裏切り
「……うっ」
短いうなり声とともにフィアーゼは目を覚ました。地面に横たえていた体を起こそうとして、すぐに失敗する。両手両足が縛り上げられていたためだ。
気づくと先ほど来ていた鎧をフィアーゼは着ていなかった。一般の民が着ているような、布一枚の粗雑に作られた服を身にまとっている。
頭はぼんやりしているが、意識を失う直前の出来事は鮮明に覚えていた。
和人の「獰猛」ともいえる笑みに危険を覚えたのと、彼の手刀が後頭部に入り込むのが同時だった。痛みはなく、ただ急激に瞼が重くなり、膝がかくんと落ちた。気絶されるのは初めてではなかったが、あそこまで鮮やかに無力化されたのは初めてだった。
油断した、とフィアーゼは思う。オレス軍という分かりやすい敵を前に、落ち着いた物腰でセシリアをなだめる和人を見て、どこかで自分も安心してしまった。和人のことを無条件で自分を助けてくれる味方だ、と思ってしまった。和人はその一瞬の警戒のすきを見逃すことなく、こちらに牙をむいてきた。フィアーゼにできたのは、閉じていく意識の中で和人に気絶させられるセシリアを見ることだけ――
そこまで思考して、フィアーゼはあわてて周囲を見回す。
「セシリア!」
「――ん、うう……」
呼びかけるとすぐ隣で反応があった。あわてて見ると、セシリアもフィアーゼと似たような恰好で、フィアーゼの隣に転がされていた。ただしまだ意識は戻っていないらしく、少し身じろぎしただけで目を閉じたままだ。
フィアーゼはセシリアが無事であったことにほっと息をつき、次いで目と口の自由は許されていることに気付いた。同時に思う。
ここはどこだ?
自分たちが転がされているのはただの地面だが、ただの路上というわけでもない。天幕の中だ。
フィアーゼがいぶかしげに目を細めたのと、その答えが天幕の中に入ってくるのが同時だった。
「さてと……ん、騎士様はお目覚めのようだな」
テントの中に入ってきた偉丈夫はそう言うと、口角をにっとつり上げた。一目で「できる」と分かるたくましい体つき、粗野な風貌。だがいま大事なのはそこではない。
男の着ている鎧――その胸元に燦然と輝くのは、オレス帝国の紋章。
(まさか和人が――)
フィアーゼがそう思ったのと、その思考が裏付けられるのが同時だった。
「おや、フィアは起きたようですね」
そう言って入ってきたのは、右目を眼帯で覆った和人だ。テント内の偉丈夫に一礼してこちらに歩み寄ってくる。フィアーゼはキッとその顔を睨んだ。
「貴様、私たちを売ったな」
和人は答えない。ただただ無感情にフィアーゼを見つめるだけだ。その代わりに、オレス帝国軍人と思われる偉丈夫が口を開いた。
「むしろ、なぜ君たちがこの男を信用していたのかが俺には理解できんがな。どう見てもオレス人ではないか」
嘲っている、というより心底から不可解だというように偉丈夫が告げる。フィアーゼは男の質問には答えず、逆に尋ねた。
「すべて貴様らの作戦どうり、というわけか」
それならば納得できる、とフィアーゼは思った。オレス帝国は五大国の中でも、特に武力に長けた国で、最近は他国にはない兵器の開発に躍起になっている、という噂だ。それが本当ならば、和人のあのウンディーネという武器にも納得がいく。和人の狙いは初めから、フィアーゼ達だったわけか。
しかし、フィアーゼのその思考を裏切るように、偉丈夫は「いいや」と首を振った。
「俺たちの策じゃねえよ。だいたいここまで勢力差があるんだ。わざわざ策を巡らす必要はねえ。堂々と正面からつぶすつもりだったさ」
「……なに?では――」
「ああ。斥候からお前たちの居場所を聞いて、出発してすぐに和人が現れたときはびっくりしたぜ。何せ、こちらが狙っていたお姫様とあんたを気絶させて、担いできたんだからな」
「――怪しいとは思わなかったのか?」
フィアーゼがいぶかしげに尋ねる。その話が事実なら、この偉丈夫――いやこの部隊は、フィアーゼ達と一緒に山を降りてきた和人を、ただフィアーゼ達を連れてきた、という一点だけで信用したことになる。不用心にもほどがあるのではないだろうか。
「ああ、最初は俺たちも怪しんだ」
偉丈夫はそう答えると「でもよ」と続けた。
「こいつの目は赤色。それ以外に理由はいらないだろう」
瞳の色は国籍を表す絶対の証。それがマケス大陸の常識だ。しかし、和人たちは大陸外から来た者であり、マケス大陸の常識は通じないのである。フィアーゼはすぐにそのことを主張しようとして――唇を噛んで黙った。
和人たちを大陸外からの住人と決める、その証拠が何もない。フィアーゼやセシリアが和人たちの主張を信じたのは、ウンディーネの圧倒的な力を見たから。そして、あのベルセリオンを倒すところを見たからに他ならない。非常識にもほどがあるこの二つの出来事を目にした直後では、和人たちが大陸外の騎士だということはそれほど衝撃ではなかった。むしろ納得したくらいだ。
あんな非常識な力を持つこの男は、自分たちの常識の外にある場所から来た人間なんだ、と。
しかし、それはあくまでもフィアーゼ達の立場の話である。この偉丈夫からすれば、フィアーゼの言う「大陸外から来た者」というセリフの方が、和人の言葉よりはよほど信じられないだろう。ウンディーネの威力を見ればその考えも吹き飛ぶかもしれないが、和人が素直に見せるわけがない。しかもよく見れば、和人の腰からは二兆のウンディーネが消えていた。どこかに隠しているようだ。これでは、そもそもそんな武器があることを主張できない。
