008 夢を抱け
ここじゃない何処かに行きたい。今すぐ、ここから逃げたい。もうたくさんだ。
彼は常にそう思っていた。口に出さないのは、周りの大人に聞かれたら、明日からどんな扱いを受けるのか分からないからだ。完璧な恐怖支配であった。
この秋田県の松房市は、そんな街だった。人口が1万割ってかなり経つのに、後はもう死ぬのを待つばかりの動物の様に、その日が来るまでゴロゴロ寝ている、そんな街だ。
勿論、松房市は色々な方法でもって、「死」を免れようとしてきた。町興し、再開発、ご当地グルメ、観光業、全部失敗した。残ったのは借金だけだ。それでも破産しないのは、農業で特産物、南瓜やキャベツがあるからだ。お陰様で、如何にか潰れずに生き長らえている。
でも、それも醜い延命措置に過ぎない。なり手不足が早くも問題になり出している。もってあと10年か20年か、そんなところだ。ただ、暗澹たる気分になるのは、自分がこの街に10年も20年も居なければならない、と言う事実である。
小学校に辿り着くと、机が1つ増えている事に気が付いていたい。なんだ、また増えるのか。それから数分して、「禿げ婆」とあだ名がついている教師に連れられて、1人の女子がやってくる。
今日から一緒に勉強する事になる、塚本美玖です。さぁ美玖さん、皆に挨拶して。
「名前は塚本美玖、好きなものは私自身、嫌いなものはそれ以外。宜しく」
嫌な挨拶だ。挨拶と言うよりは、喧嘩を売りに来た態度だ。でも、ここまで自分自身を曝け出せるのは、正直、羨ましかった。自分の気持ちに正直なのは、この国では-ポイントである。人間関係の基本が「我慢」だとされている日本にて、この塚本美玖の居場所というのはあるのだろうか。
6人しか居ない2年1組にて、授業を受ける間に、世界一可愛くないツインテールは黙々とノートと教科書に向かう。内心、授業なんぞクソくらえと言う立場の彼も、この少人数で悪目立ちするのは良くないと思い、黙々と担任が黒板に書いた事をノートに書いていく。
給食は、限界都市らしく、貧相な献立であるが、世界一可愛くないツインテールは美味そうにガツガツと食べた。それこそ、周りがドン引きするペースで、ガツガツと食べる。ご馳走様を済ませると、残った時間でダラダラしていた。
彼は、鞍和善哉は、この塚本美玖にシンパシーを感じ始めていた。こいつは、何者にも支配されない態度を示している。ノールール・ノーリミットのマイペースであり、最低限度の義務をやっているだけで、後は好きにさせろと言わんばかりの傍若無人ぶりである。「可愛い女の子なんてこの世に居ない」と言う事実を知っている善哉は、この可愛くない女子に興味を抱いていた。
だから、下校時に思い切って声をかけてみた。
「一緒に帰らないか」
「道が同じなら良いよ」
二つ返事とは正にこの事、善哉は帰り道にて、この街の、松房市の悪口を散々に言う。
「この街、何にもないんだぜ。あるのはシャッター閉まった店か、畑くらいで、何もないんだぜ」
「畑があるだけマシよ。私の生まれ故郷は借金だけが残っていて、住民もどんどん逃げていたからね。それでも生きていけるんだから、人間って不思議よね」
美玖はそう言いながら、廃墟と空き家の間の子の様な元商店街を歩きながら、善哉に言う。
「あなた、何か夢があるの?」
「東京に行く。その為には、大学に進学しなくちゃ。日本一の大学に入るんだ。そうすれば、この街から抜け出せる。このままここで畑仕事して死ぬなんて、絶対嫌だ」
「そんなに畑仕事が嫌いなんだ」
「ああ、だってダサいじゃん」
「格好良い仕事なんて、この世には無いわよ。格好良く見せかけている仕事はあるけどね。楽な仕事なんてないのと同じよ」
「じゃあ、俺に畑仕事やれって言うのかよ」
「それはあなたの好きにしても良い。但し、格好良くて楽な仕事なんてない、これだけは本当よ。それが嫌なら銀行で銃持って強盗でもしてきなさい。さぞかし格好良いでしょう」
「……なんだか、「禿げ婆」と同じ様な事を言うのな」
「あの担任じゃなくても、そのくらいは分かるわよ」
「じゃあ、どうすれば良いんだよ、俺は」
「好きにすれば良いじゃない。好きにしていく内に、分相応な仕事に就いているでしょう」
「……何か、あったのか」
「彼氏がね、自分の夢を親に奪われて、自分で自分の人生を終わらせてしまったわ。音楽が大好きで、イギリスのロックフェスに出て歌うのが夢だったんだけど」
「すげぇ夢だな。ミュージシャンになるだけでも大変なのに、外国で歌おうってのかよ」
「歌なんてどんな音痴でも練習され諦めずに続ければ上手くなる。でも、彼は結局、夢を諦めてしまったわ。夢を諦めると言う事は、死ぬ事と同じだったのよ」
「なんだか、格好良いな」
「格好良いですって。彼は全然格好良くなんかないわ。唯一のファンだった私の為だけに歌い続けて欲しかった。私の為だけに歌うロック歌手で良かったのに」
良いなぁ。その美玖の元カレ。自分の命を賭けてでも惜しくは無い夢を持っていたのだ。自分にはそんなご大層な物は無い。でも、そんな生き方には憧れを抱いてしまう。無難な人生とは、実は最高の人生なのだが、この街で土を耕して生きるよりも良い夢を見つけられたら、それは最高に幸せな事である。
でも、それって本当は凄い辛い人生なのかもしれない。夢を持つのは良い。だが、実現しなかった夢は金と時間の浪費に過ぎない。コスパが悪すぎる。
この街は嫌いだ。ここで大人になりたくはない。でも、出て行くのに必要なのは、「夢」であり「目標」だ。それが見つけられなければ、自分もこの街に居続けるしかない。
……見つけてしまった。現時点で、最高の夢だ。現実的で、実現性も充分にある。この街から出て行けて、尚且つ幸せにもなれる。そして、イギリスのロックフェスに出る様な難しい、困難な条件はない。平坦な道のりでは無いだろうが、やってやろうじゃないか。人生は1度だけだ。賭けてやろうじゃないか。
でも、まだ口に出しては言わない。それはかなり、いや、物凄く恥ずかしい。その時が来るまで、伏せておいた方が良い。その為に必要なのは、勉強だ。兎に角、今日からガリ勉して、生まれ変わったつもりでやるしかない。
塚本美玖は、そんな鞍和善哉の燃え上がる気持ちに一切気が付かないまま、家路を歩き続ける。自分という存在が、他人の人生を替えてしまった事実に、彼女はまだ気が付いていない。




