税制の改革には江戸幕府の勘定方の増員も不可欠だろう
さて、江戸の治安維持について町奉行所に対して出した提案について、水戸の若様に相談してみたところ、感触は悪くなかった。
だが、屋敷を辞して江戸の町を歩き始めると、俺の頭の中には別の問題が浮かんできた。
「……やっぱり、人が足りないんだよな」
通りを見れば、それが嫌でも分かる。
明暦の大火で焼けた町は、以前より広くなった。
新しい町が作られ、復旧の仕事を求めて諸国から人が流れ込んでいる。
道には材木を積んだ荷車が行き交い、職人たちが汗を流し、その脇を商人や旅人が歩いていく。
人が増えれば、それだけ商売も増える。
だが同時に、揉め事も増える。
喧嘩。
盗み。
博打。
酔っ払い。
借金を巡る争い。
町が大きくなればなるほど、目を配らなければならない場所も増えていく。
それなのに、町奉行所の人員が、それに合わせて増えているわけではない。
「どう考えても、現状の町奉行所じゃ手が回らないだろ」
町奉行所の所轄を広げるだけでは駄目だ。
担当区域をきちんと分ける。
そのうえで、同心や与力などの人員そのものを増やす。
さらには、困窮している次男や三男といった部屋住みの武士や浪人を、ある程度こちらへ吸収できればいい。
働き口を増やせば、治安維持の人手も確保できる。
食えずに燻っている武士の受け皿にもなる。
旗本奴のように、暇を持て余して町で騒ぎを起こす連中を減らすことにも繋がるだろう。
俺は人の波を眺めながら、ふと思う。
この日本では、ほんの少し前まで戦が当たり前だった。
揉め事が起きれば刀を抜く。
土地を巡って争えば兵を出す。
相手が気に入らなければ、力で押し切る。
極端に言えば、それしか解決方法がなかった時代が、祖父や父の代まで続いていた。
ところが今は違う。
戦国大名が分国法を定め、犯罪や土地争いを法に従って処理する仕組みが広がった。
徳川が豊臣を倒し、天下が定まったことで、その流れはいっそう強くなった。
勝手に兵を動かせば、改易すらあり得る。
もう、武士が自分の判断で軍勢を動かして手柄を立てる時代ではない。
「そりゃあ……存在意義を見失う奴も出るよな」
祖父や父の代なら、戦で名を上げる道があった。
敵を討ち、手柄を立てれば出世できる。
命懸けではある。
だが、何をすれば評価されるのかは分かりやすかった。
今は違う。
平和になった。
だからこそ、戦うことしか知らない武士には、別の仕事が必要になる。
警察。
行政。
財政。
そういう新しい武士の仕事だ。
「……まあ、それをやるにも金がいるんだけどな」
そこへ行き着いて、俺は小さく息を吐いた。
結局、そこが一番難しい。
江戸初期の幕府財政は、今の感覚からするとかなり大雑把だ。
それでも、しばらくは何とかなっていた。
理由は簡単だ。
天領にある鉱山から金、銀、銅がかなり産出していた。
戦乱が終われば、荒れていた土地も耕される。
新田も開発される。
沼沢地を埋め立てて田畑にすることもできる。
戦争がなくなったことで、人も農地も増えた。
「そりゃあ、入ってくるものが多ければ、多少の放漫経営でも何とかなるか」
だが、それも永遠には続かない。
甲斐や伊豆などの鉱山も、かつてほどの勢いはない。
金銀銅の産出は減っている。
さらに面倒なのが米だ。
人口以上の勢いで米の生産量が増えれば、米の値段は下がる。
米を基準に収入を得る武士にとっては、それだけで実質的な収入減だ。
「米がたくさん取れれば、それで全部解決……ってわけじゃないんだよな」
幸い、俺たちの周辺では武士の俸給を半分ほど銭などにしている。
後世のように、米を札差に持ち込んで換金しなければ暮らせない武士ほど苦しくはない。
それでも、財政に余裕があるとは言い難い。
だったら、幕府としては新しい収入源を考えなければならない。
問題は――どこから、どう取るか。
農民にかかる年貢が幕府財政の柱なのは変わらない。
だが、町人にもまったく負担がないわけではない。
宿場町なら、助郷によって人馬を出さなければならないことがある。
公役として、江戸城の堀や石垣の修繕などに人足を差し出すこともある。
金だけではなく、労働そのものが負担になるわけだ。
江戸の町には町入用もある。
長屋の大家など、土地の権利を持つ者が負担し、そこから町の運営費を出す。
町名主や町役人の人件費。
自身番や木戸番。
町火消。
道路や木戸の修繕。
「結局、町も自分たちで金を集めて、自分たちの町を維持してるんだよな」
考えてみれば、現代とそれほど変わらない。
住民から金を集め、道路を直し、町を管理する人間を雇い、火事や犯罪に備える。
農村の村入用も同じだ。
名主の人件費や事務費、祭礼費用、道や水利、橋の修繕。
必要なものを村人から集めて賄う。
「なら、幕府だって同じように考えればいい」
……そう思う。
だが、ここで問題が出てくる。
幕府全体の仕事は、町や村とは比較にならないほど大きい。
そして、金を集めるには、それを集める仕組みが必要になる。
その代表の一つが冥加金だ。
吉原のような遊廓は、営業を独占的に認めてもらう代わりに幕府へ冥加金を納める。
酒造。
油絞。
醤油。
旅籠。
山稼。
網干場。
こうしたものにも冥加金がかかる。
本来の「冥加」は神仏の加護を意味する言葉で、もともとは門前の市座などが寺社へ納めるものだった。
それが江戸の世になると、独占的な営業許可を得ることへの礼金、差上金という性格を持つようになった。
だから、今の税とは少し違う。
どちらかと言えば、許可を受けたことへの献金に近い。
