03.村職員就任! その3
「市では頂戴した履歴書を、氏名、住所など個人を特定出来ないようにしてから求人を出している企業に公開しています」
と栗原は説明した。
「百田さんの経歴は問い合わせが多かったのですが、いかんせん、お住まいが寒梨村だったものですから……」
栗原は言い濁した。
「南徒市まで通うのはちょっと無理ですよね」
寒梨村から市までは、車で一時間半。
時間も掛かるが、それ以上に道路は曲がりくねった山道で、いわゆる『酷道』である。
さらに道路照明灯も少なく、夜になるとかなり危ない。
エリはまあまあ運転スキルに自信がある方だが、それでも毎日あの道を通勤するのは正直難しいと思う。
市で働くには村を出ていくしかないのだ。
祖母が体が衰え、一人暮らしが難しくなったと聞いて、エリは即座に寒梨村への移住を決断した。
エリも祖母も肉親といえばお互いだけ。
エリは二十四歳。
まだ若くて、資格も持っている。
なんとかなるだろうと甘く見ていたが、寒梨村はエリの想像以上にド田舎であった。
「今回お願いするのは村でのお仕事なので、原則出勤はありません。ですが、一週間か二週間に一度、市役所に報告等に来て頂く必要があります。それは問題ないですよね」
「はい」
とエリは頷いた。
村では商店もないので、二週間に一度の買い出しは必須だ。
「百田さんにお願いしたい業務内容は、まず村役場の運営です」
市の嘱託職員になれば、このまま村で暮らしていけるかもしれない。
期待に胸膨らませるエリだったが、栗原の言葉を聞いて一辺に気持ちがしぼんだ。
「あの、私、簿記とかそういう資格持ってないです。経験もありません」
エリはガッカリした気分で栗原に言った。
エリの言葉を聞いて栗原は首をかしげた。
「……簿記? ああ、まああった方がいいかもしれませんが、それより、必要なのは前のお仕事の経験ですよ。いえ、それがなくともお願いしたでしょう。これはまさに神のお導きです」
栗原は一人感動しているが、言われたエリはなんだか分からない。
「あの、どういう……?」
「百田さん、そのご様子では、まだ村役場を見てませんね」
「は、はい」
そうなのだ。
寒梨村でエリが知っている場所といえば、引っ越し直後に祖母と一緒にご挨拶回りをしたご近所数件と、近くのお地蔵様、あとは百田家の菩提寺である神鳴寺だけだ。
移住してすぐ、村を散策してみようと考えたこともあるが、「マムシが出るから、一人で出かけなさんな」と祖母から言われ、諦めた。
「マムシー」
と身震いするエリに対し、
「今度お祖母ちゃんが案内してやるからな」
祖母はそう言って笑ったが、その機会はなく、祖母は亡くなってしまった。
「……」
祖母のことを思い出し、エリは涙がこぼれそうになる。
「まずこれをご覧下さい」
そう言って、栗原はテーブルに何か大きな紙を広げた。
エリはあわてて涙を拭い、紙を見る。
「これは?」
「寒梨村の地図です。寒梨村は二つのエリアに分かれています。山に近い方が『上』、その下が『下』。百田さんのお宅はこの『下』の上の方ですね」
「はい、そうです」
エリの家の住所は寒梨村下100番という。
「村役場はここです。『上』の山裾側」
「ここなんですか……」
エリの家から通り一本向こうの建物だ。
家から見えてもおかしくないほど近くだが、見覚えはない。
丁度大きな木に隠れている方角だ。歩いて五分くらいの距離だとエリは推測した。
「村の中心に当たります。かつては村の憩いの場でもありましたが、十年ほど前に閉鎖されました。まず百田さんにお願いしたいのが、この村役場の再開なんです。具体的にいうと掃除です」
「はあ……」
これって嘱託職員の仕事なんだろうか。ちょっと思っていた仕事と違う……。
――いや、かえって良かったかも。
