コユル越え
―――10月16日 AM 5:30 コユル(約9キロ手前)
「ペマ・・・起きな。」
ツェリンがペマのテントに入ってきて、ペマをゆすって起こす。
「ん・・・うんん・・・・・・」
左手で眠い目をこする。
ペマは昨日の夕方、ツェリンがドローンに襲われた後、泣きじゃくりなかなか寝付けず、疲れ果ててやっと寝付いた。
そのため、珍しく起きる時間をオーバーしていた。
「ん? ツェリン・・・? なに?」
「何寝ぼけてるんだい・・・昨日言ってたろ、5時には出発準備したいって・・・
もう5時半だよ。」
ペマは寝袋を開け、ガバッと起き上がる。
枕もとの腕時計を確認する。
「うそ!? ・・・・・・ジョー・・・なんで起こしてくれなかったの・・・?」
「クウゥ~~~ン・・・」
ペマの問いに、ジョーは耳を垂らして申し訳なさそうな顔をする。
「ジョーはあんたの疲れた体を心配して起こさなかったんだよ。
そんなことより、急ぎな! 日の出までにコユルを抜けるんだろ?」
「あ、うん。」
ペマは慌てて起き上がり、義足を装着すると、テントから慌てて外へ出る。
「うふうーーッ!」
テントを出ると、氷点下の空気がペマの肌を刺す。
着ている服の首元を閉じ、頭に毛皮の帽子をかぶる。
テントを片付け荷物を整理していく。
「朝ごはんは、コユルを抜けてからだよ。」
「分かってる。」
てきぱきと荷物をまとめ、プンツォの背に乗せていく。
「今日も頼むよ、プンツォ。」
ブルルッ!
プンツォが歯を見せて鼻を鳴らす。
ペマは笑いながら、プンツォの手綱をソナムの鞍へ結ぶ。
「行けるかい?」
「行けるよ!」
ペマはソナムの背に跨り出発する。
キャンプした場所は、両サイドが急こう配の5500メートル級の山々だ。
今いる場所は4500メートル付近とはいえ、約5キロで1000メートル以上の斜面は、まるで目の前に壁が立ち上がっているようだった。
見上げると、天空の星空が瞬いている。
視界の両サイドの真っ黒な壁に、星空の川が流れているようだった。
だが、空は宇宙の黒からかすかに濃い青へと変わりつつあった。
街灯のない道は真っ暗だった。
バターランプの淡い光が、わずか数メートル先の暗闇をゆらゆらと照らす。
その淡い光を頼りに、歩をゆっくりと進めていった。
「ねえ、この辺りって、何時ごろ日の出なの?」
「ここに住んだことないんで、さすがにわからないよ・・・
山脈に挟まれた谷の麓・・・でも、昨日の・・・
ハンレを抜けた時間帯と山のサイズは同じようなもんだから・・・8時前だと思うよ。」
ペマは腕時計を確認する。
出発前に照射した光で、時計は淡い蓄光で時間を示す。
――時間は5時55分
ペマは左を並走しているツェリンに尋ねる。
「この辺りの人達って・・・何時ごろ起き始めるんだろう・・・?」
「この暗さだからね・・・早い人は7時前か・・・な・・・?」
「あと約1時間・・・コユルまでは9キロぐらいだよね?」
「そうだね、遅めでも速歩でいかないと抜けれないね。
昨日と違って時間が短い・・・ソナムたちは大丈夫かな?」
「いけるかいソナム?」
ペマはソナムの頭へ体を前傾にして尋ねると、ソナムは耳を回して答える。
「行けるって。」
ペマはツェリンの方に顔を向けて答えた。
「・・・・・・。」
ツェリンは『相変わらず、この子たちは・・・』って顔をして笑う。
「じゃあ、行こう。」
「うん。」
カチン……カチン……カッカッ、カッカッ、カッカッ……
ソナムの足が速まっていく。
―――
頭上の空に瞬いていた星々が次第に空に消えていく。
先ほどまで闇だった地上はグレー色に変わり、バターランプがなくとも道の起伏は分かるようになってきていた。
(朝が・・・くる・・・・・・)
空を一度見上げたあと、周辺を見る。
ちょうどコユルの集落を通過中だった。
ハア、ハア、ハア、ハア・・・・・・
ソナムとプンツォは苦しそうな息で、冷え切った空気を吸い込み、勢いよく鼻からシュッと白い息を吐き出す。
「ゴメンね、ソナム、プンツォ・・・
もう少しだから・・・もう少しだけ頑張って・・・」
右をついてきてるジョーを見ると、口の周りはヨダレが溢れ、苦しそうに息をしている。
「ジョーも頑張って・・・」
そうしている間にも、光がどんどん強くなる。
ペマはバターランプのカバーを開けて、吹き消した。
世界は次第に色づき始めた。
―――
二人と4頭はコユルの集落を無事に通過した。
左右にあった高い稜線は、後方を振り返らないと見えない。
左右の山は低くなり、前方も開けた。
星の消えた空は大きく広がり、西側の高い山の稜線が赤く染まり光り輝いていた。
「ここまで来れば、もう大丈夫じゃないか・・・?」
ツェリンがペマに尋ねる。
ペマは周囲の住居の有無を確認する。
「・・・・・・大丈夫そうだね。」
