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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う  作者: 水源
寛文2年(1662年)

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品川の飯盛旅籠の改善は一筋縄では行かなそうだ

 品川の改革は始まった。


 飯盛旅籠を一棟買い取り、そこを拠点にして、遊女や下女たちの生活を少しずつ改善していく。


 まずは食事。


 次に寝起きする場所。


 病気になったときには、きちんと休ませる。


 吉原でやってきたことを、品川でも一つずつ進めていくつもりだった。


 ――だが。


 その日の帰り道。


「これ、俺一人じゃ回らないな」


 俺は歩きながら、早くも頭を抱えていた。


 品川と吉原は、それほど離れているわけではない。


 だが、江戸時代には電話もない。


 何かあれば自分で行く。


 誰かに伝えたければ、人を走らせる。


 現代なら電話一本で済むことに、いちいち人手が必要になる。


 しかも、品川に行っている間は、吉原の仕事が止まる。


 戻ってくれば、今度は品川の様子が分からない。


「やっぱり、人に任せるしかないか」


 今までは、それでも何とかなった。


 俺が三河屋を中心に吉原を見て、問題があれば自分で動く。


 新しい店を作れば、最初のうちは自分で細かく見る。


 そうやって一つずつ形にしてきた。


 だが、今は違う。


 俺が関わる商売が増えすぎている。


 三河屋。


 大見世の十字屋。


 中見世の伊勢屋。


 小見世の椿屋。


 切見世一棟。


 それだけじゃない。


 美人楼、万国食堂、花鳥茶屋、吉原温泉、吉原旅籠、吉原工場。


 そのうえ、俺は吉原の惣名主でもある。


「……いつの間に、こんなことになったんだか」


 自分で始めたことなのだから、文句を言っても仕方がない。


 それでも、もう限界は近い。


 俺が全部を見て回る。


 俺が全部を判断する。


 俺が全部の指示を出す。


 そんなやり方では、これ以上は広げられない。


 むしろ、今あるものすら維持できなくなる。


「俺がいなくても回るようにしないとな」


 そこまで考えて、別の問題に気づいた。


「……そのための人間が、まだ足りないんだよな」


 藤乃には、すでに人を育てる役をかなり任せている。


 おかげで、少しずつ人材も育ってきた。


 だが、店を任せられる人間となると話は別だ。


 仕事を覚えていることと、現場で判断できることは違う。


 ましてや、吉原から離れた品川の店を任せるとなれば、それなりの信頼が必要になる。


「誰にするか……」


 そう考えて、俺の頭に一人の名前が浮かんだ。


「龍だな」


 二階番の龍。


 遊女たちに直接接する役目を任せている男だ。


 派手な才覚があるわけじゃない。


 帳簿を見ただけで何でも分かるような男でもない。


 だが、龍には別の強みがある。


 現場を見る。


 そして、勝手に判断しない。


 以前、遊女が体調を崩したときも、龍は自分だけで処理しようとはせず、すぐ俺に相談してきた。


 遊女から不満を聞いたときも同じだった。


 適当にあしらわず、何が問題なのかを確かめてから報告してくる。


 そういうところを、俺は買っている。


「いきなり大役を任せる必要はない」


 まずは品川を見せる。


 俺の指示を伝えさせる。


 実際にできているか確認させる。


 問題が起きたら報告させる。


 それができるようになれば、次の仕事を任せればいい。


 少しずつ、俺の仕事を渡していく。


「……よし」


 決めた。


 俺は三河屋へ戻ると、さっそく龍を呼んだ。


「龍」


「へい」


 すぐに龍がやって来る。


「急で悪いが、頼みたいことがある」


「何でやしょう?」


「今度、品川が公許遊郭になる」


「へい。話は聞いておりやす」


「それに先駆けて、飯盛旅籠を一棟買ってきた」


「……買ってきたんですかい?」


「ああ」


 龍が目を丸くする。


 まあ、急にそんな話をされれば驚くだろう。


「そこを、品川の改革の拠点にしたい」


「なるほど」


「ただ、俺が毎日のように品川へ行くわけにはいかない」


「吉原のほうがありますからねえ」


「ああ」


 俺は頷いた。


「そこで、お前さんに品川を見てもらいたい」


「あっしが、ですか?」


「そうだ」


「しかし……あっしは二階番で」


「だからこそだ」


 龍が首を傾げる。


「お前さんは、二階番として遊女たちの様子をちゃんと見ている」


「へい」


「何かあっても勝手に話を決めず、俺に報告する」


「それが仕事ですから」


「その仕事が、ちゃんとできているから頼んでいる」


 俺は龍の目を見る。


「品川でも同じようにしてほしい」


「……」


「俺からの指示を伝える。現場を見る。できているか確認する。何かあれば報告する」


 龍はしばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくり頭を下げる。


「わかりやした」


「やってくれるか?」


「へい。あっしでよければ」


「お前さんだから頼んでる」


「……へい」


 龍が少しだけ照れたように笑った。


 これで、事実上の昇格だ。


 いきなり番頭を任せるわけではない。


 だが、自分のいる場所だけを見るのではなく、離れた店を一つ任せる。


 それだけでも、大きな一歩だ。


「俺も、なるべく品川には顔を出す」


「へい」


「ただ、吉原の惣名主でもある。品川に入り浸るわけにはいかない」


「そりゃそうでやす」


「だから、しばらくはお前さんに任せる」


「わかりやした」


 俺は一つ目の指示を出す。


「まず、飯を変える」


「飯、ですかい?」


「ああ」


 龍が少し拍子抜けしたような顔をする。


「吉原で最初にやったことを覚えてるか?」


「女たちの食事を良くする、でしたよね」


「そうだ」


 俺は頷いた。


「品川でも同じだ」


 働く人間が、毎日ろくなものを食べていない。


 そんな状態で、まともに働けるはずがない。


 だから、まず飯を変える。


 これは俺が吉原で学んだ、最も簡単で、最も効果の分かりやすい改革だった。


「女たちには、ちゃんとした食事を出す」


「へい」


「それから、主人も同じものを食べているか確認してくれ」


「……主人も?」


「ああ」


 俺は少し声を低くする。


「自分だけ良いものを食べて、女たちには粗末な飯しか食わせないような主人なら、すぐに報告してくれ」


「わかりやした」


「食費を惜しんでるようなら、それもだ」


「へい」


「病人を無理に働かせている。寝る場所がひどい。そういうことも全部報告してくれ」


 龍は真剣な顔で頷いた。


「承知しやした」


「頼んだぞ」


 これで、俺が毎日のように品川と吉原を往復する必要はなくなる。


 もちろん、まだ問題はある。


 品川から吉原へ報告を届ける人間も必要だ。


 俺からの指示を伝えるだけの文使いも必要になる。


 いずれは、帳簿を見る人間もいる。


 店を増やすだけでは駄目だ。


 人を育て、仕事を任せる仕組みを作る。


 それが、これからの俺に必要な仕事なのだろう。


 ――そう思っていた。


 翌日。


 品川から、龍の最初の報告が届いた。


 俺は受け取った文を開き――。


 最初の一行を読んだところで、手を止めた。


『主人は、女たちと同じ飯を食っておりません』


「……なるほど」


 思わず、ため息が漏れる。


 やっぱり、そう簡単にはいかないか。


 俺は文をもう一度、最初から読み直した。


 どうやら品川の改革は、思っていた以上に根が深いらしい。

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