20.掌善童子と掌悪童子
少年に庇われて、エリはようやく我に返った。
なんだか分からないが、今はあの子が危ない。
「えっええっと、あの、あっ、危ないよ」
とあわててエリは少年に近づこうとしたが、
「駄目だよ」
と今度は後ろから腕を捕まれる。
そこには、前の少年と良く似た十歳ほどの少年が立っていた。
服装も全く同じ、白い和装だ。
ただ彼らが着ているのはよく見かける羽織袴や着流しではなく、山伏など修験者が着る山伏法衣だった。
前に立つ少年は黒い髪だが、後ろの少年の方は真っ白な髪だ。
顔立ちはうり二つだが、後ろの少年は金剛杖を持っておらず、代わりに白い蓮を手にしている。そして前の少年はキッと老婆を睨んでいるが、後ろの少年は顔に微笑みを浮かべている。
それ以外、二人はまったく同じに見えた。
「近づいたら危ないよ。エリちゃん」
と白髪の少年は言った。
エリは驚いて彼に聞いた。
「えっ、君、私のこと知ってるの?」
エリの方は二人に見覚えがない。
「うん。知っているよ。君のことはよく知っている。僕も『悪』もね」
少年はにっこり笑って言った。
「悪?」
「あいつの名前だよ。掌悪童子、僕は掌善童子」
「あ、えっと、私は百田エリです」
エリが名乗ると掌善童子はますます笑って頷いた。
「うん、知っている」
エリ達が話している間、掌悪童子と呼ばれた少年は老婆の化け物に向かって金剛杖を構えた。
「山姥よ、疾くと去れ」
山姥は掌悪童子の怒気を孕んだ警告に一瞬躊躇を見せたが、その場から動こうとしない。
「グルルルル……」
低いうなり声を上げて、未練がましくエリを見つめている。
「ならば参る」
掌悪童子は跳躍すると、三メートルを超える老婆の巨躯を手にした金剛杖で真っ二つに叩き切った。
その瞬間、霧はたちまち晴れて、
「えっ?」
エリは見知らぬ路地裏に立っていた。
「どういうこと?」
エリは思わず呟いた。
「山姥の仕業だ。あやつらは人を惑わせて自分の住処に誘い込む」
と掌悪童子は言った。
ニコニコと笑顔の掌善童子と対照的に、ムスッと不機嫌そうな表情だ。
「あのおばあさんは人間じゃないの?」
掌悪童子は呆れたようにエリを見上げた。
「あいつの姿を見ただろう?」
「そうだよ、あんな老婆はいないよ」
と掌善童子も横から口を出す。
「ですよねー」
とエリも納得したが、ふと気付いてエリは二人に聞いた。
「でも山姥ってあれでしょう?山で迷った旅人を招き入れて親切にもてなして食べちゃうって……」
恐ろしい妖怪だが、『山姥』というくらいだから、山に住んでいるはずである。
「こんな都会にも居るんだね、山姥」
とエリは感心した。
「大抵の山姥は悪くも良くもないそこにいる『もの』だ。人に親切なやつもいるし、そうじゃないやつもいる。だが――」
掌悪童子は顔をしかめた。
「あの山姥はより多くの人間を食うために山を下りた。危険なやつだ」
掌善童子が掌悪童子に質問した。
「悪、アイツを倒したの?」
「いいや、倒してない。一時的に退散させただけだ。あそこまで力を付けた山姥になると俺だけでは無理だ。菩薩様でないと」
そう言って掌悪童子はキュッと眉をひそめた。
「ただ、もうあの山姥はエリには手出ししないと思う」
「まあ、今日のところはそれでいいか」
と掌善童子は呟いて、今度はエリに向かって言った。
「ここには山姥の他にも悪鬼や悪霊がたくさん潜んでいる。気をつけてね」
「あ、はい。えっとあの、助けてくれてありがとう」
エリは二人にお礼を言った。
