<6・ほれられる。>
当然と言えば当然で、それから二週間後の再お見合いの日まで姉はずっと不機嫌だった。八つ当たりされるのは慣れたものとはいえ、ルーサーとしても気分が憂鬱になるのはどうしようもない。入れ替わりを頼んできたのはあちらなのに、なんという不条理。それに加えて、自分も姉のお見合いが成功するようにと頑張った筈なのに、何でこんな結果になってしまったのだろう。
家でもことあるごとに、彼女は自分に同じ言葉を繰り返すのだ。
『私の恋路を最初から邪魔するつもりだったんでしょ』
『ルーサーのくせに、弟のくせに、姉の恋愛を邪魔するなんてなんて恥知らずな!』
『そもそも男のくせに、同じ男のユリシーズ様に取り入ろうと思うのが間違ってる』
『恥ずかしい恥ずかしい!少しでも悪いと思うなら考えなさいよ、私とユリシーズ様がもう一度うまくいくようにするにはどうすればいいか!』
癇癪を起すように喚き散らすのも、それだけあの人への恋心が本気だったということなのだろう。泣きながら自分を詰るその姿は、いっそ哀れなほどだった。おかげでいつものように紅茶を入れて貰っても、ちっとも味を感じない始末である。怒っているのに弟に紅茶だけは入れるのは律儀というかなんというか。
そんなわけだから、ルーサーも気分は沈むし寝不足な日々が続くことになったのだった。次のお見合いは“ルーサー・アンヴィル”として行っていいと言われたので女装する必要がなかったことだけは救いである。そしてそれは、ルーサーにとっても一縷の望みを賭けた形に他ならなかった。男性の服を着た自分を見れば、ユリシーズも目が覚めるのではないかと思ったからである。
しかし。
「もういいですよ。少し驚きましたが、その入れ替わりがなければ貴方に逢うこともできなかったわけですからね」
彼の屋敷を訪れて早々、深々と先日の非礼を詫びたルーサーに告げられたのは、ユリシーズのそんな言葉だったのだった。
「……僕は、男です。既に伝わっているかと思いますが」
「ええ、存じておりますよ」
「では何故。御噂通りならば、ユリシーズ様の恋愛対象は女性だったと聞き及んでいるのですが」
失望しないどころか、大歓迎と言わんばかりの笑顔。ルーサーが困惑して尋ねると、そうですね、と彼は頷いた。
「では、そのお話は二人だけでしましょう。……先日、貴方のお姉さんにも見せた庭をご案内します。自慢のバラ園があるのです」
***
本当に紳士的な人間というのは、少し話して少し共に歩くだけでそれを窺い知ることができるものであるらしい。元々小柄なルーサーである。長身のユリシーズとは、どうしてもかなりの身長差があるのは否めなかった。要するに、一歩の幅が大きく異なるのである。体格も悪くないし、きっと運動神経もいいのだろう。何かスポーツをしているのかもしれない。にも関わらず、バラ園への短い距離を、彼はルーサーに合わせてゆっくりと歩いてくれた。相手に歩幅を合わせ、それとなく気遣いながら歩を進める。それだけでも、彼がどんな人物か、その片鱗を知るには十分というものだ。
「貴方は、バラにはご興味が?」
もはや、姉にためにご機嫌を取る意味もない。ルーサーは正直に“あまり”と首を振った。
「綺麗なものは好きですし、花が嫌いなわけではないのですが……いかんせん、植物の種類などには明るくなくて。お姉様は自分でバラを育ってらっしゃるので、そういうことにはお詳しいはずなのですけど」
面倒くさがり、細かな作業が大の苦手。そんな彼女が唯一といっていいほど拘っているのが、自らが育てているバラの管理だった。我が家にも、彼女専用のバラ園がある。小さなものだが、使用人さえ近づけさせない彼女だけの秘密の花園なのだ。水も肥料も全部自分でやっていると聞く。そこでは主に、紅茶の茶葉の原料となるリコウチャや、ローズティーで使うバラなどを中心に栽培しているのだとか。いかんせん、ルーサーでさえ近づくと怒るので、どんな植物をどのように育てているのか全く知らないのである。
「そうですね。こちらの方面に関しては、ルイーズ様の方が明るくていらっしゃるようです」
