第7部 第9話 瓦解する覇道――逃亡の果て
戦場は、もはや一方的な屠殺場と化していた。
「……バカな、ありえんッ! なぜ貴様らが俺を撃つッ!!」
シオンの悲鳴が、黒い霧の向こうで虚しく響く。
正面からは、マックスウェルの「不屈の盾」を先頭に、ハクザン軍が地鳴りのような進軍を続ける。そして背面からは、先ほどまで「味方」であったはずの王国軍が、牙を剥いて襲いかかってきた。
戦略における 「挟み撃ち」 。それは単なる物理的な包囲ではない。兵たちの退路を断ち、精神的な支柱を粉砕する絶望の檻だ。
軍略の基礎すら持たず、ただ魔族の力に酔いしれていたシオン軍にとって、この「二正面作戦」は致命傷となった。
「魔族どもを盾にしろ! 時間を稼げッ!!」
シオンは側近たちを突き飛ばし、自らの保身のためだけに、黒い魔力の突風を起こして戦場を離脱した。
主に見捨てられた魔族と残存兵たちは、ハクザン軍と寝返った正規軍の猛攻に晒され、雪崩を打つように崩壊していった。
王都・白亜の城門前。
「……ハァ、ハァ……! あの小僧め……見ていろ、エレオノーラを八つ裂きにして、その首をハクザンの陣へ放り投げてくれるわ!!」
泥と返り血に汚れ、王の威厳など微塵もなくなったシオンが、王城へと逃げ帰ってきた。
彼にはまだ、王城という「要塞」と、最高の「人質」がいるという歪んだ確信があった。
だが、王城の重厚な門は、シオンが命じるまでもなく、音を立ててゆっくりと開かれた。
「……な、なんだ。出迎えか? 気が利くではないか……」
シオンが中へ踏み込もうとした、その時だった。
「――そこまでです。シオン」
静寂を切り裂くような、凛とした声。
門の奥から現れたのは、囚われの身であったはずのエレオノーラだった。
彼女は白いドレスのまま、その背にハクザン家直参第5番隊長アノーラ、そして彼女に跪く数百人の近衛兵たちを従えていた。
「……え、エレオノーラ……!? 貴様、なぜ……。近衛ども! 何をしている、その女を捕らえろッ!!」
シオンが発狂したように叫ぶが、近衛兵たちは誰一人として動かない。それどころか、彼らは一斉に剣を抜き、その切っ先をシオンへと向けた。
「シオン。……あなたはもう、この国の王ではありません」
エレオノーラの瞳には、もはや恐怖も慈悲もなかった。
そこにあるのは、息子の帰還を信じ、自ら立ち上がった「母」としての、そして「王妃」としての揺るぎない覚悟であった。
逃げ場所を失った暴君の背後に、追撃してきたルーニーの軍勢の蹄の音が、死神の足音のように近づいていた。




