品川の魚介類は新鮮でうまいな
さて。
品川を公許遊郭として整備する話が決まった以上、まずは自分の目で、この町を見て回ることにした。
地図や報告書だけを見て、町のことを知ったつもりになるわけにはいかない。
実際に人がどこを歩いているのか。
何を食べ、どこで金を使っているのか。
そして、何に不便を感じているのか。
それを自分の目で確かめる必要がある。
俺は供の者を連れ、品川宿の通りを歩き始めた。
品川宿は、目黒川を境に大きく二つに分かれている。
川の北が北品川宿。
南が南品川宿だ。
後の時代には、このさらに北側の町並みも宿場町に組み込まれ、歩行新宿と呼ばれるようになるのだが、それはまだ六十年ほど先の話である。
今の品川は、北品川と南品川の二宿が中心だ。
北品川には本陣など格式の高い施設があり、大名や身分の高い旅人も利用する。
一方、南品川には一般の旅人が利用する旅籠や木賃宿、茶店などが多い。
当然、宿場としての人の流れもこちらのほうが庶民的だ。
「なるほどな……」
俺は通りを眺めながら呟いた。
東海道第一の宿場。
江戸へ入る直前という立地だけあって、人の往来が多い。
しかも寛永十二年から始まった参勤交代によって、大名やその家臣たちが東海道を通る機会も増えている。
それだけではない。
伊勢参りや江ノ島参り、大山参り、富士参り。
さらに伊豆や箱根へ湯治に向かう者たち。
そうした人々も、この道を利用する。
「最近、俺も東海道を歩いていることが多い気がするな」
思わず苦笑する。
だが、それだけ人が動くということだ。
そして、人が動けば商売が生まれる。
品川では、その商売の一つとして、すでに遊興も盛んになりつつあった。
幕府は吉原以外の遊女を認めていない。
それでも、旅籠には飯盛女と呼ばれる女たちが置かれている。
表向きは給仕をする女。
だが、実際には旅人相手に夜の相手をする者も少なくない。
つまり――。
「ここにも、実質的な遊興地ができ始めているわけか」
もちろん、吉原とは違う。
吉原のように幕府から公認された遊郭ではない。
旅籠を中心とした宿場の遊興だ。
だが、需要があることは間違いない。
問題は、その商売が常に危うい立場にあることだ。
幕府が禁じている以上、いつ摘発されてもおかしくない。
旅籠側からすれば、繁盛すればするほど目を付けられる可能性も高くなる。
「だったら、いっそのこと公許にしてしまったほうがいい」
俺は品川の町を見回した。
吉原と同じものを作る必要はない。
むしろ、同じものを作るべきではないだろう。
吉原は江戸の町の中にある遊郭だ。
対して品川は東海道の宿場。
江戸へ来る人間。
江戸から出ていく人間。
東海道を旅する人間。
参勤交代で通る大名や家臣。
そして江戸近郊から遊びに来る町人。
客の流れが違う。
「……ここは、化けるな」
まだ吉原ほどの規模ではない。
だが、立地だけなら申し分ない。
江戸から近い。
東海道に面している。
人の往来が多い。
海もある。
そして――景色もいい。
東へ目を向ければ江戸湾。
天気が良ければ、その向こうに房総半島の山々が見える。
西側に目を向ければ、富士山を望むこともできる。
夜になれば、海で魚を獲る漁師たちの篝火が見える。
「これは、吉原とは違う売りになるな」
遊女遊びだけを目的にするのではない。
料理を楽しむ。
海を眺める。
魚を食べる。
旅籠に泊まる。
そして、そのついでに遊ぶ。
そういう場所にすればいい。
品川そのものを、一つの観光地として育ててしまうのだ。
「問題は……」
俺は足を止めた。
目の前を流れる目黒川を見る。
「水害だな」
目黒川は、周辺に降った雨が集まりやすい。
大雨が降れば川が増水し、周辺の土地が水に浸かることもある。
一部では護岸も整備されている。
だが、大規模な水防工事をすれば、その分だけ周辺の耕地が狭くなる。
農地を守りたい者にとっては、簡単に受け入れられる話ではない。
「壊れてから直すより、最初から被害を減らしたほうがいいんだがな」
とはいえ、これは俺一人で決められる話ではない。
土地の問題もある。
農民の生活もある。
幕府との調整も必要だ。
「まあ、遊郭を作るまでには時間がある」
まずは他の問題から片付けるべきだろう。
それにしても。
「腹が減ったな」
せっかく品川まで来たのだ。
実際に、この町の食がどれほどのものなのか確かめてみるのも悪くない。
俺は評判の良さそうな料理屋へ入った。
「へい、いらっしゃい!」
「一人だが、いいかな」
「へい! もちろんでございます」
「では、おすすめで頼む」
「承知しました!」
しばらくすると、料理が運ばれてきた。
「穴子の白焼きでございます」
「ほう、穴子か」
箸を入れる。
ふっくらとした身に、程よい脂。
うなぎほど重くなく、さっぱりしている。
「うん。これはうまいな」
海が近いだけあって、魚の扱いには自信があるらしい。
続いて出てきたのは鯵だった。
「鯵の刺身でございます」
「なるほど、次は鯵か」
からし酢を少しつけて口に運ぶ。
「これもいい」
「港で獲れたばかりの旬魚ですからね!」
店主が胸を張る。
そして、次に運ばれてきたのは――。
「初鰹の火焼膾でございます」
「初鰹か」
思わず笑みが浮かんだ。
鰹の表面を火で軽く炙り、塩や酢を合わせた料理。
香ばしい表面と、中の鰹の旨味が実にいい。
「初鰹とは、なかなか粋だな」
「へへっ、ありがとうございます!」
これは値段も相当するだろう。
初物というだけで喜ばれるのが、この時代の初鰹だ。
そして最後に運ばれてきたのは――。
「栄螺の刺身でございます」
「最後は栄螺か」
酢味噌をつけて口に運ぶ。
コリコリとした食感が心地いい。
「……うん。これもうまい」
結局、最初から最後まで満足できる料理だった。
「ああ、うまかった」
俺は店主に尋ねる。
「勘定はいくらだ?」
「へい。二両でございます」
「二両か」
安くはない。
だが、これだけの料理を食べれば、それくらいはするか。
俺は小判を二枚取り出して渡した。
「ありがとうございます! またご贔屓に!」
「ああ。また来ると思うぜ」
店を出る。
腹も満たされたところで、改めて品川の町を眺めた。
「やっぱり、悪くない」
人がいる。
海がある。
魚がうまい。
景色もいい。
そして、東海道を通る旅人がいる。
これだけの条件が揃っている。
公許遊郭を作るだけでなく、料理屋や宿、茶店なども含めて町全体を整備すれば、かなり面白い場所になるだろう。
「三河屋の支店も出したいところだな」
吉原とは違う客層を狙える。
だが、そのためには人手が必要だ。
暖簾分けをするにしても、遊女も若い衆も足りない。
「さて……どうしたものか」
人を集める。
土地を確保する。
遊郭の区画を整える。
幕府との調整をする。
治安も整えなければならない。
そして目黒川の洪水対策も必要だ。
「やることが多いな……」
だが、時間はある。
まだ公許遊郭としての形を作るまでには、準備期間が必要なのだから。
「一年くらいは、じっくり準備できるか」
俺はそう呟きながら、再び品川宿の通りを歩き始めた。
まだ、この町は完成していない。
だからこそ――。
俺の手で、これから作り上げる余地がある。
そんな気がしてならなかった。




