28.金の斧を探せ!
エリは辺りを見回し、「うわー」と思わず声を上げた。
エリの眼前に広がるのは、予想通り一面の荒れた藪だった。
実はまだエリは河童池に辿り着いてない。
ここは百メートル手前の元道路だ。
この辺りはコンクリートで舗装されておらず、地面は土だったので、ぼうぼうに草が生えている。
しかし元道路であるため、基本平らで長年にわたり踏み固められ、今も所々草が生えていない場所があった。
故に少し『は』歩きやすかったが、この先はそうはいかない。
エリは作業着の上下に手には草刈り鎌、顔はゴーグル、マスク、足には作業用の長靴という、都会では職質待ったなしだけど、田舎ではたまに見かける装備で、藪へと分け入った。
黙々と進み、エリはなんとか河童池に辿り着いた。
「うわぁ……」
エリの唇からさっきより一段低いうめき声が漏れる。
河童池はおそらくは農業用の貯水池だったのだろう。
村史ではそう書かれていた。少なくとも明治以前からあったらしい。
池はひょうたん型で、ほんの少し小さな円の方が上流側、少し大きな円が下流側である。大体学校の二十五メートルプール一個半くらいの大きさだ。
池の水はかなりドロドロだ。
藻が繁殖し、異臭も漂っている。
しかしドロドロ具合はA-くらい。
エリは以前、バイクが突っ込んでその後放置された田んぼを見たことがあるが、あれはすごかった。Sランク。
ガソリンの腐敗臭はすごい。
心折られる感じの匂いがする。
それに比べるとまだましだが、マスク越しにも臭い。
村史異伝によると、ここから金の斧が見つかったそうだが、藻が繁殖しすぎてまったく見えない。
「これマズイかも」とエリは思った。
寒梨村は基本水が綺麗なところだ。
山の水を引いた貯水池はエリが住む『下』もいくつかあるが、どこの池の水も綺麗だ。
なのに山に近いはずのこの河童池だけとても汚い。
河童池は田んぼなどに水を引くための農業用池として使われていた。河童池から本来なら周辺の田んぼに水を流すための水路があるのだが、流木などで水路は塞がっていた。
幸か不幸か、汚染された水は河童池でせき止められて周囲には影響がないようだ。
河童池は村役場の井戸から距離が近い。
村役場の井戸は深井戸らしいのでそう簡単に汚染されないのかもしれないが、自分が飲んでいる水の近くが汚いのはちょっと気になる。
今のうちに手入れした方がいいかもしれない。
エリは臭気を我慢して河童池の向こう側に回り込んだ。
細い水路がある。これが河童池の水源だ。
エリはそのまま水路に沿って進んだ。
「やっぱりあった」
エリが探していたのは、沢の水を一時的に堰止める取水用の小さな溜め池だ。
河童池のような農業用池には、大雨の時、山からの水で池が氾濫しないよう、途中で水を逃がす仕組みがある。
万が一河童池が氾濫しそうになったら、水門を閉じて、沢の水を別の水路へと流す。
今はその取水設備自体が使われておらず、水門も閉じている。泥の溜まった浅い窪みに、水が少しだけ流れていた。
溜め池を見て、エリは首をひねった。
「なんかおかしいな」
沢の水も溜め池の水も綺麗だ。
なのに、河童池だけが汚い。
池に何かあるのかも知れない。
いずれにせよ、目視では池の水が汚すぎて原因が分からない。
エリは、「取水設備があるから、とりあえず掻い掘りしよう」と思いついた。
掻い掘りというのは、池や沼の水を抜いて、泥をさらい、天日に干す池の管理法だ。
今回のように水質が悪くなってしまった水質を向上させるのに有効だ。
本当の掻い掘りはかなり大変なので、エリがやろうとしているのはなんちゃって掻い掘り。
水を溜め池側に水を受け流し、河童池の水位を低くしたのち泥を攫う作戦だ。
***
エリは早速翌日から河童池の掻い掘り作業を開始した。
溜め池に水を迂回させ、更に河童池から周辺の田んぼに水を逃がして河童池の水位を下げる。
今は五月の初め。
六月に入り梅雨になると雨量が増える。その前に水位を出来るだけ下げ、泥を掻き出す。
この方法だと掻い掘り本来の目的である『池の底を天日に干す』ことは出来ないのだが、『なんちゃって』でも水質はかなり改善するらしい。
エリがまず最初に行うのは、溜め池に山からの水を迂回させる作業だ。これは木の板の水門を外せばいいだけなので簡単だ。
次に手がけたのは、田んぼに水を流す水路の流木や葉っぱを掻き出す作業。
長年放置され続けたせいか、水路には大量の流木や葉っぱを溜まっていた。それを取り除かないといけないので、作業は一日では終わらなかった。
だがエリは村役場の職員。
河童池の掻い掘りだけしているわけにはいかない。
そこで午前中は村役場を開庁し、午後は河童池で掻い掘り作業と業務を振り分けることにした。
その日、午後になったので村役場を閉庁作業中、
「ごめんください」
と村人、十条がやって来た。
「あ、十条さん、何かご用ですか?」
「いえ、用ってほどではないんですが……」
と十条は頭を掻き、エリに白い液体が詰まった一リットル瓶を手渡した。
「百田さんにお礼を言おうと思って。これ、どうぞ」
「これは?」
「うちの牧場の牛乳です。ここの草があったのか最近乳の出がいいんですよ。味も良くなっています」
「あ、そうなんですか。でもこれ、……頂いていいんでしょうか」
エリは恐縮した。
エリがやったことと言えば、草刈りに許可を出しただけなので、非常に助かっている。
むしろエリがお礼を言いたいくらいだ。
「いえ、本当に助かっていますんで、良かったら」
「では遠慮なく。ありがとうございます」
とエリは牛乳を受け取った。
「じゃあ、僕はこれで」
十条の用事はこれだけだったようで、そのまま帰ろうとしたが、今度はエリが彼を呼び止めた。
「あ、十条さん」
「はい、なんでしょうか」
「つかぬことをお伺いしますが、『上』の河童池のこと、何か知ってます?」
「河童池ですか? うーん。すみません。よく知りません」
十条は恐縮しながらそう言った。
「そうですか……」
「僕だけでなく、村の子供は皆、あの辺りは近寄ってはいけないと大人から厳しく止められていたんです。昔、何かあったみたいで」
十条は年齢三十歳ほど。あの辺りに常磐の社があったことを知らない世代だ。
「子供の頃は散々脅かされました」
十条は子供の頃を思い出したのか少し懐かしそうな顔で言った。
「脅かされた、ですか」
「はい。『河童池には河童が住んでいて尻子玉を抜かれるぞ』ってね。子供の頃は本気で信じていたので、僕を含め子供は誰もあの池に近寄りませんでした。大人になってからも、用がないのであの辺りは行きませんねぇ」
と彼は笑った。
「何もないですもんね。あの辺」
「あはは」
「ふふふ」
十条とエリは顔を見合わせ乾いた声で笑った。
「では僕はこれで」
「はい、わざわざありがとうございます」
十条と別れ、エリはふと河童池のことを考えた。
当時の大人達にとって、色々あったあの土地は忌み地のような場所になっていたのだろう。
『河童の伝説』を子供に教えることであの辺りから遠ざけていたに違いない。
あの沼は常磐の社の事件よりさらに前の時代から河童池と呼ばれていた。確かに子供には危険な大きさと深さの池だ。
おどろおどろしい河童伝説があの場所で長く語り継がれるのも納得出来る。
それにしても、とエリは思った。
「河童はないわー。いないいない」




