拝啓、あのとき選ばれなかった君へ
[Intro #1432_01] Observation Log Start
[System Time: 0000-00-00T00:00:00]
[Error] Area03 log acquisition failed
[Note] 悠くんへ。
私はこの世界を愛しています。
だから――
§
赤と白のスーパーカブが、春の風を裂いて走る。
誰かの”言葉に出来なかった想い”を乗せて。
ガタガタと音を立てるリアボックスが、停車と共に鳴き止む。
その時、歩道側から一通の白い封筒が宙に浮いた。
くるりと裏返り、車道へ滑り出る。
白。
記憶の底に沈めておきたかった色。
――渡せなかった手紙。
机の奥。
触れては、戻した。
その白が、あの日の光に重なる。
あの日、伸ばせなかった手。
風が、強く吹く。
――アスファルトの上を封筒が滑る。
咄嗟に地面を蹴った。
支えを失ったカブがゆっくりと倒れる。
エンジン音が、遠のく。
世界が、わずかに歪んだ。
あの日差しが、蘇る。
――また、伸ばさないのか。
倒れていくカブを尻目に、路面に踏み出す。
腕が伸びる。
指先が触れる。
封筒を――掴む。
視界が反転する。
赤と白の車体が横倒しになる。
焼けたゴムの匂い。
封筒だけが胸元にある。
指は離れていない。
――あぁ、また帰れなくなったな。
机の奥に残したままの、あの封筒のことを思い出す。
今度は、離さなかった。
それだけでよかった。
そして、風が止む。
まるで最初から風など吹いていなかったかのように。
何かが、ズレるような音が聞こえた。
§ Correction Rate : 0.00015%
……もーし。
遠くから声が聞こえる。
鈴のように澄み、触れたら消えてしまいそうな声だ。
「もしもーし!おーい、お寝坊配達員クーン!配達遅延はクレーム案件ですよー!」
もう一度、今度はもっと近くから。
その言葉に意識が戻る。
目を開けるとそこは無数の文字列が浮かぶ、音のない空間。
文字列の意味はわからないが、今まで自分の生きていた世界でないことが一目でわかる。
その光景に、目を瞠る。
「やーっと起きたね、お寝坊さん」
その声に振り向く。
そこには透き通る銀髪と柔らかな光を纏った女性がしゃがんで、こちらを覗き込んでいた。
あまりの美しさに息を飲む。
優しく微笑む瞳は、まるで世界の全てを包み込むようでいて――けれど、どこか虚ろで、瞳はこちらを捉えているのにどこか遠くを見ていた。
まるで俺ではなく"俺という現象"を観測しているみたいに。
「……女神、様?」
言葉にした瞬間、彼女は一瞬だけ――ほんのわずかに表情を曇らせる。
それを取り繕うように彼女はくすりと笑う。
まるで何度も何度も練習したかのような、型通りの笑顔。
「ぴんぽーん、だいせいかーい!」
そういって笑う女神を横目に、とりあえず俺は身体を起こした。
改めて女神を見ると、文字列を見て首を傾げている。
「あれ、君と会うのは三、いや四回……目?」
絶対に初対面である。
「いや、初対面ですよ。会ったことないです、ましてや三回も四回も」
そう言うと目の前の女神は取り繕うように笑顔を浮かべる。
「あれ、そうだったっけー?んー……言われてみれば、そんな気も……?いやぁ、最近記憶周りのログがごちゃついててさぁ」
大丈夫だろうか?
そんな心配をよそに、女神は続ける。
「本当はね、君と会う予定はなかったんだ。だけどなんでだろう……ログが、ずれちゃって」
彼女はまるで世間話でもするかのように、肩を竦めておどけて言う。
「まあ、私の管理ミスってやつかな。神様失格だね」
その軽い物言いが、何かを誤魔化すように見えた。
気になることが山ほどあるが、まずは聞くべきことがある。
「……あの、ありえない事が起こりすぎて脳がパンクしそうなんですけど、俺は……死んだんですか?」
「うん、君は死んだよ。世界が君を"選ばなかった"みたい」
その一言で、時間が止まる。
――選ばなかったから、死んだ?
