<4・いきとうごうする。>
多少気は使ったものの、話してみればユリシーズは紳士的なのみにならず、非常に親しみやすい相手だったのは間違いない。人が離婚したり別居する理由として(最近は貴族同士でもわりとあっさり離婚する人が増えているのである、本当に大丈夫なのかと思わなくもないが)価値観の違い、を挙げる人が多いというのは真理なのだろう。価値観が合っている、趣味が合っている。長続きしたいのなら、それに越したことはないのかもしれない。
――ラスタの英雄譚で、しかもクロフォードの意見に賛同してくれる人が……まさか同じ貴族にいようとは。しかも、階級社会への疑問も僕と同じように持ち合わせている……。
姉と彼の婚約が成功したら、それとは別に友人になりたいなと思うくらいには好感の持てる人間だった。実際、二人が結婚したら自分も親戚になる。話す機会は今後もあるだろう。最初は興味がなかったお見合いだが、こうなっては姉には是が非でも成功してもらいたいところである。
「終わりましたよ、姉さん。二回目の約束もしましたから、あとは自分で頑張ってくださいね」
ユリシーズが帰った後で自室に戻って言うと、姉はルーサーの服を着たままひょっこりとベッドの中から顔を出した。珍しく、言いつけをちゃんと守って部屋で大人しくしていたらしい。じっとしているような行為に五分で飽きるような姉が、よく辛抱することができたものだ。
「姉さん?」
少しだけ、様子がおかしい。ルイーズはじっとルーサーの方を見た後、やがて何かを切り替えたようににっこりと笑った。
「お疲れ様ルーサー。あんたやるじゃないの」
「はい?」
「あら、この部屋の窓からアベンガネの樹のあたりは見えるのよ。話している内容は聞こえなかったけど、観察はできたわ。随分仲良さそうだったじゃない」
ああ、やっぱり見ていたのか。ルーサーは部屋の窓の方をちらりと見て思った。なんとなく視線を感じるなと思ったが、やはり勘違いではなかったらしい。
まあ、今の彼女はきちんと髪も結んでいるし、ルーサーの服を着て“男子に見える”格好ではある(胸をコルセットで無理やり潰すのは相当きつい思いをしたようだが)。姿を見られるだけならば、窓から例え見えてもこっちが本物のルイーズだとバレる心配はなかっただろう。
「お姉様がユリシーズ様と仲良くなれるように、僕なりに全力で尽くした結果です。労って頂きたいですね」
本当は、単純に彼と話すのが楽しかっただけなのだが、それはそれである。
「ユリシーズ様の趣味趣向はちゃんと聞いてきましたから、次回のお見合いの参考になさってください。次からはちゃんと自分で頑張られるのですよね?」
「勿論よ!最初の印象でコケなければこっちのものだもの、私の美貌でメロメロにしてあげるんだから!所詮男なんて、色気で攻めて落ちないなんてことないのよ」
「色気攻めしたいなら、もう少しそのガサツな性格をなんとかしたほうがいいと思うんですけどね。ほら、すぐ足開いて座るし」
「い、今は男の格好してるんだからいいじゃないの!」
この姉ときたら、とルーサーは呆れるしかない。喋り方だけは女らしいのに、どうしてこうちょっとした所作一つ一つが残念であるのか。相手の第一印象を気にするくらいなら、もう少し自分でもそのイメージを変える訓練をするべきなのに。
昔からの長い付き合いで、よく知っているのである。彼女が一番嫌いなものが、“努力とお勉強”であるということは。
「今日の食事の時、遠回しですが食事マナーを褒められたのですよ。で、お父様とお母様がどこまでも安堵した顔をなさっていました。言いたいことはわかりますね?」
ルーサーの言葉に、ルイーズはむっとして押し黙る。地頭が悪いわけではない姉だ、両親がどれほど先方に“うちの娘がマナーの類に疎いか”を語ってきかせていたというのは言わずとも理解しただろう。最初に伝えておけば、いざ目にした時の失望が少ないだろうと見込んでのことに違いない。少々二人が不憫になったほどだ。ルーサー自身、己が言うほどテーブルマナーが完璧なわけではないと知っているからこそ。
「次のお約束は一か月後だそうです。それまでに、一通りのマナーは勉強しなおして頂かなくては」