「いえいえ、どういたしまして」
と掌善童子は笑顔だが、もう一人の童子、掌悪童子は横を向いて、ぶっきらぼうに呟いた。
「……キヨ子に頼まれたから仕方ない」
「えっ?」
エリは息が止まりそうに驚いた。
「おっ、お祖母ちゃんの知り合い?」
「エリ、俺達はここには長くいられない。大通りまで送る。その後は宿にすぐ行け」
と掌悪童子が言い、掌善童子も言った。
「詳しい話が聞きたいなら、明日、夕方の五時くらいに地蔵堂に来るといいよ」
「地蔵堂……」
掌悪童子と掌善童子はエリを大通りまで案内した。
「あ、ホテル」
見覚えのあるホテルの看板がある。
「早く行け」
「うん、お休み」
という声が耳元でして、ハッとエリが振り返ると、そこに二人の姿は消えていた。
***
エリは翌日村に戻り、掌善童子に教えられた通り、夕方、家の近所のお地蔵様のもとへと向かった。
お供えのどら焼き三つを供えて、
「昨日はありがとうございました」
とお礼を言った。
改めて思い返すと、山姥はめちゃくちゃ恐ろしかった。
多分、幻覚。気のせい。
ものすごくリアルだったけど、あんなことあるわけないから、絶対何かの見間違い。
現実ではないけど、エリを助けてくれた掌悪童子と掌善童子は命の恩人である。
その後、エリはホテルの部屋でネットを使い調べたが、掌悪童子と掌善童子というのは地蔵菩薩の脇侍だそうだ。
脇侍というのは教化を補佐する役目で、ざっくりいうと「お地蔵様の直属の部下」である。
掌善童子は人間の善い行いを記録し、導く少年の姿をした神、だそうだ。一方、掌悪童子は人間の悪い行いを察知し、苦しみの原因を取り除く少年の姿をした神だという。
地蔵菩薩と二人の童子は、あわせて「地蔵三尊」と呼ばれることもあるそうだ。
真剣に拝んだのでエリは手を合わせている間、目を閉じていた。
拝み終わって目を開けるとそこには。
「あ、昨日の」
「来たな、エリ」
「お帰り、エリちゃん」
昨日出会った二人の少年、掌悪童子と掌善童子が立っていた。
エリは、思わず二人に問いかけた。
「あれって夢じゃなかったの?」
すると掌悪童子はムッとした様子でエリを睨んだ。
「夢なんかじゃないぞ。エリはむじな達と縁を紡いだ。一度妖怪と繋がりが出来ると他の妖怪も匂いに惹かれてやってくる。気をつけろよ」
言い方はぶっきらぼうだが、エリのことを心配しているようだ。
むじなと聞いてエリは一つ思い出したことがある。
「もしかして、むじなさんが言ってた『ドウジ様』って……」
むじなと初めて会った時、むじなはエリの家を『童子様』から聞いたと言っていた。
二人は頷いた。
「俺達のことだ」
「勝手に教えてごめんね」
「ううん、それは全然気にしてない。で、あの、お祖母ちゃんのことなんだけど……」
「ヒィー、ヒィー」と山の方で鳥が鳴いた。
寂しげな口笛のようなあの音は、夜にさえずる鳥、トラツグミの声だ。
掌善童子は空を見上げ、呟いた。
「鵺鳥が鳴いておる」
「エリ、もう帰れ」
と掌悪童子が言った。
「えっ」
「夜に外に出ていると良くない。今、村は鎮護の力が衰えている。結界はあるが、夜は脆くなる」
だがエリはまだ二人に聞きたいことがたくさんある。そこで、
「あのさ、うちに来ない?」
と提案してみた。
掌善童子も掌悪童子も目を丸くする。
「エリんちか?」
「いいの?」
「うん、色々お世話になったし、良かったらご飯食べていかない? 大したものは出せないけど……」
二人は顔を見合わせ大きく頷くと、「行く」と声を揃えて言った。




