命綱
――― デムチョクから北西へ約25キロ地点
ペマたちは山を回り込んで、10キロほど進んだ場所にいた。
馬を降り、突然吹き始めた季節風に苦しんでいた。
背中側から吹き付ける強風、10月の乾いた大地は強風によって巻き上がり視界は20メートルほどしかない。
世界は黄色い砂に覆われている。
先ほどまで見えていた遠くの山々はまったく見えない。
しかも、地面を動く砂が足に沈むような感覚を与え、三半規管を狂わせる。
しかも、砂だけでなく小さな石も飛んできて、体にバチバチと当たる。
ソナムたちは、その衝撃に歩くのを嫌がっていた。
「もう! ツェリンが『だと良いけど』なんて言うからだよ!」
「ああ~!?」
「だからぁー!! ツェリンがぁー!!『だと良いけどぉー』!!
なんて言うからだよぉー!!」
「・・・・・・すまーん!! こんなことになるとは・・・思ってみなかったんだー!」
轟轟と風の音がうねり、体に当たる風がビュゥビュゥー!と耳を叩くように響く。
「ペマぁ!! 無理だ!! どこかに避難しよう!!」
「避難ってどこに!?」
ペマは目も開けられない状況で、あたりを見回した。
ビュウーーーーッ!!
ガガガッ……ガガッ…ガガガガガッ……
ゴウッ!!ゴォーッ!ビュウーーーウッ!!
どこからか、風の音の中に違う音が混ざって聞こえている。
薄目を開けつつ、肘までしかない右手で目を守りながら音がする方向を見つめた。
流れる砂の中に、木製のパネルが埋まっている。
飛んでくる石や砂がパネルに当たり、激しい衝撃音を響かせていた。
ペマは手綱を外し、パネルに近づくと埋まったパネルを引っ張り上げる。
「臨時休業中?」
手にしたパネルにはそう書かれていた。
「どうしたんだい?」
そこにツェリンが肩をすぼめながら寄ってくる。
風向きに背中を向け、ペマのパネルが見えるように立ち位置を変える。
「これ・・・なんだろう?」
ペマがツェリンにパネルを向ける。
ツェリンは頭を上げ、周りを見る。
だが、視界には何も映らなかった。
「たぶん、この辺に何かの施設があるんだ・・・
もしかしたら、避難できるかも・・・」
「でも、どうやって・・・?」
「馬たちの所へ戻ろう!」
ツェリンは考えがあるようだった。
親指を後ろに向けて、ペマに合図を送った。
「・・・わかった!」
ペマは頷いた。
―――
ジョーが手綱をくわえて馬が動かないようにしている。
ノルブはそのそばで、風上に身を伏せていた。
そこへ二人が戻ってくる。
ジョーの耳が風にたなびいている。
うるさいのか、頻繁に首を振る。
ツェリンは自分の荷物から登山用のロープを2本取り出す。
「これ! 一本50メートルある! これを体に括って、ジョーに繋ぐ。
これでジョーが動かなければ、私たちはここへ戻って来れる!!」
「・・・いのち・・・づな・・・?」
「そう! この砂嵐の中じゃ、絶対方向感覚が狂う!
これは登山用だから、鋭利なものでなければ絶対に切れないから!!
いい!? 何としても、そのパネルが飛んできた場所を探すよ!!」
「わかった!!」
「私はこっち! ペマはそっちをお願い!!