その言葉が、ゆっくり沈む。
胸の奥がざわつく。
それが怒りなのか、悔しさなのか、それともただの自己弁護なのか――自分でも判別がつかなかった。
……いや。
車は、見えていた。
足は、一瞬止まった。
間に合わないかもしれない。
そう思うと足が竦んだ。
けれど――。
「……そうですか」
思ったより、声は静かだった。
本当は、あまりの理不尽に叫びたかった。
なのに、掠れた喉からは声が出なかった。
ただ一つ、最後に握っていた手紙の感触。
それだけが指先に残っている気がした。
「君はね、“世界が選ばなかった可能性”。だから私は、君が好きなんだ」
好き。
――それは、選ばれなかった理由には……ならなかった。
言いたいことがあるはずなのに、言葉が出ない。
喉が、うまく動かない。
女神は瞬きをする。
「選ばれなかったからといって、君が不要になったわけじゃないよ」
その声は優しい。
優しいのに、どこか遠い。
不要になったわけではない。
その言葉の意味を考える。
「じゃあ、何で……」
次の瞬間――。
目の前に手紙が差し出される。
それは俺が最後に掴んだ、あの手紙だった。
掴んだけれど、届けられなかった想い。
女神は手紙を見つめる。
そこに記された文字ではなく、俺の、指の位置を観測するように。
「……君は、最後まで手を伸ばしたんだね」
そう言って、女神は少しだけ目を細め――
「選ばれなかったのに、ちゃんと“選んだ”。……だから私は、そういう君が好きなんだよ」
今にも消えてしまいそうな、縋るような声で呟いた。
……彼女の瞳から、感情の色が消える。
「あなたには、この“ずれた可能性”を、正しい場所へ届け、世界を修復してもらいます」
……随分と勝手だな。
「……ほんと、配達員って厄介な生き物だよね」
女神は、差し出された手紙ではなく――伸ばされていない俺の手を見ていた。
「届かないものを、無理やり届けようとするんだから」
その視線は、何を見ていたのか。
「でも、それが郵便屋さんのお仕事」
――遅れて、視線が俺を捉える。
「――そうでしょ?」
それでも……俺は、差し出された手紙に手を伸ばした。
彼女の指先に、一瞬だけ触れる。
温度は、感じられない。
俺に、この仕事が出来るのか……。
「……けど、やるしかないか」
その瞬間。
空間に亀裂が走る。
文字列が悲鳴のように乱れた。
§ Correction Rate : 1.48%
――検出。
白い空間が砕けた。
音はなかった。
ただ、世界の前提条件が書き換えられた感覚だけがあった。
足元の地面が消え、上下の概念が反転する。
重力が遅れて追いついてくる。
そして、身体が引き裂かれるように落下した。
風が叩きつける。
肺に空気が流れ込む。
――行ってらっしゃい、悠くん
配送先id_1432/01
返品不可だから気をつけてねー。
軽い声だけが、落下の奥から聞こえた。
「返品不可って……っ」
抗議する暇も、相手の姿もない。
視界が裏返り、そのまま地面に叩きつけられる。
鈍い衝撃。
肺から空気が押し出される。
「……っ!」
草の匂いと、土の湿り気。
見慣れない星空。
呼吸を何とか整え、息を一つ吐く。
視界の端で、赤と白の車体が地面に降り立つ。
祝福だとかなんとか言っていたスーパーカブ。
それがまるで当然のようにそこにあった。
「……ほんとに来たな」
体を起こし、空を見上げる。
そこにあったのは、見覚えのない光景。
その光景に、目を見開いた。
「……月が、二つ?」
一つは白く、もう一つは赤みを帯びた小さな月。
どちらも不自然なほど近い。
けれど手を伸ばしても届かない距離に浮かんでいる。