とエリは思い直す。
掃除なら資格がなくても出来るはずだ。
「しかしここで問題がありまして」
「はい」
「この村役場なんですが、電気『は』通ってます」
「……電気『は』?」
思わずエリは聞き返す。
栗原は頷いた。
「はい、村役場だけでなく、『上』地区には水道がないんです」
「えっ、そうなんですか? うち、水道来てますよ」
エリは驚いて栗原に聞いた。
「はい。『下』は水道管が通っていますが、『上』は井戸水を汲み上げて使っていました。十年前、村役場の閉鎖と共に、共同井戸は閉鎖されました」
「それって、すっごく不便ですよね。そういえば、お寺の住職さんは『上』に住んでますけど、どうしてるんでしょう……?」
ご近所は全て『下』の方にあった。だからエリの家同様に家々に水道はあるはずだが、神鳴寺は『上』にある。
お墓参りに行った時のことを思い返してみると、水は石で出来た大きな手洗い場のような場所から汲んだ。
あの水は水道の水ではなかったらしい。……っていうか、どこから来た水だったんだろうか。
とエリは改めて疑問に思った。
「神鳴寺のご住職は山の湧き水を寺まで引いて使っているそうですよ」
「あ、そうなんですか……」
神鳴寺は狸坂という坂の上にある。『上』でも一番右端に位置し、沢から湧き水を引き易い場所にある。
「では、村役場も湧き水でなんとかする感じですか?」
とエリは栗原に質問した。
「いいえ、村役場の裏手に共同の井戸があります。そこの水を使ってください」
「えっ、井戸?」
井戸って、あの、井戸だろうか。
まさか、水が欲しい時は、井戸に水を汲みに行く?
昭和?
「直接汲むのではなくて、ポンプを設置します」と栗原は訂正した。
「ポンプ?」
「この辺りは飲料水として井戸水を使うのはそれほど珍しくないんです。山のこの辺りに」
と栗原は山の中腹を指さしながら言った。
「貯水池がありまして、そこから山の高低差を利用して各家に水を送るシステムでした。井戸の側に送水用のポンプが設置されていますが、これら一式を稼働させるのは大事です」
エリは大きく頷いた。
専門外なので詳しくは知らないが、貯水池を再稼働させるには一度池の水を抜き洗浄する必要がある。
送水用のポンプは状態が良ければ二十年以上使える。
だが放置されて十年。最低でも、一度バラして洗浄、メンテナンスをしないと駄目だろう。
それから各家に引く地中に埋められた水道管の漏水チェックやメンテナンスも不可欠だ。
数百万から一千万円コースの大工事となる。
「全面復旧はまた後ほどということで、当面は、村役場で使う分だけを動かします」
これだと小型のポンプでパイプ一本分を汲み上げるだけで済む。
電源は村役場から引っ張ってくればいいし、小型ポンプで水を引いて、村役場の水道管につなぎ直すだけでOK。
掛かるお金は、数十万クラス。
しかもエリ一人でこなせる作業だ。
「井戸は深井戸と言って地中深くまで掘った井戸です。深井戸は濁りにくいと言われていますから、状態が良ければ飲み水として使えるはずです。ここの水は昔は名水で有名だったそうですよ」
「へぇ」
「市の保健所で水質検査しますので、サンプルが取得出来たら送って下さい」
「あ、はい」
嘱託職員の最初の仕事は村役場の掃除らしい。
掃除するには水が必要だ。
井戸を復旧させるのが先決である。
「ここまでで何か質問はありますか?」
「あの、村役場の電気設備やポンプの配線なら、私で多分なんとかなります。でも水道管が損傷していたりしたら、私ではどうにも出来ません」
エリは電気系は自信ありだが、水道関係はまた別の資格なのだ。
「ああ、その時はもちろん、ご連絡ください。用事があれば、我々も入れます」
「用事があれば?」
栗原はおかしなことを言い出した。