そして、ロープが伸びきったら、時計回りに回って!!」
「わかった、時計回りね!!」
二人は頷きあった。
「あ、ちょっと待って。」
ペマがツェリンを止めた。
「何?」
ペマはジョーに語りかける。
「何か見つけたら、このロープを引くから、
どっちかのロープが引かれたら、反対のロープを引いて合図送ってくれる?」
「え? ジョーはそんなことできる?」
「できるよね?」
ジョーは尻尾を振った。
「ほら」
「うそでしょ・・・」
「じゃあ、そういうことで・・・」
そう言うと、ペマは指定された方向へと歩いていった。
ツェリンはその姿を見送ると、自分の方向へと歩いていく。
―――
周囲は砂がビュウビュウと飛び交い、黄色い世界の中だった。
ペマは右足をいつもより大きく横に広げて、義足で歩ける限界まで腰を落とし、背中を丸めて歩いていた。
ごうごうと音を立て、左側から吹きすさぶ風、飛んでくる小石から顔の横側を守るように左手で肘を折って、出来るだけ目を開けられるようにして歩く。
流れる砂に義足が歩き辛い。
義足に乗った瞬間フワフワした感覚になり、義足を持ち上げる際には砂の重みが断端部に負担をかけた。しかも強風で体が飛ばされそうになる。
「ふう・・・ふう・・・ふう・・・」
時折立ち止まる。 負荷が大きく長い時間歩けなかった。
ペマは風に耐えるように背中を向ける。
背中にはバチバチと砂が当たり、足元はズブズブと埋まっていく感覚だ。
歩いてきた右側を見つめる。
なにもかもが黄色い世界で、何も見えなかった。
ただ、自分の腰に巻いた青色の登山ロープだけが、黄色い世界へと伸び、消えていた。
話し相手もいない、肌を温めあう相手もいない。
唯一、自分だけが世界の中にいるようだった。
背中にゾクリと悪寒が走り、膝が笑う。
元の世界へ戻れないような気持になる。
まるで宇宙空間に一人だけ浮いているような感覚だった。
「ははは・・・・・・今までで一番怖いな・・・・・・」
ペマはそう言うと、口を一文字にして、再び風に立ち向かう。
体を90度左へ向け、ゆっくりと歩き出した。
―――
腰に何かを感じた。
ペマは首を折って腰を確認する。
「ロープか・・・」
首はそのままで後ろを振り返る。
ロープがピンと張っていた。
「50メートル進んだんだ・・・えっと・・・このまま時計回りと・・・」
ペマは体を右に回転させ、ロープの張りを確認しつつ、前へと歩み始めた。
―――
ジョーとソナム、プンツォ、そして、ノルブは寄り添い伏せて風に耐えていた。
全頭が目を瞑り、飛んでくる砂から目を守っている。
そんな時、首輪に結んだツェリンのロープがピンと張り、首に刺激を受けてジョーは目を開けて、頭を持ち上げる。
何度も瞬きをすると、涙があふれてくる。
その涙で目の周りの砂が流れた。
ジョーはロープを目で見て確認する。
(どっちかのロープが引かれたら、反対のロープを引いて合図送ってくれる?)
ペマの言葉を思い出し、反対のロープを咥えた。
だが、次の合図が来ないので、ツェリンのロープの先を見つめる。
ジョーから見て、右へゆっくりと動き出した。
(そして、ロープが伸びきったら、時計回りに回って!!)
ツェリンの言葉を思い出し、先ほど咥えたロープを口から放し、再び目を閉じて、頭を伏せた。
―――
ツェリンは右手でロープの張りを確認しつつ、時計回りに進みだす。
彼女が担当している方向は、ロープが張ったところから風上に向かって歩くことになる。
正面から襲ってくる風と砂に顔を伏せ、左腕でできるだけ目元を隠し、細めで足元から2メートル先を確認しながら進んでいく。
右手の感覚だけが頼りだった。
ピンと張るロープを右手でつかみ、ゆるみが発生しないように歩かないと、自分がどっちに進んでいるのかわからなくなるからだ。
しばらく進んでいくと、前の方から埋もれた赤いロープが足元に現れた。
ロープの上をサラサラと砂が流れる。
「ん? これ・・・」
左手で現れたロープを手に取り持ち上げると、砂の中から長いロープが砂を掻き分けながら出現した。 そのロープを自分の右手のロープと模様が同じことを確認する。
「何かに引っかかってる・・・」