ユリシーズは気にする様子もなく、どうぞ、とバラのアーチの中にルーサーを招き入れた。ルーサーが想像するバラという植物は、複数の花びらが円を描くように折り重なっているものである。しかし、アーチを華やかに飾る黄色い花たちは、たった三枚の花びらしか持ち合わせていないようだった。どの花びらも、バラのそれと呼ぶには非常に花弁が大きい。くぐりながらまじまじと見てしまうと、視線に気づいてかユリシーズが解説してくれた。
「そのアーチの花も、バラの一種なのです」
「そう、なんですか?」
「ええ。ホノカバラという種類で……実はその花弁にみえるものは萼なのですよ。花びらそのものは中心の、おしべの集団に見えるものなのです。その中心部分には甘い蜜がたまっていて、よく小鳥たちが蜜を吸いに訪れるんですよ。とてもかわいらしい光景なので、あなたにも見ていただきたいですね」
どうやら、自分が思っているよりもずっとバラの世界は奥深いものであるらしい。彼は嬉しそうに、バラ園の中の様々な植物を案内してくれた。ルーサーの掌サイズもあるような大きな花や、逆に指先ほどの大きさもない小さな花。あるいは光をほとんど反射しない、真っ黒な花や、まるでキノコにも見えるような背丈の低いバラまで。バラの一部は薬草としても有効なんですよ、と彼は言った。そういえば、姉はユリシーズのことを“薬学を勉強している”という風に言っていたのではなかったか。なるほど、薬草についての研究もかねて、こうして自らバラ園を作り育てているということらしかった。
「……すみません。お話を聞くばかりになってしまって。面白い世界だと思うのですが、僕からは何も語ることができなくて……退屈ではありませんか?」
人の話を聞くのは嫌いではない。何よりユリシーズの語り口はわかりやすく、非常に面白い。ただ、それはそれとしてルーサーにはまだ、姉と結ばれて欲しい気持ちが強いのである。自分より、そちらの話題がわかるルイーズの方がいいのではないか。そういう意図を含ませて尋ねれば、彼は首を振った。
「ルーサー様は聴き上手でらっしゃる。退屈なことなど何もありません。むしろこちらが一方的に喋ってしまって申し訳ないと思うくらいです。……確かに議論するのは好きですが、議論だけが好きというわけではないのですよ。こうして花を眺めながら、親しい者と穏やかな時間を過ごすのもまた私にとっては至福の時間です」
「僕のように口下手な人間相手で、貴方は楽しいのですか?」
「単純に知識があるか、コミュニケーションが得意かどうか、を私はあまり重視しておりません。それよりも、心が通じ合えるかどうかの方が私はとても大切なことだと思います」
実は、と彼はルーサーの顔をじっと見つめて言った。
「二度目のお見合いの時。すぐに、初日に出逢った“ルイーズ様”と別人であるのだとわかったのです。双子でらっしゃるとは言いますが、やはり性格の違いや性別がまったく滲まないことはないのでしょう。私にとっては見抜くのは造作もないことでしたよ」
その言葉に、ルーサーはあっけにとられるしかない。
「……両親でさえ、僕とお姉様が入れ替わっていても大抵気づかないし、初日も気づいてらっしゃらなかったのに?」
喋った結果、その言動の違いで見抜かれたとばかり思っていた。まさか口も開く前に、顔だけでバレただなんてどうして考えるだろう。しかも、公的な場では自分もルイーズもかなり濃い化粧をするのが普通である。当然、多少顔に違いがあったところで、殆ど誤魔化しがきいていたはずだというのに。
「少しばかり、勘が働くというだけです」
ユリシーズは肩をすくめて言った。
「そして、実際に話してみて確信を得ました。……確かに、バラ園を案内した時……貴方のお姉様の方が知識があったのは確かです。薬になるバラ、紅茶になるバラ。ある方面に限っては、私よりも知識がある方であるとお見受けしました。……ですが」
「ですが?」
「価値観の違い、というものを感じてしまったのです。私が将来、身分の差のない世の中を作りたいと思っていること、貧しい人々を救う仕事を選びたいと思っていることはルーサー様にも話しましたね?」
