策
五百の兵に退路を塞がれている。
その衝撃的な事実を前にして、真っ先に動き始めたのは和人だった。
「敵に魔法使い――魔導士だっけ?は、いるのか?」
まず何事にも大切なのは、情報収集である。和人の頭はすでに、次へと切り替えていた。
そしてフィアーゼもまた、騎士として――戦闘することを生業とする者として、この場で何も手を打たずに嘆いていることの危険性を理解している。和人の問いに、フィアーゼがほぼ即答の形で答えられたのは、当然と言えば当然だった。
「魔導士はいるにはいるらしいが、熟練した使い手というわけではないようだ。先ほどの男が、魔導士たちのまとめ役だったらしい」
「まとめ役?なんでそんな偉いやつが、単独で襲ってきたんだ?」
「なんでも、魔導士数名で先行していたところで私たちを発見し、残りの者は報告に帰らせたらしい。先ほどの男しか『インブリッド』が使えなかったようだな」
「ってことは、少なくともこちらの位置は、もう敵にばれてると考えたほうがいいな」
「ああ、ついでに四人しかいないこともな」
先ほどまでは和人を敵視していたフィアーゼだが、さすがにこの緊急事態に感情的な確執は引きずっていない。何より、幼いころから騎士として育てられたとはいえ、フィアーゼの実力は騎士としては半人前である。とてもではないが、複数人を相手にしてうまく立ち回ることなどできない。さらに同行者は、皇女であるセシリアと、いかにもほっそりとして荒事に向かなそうな木崎の二人だ。
はっきり言うと、和人しか頼る人物がいないのである。
和人とフィアーゼが情報を共有し終わる頃に、やっと衝撃から回復したらしい木崎が、和人に尋ねた。
「勝算はあるのかい?」
「無くてもやるしかないだろ」
和人は吐き捨てるように答えると、腰のホルスターから二丁のウンディーネを取り出す。
「これ、残弾はどうやったらわかるんだ?」
「ああ、側面にある竜の模様。そこが淡く光ってるかい?」
「ん?ああ。つっても、Zは半分くらいしか光ってないけど」
「それが残弾数を表してるんだ。Zは最大で六発ぐらいだから、今の残弾数は三発くらいかな」
「Xは?」
「最大で二十発。ただ、非常に微量な水しか使わないから、すぐ弾は回復する。よほど無理しない限り、弾は尽きないと思うけど……」
和人は続きを言い渋った木崎に、「分かってる」と頷いた。
今から行う戦闘はよほど無理なことをしなければ、生き残ることはできないのだ。それを分かっているゆえか、木崎はまるで励ますように和人の背中に手を置いた。
「申し訳ありません」
突然響いた謝罪は、セシリアが発したものだった。
「私がいなければ、和人さんたちやフィアをこんな目に合わせることもなかったのに」
微量に震えを含んだ声に、木崎は和人の背中に視線を落とし、フィアーゼも反論する言葉が見当たらず、歯がゆそうな表情をしている。
そして和人は、淡々とそれに答えた。
「気にする必要はありませんよ」
「そんな……!」
「確かにいま私たちは窮地に立たされていますが、私はむしろ、今回は運が良かったと思っているんです」
「運が……良い?」
信じられない、というように目を丸くするセシリアに、和人は続ける。
「もともと私たちは、何の準備もないままに敵と遭遇するはずでした。しかし、運よく敵を捕らえることができ、敵の正体、および敵の様子まで知ることができました。この差は非常に大きなものです」
二丁のウンディーネを腰のホルスターに戻した和人は、「だから、」と続けた。
「だから、私たちは生き残れる。――いや、生き残らなければなりません。こちらに運が向いているならば、それを利用しない手はありません。大丈夫、策はあります」
「は、はい!」
絶対に生き残る。和人のその力強い宣言に、セシリアは救われる思いだった。なんといっても、和人はあの魔王を破った竜王――ベルセすらも倒した存在なのだから。
涙腺に涙すら浮かべて頷いたセシリアに、和人はそこで初めて、ふっと笑みを浮かべた。
ひどく、残忍な笑みを。
「うっ……!」
ずるり、とフィアーゼが崩れ落ちる。蛇のようにしなった和人の左手の手刀が、首の後ろを正確にとらえたのだ。
「え……?」
思わず頭が真っ白になったセシリアに、和人は慈悲もなく、一瞬で接近する。
「言ったでしょう?私たちは生き残らなければならない。そして策はある、と」
甘く、ともとれる声音で和人が囁く。と同時に、セシリアの後頭部にすとんと手刀がめり込んだ。後頭部にじんわりと熱が広がり、瞼が落ちる。
「う……あ……」
意識を失う直前、セシリアの目は最後にとらえたのは、和人の左目。
オレス帝国を示す、赤の瞳が鈍く光った。
「で、どうすんだ?木崎さん」
意識を失ったセシリアを左手で受け止めると、和人はそう木崎に尋ねた。
策はある、などと言ったが、実のところ和人は大した策を持っていたわけではない。第一皇女であるセシリアをオレス軍に差しだすことで、オレス軍に組み込んでもらえるかなあ、と思ったには思っていたが、さすがにそこまで外道ではない。それに、裏切りというのは、えてして下策となるものだ。
Zを撃ち尽くすことで正面突破する。和人が賭けともいえる判断を下したのと、木崎から指示が飛んできたのは同時だった。最も指示と言っても口頭ではない。背中に一定のリズムで指を打ち付けることで送る、日本軍独自の暗号法だ。
もちろんそんな方法では、多量の情報を送れるわけがない。木崎から和人に送られた指示も、簡潔極まりない物だった。
『気絶させろ』。その指示に和人は忠実に従い、二人を気絶させた。が、肝心の木崎の狙いについてはまだ分かっていない。だからこそ和人は木崎に「どうするんだ?」と尋ねたのだ。
木崎は和人の問いに「ふむ」と頷くと、次いでにやりと笑った。
「和人くんは、さっきのセシリア様の話を覚えてるかい?」
「さっきの?」
「そう、国ごとに瞳の色が異なるって話だよ」
「ああ、覚えてるけど……ってことは、この二人を手土産にオレス帝国とやらの部隊に入り込むのか?」
和人の問いに木崎は答えず、その視線を和人の右腕に向けた。
「和人くん」
「ん?」
「右腕、怪我してるのかい?」
「……はっ、木崎さんには敵わないな」
和人はそう言うと、右腕をフラフラと振って見せた。
「動かせないほどじゃないし、そんなに心配はいらないよ。もう一回ベルセみたいなやつとやり合うとなると厳しいけど」
「あの竜と一対一でやりあって、それぐらいの怪我で済んでるのが恐ろしいよ」
木崎は半分冗談、半分本気を含んだ声でそう言うと、声音はそのままで続けた。
「んじゃ、ちょっと汚い手でも使おうか。和人くんには一芝居うってもらうよ」