もっとも、幕府の財布が苦しくなっていけば、そんな建前だけでは済まなくなる。
営業を認める代わりに、毎年いくら払え。
そういう形へと変わっていく。
運上金も似ている。
こちらは最初から一定の金額を定めて徴収する。
水車、市場、問屋、油船、紙漉、諸座など、対象は多い。
金座や銀座、両替商、札差のようなところからも取る。
その中には「分一」といって、収入の一割、五分、三分などを基準にするものもある。
「農民の年貢に比べれば、ずっと軽いんだけどな」
俺はそこで一つの問題に気づく。
商人の儲けを基準にして取る。
理屈は分かる。
問題は――。
「その儲けを、誰が調べるんだ?」
帳簿を見る。
売上を確認する。
仕入れを調べる。
ごまかしていないか確かめる。
滞納すれば取り立てる。
それを江戸中の商人相手にやる。
考えれば考えるほど、簡単ではない。
だから現状では、業種や規模ごとに一律の金額を定める方が楽なのだろう。
吉原だって同じだ。
吉原全体で一定額を納める。
大見世なら大見世。
中見世なら中見世。
店の格や規模に応じた基準で負担する。
儲かっている店と、そうでない店とで、必ずしも同じ割合になるわけではない。
俺が西田屋に目をつけられたときには、冥加金をふっかけられたこともあったが、それだって結局は「どれだけ儲けたか」を厳密に調べる仕組みがないからこそ起きる話だ。
「品川で伝馬負担金が払えなくなってた旅籠も、儲かってるところと同じように負担させられれば、そりゃ苦しくなるよな」
儲かっていないから免除。
そんな簡単な仕組みにすれば、今度は「本当に儲かっていないのか」という調査が必要になる。
だったら、一律で取る。
徴収する側からすれば、その方が圧倒的に楽だ。
「……でも、本当なら個々の儲けに応じて、ある程度増やしたり減らしたりした方が公平なんだけどな」
そこで俺は、思わず苦笑した。
「いや、待て。それをやる人間がいないじゃないか」
結局、そこへ戻ってくる。
江戸で冥加金や運上金を扱うのは、勘定奉行の管轄にある勘定所だ。
ところが――。
ここも人が少ない。
圧倒的に少ない。
勘定奉行が四名。
勘定組頭が十二名。
その下の勘定も、寛永十五年――一六三八年には十二名ほど。
後の時代になれば増員される。
享保八年には百三十名。
同十八年には百八十六名。
寛政八年には二百三十二名。
嘉永二年でも二百十五名ほどだ。
支配勘定も、万治二年――一六五九年には二十四名。
宝暦十一年でも九十三名ほど。
俺は思わず足を止めた。
「……少なすぎるだろ」
現代の国税局や税務署を合わせれば、一万五千人を超える。
もちろん、時代も人口も、仕事内容も違う。
それでも比較してみれば、桁が違う。
こんな人数で全国の財政を扱うのだ。
そりゃあ、細かいところまで調べることなんてできない。
商人の帳簿を一軒ずつ確認することもできない。
だから一律に取る。
だから現場の町や村にある程度任せる。
だから不正も出る。
悪循環だ。
「……制度そのものが悪いんじゃない」
俺は歩きながら考える。
「人と情報が足りないんだ」
税制を細かくするだけでは駄目だ。
税を調べる人間がいる。
帳簿を扱える人間がいる。
徴収する人間がいる。
不正を監査する人間がいる。
そして、その人間たちを管理する人間も必要になる。
町奉行所も同じだ。
治安を良くしたいなら、役人を増やす。
役人を増やすなら、給料がいる。
給料を払うなら、財源がいる。
財源を増やすなら、徴税能力がいる。
徴税能力を上げるなら、勘定所の人間を増やす必要がある。
「……人、人、人か」
俺は小さく笑った。
結局、どこへ行っても同じところへ行き着く。
江戸の町を見渡す。
商人がいる。
職人がいる。
農民がいる。
武士がいる。
旅人がいる。
荷を運ぶ人足がいる。
これだけ多くの人間が暮らし、働き、金を動かしている。
なのに、その社会を動かす仕組みだけは、まだ戦国の延長線上にある。
「まずは勘定方の人員を増やすところからか……」
町奉行所だけではない。
勘定所も。
そして、そこへ入る人間を育てる仕組みも。
「これも水戸の若様に相談するべきだな」
俺は歩みを緩めた。
もっとも、その先にはさらに難しい問題が待っている。
人員を増やしたところで、どうやって金を取るのか。
農民から取れば、農村が痩せる。
商人から取れば、商品価格に跳ね返る。
町人から取れば、暮らしが苦しくなる。
武士から取れば、幕府を支える側そのものが弱る。
「税金って、本当に難しいよな……」
金を取るだけなら簡単だ。
問題は、**どこから、どれだけ取れば、社会そのものを壊さずに済むのか**。
それを判断するためにも、人がいる。
調べる人間。
考える人間。
徴収する人間。
監督する人間。
そして、そういう人間を育てる人間。
「……俺、治安の話をしてたはずなんだけどな」
思わず苦笑する。
気がつけば、町奉行所の人手不足から始まって、幕府の税制と勘定所の組織改革にまで話が広がっていた。
だが――。
江戸の町を眺めていると、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、ようやく見えてきた気がする。
今の江戸に必要なのは、ただ金を集めることじゃない。
ただ役人を増やすことでもない。
人が増え、町が広がり、商売が大きくなったのなら。
それに合わせて――。
**国を動かす仕組みそのものを、大きくしなければならない。**
俺はそう考えながら、再び歩き始めた。