状況を打開できる考えが浮かばず、言葉に詰まったフィアーゼの前で、偉丈夫がゆっくりと立ち上がると、和人に顔を向けた。
「お前はしばらくここでこの二人を見張っていろ。お姫様が起きたら、俺を呼ぶんだ」
「分かりました」
和人が深々と頭を下げる。偉丈夫はそれに鷹揚に頷くと、テントの中から出てった。
テントの中に沈黙が落ちた。しかし完全な静寂と言うわけでもなく、外からはおそらくオレスの兵士たちだと思われる声が聞こえる。
フィアーゼはしばらく黙って和人を睨んでいたが、和人はこちらを見向きもしない。こらえきれなくなったフィアーゼは、ゆっくりと口を開いた。
「貴様、自分が何をやっているか理解できているのか?」
怒鳴ることはなかったが、静かに問うフィアーゼ。またも無視されるかと思ったが、意外にも返事があった。
「もちろん分かっているよ。君たちをオレス軍に引き渡して、オレス人としてオレス軍に交じってる」
和人はそう言うと、何のためらいもなく、淡々と続けた。
「成り行きで君たちを助けて同行していたけど、俺たちは別に君たちの国に仕えたわけじゃない。こっちの命が危険にさらされたなら、より安全な方に付くまでだ。それに俺たちの片目はオレス人の瞳の色と同じだからね。こっちの方がすごしやすい」
確かに和人の言うことは理にかなっている。それこそ冷たすぎるほどに、計算的で情を排した意見だ。
「……外道め」
「否定はしないよ」
和人はさらりとそう返した後「でも、」と付け加えた。
「それはかなり、勝手な批評だと思うけど?」
「……」
それは言われずとも、フィアーゼにも分かっていた。先ほど和人が言ったように、和人たちはミリシア皇国に仕えたわけではない。和人たちとフィアーゼ達が行動を共にしていたのは、むしろフィアーゼ達が命を助けてもらった礼をするためだったのだから。
つまるところ、和人がフィアーゼ達を助ける義理はないのだ。
黙りこくったフィアーゼに、和人は何も言わず、その隣で眠るセシリアに目を向けた。
「そろそろ起きてもらわないとなぁ」
「……セシリアを起こして、それでどうするつもりだ?」
「本当に、分からなくて尋ねてる?」
「……」
和人はため息をつくと、それ以上はフィアーゼと問答を続けることなく、セシリアの肩を揺さぶった。
「セシリア様、起きてください」
「……ん、うう」
もともと浅い眠りだったのだろう。セシリアはすぐに身じろぎをして目をうっすらとあけた。
「ん……和人、さん……?」
「はい。おはようございます、よく眠れましたか?」
「え?……あ」
そこでやっと、セシリアは自分の状況――そして、和人に気絶させられたことを思い出したようだ。あわてて立ち上がろうとして、しかし両手両足を縛られているために果たせなかった。代わりに和人に問う。
「ここは……どこですか?」
「おそらくセシリア様の予想どうりの場所ですよ」
「やはりオレスの……」
「はい。セシリア様を捕縛するために動いていたオレス軍の中です。あ、私は現在オレス軍の兵士となっています」
「そう……ですか……」
セシリアが半分うなだれるようにして頷く。それを見た和人が、少し目を見開いて言った。
「……意外ですね。てっきり罵倒されると思っていたのですが……」
「いえ……和人さんには助けていただいただけで、こちらからは何もしていませんから。むしろ、和人さんたちがオレスに付くのは当然のことです」
「いや、まあ……そうなんですけどね……」
和人はそこで言葉を切ると「やりづらいなあ……」とぼやいた。その後、何かを振り払うように頭を二、三度振って「さて」とつぶやいた。と同時にフィアーゼ達に背を向ける。
「どこに行くつもりだ?」
「ん?この軍の責任者のところだよ」
フィアーゼの問いに、和人は背を向けたまま答えた。
「ほら、フィアはさっき聞いてたでしょ?」
「呼んで、どうするつもりだ?」
先ほどと似たような問いを再度投げかける。先ほどと同じような返しが来るかと半ばあきらめながらの問いだったが、和人の返しは違った。
「戦闘はなかったとはいえ、目的であったセシリア様を捕獲できた。いくら主従関係が成立しているとはいえ――そしてこの作戦がいくら成功間違いなしだったとはいえ、人を動かす以上は、やはり何か人を動かし得るだけのものがいる。――つまり褒美、報酬だ」
相変わらず背中を向けたままで、感情のこもっていない淡々とした声音で和人が言う。その内容はフィアーゼにはもちろんのこと、王族として――人の上に立つ者として君主論などを叩きこまれているセシリアにも、当たり前でわかりきったことだ。
そんなことは和人にも分かっているだろうが、それでも和人は丁寧すぎるほどに丁寧な説明を続ける。
まるで言い聞かせるように。まるで――フィアーゼ達の逃げ場を塞ぐように。
「当然のことだけど、兵として集められる者のほとんどは、王族なんかとは一生かかってもお近づきになれない者だ。そんな兵たち――いわば野郎どもに王族の姫様を捕らえる任務を命じるときに、どういう報酬を用意すると思う?」
「……っ」
セシリアが小さく息を呑む。和人の言わんとすることを察したのだろう。最初からそうなるであろうことを予測していて、それでも一縷の望みをかけていたフィアーゼは少しうなだれた。
和人の言いたいことは明確だった。
「……オレス軍からしたらおいしいもんだろうな。どうせ処刑する姫様を差し出すだけで、金も何も出さなくて済むんだから」
情も何もないその言葉を最後に、和人は天幕から出ていった。




