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江戸時代の遊郭の楼主に生まれ変わったので遊女の待遇改善に努めつつ吉原遊廓の未来も変えようと思う  作者: 水源
寛文2年(1662年)

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品川の飯盛旅籠を買い取って三河屋品川分店としたぜ。

 さて。


 飯盛旅籠の「尾張屋」で働く、おじゃれに話を聞いてみた。


 どうにも、この旅籠。


 あまり景気がよろしくない。


 原因はいくつかあるようだが、一番大きいのは――伝馬の負担金が滞っていることだった。


 つまり、金がない。


 明暦から元禄にかけては、全体として景気が悪い時代ではない。


 だが。


 景気がいいからといって、誰も彼もが商売で成功するわけではない。


 バブルの時代だってそうだった。


 景気がいいからと商売を始め、借金を抱えて潰れる者はいた。


 コンビニやデリヘルが一気に増えた頃だってそうだ。


 「これからはこれだ」ともてはやされても、実際に経営してみれば失敗する者は少なくない。


 むしろ、流行が定着してから参入した者のほうが、競争が激しくなっている分だけ苦労する。


 結局のところ――


 商売は、景気だけでは決まらない。


「まあ、誰がやっても経営がうまくいくってわけじゃないしな」


 というわけで。


 翌朝。


 俺は尾張屋の主人と直接話をすることにした。


「お前さんが、ここの旅籠の主人かい?」


「はい。そうですが……」


 主人は青白い顔をしている。


 どうやら、昨日の時点で俺が何者なのか、ある程度は聞いているらしい。


「何か、重大なお話があると伺いましたが……」


「ああ」


 俺は頷いた。


「この旅籠の権利を、借金ごと買いたい」


「……え?」


「もちろん、女中や下働きの者も含めてだ」


 主人が目を見開いた。


「こ、この宿を……ですか?」


「ああ」


「ですが……」


 主人は一瞬ためらってから、おそるおそる口を開いた。


「千両は必要になりますぞ」


「千両か」


 現代の感覚なら、おおよそ一億円。


 決して安くはない。


 だが――。


「問題ねえ」


 俺は即答した。


「俺は吉原の惣名主をやってる三河屋の戒斗だ。昔ならいざ知らず、今の俺なら、それくらいは何とかなる」


「吉原の……惣名主様……」


 主人は目を丸くした。


 そして、しばらく黙り込んだあと。


「……では、私はお払い箱ということで?」


「いや?」


 俺は首を振った。


「お前さんが俺の指示に従って、ここを経営してくれるなら、そのまま主人でいてもらって構わねえ」


「私が……?」


「ああ」


「では、どのような条件で?」


「まず一つ」


 俺は指を一本立てた。


「おじゃれや留女、下女なんかの下働きの者にも、ちゃんと飯を食わせろ」


「……はい?」


「そして、お前さんも同じものを食え」


「…………」


 主人の顔が引きつった。


「わ、私に……下女と同じものを食べろと?」


「ああ」


「それは……」


「嫌なら辞めてもらっても構わん」


 俺は淡々と言った。


「俺はそうしてるけどな」


「……」


「それに品川なら、蜆や蛤を売り歩く棒手振りだっている。働く気があるなら、食っていく道はいくらでもあるだろ」


 主人は黙り込んだ。


 今まで経営者として、使用人より良いものを食ってきたのだろう。


 突然、


 ――これからは皆と同じ飯を食え。


 と言われれば、そりゃ納得しにくい。


 まあ、俺自身も昔は結構甘やかされていた。


 だから気持ちはわからなくもない。


 だが。


 今のこいつに、そんな贅沢を言っている余裕がないことも確かだ。


 しばらくして。


 主人は、ようやく顔を上げた。


「……わかりました」


「ああ」


「私も、皆と同じものを食べるようにいたします」


「それでいい」


「それから……?」


「俺のところから若い衆を何人か置かせてもらう」


「若い衆を?」


「ああ。帳簿や仕入れも見させてもらう。俺自身も、できるだけこっちに顔を出す」


「……わかりました」


「それと」


 俺はもう一つ付け加えた。


「最低でも一汁一菜くらいは、毎日きちんと食わせてやれ」


「はい」


 俺が商売をするうえで、大事だと思っていることがある。


 従業員の待遇を悪くしすぎないことだ。


 売上が悪くなる。


 だから給金を削る。


 飯を削る。


 待遇を削る。


 だが――。


 経営者だけは自分の取り分を確保する。


 これでは、現場の人間がやる気を失うのも当然だ。


 従業員に働いてもらいたいなら、経営者だって相応に覚悟を見せなければならない。


 そして、現場が一人辞めた。


 それでも店が回ってしまった。


 すると経営者は、


「一人減っても大丈夫じゃないか」


 と考える。


 だが。


 残った連中には確実に負担が増えている。


 そこで、もう一人辞める。


 さらに一人。


 気づいたときには――。


 店そのものが回らなくなっている。


 それを、


「最近の従業員は根性がない」


 なんて言って従業員のせいにする経営者もいる。


 俺に言わせれば、それは経営者の無能だ。


 人手不足というのは、単純に人がいないから起きるわけじゃない。


 その職場に、人が残りたいと思える魅力がない。


 それも大きな原因だ。


 だからこそ。


 経営者は現場の目線を持たなければならない。


「じゃあ、品川の名主さんのところへ行くか」


「はい」


 こうして俺は、尾張屋の主人を連れて品川の名主のもとへ向かった。


「おや?」


 俺たちを見るなり、名主が首を傾げる。


「三河屋さん。それに尾張屋さんまで。いったいどうなさいました?」


「ああ」


 俺は簡潔に説明した。


「俺は尾張屋の旅籠を、借金ごと買いたい」


「……ほう」


「こっちとは話がついている。だが、名主のお前さんにも話を通しておかねえとな」


「なるほど」


 名主は尾張屋の主人を見る。


「では、滞っている伝馬の負担金も、三河屋さんが肩代わりしてくださる、と?」


「ああ」


「その代わりに?」


「尾張屋の経営は俺がする」


 俺は主人を指した。


「こいつには番頭として残ってもらう。ただし、俺のところから若い衆を派遣する」


「ふむ……」


 名主は少し考え込んだ。


「それなら、必要になるのは千両ほどになりますが?」


「ああ」


 俺は頷いた。


「問題ねえ」


「……わかりました」


 名主も頷く。


「では、金の受け渡しは後ほどとして、証文を作成いたしましょう」


「ああ、頼む」


 そこで、ふと思いついた。


「あと――」


「はい?」


「屋号が尾張屋のままってのも、なんか不吉だ」


「不吉……ですか?」


「せっかくだ。三河屋品川分店にしてくれ」


「なるほど」


 名主は苦笑しながら頷いた。


「わかりました」


 こうして。


 俺は尾張屋を買い取った。


 借金も引き受け。


 働いている女たちも、そのまま引き継ぐ。


 主人には番頭として残ってもらい、俺のところから若い衆を送り込む。


 そして屋号は――。


 **三河屋品川分店。**


 これが、俺の品川進出の第一歩となった。


 もちろん。


 千両という金は、決して安くない。


 だが。


 俺は、吉原の改革でも同じことをやってきた。


 外から、


「こう変えろ」


 と言うだけでは、現場は変わらない。


 ならば――。


 自分で中に入る。


 経営そのものを握り。


 現場を見て。


 働く者の待遇を変え。


 少しずつ仕組みを変えていく。


 品川を変えるなら。


 やはり、これが一番確実だろう。


 吉原でやったようにな。

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