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人棲録  作者: 北村タマオ
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005 「愛」と「怒り」

 つまらない。あぁ、つまらない。

 塚本美玖は、そう思いながら、相応の歳になったので入学した小学校にて、授業を受けながらそう思っていた。栗山市は、美玖が産まれた名原市とは違って、破産していない程度には財政状況は健全であったが、だからと言って「良い」と言う訳でも無い。酷いものは酷い。

 だからこそ、所謂子育て世代は、もっと仕事のある、もっと豊かな地域に行ったまま、戻ってこない。その事情はこの栗山市でもそこまで変わらない。ここで死ぬまで生きる予定は、塚本美玖の中にも組み立てられていない。

 だから、教室に有る机は10個も無い、教師も頑張ってはいるがやる気の空回りが目立つ授業、これで「やる気を出せ」と言うのは酷ではないか。事実、他の同級生も大人しく座ってはいるが、授業内容まで脳味噌に伝わっているとは思えない顔をしている。

 栗山市立抹添小学校1年1組の実状が、それであった。そこでも、美玖は「世界一可愛くないツインテール」と呼ばれて、ある意味では怖がられていた。顔立ちは本来、そんなに悪くは無いのに、鋭い三白眼が全てを台無しにしている顔で、何を考えているのか分からない。この女児の目に映る光景は、どんなものなのか。その中で、人間をどう見ているのか、全く想像できない、理解出来ない表情は、塚本美玖を孤立させていた。

 しかし、「孤立」はしても「苛め」は無かった。元々狭い世界だ。今でこそ10個の机であるが、いずれは9個になり、8個になって、いつの間にか1個しか無い。と言う状況だって充分に有り得る。その狭い世界で面倒を起こせば、死活問題である。かくして、塚本美玖は自分のやりたい様に振る舞っても、他人からとやかく言われる事は無かったのである。

 だが、類は友を呼ぶ、と言うよりは、真夜中の灯りに群がる羽虫の如く、この灯りに寄り付く羽虫が1匹、この灯りに集っていた。


 堂本直也は、今年で卒業する抹添小学校6年生の12歳である。同級生は7人しか居ないが、その中で一番の「ワル」である。ビジュアル系ロックバンドに心酔しており、何時かはこのド田舎を抜け出して、ロックの本場であるイギリスという国に、1度で良いから行きたいらしい。

 そんなビジュアル系ロックの信奉者が、世界一可愛くないツインテールに何の用なのか。塚本美玖が聞いてみると、直也はハッキリと言う。

「お前の目つきが気に入った」

 この目つきの何処が気に入ったのか。

「お前、学校が嫌いだろう」

 好きな様に見えるか。

「俺も嫌いだ」

 それだけの理由で、1年生をナンパしているのか。キモい。

「良いじゃん。ロックにはな、そんなの関係ねぇんだよ」

 ロックだろうと、犯罪は良くない。止めろ。

「何言ってんだよ、俺だってペドじゃねぇよ。お前の身体になんか興味ねぇって」

 じゃあ、何でこうして絡んできた。

「俺、来年の卒業式の次の日に死ぬから」

 ……はっ?

「うちの両親が俺に家業をつがせようとしている。俺は音楽の道に行きたいのに、医者にさせようとしている。3代続く診療所だが何だか知らないけど、大事な家業だから、医者になるために勉強しろって言うんだ。俺は一生に1度で良いからイギリスのロックフェスで歌を唱いたいだけだと言ったら」

 言ったら?

「ぶん殴ってきた。俺が今まで作ってきた楽曲の楽譜も全部燃やされた」

 ハハッ、最悪。

「だよな。だから、死ぬ前に友達が欲しいと思ってな。因みに、俺は縄で遊んでいる間につい足を滑らせて首を括って逝く事になっている」

 で、友達になってどうすんの?

「俺、これだけは壊させなかった。必死になって守ったんだ」

 ギターだね。そんなの学校に持ってきて、取り上げられないの?

「ここの教師は俺のこと、最初から居ない事にされているから、何をやっても怒られない。本当に何かすれば、怒られるだろうけど、俺が何もしない限りは怒られない」

 んで、そのギターでどうすんの?

