月窓の刻
ツェリンは顔を両手で押さえ動けなくなった。
心を落ち着かせたあと、その手を下へ少しずらし、指で何度か目元をふき取った。
一度大きく息を吸って吐いたあと、ペマに投げかける。
「次は私たちの番だね・・・重い魂を受け継いだ者として、やることがあるよ。」
ツェリンの言葉に、ペマは左手で目の周辺をゴシゴシと左右にこする。
ズズズーーッ!
背を伸ばしながら鼻を大きくすする。
「うん、失敗は許されないね・・・それで、次はどうするの?」
ツェリンは、PCのそばに置いていた、レーザー通信機器のマニュアルを手に取り、ペラペラとめくっていく。
「あ、これ・・・ヤン・・・の・・・?」
マニュアルには多くの付箋が貼られていた。
操作を知らないペマたちに向けた最後のメッセージのように見えた。
ペマがマニュアルをのぞき込み、付箋に手を添えた。
「きっと、優しい人だったんだね・・・」
ペマがそう言うと、ツェリンが目を伏せる。
「ああ、そうだね・・・私もそう思う。」
―――
マニュアルと、付箋に書かれた補足を読み解くと、レーザー通信の手順はこうだった。
―――――――――――――
1,月がウィンドウに入る時間になると、月基地がこちらに向かってビーコンを照射。
2,機器がビーコンを受け取った場合、自動で返信を返す。
3,同期プロトコルを開始するので、こちらからの同期信号を発するボタンを押す。
4,同期が拾えたら、あとは、自動トラッキングが終了しない限り追尾して通信を確保する。
―――――――――――――
「簡単じゃない?」
ペマがそう言うと、ツェリンがマニュアルをペラペラとめくりながら答える。
「いや、そうでもないよ。
雲や大気の塵などで、通信できる時と、できない時があるみたい・・・」
「どういうこと?」
「つまり、月との角度が浅くなると(地平線からの月の出や月の入)、大気中を伝うレーザーが長くなるでしょ?」
「う、うん。」
「長くなると、大気の塵や雲に当たる確率が増える。
それらによってレーザーが減衰するんだよ。」
「う、う、う~ん」
ペマにはよくわからなくなってくる。
「なので、ヤン所長がウインドウは狭くなるけど、直上付近に来る時間帯にアンテナを向けるようにって付箋で指示してるんだ。」
「そこは手動ってこと?」
「アンテナの向きは手動だね・・・
そもそもレーザー通信は月基地専用じゃないから、
月の高さは毎日変わるから、日々調整しないといけない・・・」
「月と地球の関係ってこと・・・?」
「そうそう。 太陽と同じで、月の通り道(白道)は赤道とずれてるから、
地軸に合わせて毎日変動するし、月の公転は27.3日だから、時間もどんどんズレるんだよ。」
ペマは人差し指と中指をこめかみに当てて「う~ん・・・」とうなる。
「とりあえず、所長のメモによると・・・今日10月24日の月の位置は・・・
新月直後か・・・今は昼間が高い時間か、それでは通信は厳しい・・・」
「え? 昼間はダメなの?」
「レーザーは光だから・・・昼間はレーザーを太陽光が邪魔するんだ。」
ペマは「ほーぉ・・・」という口の形をして、なるほどとうなずいた。
ツェリンはマニュアルを行ったり来たりして、付箋を確認する。
「なので、今日みたいな日は、太陽が沈んでから月が沈むまでの時間帯を狙うらしい。
・・・・・・今日の月とのゴールデンタイムは・・・
午後6時30分(日没)から午後8時30分まで・・・
ペマ、今の時間は?」
ペマは腕時計を確認する。
「午後3時11分。」
「3時間20分後か・・・それまでに、操作を覚えないと・・・」
「私はどうする?」
「ジョーと馬たちを、施設に入れちゃって。」
「え?良いの?」
「もう、私たちしかいないから大丈夫よ。」
「あ、そっか。」
ペマは机から降りると、階段に続く重たい扉を開けて、出て行く。
バァンッ!!
