003 1度目の別離
ここに居る人達は、暗くて元気が無いな。
ようやく2歳にまで成長した塚本美玖は、田中松次郎こと「田中のオヤジ」を筆頭とする名原市役所の人間達について、そう看破していた。暗くて元気が無い。ハハッ、最悪。美玖はそんな風に感じながら、市役所にて育つ最後の1日を過ごす。
そう、今日で終わりだ。里親が見つかったのだ。隣町に残っている孤児院に預けられる事になったのだ。親代わりになっていた市役所勤務の大人達は、1人も別れを惜しまなかった。むしろ、厄介払いが出来るとして喜んでいる節もある。
田中のオヤジもまた、同じ様に惜しんでいる気配は無かったが、流石に喜ぶ気配は見せなかった。美玖の面倒を一番よく看てくれた田中のオヤジに対して、美玖は信頼感を抱いていた。それは逆に言うと、田中のオヤジが居ない環境で生きていけるかどうか、不安もセットで感じていた。
名原市の隣にある栗山市は農業にて特産物があり、財政は厳しいものの「破産」には至っていない。ここよりもマシなだけであるが、何時までも市役所にて猫か犬の様に過ごす訳にはいかない。ちゃんとした施設で、環境で、社会で揉まれて生きていかなければ、大人にはなれない。
田中のオヤジは、殆ど荷物も持たないままに、孤児院から来た送迎の車に乗り込む、正にその去り際に塚本美玖の髪の型を弄くっていった。ツインテールにされていた。
「女の子はな、いつも綺麗にしなくちゃいけないぞ」
田中のオヤジに言われたこの言葉だけが、この名原市役所の職員が塚本美玖に遺した最後の言葉であった。いつも綺麗にしなくちゃいけない。果たして、それが美玖に出来るだろうか。態度も悪ければ、性格も悪そうな、ついでに頭も悪そうな、強烈な三白眼で睨まれたら、どんなに綺麗にしても帳消しではないのか。それでも、田中のオヤジは言った。綺麗にしろ。この髪型は、塚本美玖と言う人間のアイデンティティになるのである。
「行っちゃったなぁ、美玖」
「向こうでも元気に過ごせるかな」
「ここに何時までも置いておけないよ。仕方が無い」
「栗山市はこことは違うからね。これからは大変だろうね」
田中のオヤジは、口々に別れを惜しむ同僚達の声を聞き流して、送迎の車をジッと見送っていた。あの娘は普通の娘じゃない。2歳になるまで、この役所にて片手間に育てられていた、そう言う意味でも「孤児」である。果たして、そんな環境で育った塚本美玖が、孤児院に行って健やかに生きられるのか。それだけが心配の種であった。
自分の子供でも無いのに、ここまで気にするのはおかしいではないか。と言う声が聞こえてきそうであるが、幾ら縁も所縁もない子供と雖も、最低限、この程度の気配りが出来ないのであれば、大人とは言えないでは無いか。
そう言う意味では、この名原市の「破産」は当然の成り行きである。大人が居ないからこそ、「破産」まで追い込まれたのでは無いのか。市長がハコモノに税金を注いで、無計画かつ無遠慮に土建屋に金をばらまいていく中で、みんな「このままではいけない」「このままでは潰れる」と分かっていたのに、誰も市長を止められなかったのは、自分の言動にて「責任」を負うのを忌避した周囲の大人達が声をあげられなかったからでは無いのか。
赤ん坊1人の居場所も作ってやれなかった。それは率直に恥じるべきだ。だから、無理してこの名原市に居残る必要は無い。世界はもっと広く、もっと大勢の人々が暮らしていて、もっと貧しい人も居る。世界を知ってこい。外の世界を見ろ。そして学ぶんだ。こんな街の為に人生を台無しにする必要は無い。
最期に、今際の際にて思い出してくれれば、それでいい。田中のオヤジは、そこまで思ったところで、自分の部署に戻っていく。
栗山市の孤児院、「マティルス」孤児院に送り込まれた塚本美玖は、居並ぶ孤児達に紹介される。
今日からみんなと一緒に暮らす事になる、塚本美玖ちゃんです。さぁ、美玖チャン。みんなにご挨拶して。
「宜しく」
はい、良く出来ました。じゃあ、あなたのベッドはもう用意してありますから、今日からここがあなたの「家」です。
気持ちが悪いな。
美玖は、容赦の無い審判を下していた。こいつら、気持ちが悪い。孤児院の職員の態度も馴れ馴れしい。同じ寮内にて暮らす仲間達の顔には、「敵意」と「警戒心」と「憎悪」が混ざった、理解可能な表情を浮かべている。
取り敢えず、飯が美味ければそれでいい。量も味もイマイチなコンビニ飯とはおさらばしたいものだ。
個室では無い寝室にて、用意されたベッドの隣にある引き出しに、自分の僅かな荷物、着替えの洋服と下着をしまう。まだそこら辺の常識は持ち合わせているらしい。
しかし、この三白眼はどうにかならないのだろうか。目つきが悪い事、まるでサバンナでヌーやシマウマ、ガゼルを食らう捕食者の様な目つきだ。髪型がツインテールで、そこだけが「女の子らしさ」を主張していた。
田中のオヤジ、もう2度と会う事は無いだろう。それに、もう一度会いたいとも思わなかった。あの役所も同じだ。でも、だからと言ってこの「マルティネス」孤児院の生活が良い暮らしになるとは思えなかった。多分、あそこより、いや、同じくらい嫌な生活であるに違いない。
飯は美味い。ベッドも多少固いが問題にはならない。暑い時は涼しく、寒い時は暖かい。それだけで、名原市役所よりも居心地は格段に良い。何で今までここへ来なかったのか、不思議なくらいだ。そこら辺は「お上の事情」という奴であろうが、美玖にとっては「人間らしい生活」が出来るだけでも100点満点、合格である。
人間関係については、この際、どうでも良かった。ただ1人だけ、美玖にしょっちゅう絡んでくる男子がいるだけで、あとは満足できる生活が出来ていた。




