中では、フィアーゼが気丈にもこちらを睨みつけていた。セシリアは真っ青になっておびえている。
偉丈夫はフィアーゼの顔を一目見て、その瞳に宿した強い抵抗の意思を鼻で笑って、舌なめずりを一つした。
「お姫様に騎士さまよぉ」
「な、なによ!」
「おうおう、いいねぇ。そのくらい元気だと、こっちもやりがいがあるってもんだ」
下卑た笑みを顔に貼り付けて、偉丈夫はセシリアたちににじり寄っていく。セシリアとフィアーゼはずるずると下がるが、拘束されている以上その動きは鈍い。
それを分かっているのだろう。偉丈夫はまるでじらすように、ゆっくり近づいていく。いたぶり蹂躙することを楽しむようなその顔は、まさに醜悪の一言に尽きた。
「き、貴様!騎士としての誇りはないのか!」
「ん?ああ、俺はこの軍の責任者を任されてはいるが、農民の出だ。騎士様とやらの正義感とは縁がないんでね」
「そのような者を登用するとは、オレスはよほど愚かな連中しかいないらしい」
「それはせめてもの抵抗のつもりかもしれないが、俺はあいにくと国への忠誠心は低いのでね。生きれりゃどこでもいい。俺はオレス人だからオレス軍にいる。それだけだ」
「くっ……」
偉丈夫の言葉にフィアーゼが小さく歯噛みする。話が通じないと思ったのだろう。それは正しい、と和人は思った。
立場も主義も違う人間と、まともに会話ができるはずがない。こちらとは常識、倫理、その他もろもろ全てが違うのだから、当然だ。
「それ以上、近づくな!」
「おいおい、そんな口きいても、俺がしたがう理由がどこにあるよ?」
「それ以上近づくのなら――」
「なら?」
「し、舌を噛み切って死んでやる!」
「はっはー、威勢がいいねぇ。だが、騎士さまが死のうがやる分にはまったく差支えねえなぁ」
「き、貴様……!」
フィアーゼが悔しげに顔をゆがめる。隣でセシリアが真っ青を通り越して蒼白になった顔で、ゆっくりと口を開いた。
「ミ、ミルミナスよ――」
「ああっ?」
「ひっ」
声を荒げた偉丈夫に睨まれ、セシリアが短く悲鳴を上げる。偉丈夫はそれを見て、にやりと笑った。
「なんだぁ?お姫様はもしかして、世界神信仰なのか?しっかし、こんな時に信者を助けてくれないとは、世界神様も冷てえなぁ」
ニタニタと笑いながら、セシリアに近づいていく。どうやら今のやり取りで、セシリアと先にやると決めたらしい。それを察したのか、フィアーゼがあわてて口を開く。
「き、貴様!それ以上セシリアに近づいたら――」
「うるせえ!てめえは黙ってろ!」
声を荒げてフィアーゼを黙らせると、偉丈夫はまた口調を和らげた。
「そう焦るなよ、騎士さま。あんたも後でたっぷり可愛がってやる。だが――」
偉丈夫はそこでセシリアに視線を戻しながら、言った。
「だが、まずはこっちだ」
「い、いや……」
ふるふると首を振るセシリア。それに頓着せず、偉丈夫は徐々にセシリアに迫っていく。
「や、やめて……」
「お姫様もどうせ、ミリシアへの見せしめに処刑されるんだ。あんたの両親は優秀だが、娘には甘いらしいからな。城の前で処刑してやれば、怒り狂って出てくるんじゃないか?」
偉丈夫はそこまで言って「だから、」と続けた。
「だから、死ぬ前に男を知っとくのも悪くねえだろ」
そう言って、一気にセシリアの服に手をかける。その眼前に、すっと手が差し出された。和人だ。
「ああん?」
「お召し物を」
「ああ、そうか。悪ぃな、さっきから。お前も後で存分に――」
偉丈夫は最後まで言葉を続けることができなかった。それも当然のことだ。
銀閃一閃。
偉丈夫の首が転がった。その顔に浮かぶのは、驚愕の色。数瞬遅れて、体もどっと倒れる。
「……え?」
「……は?」
セシリアとフィアーゼが驚愕の声を上げる中、和人は軽く息を吐いた。
どうやら、作戦通りに事を運べそうだった。




