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第十一章 嫉妬

歌姫の噂が広がってから、離宮への来客が増えた。

最初は王国の使者だった。

以前のヴァルナー卿ほど傲慢ではなかったが、やはり帰還を求める内容だった。

次に来たのは、東の大国から来たという学者だった。

古代の歌姫について研究しているらしく、話を聞かせてほしいと言った。

その次は、南の同盟諸国の貴族が、お礼の品を持って訪ねてきた。

国境付近の魔力嵐が収まったことで、南の国々にも恩恵があったらしかった。

次々と人が来るたびに、私は緊張した。

でも以前ほど声が出なくなることはなくなっていた。

短い言葉なら、なんとか返せた。

それが少しだけ、自分でも不思議だった。

レオンハルトは来客のある日は必ず離宮の近くにいた。

偶然を装っていたが、私にはもう分かっていた。

わざわざ来てくれているのだと。

そしてある日の来客のあと、少し様子がおかしくなった。

 

その日来たのは、帝国の学者だった。

レオンハルトの部下ではなく、古代魔法の研究者として独自に訪ねてきたらしかった。

年齢は三十代ほど、明るい茶色の髪の、穏やかそうな男性だった。

名前をフェリクス・ハルト博士と言った。

フェリクス博士は礼儀正しかった。

押しつけがましくなかった。

歌姫の力についての質問も、私が答えられないものには無理に答えを求めなかった。

話しやすい人だった。

そのせいか、私も普段より少し言葉が出た。

博士が帰る間際に言った。

 

「アイリス嬢の力は、古代の記録を超えているかもしれない。ぜひまた話を聞かせてください」

笑顔だった。

社交辞令ではなく、本気で言っているように見えた。

私は頷いた。

声で「また来てください」と言えた。

我ながら驚いた。

博士は嬉しそうに頭を下げて、帰っていった。

 

その日の夕方、レオンハルトが来た。

いつもと同じ時間だったが、石塀にもたれる角度が少し違う気がした。

腕を組んで、わずかに眉間に縦線が入っていた。

私は首を傾けた。

何かあったのか、という意味で。

 

「……何でもない」

珍しく、素っ気ない返事だった。

しばらく沈黙があった。

私は野菜の苗に水をやりながら、ちらちらと彼を見た。

何でもない、という顔ではなかった。

 

「今日の学者は」

唐突に、彼が口を開いた。

 

「何時間いたんですか」

私は少し驚いて、指を折って数えた。

二時間ほどだった気がする。

そう伝えると、レオンハルトの眉間の縦線がもう少し深くなった。

 

「……そうですか」

また黙った。

私は水やりを続けながら、密かに考えた。

この人は今、何を思っているのだろう。

珍しく、表情が読めなかった。

いや——読めないわけではなかった。

ただ、それを読めたとして、自分がそう解釈していいものかどうか、自信がなかった。

 

「あの博士は」

また口が開いた。

 

「また来るのですか」

頷いた。

レオンハルトは短く息を吐いた。

何かを堪えているような音だった。

 

「……そうですか」

また同じ言葉だった。

私はじょうろを置いて、石塀の近くまで歩いた。

そして、できるだけ真っすぐに彼を見た。

もしかして、と思っていた。

でもそれを確かめる言葉が見つからなくて、ただ見た。

レオンハルトは私の視線を受けて、少し目を逸らした。

珍しかった。

この人が目を逸らすのを、初めて見た気がした。

 

「……別に」

低く、呟くような声だった。

 

「何でもない」

でも耳が赤かった。

外套の上からでも分かるくらい、耳の先が赤かった。

私は俯いた。

笑いそうになった。

笑ってはいけないと思ったが、口元が緩むのをどうしても止められなかった。

 

翌日、王国の情報が届いた。

レオンハルトの部下が掴んできた話で、彼が私に伝えてくれた。

内容は、クラウス王太子に関することだった。

 

「王太子が、先日の魔力嵐のあとから様子がおかしいという話だ」

レオンハルトは淡々と言った。

昨日の赤い耳とは打って変わって、今日は落ち着いた表情だった。

 

「歌姫が魔力嵐を鎮めたという報告が王宮に届いた直後から、塞ぎ込んでいるらしい」

私は黙って聞いた。

クラウス殿下が塞ぎ込んでいる。

その理由は、言わなくても分かった気がした。

 

「王宮の者の話では、殿下は何度かあなたの名前を口にしているという」

レオンハルトは続けた。

声に特別な感情はなかったが、私を見る目は静かだった。

 

「どう感じますか」

問いかけは優しかった。

私は少し考えた。

嬉しいか。

惨めだった人が今さら振り返っても嬉しいか。

首を横に振った。

正直に。

レオンハルトは小さく頷いた。

 

「そうですか」

今日のその言葉には、昨日とは違う温かさがあった。

 

後日、また来客があった。

今度は王国の若い文官が二人だった。

ヴァルナー卿ではなく、もっと若い、私とそう年の変わらない男たちだった。

彼らは帰還の要請ではなく、魔力安定の協力についての打診という名目で来ていた。

前回より、ずいぶん柔らかい態度だった。

私はマリアと共に応接室で話を聞いた。

二人とも礼儀正しく、話しやすかった。

一人は私が短く答えるたびに、丁寧に相槌を打ってくれた。

それなりに、穏やかな時間だった。

彼らが帰ったあと、庭に出るとレオンハルトがいた。

腕を組んで、石塀にもたれていた。

昨日よりも角度が深かった。

私は近づきながら、彼の表情を見た。

眉間に縦線。

少し固い口元。

そして、また耳が赤かった。

 

「若い文官でしたね」

静かだが、どこか平坦な声だった。

私は頷いた。

 

「二人とも、礼儀正しかった」

また頷いた。

レオンハルトは少し黙った。

それから、視線を庭の花の方へ向けた。

 

「……そうですか」

三度目の、その言葉だった。

私はこらえきれなくなった。

声は出さなかったが、肩が少し揺れた。

レオンハルトがこちらを見た。

 

「笑っていますか」

笑っていた。

首を横に振ったが、肩は揺れたままだった。

レオンハルトは少し目を細めた。

拗ねたような、照れたような、そういう顔だった。

 

「……笑うことですか」

 

「笑っていません」

声に出したら、やっぱり笑い声が混じった。

レオンハルトは短く息を吐いた。

でも、その口元が少し緩んでいた。

 

「あなたが笑うのは、嫌いではない」

低く、素直な声だった。

 

「ただ、できれば私の前だけで笑ってほしい」

それを聞いた瞬間、笑いが止まった。

代わりに、顔が熱くなった。

レオンハルトは平然とした顔でそう言って、目を逸らした。

でもまた、耳が赤かった。

私は俯いた。

庭の花が、風に揺れていた。

夕暮れの光が、石塀を橙に染めていた。

私の前だけで笑ってほしい、と言った。

その言葉の意味を、考えすぎてはいけない気がした。

でも考えずにいるのは、もっと難しかった。

胸が、温かかった。

昨日より少し多く、温かかった。









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