002 未来無き街
田中松次郎。またの名を田中のオヤジ。「オヤジ」なんて呼ばれてはいるが、未婚で童貞で禿げたデブのおっさんである。名原市の「破産」を受けて、厳しくなった市の運営環境の中で、次々と同僚が辞めていく中で、田中のオヤジは残り続けていた。別にこんなド田舎の過疎地に思い入れなどない。ただ、他に失うものが一切なかったから。他の役所に勤めてでもお金が要る家庭環境でもなかったから。理由はそれだけだ。
田中のオヤジは、もう50も半ば。人生何か遺したわけでも、遺したいわけでもない。こんなクソみたいな人生には何の未練も無い。でも、最期までこの街に尽くす所存である。自分の身の丈に合わない買い物を重ねて借金をかさねて破産し、世の中から見捨てられて、同情もされないこの街は、田中のオヤジにとっては親近感の持てる街であった。
そもそも、田中のオヤジは何かを得ようと思って頑張った覚えは無い。公務員になったのだって、半分は親のコネだ。残る半分だって、お世辞にも真面目に取り組んでいたとは言えない。だからこそ、出世にも栄達にも興味は無いままに、無難なキャリアを歩んでいた。今更「上」なんて目指さない。
名原市の借金が返済できるその日まで、田中のオヤジは生きては居ないだろう。返済できたとして、それから奇跡の発展なんて出来る筈がない。そうでなくても、名原市の如く「破産」の危機にある地方自治体は幾らだってある。
だから、自分の様な人間が必要なのではないか。ババを引かされた人生を歩んだ男なのだから、今更贅沢は言わない。自分の様なオッサンでも、この街には田中のオヤジが必要なのだ。そして、塚本美玖と名付けられた、あの捨て子にも。自分は必要とされているところで、ベストに限りなく近いベターを尽くすのみだ。
「寒ければ上着を着ろ」
「暑ければ薄着にしろ」
冬の北海道で暖房無しは堪えるであるが、日中や夜中でも灯りを必要最低限だけつけて、役所内部の掃除も業者に頼まず自分達でやり、なるべく金をかけないように、儲けは僅かな給与を除いて全額借金返済に充てられている。
無論、そんな環境で頑張る人間は、そんなに居ない。半分以上が辞めていき、残った連中は給与カットの上に過酷な残業を強いられている。
田中のオヤジは、この日も深夜の役所にて、山積みの仕事に取り組んでいる。傍には、最近ようやくハイハイが出来る様になってきた塚本美玖が眠っている。今まで自分が赤ん坊の面倒を看る羽目になるなんて、想像だにしていなかった。別に女性蔑視なんてしてこなかったのだが、いや、そうだからこそ相手にされなかったのだ。
美玖が眠っている揺り籠から、ぐずる声が聞こえてきて、やがて泣き始める。なんだ、もう夜泣きか。田中のオヤジは執務机の硬い椅子から腰を上げると、泣いている美玖を抱き上げる。こいつ、大きくなったらどうなるのだろうか。やっぱり、この街で生きていくのだろうか。頼むから、それだけは勘弁して欲しい。
ここには、もう未来はない。あるのは借金だけだ。そして、この国の未来もまた、同じなのだろう。近い将来、日本中がその運命に直面する。運命なんてクソくらえと、粋がる力も遺されていない。借金を返済できたら、その時までに生きていたら、今一度、もう一度ここを思い出して欲しい。
田中のオヤジの腕の中で、美玖は泣き続ける。暫くして、落ち着いてきた美玖を揺り籠に戻すと、その隣に寝袋を用意して、その中で眠る。仕事は持って帰って家で寝ろ、と言われそうであるが、どうせ家に持って帰ってもやりきれない量だ。仮眠した後で、スッキリしない頭を抱えたまま、仕事に取りかかるのだ。
翌朝、役所のトイレにて歯を磨いて、街の唯一のコンビニにて朝食を自腹で買いに行き、おにぎり1つ、惣菜パン1つ、ブラック・コーヒーを1缶で燃料補給を済ませて、また仕事に取りかかる。役所が開所すると、次々と有権者が自動ドアから入ってくる。半分は生活保護の申請の為に来ている、所謂、水際作戦にて、のらりくらりと申請を断っている連中だ。
「何で出来ないんですか」
「だから無理だと言っているじゃないですか」
「お金が無いんです。働けもしないんです。死ねって言うのですか」
「もういいです、他の街に引っ越しさせて頂きます」
いつもの光景だ。水際作戦とは聞こえは良いが、要するに市民を見捨てているのだ。だからと言って、市長や役所の事務員が美味い飯を食っているわけではないし、プール付きの豪邸でシャンパン風呂に入っているわけでは無い。無いものは無いのだから、何でも手を使って追い払うしか無い。
田中のオヤジは、窓口対応を経験していただけに、その辛さや悔しさ、遣る瀬なさは理解出来ている。どうせ仕事をするのであれば、「感謝」や「やりがい」くらいは欲しいものである。これで「給料」も加われば完璧なのだが、そこまで贅沢は言えない。
負のスパイラルだな。これは。田中のオヤジは、胸の内にて呟いていた。これでは住民も逃げるし、役所の事務員も逃げる、気が付けば他に居場所が無い人間だけが残る。出稼ぎなんかしなくても、より豊かな街に引っ越してしまえば良い。
ここには未来は無い。過去と借金があるだけだ。仕方が無い。若者はみんな、都会に出て行ったまま、戻ってこなかった。元々袋のネズミだ。箱物なんて作らなくても、いずれは少子高齢化・労働者不足・税収減により、こうなった。
出て行く? おう、出て行け。今の内だぞ。体力の残っている奴は、みんなで逃げ出してしまえ。移民だって寄り付かない、この辺鄙な街にて、幸せな未来は描けない。
また美玖が泣く。今度はお腹が空いたのだな。他の職員が、給湯室にてミルクを仕込んで、哺乳瓶にて美玖に飲ませる。その職員は、一切笑っていない。ポジティブな感情はこれっぽっちも浮かべていない。このままでは、大人になる前に、いや、学校に入る前に、街自体が消滅してしまうだろう。ネズミも逃げて、総員退艦して、炎上して沈もうとしている船にて、赤ん坊の面倒を看ているのだ。
誰か、親が見つかれば良いのだが、未だに名乗り出る家庭が無い。役所の職員の間では、このまま市役所にて面倒を看るしか無い。と言う極論まで出されていた。確かに、一理ある意見だが、猫や犬ではあるまいに、いずれは身体も大きくなり、自我を持ち、大人になるのだ。勿論、その過程で学校に通い、人間関係の中で、社会の中で揉まれながら、1人の人間として生きていかなければならないのだ。
せいぜい、あと1年か2年。塚本美玖がここに居られるのは、その程度だ。もしそうでなければ、他の自治体にて里親募集でもしなければなるまい。
メディアはどう報道するのだろうか。あまりあてには出来ないし、したくもない。どう切り抜かれて、どう取り上げられるのか、メディアはそこまで信頼できるのだろうか。公共放送だろうと、民放だろうと、お金で動いているのだから、当然大衆受けする形で報じる。それで、塚本美玖は幸せになるのだろうか。大量生産・大量消費を旨とする今のジャーナリズムにて、この子はどう扱われるのか。
紙オムツを替えながら、田中のオヤジは美玖の為に嘆く。お前、生まれる時代と場所を間違えたよ。いや、そんな事思っても無駄だ、無意味だ、どうしようもない。
生きろよ、塚本美玖。どんなに酷い環境でも、しぶとく生きろよ。




