009 夢の終わり
鞍和善哉は、勉強の虫になった。ネット通販で買ってもらえたゲームは、1日1時間とされていたが、今は1日30分程度にしてしまった。もっと夢中になれるものが見つかったからだ。「夢」を見つけられたのだ。その「夢」に向かって、善哉は驀進中であった。
鞍和家の両親とは、これまで通りの関係を維持していた。別に息子に対して無関心であった訳ではないが、変化に対しては無関心であった。悪意のある「無関心」では無くて、時間的余裕もなければ、精神的余裕もない中での、「無関心」である。ビッグなプロジェクトがあり、そこにかかりきりになっており、息子の変化に対して気が付かないままであった。
人生は1度きりだ。その1度きりの人生、全部賭ける対象が見つかった。鞍和善哉、小学校2年生の男子が全てを賭ける「夢」とは何ぞや。子供にとって永遠の「夢」の玩具、テレビゲームを越える「夢」である。1度きりの人生を、この一時に賭ける。
その原動力は、「愛」である。東京に行く。そこで日本一の大学に行って、たくさん勉強して、日本一の会社に入社して、自分の好きな「女」と一緒に暮らすのだ。
世界一可愛くないツインテール。塚本美玖。彼女こそ、自分が守るべき女だ。守るのには、自分が強くならなければならない。でも、強くなるのには時間がかかる。「楽な仕事はない」と言う彼女の言葉通り、強くなるのにも楽な方法はない。自分に何が出来るのか。どうすれば強くなれるのか。一番堅実で、一番分かり易くて、一番時間がかからないのが、「勉強」である。
言うてもまだまだ小学校2年生の男子生徒には、そこまで勉強に対する意識はなかった。取り敢えず、学校の教師に自分の「目標」を伝えて、如何すれば東京の大学に受験できるのか、色々と相談した結果、取り敢えず今は基礎的な学力を身につけて、応用問題よりもそっちを優先するべきだと説明された。
言うてもまだまだ小学校2年生、文系と理系の違いも分からず、自分の中で何が得意で何が不得意なのかも分からない。であれば、先ずは基礎的な学力から固める事から始めた方が良い。
「夢」は語らず、「目標」のみを伝えたのだが、もし「夢」まで伝えていたら、鼻で笑われたかも知れない。あの「世界一可愛くないツインテール」と呼ばれている女子の為に、人生全部棒に振って勉強しても良いと言うのは、「禿げ婆」と呼ばれている担任教師からすれば、それこそ「ゲーム」以下の夢であり、「そんな寝言を言うくらいならばけん玉で遊んでいろ」と言われそうな「夢」である。
でも、善哉男児は本気であった。自分の人生全部賭けても良いと思っていた。そして、それで人生は充分に満ち足りると悟っていた。人生は1度キリだ。であれば、1度に見るべき夢は1つ限りで良い。あれもこれもと欲張れば、無理が出る。この1時に賭けられる「夢」があればいい。
しかし、事実は小説の様に残酷である。最悪な形で、鞍和善哉の「夢」は粉々にされてしまったのである。
夏休みに突入して、そろそろお盆休みに入ろうという時期に、鞍和家の夫婦はパーティーを開いていた。善哉男児は、何をそんなに祝って喜んでいるのか、サッパリ分からなかったが、母親が事態を要約して説明する。
「お父さんの農業関係の事業が高く売れたから、そのお金で次の事業を始める為に東京に行く事になったのよ」
青天の霹靂。唖然・茫然・自失の念。突然の超展開に、善哉の理解が追いつけなかった。
「御免ね、今までこんな何の娯楽もない街で暮らさせて。でも、お盆休みの内に準備を済ませたら、東京で暮らせるのよ。パパの事業が成功すれば、次は海外へ行けるかも知れないのよ」
「おいおい、そんな大袈裟なことを言うな。第一、東京の事業が失敗したら、この街に逆戻りなんだぞ? これからも頑張って、善哉を東京の大学に通わせてやるんだ。こんな街で時間と金を潰すよりも、東京に行ってやりたい様にやらせてやりたいんだ」
「あらぁ、それじゃあ遊ばせるって言うの?」
「まだ小学2年生だぞ。遊ばせて何が悪い」
もしこの手に「銃」があるとする。そして、この世界を創造している存在が、「神様」が居るとする。「銃」にもし弾丸があって、こいつを誰にでも撃ち込めるとする。であるとすれば、迷う事なく彼は「銃」で「神様」の頭をぶち抜いている。こんな糞展開なんか捻じ込みやがって。こんな糞展開を浴びせて、何を学ばせるつもりなのだ。「人生は何が起こるか分からない」、とでも教えたいのか。それでこんな鬱展開を持ち込んで、何を伝えたいのだ。何を感じさせたいのだ。理不尽な現実をぶつけてきて、それで人が救われるのか。
もう何も信じられない。もう塚本美玖の事なんて、考えたくもない。こんな形で「夢」が砕かれるなんて、分かっていたら、1日1時間ゲームでもしていた方がよっぽどマシな展開であった筈だ。
でも、このまま別れるのは嫌だった。最後は、せめて挨拶くらいはしてこよう。そう思って、塚本美玖が引き取られている家庭、寺澤光吉と真由美の夫婦に会いに行った。「世界一可愛くないツインテール」は、その家に居た。
「だから、俺、お盆休みが終わる頃には、もう東京に行っているんだ」
「良いじゃない。ここに居るよりマシじゃないの? それに、あんたのお父さん、やり手みたいね。この何にも無い街で会社を高値で売れるなんて、東京で大成功すれば、次は海外展開なんて、嘘じゃないかも知れないわよ」
「でも、俺、もっとここに居たかった」
「何で?」
「……俺……俺……いや、何でもない。短かったけど、楽しかった」
「何よ、まるでこれから死んじゃう人間が言う様な台詞ね」
そう言う塚本美玖は、確かに「世界一可愛くないツインテール」であった。その強烈な印象を他人に与える三白眼が見ている先にあるのは、何なのだろうか。そんな事、もうどうでもいい。もうあと少しで、こいつとは違う世界にて暮らす事になるのだ。そうなったら、もう千年の恋も終わりだ。
寺澤家は、仕事がある日は流石にコスプレはしないで、作業着を着てキャベツを相手に大地と天を相手に気の長い仕事に没頭していた。夏のかき入れ時に、寺澤家は養女の面倒を看ながらも仕事に従事していた。大人の鑑である。その養女の塚本美玖は、自分を想ってくれていた男児に告げる。
「あんたは生きるんだよ。堂本直也は「夢」を捨ててから、自分の「命」も捨てた。あんたは生きるんだよ。この国の何処でも良いから、もっとシケた街であろうと、都会だろうと、何処でも良いから、生きるんだよ」
「誰が死ぬものかよ」
「なら、あんな事、言ったら駄目だよ、もっと自分の事も大事にしないと駄目よ。あんたには未来がある。私は、ここで生きる。あんたは、東京で生きる。今はそれだけを考えて生きなさい」
「お前も、何でも分かっている様なしゃべり方、止めた方が良いぜ」
「御免ね、こう言う性格なんだ」
もうその頃には、鞍和善哉の心の中に、塚本美玖の存在は消えて残されていなかった。結局、彼の「夢」は不本意な形で実現されて、終わった。それでも、勉強だけは止めないで続けよう。そして、ゲームは1日1時間だ。