重たい金属のドアが閉まると、大きな音が密閉性の高い施設の壁にウァンウァン…と響き渡る。
階段を降りていき、外へのドアを重そうに開けると、空気がドアの隙間からスウ~っと入り込み、耳が少し軽くなった。
外へ出ると、太陽は少し見上げた正面にいた。
ペマはまぶしそうに、手を掲げて目を慣らしていく。
真上を見ると、丁度そのあたりに細い月があった。
ペマはその月をジッと見つめた。
「月・・・」
この通信が終われば、自分の旅が終わることをペマは初めて実感していた。
ジョーがペマのそばに近寄ってくる。
ペマはジョーの頭をなでて、馬たちの方へ歩いた。
手綱を解き、施設の方へと連れていく。
「もう、厳しい旅は終わり、今日は暖かい所で寝れるよ・・・」
そう言って、馬たちの首をなでた。
―――
施設内に馬たちを入れたあと、ペマは簡易宿泊所へ入っていき、床に敷くマットや毛布を持ってくる。
馬たちのそばにそれらを敷き、整えていく。
「ちょっと滑るかもしれないけど・・・寒いよりはいいでしょ?」
プンツォはすぐさま横になって、毛布に背中をこすりつけた。
それを見てペマはケラケラと笑う。
そして、施設にあった掃除用のバケツに水を入れ、馬たちの近くに置いた。
「じゃあ、休んでて。」
そう言って、ペマは階段を登っていく。
クウゥ~ン!
その時、ジョーが主張するように鼻を鳴らした。
ペマが足を止めて振り返る。
「来ていいってよ。」
そう言うと、嬉しそうな顔をして、勢いよく足を踏み出し、床で何度も滑る。
カッカッカッ……―ン!
爪が固い床に当たる音が施設内に響いた。
ペマはその音を追うように天井の方を見渡す。
ジョーが階段を登って傍までやってくる。
ペマはジョーの顎の下を掻くと、気持ちよさそうに首を伸ばし、
後ろ足で掻くような動作をして床で音を鳴らす。
カツ、カツ、カツ、カツ、……!
時折、膝が折れて、腰が落ちる。
その動作を見てペマは笑う。
「アハハハハ・・・ジョーってば、バカっぽい!」
それでも、ジョーは後ろ足で掻く動作を続けた。
―――
ツェリンが見つめるモニターに、細い月が画面一杯に写っている。
大気の影響を受け、ゆらゆらと揺らめいていた。
キーボードをたたき、数値を変更すると、モニターに表示された月が左側へ少し動いた。
「なるほど・・・大体わかった。
基本、望遠鏡の位置指定と同じような感じだね。」
そう言って、背もたれにもたれた。
バタンーーーーッ!
ドアの閉まる大きな音が響き、ペマとジョーが入ってくる。
ツェリンは椅子を回転させ、入ってきたペマに向きを変える。
「施設の中に入れて、水あげといたよ。」
「ありがと。」
「どう?」
「大体操作は分かった。
今日、月がビーコン送ってこないと困るけど・・・」
ツェリンは肘掛けに肘を置き、疲れたように顔を何度も手でこすった。
そして、ゆっくりと顔を上げて、手が顎の所に来たところで、止まって目を開けた。
「ビーコン送ってこないと、どうなるの?」
「こっちから送らなきゃいけない・・・
でも、ほとんど見つけてもらえないだろうね・・・」
「え? なんで?」
「月から見ると、地球は明るく青く光ってるでしょ?」
「うん。」
「そこに地上の赤い光が点っても、気づいてもらえないんだよ。
夜に浮かぶ月だったら、見つけやすいとは思うけど・・・わかった?」
ツェリンの問いにペマは首と体を左側に傾け、口角を上げながら答える。
「なんとなく~・・・」
ペマの答えに、クスクスと笑う。
「そういうことで、向こうからビーコンを送ってきて欲しいってこと。」
ツェリンは、一度PCの時計を確認する。
(――17時49分・・・これ、ネット繋がってないから・・・正しいのかしら?)