「えー」
「えーじゃないです。お姉様、本当にあの方のことが好きなのですか?好かれたいと思ってるのですか?少し話して、僕もあの方が立派な人物であることは十分にわかりましたし、あの方と親戚になれたらとも思ってるんですよ。ですからお姉様には、なんとしても頑張って頂かなくてはなりません」
彼のことを褒めた瞬間、ちらりとルイーズの眼に嫉妬に近い色が滲んだ。そこで悔しいと思うくらいなら身代わりなんか立てるな馬鹿、としか言いようがない。まあ、彼女の身代わりをやらなければ、今日の楽しい時間がなかったのも事実ではあるけれど。
「それと、ユリシーズ様は大変な読書家であるようです。今まで読んだ小説とその価値観に対して話し合うのが大変好きだと仰っていました。薬学関係の難しい知識で張り合うことなんかお姉様にはできないでしょ?なら、少しでもユリシーズ様が好む本を読んで、話を合わせられるようにしておくべきです」
そう告げると、ちょっと!とルイーズは眉を跳ね上げた。
「楽しそうに話してたのって本のこと!?なんでよ、私が活字大っ嫌いなの知ってるくせに!私が好きなもので話合わせておきなさいよ、あんたの方が身代わりなんだから!」
「そんな指示受けてませんし、本に関して話題振ってきたのはあちらですよ。話に乗った方が向こうも喜ぶに決まってるじゃないですか。お姉様のために好感度上げにいったのに、そうやって非難されるのは心外ですね」
「ぐぬぬぬ……」
嘘だ。正直、ちょっと姉が困るだろうなと途中で気づいたのである。
ユリシーズは、来月もまた小説の話と、この国の未来についての話がしたいと笑っていた。その時今回と次回で“ルイーズ”と話がすれ違ったら違和感を覚えられてしまうだろう。それをさせないためには、姉にもある程度彼が好みそうな本を読んで勉強してもらうしかない。
同時に、途中で気づいてもスルーしたのは。彼と話すのが楽しかったのもあるし、いつも我儘な姉をちょっとばかし困らせてやろうかという悪戯心が芽生えたのもあるのだった。ここで懲りたら、さしもの姉も二度と“自分の代わりに嫌なことを引き受けて!”なんて頼み込んで来ないと思ったのである。
「というわけで、本を読みましょうお姉様」
ルーサーはすたすたと本棚の前に歩み寄り、数十冊の本を持ち出してくる。
「まず、今日話した“ラスタの英雄譚”は読んでおくべきでしょう。来月再び話題を振られないとは限りません」
「ちょっと、何冊あるわけこれ!?長すぎでしょ、ていうか一冊が辞書並みに分厚っ……」
「全十五巻ありますからね。これでもマシな方なんですよ?もっと長い小説もあるんですから。特に“暁の彼方”や“輪廻のカサンドラ”のあたりは彼も好きそうでしたから、頑張ってそちらも読んでおいた方がいいです。しかもざっと読むだけじゃなく、ちゃんと読んで論戦が交わせるくらいにならなければ」
「地獄じゃない!」
ああああ、と頭を抱える姉。何でそんなに嫌がるんだろう、とルーサーからすれば不思議で仕方ない。学業ならともかく、ただ本を読めと言っているだけ。それも、教科書と比べてはるかに読んでいて面白いファンタジー小説ばかりである。どれもライトな文体なので読みやすく、その気になれば数日で全て読み終えることができてしまう代物ばかりだ。
彼女が好きな、演劇の元となった小説もある。物語を見ることそのものは、彼女とて嫌いではないはずなのに。
「ユリシーズ様のことが、好きなんですよね?」
ルーサーが畳み掛けると、彼女は涙目になって頷いた。
「ううう……好き。結婚したい、デス」
「なら決まりです、頑張りましょう。どうしてもわからないところがあったら僕が解説しますから」
いつも自分を振り回す姉を自分が振り回している。ほんの少しだけ、この時は気分が良かったのだった。――この後、まさかそんなことも言っていられないような事態になるとは、夢にも思っていなかったのだが。
***
「すっげえなあ、ルーサー」
一か月後の日曜日。姉のお見合い、二回目である。
