13.狸の恩返し
その翌日、エリはいつもより少し早く起きた。
役場を開く前に、百田家のお墓参りに行くつもりだ。
地蔵堂の地蔵観音に「無事にお墓参り出来ますように」と拝んだ後、狸坂に向かう。
坂を見上げて、エリは思わず息を呑んだ。
――お腹痛くなりませんように。
と願いながら、目をつぶって一歩踏み出した。
果たして、お腹は。
痛くならなかった。
「あ、大丈夫そう」
エリは安堵して坂を登っていった。
狸坂は急な斜面ではないが、さりとてなだらかであるとは言えない。そんな中途半端に辛い傾斜がダラダラと続く坂だった。
しかし一度も転ぶことはなく、思ったより快調に、エリは坂を登り切った。
途中で、ポコポコと変な音を聞いた気がするが、多分気のせい。
「あ、桜だ」
見上げると境内にある桜の木が咲いている。
この辺りは山に近いので平地より開花が遅く、三分咲きくらい。
エリは桜を見上げてしみじみ思った。
「綺麗だなぁ」
――お祖母ちゃんと一緒に見たかったな……。
少しだけそう思い、しんみりする。
去年一緒に桜を見た祖母はもういない。
今年の桜を見上げるエリはたった一人だ。
でも桜は去年と同じく美しい。それはエリが悲しもうが苦しもうが変わらない。
少し寂しい気もするが、自然のそのどっしりとした無情はどこか頼もしくも感じられた。
そしてエリは神鳴寺横の墓地に向かい、驚いた。
「わっ、綺麗になっている」
春になったので、こまめに草取りをしないと雑草がにょきにょきと生える。
一週間以上放置した墓はどうなっているかと戦々恐々としたが、どこもかしこも綺麗だ。
墓石も丁寧に磨かれて、花台には小さな花まで生けてある。
百田家の墓だけではない。
墓全体が、綺麗に整えられていた。
「うーん、住職さんがやってくれたのかな」
エリはお礼を言いに、住職がいる本堂に向かったが、「知らん」という答えだった。
「じゃあ誰が……」
エリが思わず呟くと、住職は続けて言った。
「あの狸だろう」
エリは鸚鵡返しに繰り返す。
「あの、狸……」
まさか、本当にあの化け狸、穴野むじながやってくれたのだろうか。
もうちょっと詳しく聞きたかったが、住職にそれ以上答えてくれそうな気配はない。
役場を開ける時間も迫っている。
「ありがとうございました。また来ます」
とエリは、元来た道を戻った。
***
役場を開けると、数日姿を見せなかった一ノ瀬と鴫原がやって来た。
「ごめんください。またお水を飲ませてください」
と頼まれたので、
「はい、ただいま」
とエリは二人に水を出す。
「ありがとうございます。やはりここの水は美味しいな」
一ノ瀬の顔色は最初に見た時より少し良くなっている。
「ここのお水、本当に病気に効くんですね」
一昨日の夢の中で、むじなもそんなことを言っていた。
エリも井戸水を飲んでいるが、元々健康なせいか、特段の効果は感じたことがない。
「はい。最近は本当に体調がいいんですよ」
「ええ、本当に」
笑顔で答える一ノ瀬も、その横顔を見守る鴫原も嬉しそうだ。
「ただ」
と一ノ瀬は眉をひそめた。
「まだ竹林の方に行く体力はないなぁ」
「竹林?」
「はい。エリさんの隣の小豆お祖母ちゃんが足を悪くして、タケノコを掘りに行けないらしいのです」
「えっ、井村さんが?」
エリは驚いた。
井村宅には昨日、頼まれた買い物を渡しに言った。
その時には特に足を痛めたなんて話は聞いてない。
「井村さん、言ってくれれば良かったのに……」
エリが思わず呟くと、鴫原が慰めるように説明した。
「小豆さんと私は同じ年寄りですからね。ここが痛いのあそこが痛いのとお互い言いやすいんですよ」
鴫原が井村を訪ねた時につい漏らした話らしい。
「そうだったんですか……。それなら、私がタケノコ掘りに行きます!」
エリは宣言した。
「え、エリさんがタケノコ掘りに行くんですか?」
一ノ瀬は驚いている。
「はい、私、この村の職員ですし。村の見回りは仕事の一環です」
栗原の説明によると、その『見回り』の時に、住民に頼まれた山菜を採る程度のことは業務の範疇として許されるらしい。
「そうですか、ではエリさん、お願いします」
と一ノ瀬はエリに頭を下げた。
「?」
不思議がるエリに鴫原が言う。
「竹林は一ノ瀬家の土地なんです」
「あ、私有地だったんですか。勝手に堀りに行くとか言ってすみません」
エリは一ノ瀬に謝った。
てっきり村の土地だと思い込んでいたが、違ったらしい。
一ノ瀬は苦笑した。
「いえいえ、うちの土地とは言っても何十年も放置してきたのです。タケノコを掘るのは構いませんよ。むしろありがたいくらいです」
「そうですか、では、タケノコ掘らせて頂きます」
エリは翌日、タケノコ掘りの準備をして、竹林へと向かった。
作業服の上下に丈夫な厚底長靴、つばの広い麦わら帽子に軍手とタケノコ掘り仕様の服に着替え、手にはタケノコ掘り専用のクワ、スコップ。そして掘った入れる農作業用コンテナを二つ。
水筒やタオル、おやつ、お昼ご飯などは家にあった竹の背負い籠に入れ、作業用品一式を猫車に載せてエリは出発した。
竹林は『下』の左上側に位置している。
エリは今まで行ったことがない場所だ。
寒梨村は基本、畑か放置された元畑が多く、人家は少ない。その少ない人家も既に人が住んでいないので荒れ果て、廃屋と化している。
その廃屋すらまばらになり、エリが心細くなった頃。
竹林が見えてきた。
しかし。
「あれ?」
エリは道の真ん中に小さなやもりがいるのに気付いた。
「ヤモリかぁ」
エリは特段トカゲ系が好きではない。
悲鳴を上げて逃げるほどではないが、近寄りたくはない。
歩いているうちにどっか行ってくれないかなーと思ったが、その願いもむなしく、ヤモリはエリをじっと見つめている。
ほんのすぐ側まで近づいても、ヤモリは逃げない。
なのでエリはヤモリに声を掛けた。
「踏んじゃうよー。どいてー」
声が聞こえたのか、ヤモリは道を前方に向かってピタピタと走って行く。
エリはちょっとホッとしたが、それもつかの間、ヤモリはじっとエリを見つめている。
「?」
つかず離れず、まるでヤモリはエリを先導するように先に進む。
そして、エリが行きたいのは左側の竹林。
しかしヤモリが向かったのは、右側だ。草がボウボウ生えて、ヤブみたいになっている。オマケになんか薄暗い。
絶対入りたくない感じの不気味な雑木林である。
ヤモリはじっとエリを見つめている。
「え、もしかして、付いてこいってこと?」
ヤモリはじっとエリを見つめている。
「……」
ヤモリはじっとエリを見つめている。
「……」
ヤモリはじっとエリを見つめている。
「……」
エリとヤモリはしばしにらみ合ったが、根負けしたのはエリの方だった。
「ちょっとだけだよ」
エリは仕方なく、猫車を置いて、ヤモリの進む方に歩いていった。