「ねえ、ペマ。 今の時間は?」
ツェリンの問いに、ペマは慌てて腕を伸ばして袖から時計を出し、針を読む。
「えっと、5時52分・・・」
ペマの答えに目を細める。
(スタンジンの腕時計も古いから、精度高くないんだよねぇ・・・)
「10分前から待機しときゃ、大丈夫でしょ。
あと30分あるからご飯にしよう!」
「うん。」
ペマはそう言うと、荷物から中国軍のレーションを取り出す。
「今日は・・・なに味にする?」
「五目そばの入ってるやつがいいわね。」
「オッケー」
ペマが食事を用意し始めたので、ツェリンは立ち上がって、給湯室へのドアを開け入っていく。
水道の蛇口を開くが、水は出てこなかった。
腰をかがめて、それを見つめた。
(・・・ポンプか・・・タンクか・・・他の施設にあったみたいだね・・・)
給湯室にあったケトルを持って、一度戻ると、荷物の中にあるタンクから水をケトルに注ぐ。
「ペマ、ここの水道壊れてるんだ。
水ってどれぐらいあったっけ?」
「え? さっき馬たちにあげたから・・・
残りは15リットルぐらいかな・・・」
ツェリンは少し眉を寄せる。
「水は我慢して使って。
一度、アリ天文台のタンクを探しに確認してから・・・ないとまずいから・・・」
「・・・わかった。」
ペマは頷いて答えた。
ツェリンは再び給湯室へと戻り、ケトルを電源に接続する。
(電気はあるけど・・・ここは食料も水もない・・・長居は危険だね・・・
インダス川まで1日は見ておかないと・・・)
ツェリンがこぶしを丸めて、口元を押さえて考え込む。
(・・・雪でも降ればいいんだけど・・・降ると、レーザー通信は出来なくなる・・・
あーっ、もう! にっちもさっちもいかないね!!)
イライラして頭を両手で掻いた。
そんな時、ケトルがパチン!と電源が落ちた。
ツェリンはケトルを持って、制御室へと戻った。
―――
ペマはツェリンが給湯室から出てきたのを確認して、手を上げて呼ぶ。
「ツェリン! ご飯できたよ!」
「こっちもお湯沸いた。」
「コップにスープの素入れといたよー」
机の上に、コップが2つあった。
ツェリンはコップにお湯を注ぐと、バッグにぶら下がっている鍋を取り、残った少しのお湯を鍋に注いだ。
そして、タンクの水でお湯の温度を調整する。
「今日は少ないけど、これで断端部分を拭いてくれる?」
「わかった。」
そう言って、タオルを2枚入れた。
鍋のお湯は全部タオルが吸い込む。
「昨日までインダス川の近くだったから・・・水のこと忘れてたね・・・」
「しょうがないよ。 そんな時もある。」
ペマはそう言ってズボンを下ろす。
そして、義足を外し、タオルを絞って、断端部分に押し当てた。
「さあ、食べるぞぉ~!」
タオルはそっちのけで、レーションの袋を取ると、口で外装を剥ぎ、
中の食事を取り出し、トレーに中身を出していく。
ツェリンもその様子を微笑みながら見つめ、自分のレーションの口を開き、中の小分けの袋を出していく。
フォークを差し込み、混ぜたあと、フォークを上げると中華麺に餡がドロリと顔を出した。
ツェリンは、それを音を立てつつ口ですすった。
ペマはそれをうらやましそうに見つめ、トレーに乗った麺をフォークに絡ませて口へと運んだ。
―――
食事が終わって、PCの時間を見る。
「18時22分・・・そろそろ、通信可能時間だ・・・」
ツェリンはそう言うと、PCの前の椅子に座りなおした。
――ウインドウが開く。