今日はルイーズがユリシーズの家に行く日だった。さすがの姉も、二回連続ルイーズに身代わりを任せるつもりはなかったらしい(まあ次に頼まれたらさすがに自分も怒っていたが)。彼女が出かけている間、ルーサーはいつものようにティムと一緒に“読書会”である。ありがたいことに他の使用人達も、ティムがユリシーズと二人で遊ぶのを全く止めないでくれていた。“おぼっちゃまのお相手をするのもお仕事ですから”ということで一部仕事を免除してくれているらしい。その分負担が増えるだろうに、快く引き受けてくれる執事やメイドたちを実にありがたいと思うルーサーである。
そしてそのティムはと言えば。ルーサーが買ったばかりの深緑色の本を持って、くるくると回している真っ最中なのだった。
「何語だよこれ。文字が縦に並んでるし……アルファベットじゃねえ。これ文字か?文字なんだよな?なんでこんなの読めるんだよ」
「そりゃ、言語なら勉強すれば読み解けるようにならないはずがないですからね。ジャボン語は文字の種類が三種類あって、それを組み合わせることで文章を作ります。アルファベットと根本的には違いませんよ。アルファベットだって、“A”の一文字だけで意味を成すものではないでしょう?」
「理屈はわかるけどよー」
好きこそものの上手なれ、とはよく言ったものである。外国にも面白い小説はある。それを読み解けるようになりたくて、ルーサーは高校でも第二外国語も第三外国語も取ったのだ。多くの友人達には、もっと楽な選択科目なんかいくらでもあるのにと目を丸くされたものである。確かに、生粋の文系であり、元より語学に興味がなかったらルーサーも苦行と感じていたことだろう。
「語学は勉強ではありません。面白い小説を読むために必要なツールです。そう思ったら、学ぶのも全く辛くはないのですよ。なんなら、ティムにも教えますよジャポン語。あ、フラチア語もお勧めです、あの国にも面白い作品が多いので」
「俺にもできっかなあ……」
「できますよ。そもそも最初は我が国の言葉も満足に書けなかったのに、今ではらくらく手紙も書けるようになったではないですか。ティムは非常に記憶力がいいし、理解力もあります。ひょっとしたら僕よりも早く上達するかもしれませんよ」
「そ、そうかな?」
ティムが、ひそかに“小説家”になる夢を抱きつつあることをルーサーは知っている。そのために、複数の語学を扱えれば十分すぎるほど武器になるだろう。今回ジャポン語の本を持ち出してきたのもそのためだった。彼の夢を応援したい。そのためには多くの言葉を知って欲しいし、良作が一つでも多く読めるようになって貰いたいのだ。それはきっと彼にとって確かな血に、肉になるものであるはずなのだから。
「確かに、ちょっとこの小説は面白そうだ」
彼はページをめくり、ほら!と指をさした。そこには着物の裾をまくりあげ、片足を上げて立つ女性の姿が描いた挿絵が。
「この色っぽい姉ちゃんが、何してるところなのかめちゃ気になる!ジャポン語が読めるようになればわかるもんな!!」
「あ、はは……そうですね」
ああ、それは女性が立ってトイレをしようとしているところなんです、なんて言えない。ジャポンの女性には、立って小便をする女性も中にはいるらしい。女性が一体どうやって汚さず用を足すのだろう?と疑問に思うのは野暮なのだろう。
ルーサーがやや引き攣った笑みでそう返した時だった。
バンッ!
突然、ドアが無遠慮に開かれた。なんだなんだ、とルーサーは振り返る。見れば、ルイーズが真っ赤になった顔で立っているではないか。そもそもアンヴィル子爵家の長男であるルーサーの部屋に、ノックもしないで入ってくるような輩など彼女くらいしかいない。
「ノックくらいしてくださいと言ったではないですか、お姉様」
ルーサーは呆れて言った。
「というか、今日はお見合いの日でしたよね。随分帰るのが早……」
言いかけた瞬間。ぱんっ!と甲高い音と共に頬が熱くなった。え、とルーサーは目を見開く。
「る、ルイーズお嬢様!?一体何を……!」
ティムの慌てた声でようやく、ルーサーは自分が彼女に平手を食らったのだと気づく。呆然としていると、ルイーズはわなわなと拳を震わせて言ったのだ。
「あんたのせいよ」
明らかに、様子がおかしい。彼女は初めて見るほど、激怒している。
「全部全部、あんたのせいよ!あんたが悪いのよ!!」