「え、ええ」
「これらの植物を大量生産できれば、治る病も増えるはず。多くの人を救うこともできるはず。そういう意味もあって、“いずれ大きな工場を作れたらいい”ということをルイーズ様にはお話したのです。そしたら」
『そうですわね。しかし、アリシャバラは一本一本の管理が非常に難しいですし……安価に大量生産するためには、人件費を削るしかないですわ。とすると、下層階級の奴らを馬車馬のように働かせるのが一番ね。奴ら、いつも仕事がないないって政府に文句ばかり言っているんですもの。安月給だろうが多少福利厚生がなっていなかろうが、仕事を与えてやれば喜んで飛びつくのではなくて?』
ああ、そういうところですお姉様。ユリシーズの言葉を聞いて、ルーサーは頭を抱えたくなった。
彼女も、悪気があったわけではないのだろう。ただ、ルーサーとは根本的に考え方が異なるというだけである。彼女は階級社会を全肯定している、極めて“一般的な”貴族の娘だった。特に、アンダークラスの人間たちのことを、人間と認めていないフシさえある。スラムを這いまわる、ゴキブリのように生まれついて不衛生な人々――とでも思っているようだ。ユリシーズ様は階級社会の無い世の中を目指されているようですよ、ということはちゃんとルーサーも話していたというのに、ついつい油断して本心が滲んでしまったということらしい。
――そりゃ、ユリシーズ様としても“お前は誰だ”になるよなあ……。
「……すみません」
ルーサーが思わず頭を下げると、ユリシーズは気にしてませんよ、と笑った。
「ただ、あの日私が惚れこんだその人とよく似た顔で、まったく違うことをおっしゃるものですから……少々気味の悪さを感じてしまって。あの時は、ルイーズ様に双子の弟がいらっしゃるということも知りませんでしたしね。穏便に、お話を進められなくて申し訳ありません」
「いえ、それはいいんです。悪いのは僕とお姉様ですから」
ただ、とルーサーは続ける。
「何故、僕なのですか。法律上は同性で結婚できるとはいえ……子供が作れなくなります。エーメリーの家が、血が途絶えることを良しとするとは考えにくいのですが」
遠い未来では、同性同士で子供を作る技術が完成するなんてこともあるのかもしれない。しかし、現状では不可能以外の何物でもないのだ。今日のお見合いもそう、ユリシーズの両親のやや酸っぱい表情を見ていればおのずと察することもできよう。今日をセッティングするだけで、相当揉めたに違いない。
「無理にでも納得していただきますよ。両親は究極的には私に甘いですしね。最悪、家督は弟が継げばいいだけのことです」
ユリシーズはあっさりとのたまった。
「それに、同性同士の夫婦でも養子を取ることはできます。血の繋がりなど、心の繋がりに比べたら些事でしょう」
「些事、ですか」
「そうです。……そして私はルーサー様、貴方に誰よりも深い心の繋がりを感じました。生まれて初めて、私と同じ世界を共有できる方に巡り合えたと思ったのです。……同性同士であることも関係なく。私は貴方の、その“心の美しさ”に一目惚れをしてしまったのですよ」
そっと、彼に手を取られた。しゃがみ込んで手の甲にそっとくちづけられ、思わずルーサーも頬が熱くなる。男性に対してどうこう思う趣味はない、はずなのだが。それを抜きにしても、彼の所作は洗練されつくしており、何より斜め上から見下ろせば嫌でもその美貌が目についてしまうのである。日の光を反射する銀色の髪、同じ色の長い睫毛。まるで、絵画から抜け出してきたかのような美丈夫がそこにいる。
「形だけの夫婦でもいい。夫婦の営みもなくていい。貴方には、一人の友人として接していただいても構わない。ただ、私の隣にいて、人生のパートナーとして共に理想を切り開いて頂きたいのです」
「そ、そこまで」
「ええ。私は本気です」
彼はそっと顔を上げ、うっとりするような顔で微笑んだのだった。
「私と結婚してください、ルーサー・アンヴィル様」




