32.河童池の精霊 その1
河童アニキは溜め池の一部を石で囲い、そこに生け捕りにした鮎を泳がせていた。
掻い掘り作業の後、エリは鮎を見せてもらった。
「おー、鮎だ」
エリは歓声を上げた。
『下』にも川は流れているが、エリの家からは少し離れているので珍しい。それにさすがに鮎は捕ったことがない。
「エリも鮎、食うのか?」
「あ、うん」
祖父が元気な頃は自ら釣った鮎を、夏が来ると食べさせて貰った。
エリが子供の頃だから十年以上前のことだ。
「じゃあ少しやるよ」
「えっ、いいの?」
「ああ、ズッキーニ貰ったし、池の水が綺麗になったら、こいつらも喜ぶし、持ってけよー」
と河童アニキは気前よく鮎を二匹くれた。
エリは『明日はアニキの分もキュウリ持ってこよう』と心に誓った。
***
家に帰ったエリはまずカレンダーを見た。念入りに日付を確認する。
そして。
「よし、解禁日過ぎてる!」
魚は一年中自由に取っていいわけではなく、魚の保護などを目的に禁漁の時期が法律で定められている。
これを破ると密漁になる。
鮎漁の解禁日は地域によって異なるが、通常六月一日。寒梨村はそれより一足早く、五月末から解禁されることが多かった。
今年も無事に鮎漁は解禁されていた。
「良かったー」
エリは安堵した。
河童に法律は関係ないだろうが、河童から貰った鮎を食べたら法律違反になるかもしれない。知らないけど。
ギリギリで犯罪を免れたので、エリは井村の家に向かった。
「井村さんー、鮎貰ったー、一匹だけど、食べて」
「おや、エリちゃんありがとう。これ、持っていきな」
井村も嬉しそうだ。里芋とゼンマイの煮物とほうれん草の白和えをくれた。
ちなみに貰った鮎はバケツに少量の水を入れて持って帰ったが、持ち運びの最中で死んでしまった。それほど繊細な生き物なのだ。
家に帰ってエリは早速夕食の準備を始めた。
今日もしっかり働いたのでメインは「肉」と決めていた。
豚の塩麹漬けである。
エリが食材調達に南徒市に行くのは一週間から十日に一度。
肉類は味噌や塩麹に漬けて空気に触れないように保存すると冷蔵でも数日賞味期限が延びる。冷凍すると二週間はイケる。
この前蔵元に行った時に乾燥麹が売っていたので買ってきたのだ。
乾燥麹に塩と水を混ぜてよくかぎませる。一日一回かき混ぜながら待つこと数日。塩麹の完成である。
塩麹は冷蔵で三ヶ月、冷凍すると一年は保つので使い勝手が良い。
その塩麹だれを塗りつけて三日。
丁度食べ頃のロース肉があるのだ。
スライサーでキャベツを千切りにする。豚の塩麹漬けの付け合わせにするつもりだ。もう一品、オクラとワカメと梅干しの酢の物。そして麩と椎茸と焼きネギのお吸い物を作る。
鮎は、よく洗った度、水気をしっかり拭き取り、内臓は取らないで、尾びれや背びれが焼け落ちないように多めの塩を塗りつけておく。
その後熱した魚用のグリルで焼いた。
エリの家のグリルだと焼き上がるのに中火で十分くらいかかる。
その間に、フライパンで豚の塩麹漬けを焼く。
塩麹漬けが焼けた頃、鮎も焼き上がったが、まだ取り出さない。そのままグリル内に置いて数分蒸らすのがポイントだ。
ご飯と井村から貰ったお惣菜二品。豚の塩麹漬けキャベツの千切り添えに酢の物、お吸い物を食卓に用意した頃、蒸らしも終わる。
鮎を皿に盛ったら夕食である。
まずは鮎から。
「あ、美味しい」
解禁直後の鮎はまだ小ぶりだ。ただその分、骨まで柔らかく、より一層キュウリのような香りが強い。
さすが河童アニキだ。今まで食べた鮎の中で一番美味しい。
掻い掘りも後ひと頑張り。
鮎も肉も副菜ももりもり食べて、明日からの作業に備えるエリだった。
***
それから二日後、余分な泥を池から抜き取り、河童池のなんちゃって掻い掘りは無事終了した。
おそらくこれで河童池の水質も良くなるだろう。
作業が終わったので、エリは上流に行く。
作業の間頑丈な木の板をはめ込み、貯水池側に流していた川の水を取り外し、また河童池側に戻す作業だ。
一辺に流れを変えると危ないので、バールを木板の隙間に差し込み、テコの原理で少しずつ浮かせ、隙間を開けていく。
最初は小さな水の流れだったが、次第に水の量は増え、木の板をすべて開けると河童池へと勢いよく水が注ぎ込まれていった。
「終わったー」
と感無量のエリだったが、結局、金の斧は見付からなかった。
また、これが水質悪化の原因というものも見付からなかった。
ただ、原因が特になくても池の水質が悪くなるのはよくあることらしい。
これで駄目なら後は専門家に調査を依頼するしかない。水質が改善したかは、水を入れて三日ほどで分かる。
何はともあれ、村の仕事を一つ成し遂げた訳である。
「ねえねえ、うちの畑でついにキュウリが生え始めたんだー。今日少しだけど持ってきたから食べない?」
などと浮かれて河童達に話しかけたエリは先程使ったバールを『ポチャン』と池に落としてしまった。
「あ、私のバール!」
「エリちゃん、落としちゃったの?」
「取ってきてあげるよ」
「待ってて」
と子河童達が池に飛び込もうとしたその時、池から水流が立ち上る。
「えっ?」
エリは硬直した。
水流の真ん中に立っていたのは、エリがそれまで見たことがない『もの』だった。
立ち上った水流は二メートルくらい。
瞬く間にそれは神社の巫女さんのような服を着た女性の形に変化したのだ。
「は?」
河童は分かる。いや、分かんないけど、見て話して鮎を貰っちゃった以上、認めるしかない。
だが、これは一体……何?
呆然とするエリに向かって、水は言った。
「あなたが落としたのはこの『バール』ですか?」
透き通るような、綺麗な声だった。
よく見ると彼女は手にエリが落としたバールを持っている。
「……!」
驚いて声も出せないでいるエリに彼女はさらに問いかける。
「この『銀のバール』ですか?」
その手からエリのバールが消えて、ギンギラに輝く銀色のバールが現れた。
「それとも……この『金の斧』ですか?」
「金の斧!?」
彼女が見せてきたのは、金色に輝く金の斧だった。




