後編・俺が勇者を辞めたワケ
あの頃の俺は、無知が服を着て歩いていたようなものだった。
生まれた時から光の属性があるという理由で、目覚め始めた魔王を斃す為に勇者としての教育を受けた。人は絶対的な善。魔は悪。
魔を斃す為に、俺は勇者として日々魔法と剣の腕を磨く。
俺は、いや、俺たちは心優しい人々に囲まれ、修行し、そうして十数年間生きてきた。こんなに優しい人間を理由もなく殺す魔の者は誰かが斃さなければ。俺の身を引き換えにしてでも、とその時は本気で思っていた。
そんな俺の考えが崩れ始めたのは、あの時。
彼女が……光り輝く精霊族の彼女を見た瞬間から、俺の絶対は崩れ始めていた。エディアルははっきり言って、俺たち人間を嫌っていた。
精霊族は人と友好関係にあると聞いていただけに、俺としては何故?と驚いたのだが、そんな彼女はお人よしだった。人じゃないからこれは違うんだろうけど、彼女は本当に優しい精霊だったのだ。
「精霊族の私以上に人の事を知らないでどうする」
と、余りにも市井の事を知らない俺たちに、彼女は呆れたような言葉を吐き出しながらも丁寧に教えてくれた。
同じ事を何度聞いても、その都度嫌がらずに教えてくれたのだ。彼女はただの同行者。本当はそんな義務なんてない。
そして、人に捕らえられた精霊を解放し、彼女は俺たちには決して向けない慈愛の表情を浮かべ、傷ついた精霊たちを精霊界へと還していく。
捕らえられていた精霊は、人を怖がっていた。俺たちが人という事だけで近付く事さえ出来なかった。
人は、絶対的な善ではないのか?
俺の心に、また一つの疑問が沸く。
けれど俺は勇者としての生き方しか知らず、勇者として死ぬのだと思っていた。
その心のまま俺たちは魔界へと足を踏み入れ、魔王を斃した。
俺たちは生き残った。
死ぬと思っていたから、これは予想外だった。
けれどそれは俺たちの勘違いで、必ず死ぬ定めだったのだ。そんな死ぬ俺たちを救ったのは、俺の心に波紋を起こした彼女だった。
彼女の光り輝く髪が、魔の色に染まっていく。
光の精霊として、精霊王に次ぐ力と美を兼ね備えていた彼女。
俺たちに、自分の為に生きてみろといい、転移の陣を発動させ俺たちを逃がした彼女。
最後に彼女が見せた微笑が俺の心を抉ったような気がした。
魔王は斃したのに、それなのに俺たちの心は虚ろになったまま帰還した。けれど俺たちを出迎えたのは歓喜に踊る国民と、表情こそよくぞ帰ったと感極まった王族たち。けれど気付いてしまう。俺たちが生きて帰ってきた事への戸惑いと不安と怒り。
何故?と、問う事は出来なかった。
彼女は魔の色に染まっていった。ひょっとして、俺たちがアレを受けていたら、俺たちも魔になったのでは?
そして最後まで抵抗し、俺たちが負ける瞬間に新たな魔王が生まれるのでは。
そんな疑問に答えてくれたのは、彼女が救った精霊たちだった。
俺たちは、元勇者であった魔王を斃し、次世代の魔王になり次世代の勇者に斃される役目を与えられた人間だった。
そのサイクルをつくり、人は絶対的な繁栄を手に入れていたのだ。
「はは…」
彼女は、俺たちをこんな世界を残す為に、一人あの冷たい城に残ったのだろうか。
「俺たちは…」
彼女は、こんな色を失った世界で俺たちに生きれというのだろうか。
「何故…」
彼女こそ光り輝く者だったのに、闇に染まらねばならなかったのか。
それもこれも全て、俺たちに俺たちの生を与える為だったのか?
自分の為に生きてこなかった俺たちに、自分の為に生きろと言葉を残し、俺たちを人界に還したのだろうか。
俺たちが勘違いしていた世界に――…。
この日を境に、俺は勇者としての俺を殺した。
これから得られる地位も名誉も何もかも捨てた。
彼女を犠牲にして得たものなど、何の価値も見出せない。
勇者と魔王の定めを作り出した人間。
利を貪る王族。
俺は勇者を辞め、俺は魔となった。
利を貪る王族を滅するために。
これ以上勇者という存在が生み出されないように。
俺は、光を捨て自身を闇で染め上げた。
エディアル。
君が俺の隣にいたら何て言うだろうか?
けれど、ね。
これが俺のやりたい事なんだ。
俺自身の意志で決めた事なんだ。
昔は銀色に輝いていた俺の半身とも呼べる剣。
今は黒曜に輝き、人の血を吸う魔になった。
彼女程ではないにしろ、光に染まった俺の髪は今では黒い光を放っている。人では持ち得ない魔の色。
エディアルと同じ色だ。それだけで愛しく思える。
「さぁ…狩りに行こうか」
こうして俺は人を辞め勇者を辞め。
魔の眷属と成り果てた。