ペマはソナムたちの足を止め、背から急いで降りる。
そしてソナムとプンツォの首を抱いた。
ソナムとプンツォの激しい息がペマの背中を湿らせていく。
手を離し、ジョーも労う。
ポケットからタオルを出して、口の周りから胸の辺りまで流れるヨダレを拭き取った。
「みんなお疲れ様・・・」
そう言って、ソナムの鞍を外し、プンツォから荷物を下ろす。
二頭の背から湯気が立ち昇る。
そして、ソナムとプンツォの汗を丁寧に拭き取っていく。
「よし、ジョーあとは頼むよ。」
そう言うと、ジョーは尻尾を振り、ソナムの手綱をくわえて川の方へと連れていく。
ペマは鍋を持つと、近くにある雪を山盛りに入れる。
火をおこすと、雪を入れた鍋を火にかける。そして、バター茶を準備する。
ツェリンは、天文台から持ってきていた即席のスープトマトパスタを取り出す。
「なにそれ?」
ツェリンが取り出した赤い円柱のなにかが気になった。
ペマの問いに準備していた手を止め、頭をあげる。
「え? こういうの知らない?」
ペマは頷く。
「熱湯を入れて、ちょっと時間を待つと完成する料理だよ。
食べてみる?」
「食べる。」
ツェリンが荷物からもう一つ取り出し、ペマが沸かしていたお湯を注いだ。
ペマが鍋の残りのお湯を確認する。
「量が、ちょうどよくなった・・・」
山盛りの雪を沸かしたお湯をカップ2つに注いだおかげで、バター茶にちょうどいい量になっていた。
茶葉を放り込むと、お湯に煮出され色がみるみる変わっていく。
「できたよ。」
ツェリンがペマの分を手を伸ばして渡す。
「え!? もう?」
ペマはそれを受け取る。
紙の蓋がついた容器の隙間から湯気がふわりと上がる。
中を覗き込み、ツェリンを見る。
ツェリンは蓋の紙をはぎ取り、フォークでスープトマトパスタを食べ始めた。
ペマも蓋をはぎ取ると、中から湯気がボワリと湧き上がる。
フォークを差し込むと、フォークにねじれたパスタが刺さっていた。
それを口へ運ぶ。
何度か咀嚼すると、表情が明るくなって次の一口を運ぶ。
「うまいかい?」
ツェリンが尋ねた。
「うまい・・・けど・・・物足りない。」
ツァンパを取り出して、スープトマトパスタに突っ込む。
フォークで何度かこね、フォークで小さく分断する。
そして、フォークで刺して口へ運んだ。
「うん、コレのほうがいいな。」
「ちょ、ちょっとそれ何?」
「ツァンパだよ。 食べる?」
「食べる。」
ペマは自分の荷に手を伸ばし、ツァンパの包みを出して、一食分をツェリンに渡した。
「手でちぎって、突っ込んでも良いよ。」
ツェリンは包みを開けて、ツァンパを手でこねながらちぎってスープトマトパスタにいくつか入れた。
「1~2分待って食べて。」
ペマはそう言うと、煮出していた茶葉の鍋にバターと塩を入れた。
クツクツ…と鍋から音を立て始めたら、ペマは鍋をかき混ぜて乳化させる。
ペマは何かを思いついたように、スープトマトパスタにバター茶を流し込んで、かき混ぜてすすってみた。
一度口から放し、口角が上がった。
ツェリンがちょうどツァンパを食べるところだった。
一口大にしたツァンパをほおばると、「おっ」という顔になる。
「香ばしくて、しっとりしててうまい。」
ツェリンがペマを見ると、ニヤニヤ笑っていた。
「な、何よ・・・?」
ペマは手に持っていたパスタの容器を渡す。
「交換」
「え?」
ツェリンはお互いのスープトマトパスタを交換した。
中を見ると、色味が赤色から茶色に変わっていて、油がすごかった。
ツェリンは中のツァンパをフォークで刺して口へ運ぶ。
「おっ」という顔になって、容器のバター茶(改)をすする。
「なにこれ、うまい!」
口の周りはテカテカになっていた。
ペマは笑いながら、交換した容器にバター茶を流し込んだ。
―――
ツェリンはおなかをパンパンと叩く。
「なんかいつもよりお腹一杯だわ・・・」
朝食の後片付けをしながら、ペマに尋ねる。
「今日はどこまで行く予定だっけ?」
「ちょっと待って・・・」
ペマは地図を取り出して確認する。
「特に名称はないね・・・この山を回り込んだ先みたいだよ。
左側にインダス川があるよ・・・」
ペマは背中側にある山を指しながら説明する。
ツェリンは背中を伸ばして立ち上がり、先を見る。
「あの広がっているところで山が途切れて、すそ野が広がってるってことか・・・」
その時、後ろの山の影が西からこっちへと走るように近づいてくる。
そして、上から温かい光が二人に降り注ぐ。
先ほどまでキンキンに冷えていた地面が、シュワーっと音を立てながら昇華し、うっすらと霧が立ち上がる。
「あつ・・・」
ペマは帽子の耳当てを巻き上げ、締めていた首元を緩める。
遠くにいるソナムたちがゆらゆらと揺れている。
「今日もいい天気になりそうだね・・・」
「だと良いけど。」
ツェリンが笑いながらそう言った。