現れたロープを左の指で輪を作り、伝って進む。
右手のロープは次第にゆるみ風に流されていった。
ツェリンは期待して進んでいったが、現れたのは大きい岩だった。
「・・・なんだ・・・岩か・・・」
ツェリンは岩の向こう側に移動し、引っかかった岩から伸びるジョーのいる方向を確認すると、ロープを岩の上を越させて引っかかりを解いた。
そして、確認した方向へと再び歩き出した。
―――
ペマは休み休み前へと進んだ。
自分がどれぐらい進んだのかすら分からない。
だが、風向きが変わっていることに気づいた。
ロープにテンションがかかり、それから時計方向に歩き始めた。
最初は風下に向かって歩き出した。 円周をまわるので、ゆっくりと向きが変わっていたのは分かっていたが、今は急激に向きが変わっていた。
「何かに引っかかったってことだよね・・・?」
自分の腰につながるロープの先を見つめる。
ペマは戻ろうとロープを手繰った。
だが、左手一本だと、次の手繰り寄せを行おうとロープを放した瞬間、風で流された。
「・・・も・・・戻れない・・・?」
ペマは自分が片腕なのを、これほど後悔したことはなかった。
「どうすれば・・・」
目を閉じ、頭の中でロープの先がどうなっているのか考える。
「今ロープが何かに引っかかってるんだから・・・ロープの張りを作りつつ動いたら向きが変わった・・・・・・そうか! このまま進み続ければ、巻き付くんだから・・・最終的には・・・」
ペマはロープの張りを取り戻させ、そのまま進み続けた。
その結果、岩を積み上げた高さ2メートルほどの外壁が現れた。
「こ、これ・・・」
ペマは腰につながるロープを外し、外壁の岩の隙間にロープを滑り込ませ固定する。
そして、外壁を伝っていく。
しばらく進むと、外壁が途絶える場所が見えてくる。
「あった!」
外壁の中を覗き込むと、コンテナを利用した建物があった。
入り口の所にはお店の名前の看板が出ている。
「ラガン・・・ケル・・・?」
壁の中に入ると、風を防いでくれた。
ゴオォウーー! ビュウウウウゥーーーッ!!
だが、音は逆に大きくなり、壁の中で響き渡っている。
「ふう・・・・・・」
ペマは少し一服し、壁の途切れた場所へと戻る。
砂を掘り、ロープを探す
「あった!!」
ロープを砂の中から持ち上げる。
今いる場所では壁沿いに絡まっているので、反時計回りにロープを伝っていく。
「ここだ!!」
ロープが壁から離れ、黄色い世界に伸びていた。
ペマはそのロープを引く。 だが、重い。
「砂に埋もれてるから重いんだ・・・合図が送れない・・・?」
ペマはロープを引き寄せて行った。
重いが多少は引き寄せられるので、力を込めて引き寄せていく。
「ううううう~~~っ!!」
ロープをつかみ、体重をかけて引き寄せた。
―――
ジョーのロープが引っ張られて、首輪が持っていかれそうになった。
しかも、何度も引き寄せようとする。
(これは合図だ!)
ジョーはそう判断し、立ち上がってツェリンの赤いロープを口に咥えて、首を動かして引っ張る。
だが、ペマと同じでビクともしない。
ジョーは少し考え、ソナムの手綱を放した。
ソナムは目を開けて、様子をうかがうように見つめた。
ジョーはペマの青いロープのテンションを維持しつつ、赤いロープに体の向きを合わせて、後ずさりする。
その赤いロープがズズズ…と引っ張られた。
ジョーは首輪が抜けないように首を高く起こし、後ずさりを続けた。
それはまるで、漁師が網の綱を引き寄せるような動きだった。
―――
ツェリンは変わらず、右手でロープを持ち、左腕で目をかばいながら進んでいた。
その時、砂に埋まったロープがザアーッ!と音を立てて、砂から空中に浮きあがる。
「うわあっ!!」
ツェリンは横に引っ張られ、砂にお尻から落ちた。
そして、体が引っ張られ、砂地を滑っていく。
「な、なにこれ!? もしかして、ジョーなの?」
引っ張られ続けるのをやめさせようと、ロープをつかんで何度か引っ張り合図を送る。
すると、ツェリンを引っ張る力がなくなった。
「ま、マジかよ・・・ジョーすごっ・・・」
ツェリンはびっくりした顔で体を起こし、ロープを手繰って砂煙の中へと消えていった。




