006 折れた未来
春先の、新学期が始まってから2週間程度経った頃に聞いた噂が、全ての始まりだった。
「やたら態度が悪くて目つきの悪い新入生が来た」
と言われて、居ても立ってもいられずに会いに行った。想像通り、理想的なキャラクターだった。こいつなら、自分が抱えている「怒り」や、常に求めている「愛」を理解してくれる筈だ。
だから、卒業式の次の日に死ぬ予定の自分の、堂本直也の全てをぶつけてやった。自分が人生を賭けるつもりだった音楽で、ロックを聞かせてやったのだ。
自分でも分かっていた。お世辞にも、いや、聞いた途端に確信する。上手くない。下手くそ。いや、それ以前の問題。これでも、厳格な医師の唯一の長男として、隠れて音楽を独学で学んでいたのだから、当たり前だ。演奏だけじゃない。歌も歌詞もひでぇもんだ。とてもじゃないけど、他人に聞かせられるレベルじゃない。ライブ会場で大勢の前で聴かせたら、靴を投げられるレベルであるのは分かりきっていた。
でも、春の陽気が過ぎて、本州のそれに比べると緩い暑さの夏がやって来る頃には、唯一の聞き手であるこの新入生、塚本美玖の表情が変わっていくのが感じられた。それを文字に起こすと、「共感」であり、それは秋が近づく頃には「感動」に変わっていた。厳しい冬が来た時には、美玖は笑顔を浮かべていた。
そうだ、夢を追うのに、何かをやるのに、老いも若きも関係ない、遅いか早いかのどちらでしかない。たった1年、聴いてくれる人の為に頑張ってみただけで、こんなにも成長出来るのだ。
嫌だ。やっぱり、行きたい。ロックの本場、イギリスでロックフェスに出場して、歌う。今でこそたった独りしか居ないファンも、いずれは1万人、いや10万人まで増やしてやる。皆で歌って、踊って、叫ぶんだ。「愛」を。「怒り」を。医者になってからでは遅すぎる。絶対にやってやるんだ。何もしない内に死ぬなんて、絶対嫌だ。医者は仁術なんて、今日日は子供だって信じていない。不便が嫌なら便利な都会へ引っ越すのが現代のやり方だ。
一生に一度で良い。ロックの本場、イギリスで歌うんだ。日本でのライブなんて眼中に無い。日本のどんなに凄い会場よりも、イギリスの臭い会場で歌う方がマシだ。ビートルズの国だぜ、クィーンの国だぜ、日本で本気でロックやっている奴なんて5本の指で数えられる。どうせ目指すのなら、トップを狙いたいところだ。ここで何もしない内に死ぬなんて、絶対に嫌だ。
だからこそ、もう逃げない。こうなったら、真っ正面から立ち向かう。一度も殴られずに夢を手にした人間がどれだけ居る事か。
「……それで、その指は?」
「折った。全部、折ってやった。あのクソ親父にクソおふくろが、医者にならないのなら指をへし折れって言うから、へし折ってやった」
「勿体ないの。折角上手になってきたのに」
「でも、もう死ねない。縄の準備が出来ない」
「じゃあ、生きるしかないね」
「もう、全部終わりだ。ギターの弾けないロックスターなんて、ハサミのない蟹じゃないか」
「私がかわりに弾く。弾き方教えてくれれば、何とかなる。まだ出来る、終わってないじゃない。指が全部折られたロック歌手なんて、他に何処に居るのよ。絶対売れるって。まだ声が出せるのなら、全然いけるわよ」
「お仕舞いだ。夢は、終わったんだ」
「勝手に終わらせないでよ。あなたの歌、私、大好きなのよ。どんな音楽よりも、あなたが歌う歌が良いのよ。産まれてから聞かされた、あらゆる歌の中で、直也の歌が一番良かったのよ」
「……もう、歌えない。次、歌ったら、今度は喉を潰される」
「その時は、作詞と作曲だけやって。私が歌う。どんなになっても、堂本直也はイギリスのロックフェスに名前を遺すのよ」
「もう良い、もう良いんだ。だから、お前に準備してもらいたいんだ」
「死ぬ手伝いなんて嫌よ。指が折られたから夢を捨てる? なら歌うだけで結構よ。ギターだろうとドラムだろうとベースだろうとシンセだろうと、私が独りでも良いからやってやる」
「お前、そんなに俺の歌が好きなのか」
「それもある。けど、それ以上にあんたの弱音を聞くのが嫌なだけよ。悲劇の主人公を気取るんじゃないわよ。あんたより悲惨な形で夢を奪われた人間が、この世にどれだけ居ると思っているのよ。この程度で諦めるのなら、私もうあんたの歌なんて聴きたくない。もっと「愛」と「怒り」を歌いなさいよ」
「もう、「愛」も「怒り」も、湧かないんだ。全部無くしちまった。もう歌ってもしようがない。ここから飛び出せば、充分死ぬ高さだろう?」
「……駄目。死んだら、駄目。まだ聴きたい、他の人にも聴かせたい。もっと、もっと歌ってよ」
「最期の我が儘、お願いして良いか」
「……ええ」
「額で良いから、キスしてくれ」
「嫌だ。唇にする」
塚本美玖は、抹添小学校の屋上から飛び降りて、コンクリートで舗装された箇所に全身を叩き付けて死んだ堂本直也の骸の隣で、もう1つの我が儘を叶えてあげた。ギターを地面に叩き付けて、粉々にしたのだ。
警察が来た。教師達も集まってきた。事情聴取って奴も生まれて初めてやらされた。全部、つつがなく伝えた。もう誰も彼の歌を聞く事が出来ないなんて、そんなの寂しすぎた。もうこの世の何処にも、堂本直也という人間が居なくなった事実を受け入れるのには、今暫くの時間が必要だった。
堂本家の夫婦は、孤児院にて待ち伏せして塚本美玖を見つけるなり、グーでもって殴ってきた。
「お前が悪い」
「お前さえいなければ、息子は死なずに医者になれた」
「3代続いた診療所もこれで終わりだ」
「全部、お前のせいだ」
憎まれるのには慣れている。殴られるくらいは平気だ。本人の意思を完全に無視して、自分達の目的に従わせようとして、暴力と精神的な苦痛を加えて操ろうとして、失敗して殺したのだ。こんな奴らの息子に産まれたのが、最大の失敗だったとしか言い様が無い。後の世に言う「親ガチャ」と言う奴である。
堂本直也を殺したのは、お前らだ。そう叫びたい気持ちを抑えつつ、塚本美玖は殴られてきれた口の中から、血の味を味わっていた。それでも、堂本直也のキスの感覚だけは覚えていた。
これだけが、堂本直也の生きてきた痕跡である。何十曲と言う歌は、一曲も残らなかった。でも、堂本直也の生きてきた証は、ここにまだ残っている。残っているんだ。これが残されている限り、堂本直也の記憶は消えない。他の人に歌を聴かせてやりたかった。もう誰にも聴かせられないのが、残念であった。