言葉にした瞬間、胸の奥がひやりと冷える。
ここが“違う世界”であるという事実を、容赦なく突きつけられた気がした。
――あ、悠くん。向こうに女の子いるよ、赤の系譜の子。かわいいなぁ。
「は?」
異世界に来たばかりだというのに、こちらの事情はお構いなしとばかりに女神は呑気に言う。
草原の向こう。
焚き火のように揺らめく、赤い光。
次の瞬間、空気が爆ぜた。
空気が、燃えた。
匂いじゃない。
皮膚の内側から焦げる予感。
火炎が悠に向かって一直線に飛んでくる。
それは“炎”というより、赤く灼けた槍だった。
空気を押しのけ、地面の草を一瞬で炭に変えながら迫る。
避けられない。
そう理解するより先に、肺が勝手に息を止めた。
熱が来る。
皮膚が裂ける。
骨まで焼ける。
目を閉じる。
――来ない。
……熱が、来ない。
恐る恐る目を開けると、目の前の炎はまるで“演算を中断された映像”のように停止していた。
目の前の、手の届く距離で。
いや、違う。
停止"させられている"。
意味がわからない。
ただ――まだ、生きている。
背中は汗で濡れていた。
遅れて、震えが来る。
何が起きたかわからないが、このまま的になるのはごめんだ。
スロットルを思いっきり開け、タイヤが土を巻き上げる。
後輪に押され、前輪が持ち上がる。
それを無理やり抑え込み、その場を離れた。
すると、さっきまでの位置に槍の形をした炎が二本。
突き刺さる。
「っ!待てっ、いきなり何――!」
「止まれ!」
鋭い声。
炎の向こうに、少女の姿があった。
赤い外套に、煤のついたブーツ。
長い赤髪が夜風に揺れ、金色の瞳がこちらを射抜く。
年は、悠より少し下くらいだろう。
だが、その視線には甘さがない。
彼女から、炎の槍が放たれる。
よく狙われたそれは、カブのリアキャリアに命中した。
当たった衝撃でバランスを崩し、転倒する。
「その場から一歩でも動いたら、次は胴体を焼く」
少女は右手に炎を掲げたまま、こちらを睨みつける。
まるで悠を“害獣”と断じようとしている目だった。
「いや、話せば――」
「話す価値があるかは、これから決める」
彼女が一歩踏み出す。
その足元の草が、触れてもいないのに黒く焦げ落ちる。
足取りには、迷いがない。
「今の転移現象、原因はあなた? そうなのであれば、世界にとって害になる。つまり、あなたは異物。異物は――排除対象よ」
右手の炎が、さらに膨れ上がる。
熱が空気を歪ませ、草が焦げる匂いが広がる。
本気だ。
これは威嚇じゃない。
本当に焼くつもりだ。
悠は言葉を失った。
――これじゃあ説得は無理そうだね。
「……そっちの理屈で人を焼くのかよ」
少女は炎をさらに強めた。
その炎は揺らぎながらも、術者の意志に忠実に形を保っている。
「名乗れ。所属、目的、侵入経路。
一つでも嘘を吐けば、即座に焼く」
金色の瞳が、悠の喉元から指先、そして胸元へと一瞬で走る。
炎よりも鋭い視線だった。
声音は、冷たい。
「名前は悠、朝倉悠。所属は……」
一瞬、言葉を探す。
……ない。
「郵便屋だ」
少女は眉をひそめた。
「……ユービン?」
そう呟くと、舌打ちを一つ。
嫌悪と警戒、そしてわずかな恐怖が混じる。
「ちっ、外からの転移者か……本当に、最悪」
そう吐き捨て、彼女は炎を構え直した。
――悠くん、頑張ってね。
郵便屋さんなんだから。
命の危機に晒される郵便屋なんて、いてたまるか。
3話まで投稿するので、続きも読んでもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。