「俺の歌、聞いて欲しいんだ。お前1人だけでもいいから、歌を聴いて欲しいんだ。俺、来年の卒業式の次の日に不慮の事故で死ぬから、急がないと寿命が終わっちまう」

 客が1人しか居ないコンサートねぇ。

「嫌か?」

 良いじゃん。聞いてあげるよ。


 正直な話、堂本直也の演奏も、歌も、歌詞も、そんなに良くなかった。上手くもなかった。センスなんて無かった。有るのはただ1つ、「憧れ」であり、「リスペクト」だ。そして、それだけでも彼の演奏も、歌も、歌詞も、価値があると美玖は感じていた。世の中のミュージシャンって奴等は、「金」になる歌だけを歌うのであり、いみじくも「ロック」を目指す男にとって、それは悪魔に魂を売り渡す行為であった。

 歌いたい歌を歌う。自分の好きなリズムで弾く。その「好き」を全力でやる。それは、意外と難しい事である。人間、矢張り銭が無ければ食ってはいけぬ。それに、銭という形で報いがあれば、どうしても銭になる歌を歌ってしまう。迎合した方がよっぽど楽な生き方なのだが、堂本直也の音楽は頑として拒否していた。

 塚本美玖は、1日に3曲は聴かされていた。どの曲も、「情熱」だけが先走る曲ばかりであるが、それだけで充分である。12歳のロック少年が1から、否、0から創った曲に、そこまで期待するなんてアホである。でも、こんな少年の夢1つ応援してやれない親なんて、あんまり良いものではない。一生に一度、イギリスのロックフェスで歌う。立派な夢じゃ無いか。出来れば、世界の歴史に、音楽史に未来永劫記憶される。こんな田舎の町の診療所にて医者を志して頑張るのも、否定はしない。だが、堂本直也は堂本直也なのだ。

 一生に一度、それ以前に、人生は1度だけだ。やりたい事があるとすれば、やれば良いんだ。歌も作詞も演奏も、最初から上手い奴なんて居ない。時間をかけてやっていけば、ものには出来る。

 いつか、直也がイギリスのロックフェスに出られる日が、本当に来て欲しい。美玖は、柄にもなくそんな事を感じてしまっていた。それは、逆にその見込みなんてないから、そう感じてしまうのだと言う事も、美玖には分かっていた。

 それでも、堂本直也は歌い続ける。ギターの弦を指で弾く。何度かギターを弾いている現場を親に抑えられて、「指が痛んだら医者になれないだろう」と言われて平手打ちを受けたと言うが、そんな事は、来年の卒業式の次の日に死ぬ予定の直也には関係ない。今この瞬間に、全部賭けて歌う。その情熱だけは本物であった。そして、それは誰でも持てる代物ではない。

 下手くそだ。未熟だ。音痴だ。でも、段々と上手くなっているのを、美玖は感じ取っていた。だからこそ、美玖はある日、1つの提案を出してみた。

「もう一度、イギリスのロックフェスの夢を目指したら?」

「……どうして」

「どんどん上手くなっているじゃないさ。このペースで歌っていけば、その内に本物になれるよ。死なないで、生きれば良いじゃないさ」

「それは出来ない。もう俺は死ぬんだ。オヤジとオフクロのコネで、奈央幌大学の付属の中学校に入学する事が決まった。そうなったら寮生活で、自由に歌う事も出来ない」

「私、もっと聞きたい。直也の歌、聞きたいのよ。両親が嫌なら、家出でも何でもしてやればいいじゃない。イギリスのロックフェスで、直也の歌う「愛」や「怒り」が聞きたいのよ」

「……ありがとう。でも、もう決めたんだ。今から上手くなっても、もう遅いんだ。本当に出来る奴は、もっと練習している。もう間に合わないさ」

 直也の目に光るものが見えたのを、美玖は見逃さなかった。そして、それ以来、何も言わずに、直也の歌を1人だけ聴き続けていた。それだけが、この12歳のロック少年の生き甲斐であった。たった1人でも良いから、聞いてくれる人間が居るのは、しかも応援されるというのは、それだけでも嬉しくて、それだけでも生き甲斐を感じる事が出来ていた。

 気が済むまでやればいい。堂本直也という人間が遺せるもの、全部ここに置いていけば良い。そうでなくても、人間はいずれ死ぬ。生きている内に、やりたい事を全部やっておかなければ。

 ラストコンサートが近づくのを、美玖はただ1人で聞きながら、見守っていた。気が済むまでやれば良い。やりたい様にやらせてあげよう。


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