<3・みあいする。>
胸をパッドとコルセットで誤魔化せば、悲しいほど姉とルーサーはそっくりだった。化粧もしているし、これなら服を脱がされない限りバレないだろうというのが複雑である。まあ、バレてしまっては困るのだが。いくら姉に頼みこまれたからといって、本来お見合いを肩代わりするなどあってはならないことなのだから。
「お初にお目にかかります、ユリシーズです」
「初めまして、ユリシーズ様」
散々姉と“入れ替わり”をしてきたこともあり、女性らしい所作を演じることは慣れている。スカートをつまんでお辞儀をすると、ユリシーズ=エーメリーはにっこりと微笑んだ。
この国の“お見合い”のやり方は、ほぼほぼそれぞれの家に一任されていると言っても過言ではない。食事をしながら家族を交えて話した後、二人の時間を設けて交流を深めるのが一般的――といったくらいしか縛りはないのだ。そもそも、“お見合い”になった時点で、家同士ではほぼほぼ婚約を確約している状況であることも少なくはないのである。ようするに、本人同士できちんと恋愛結婚ができることは少ないのだ。まだまだこの国は、貴族とその家長の権限が強いのである。
ユリシーズは長身に銀髪青眼の、それはそれは美しい青年だった。これは姉が一目惚れするのもわかるな、と思わず頷けてしまう。声もいい。ルーサーのそれとは違って、穏やかながら低くしっかりとした男性の声だ。エーメリー家の長男にして、高等学校も主席で卒業するだろうと言われている人物。将来有望なのも間違いないだろう。問題はあちらが“長男”ということに尽きる。つまり、向こうは言わずとも姉の“嫁入り”を所望しているであろうことが透けて見えるということだ。彼女は本当に、家督よりも己の恋愛を優先したいということらしい。
さてどんなお見合いがセッティングされているのか、と思いきや。幸いにして、エーメリー子爵家はそう奇をてらうタイプではなかったようだった。コース料理を食べなら交わされる会話も、けして斜め上の内容ではない。
「恐縮ですが、私は……お声をかけていただくまで、ルイーズ様のことを存じ上げていなかったのです」
これは、友人関係でも言えることだろうが。綺麗に食事をする人、というのはそれだけで好感度が上がるものである。彼は食事の前に、きちんとお祈りを捧げることを忘れなかった。フォークで肉を一口サイズに切る所作も淀みなく、育ちの良さが十二分にうかがい知れるものである。お見合いなどのかしこまった場においては、男性でも多少の化粧をすることが多いのがこの国の風習だ。料理のソースが唇につくと、化粧が乱れる原因になるのだが、彼に限ってはほぼそういった心配をする必要がないようだった。
相手に“魅せる”ための食べ方を心得ている人間だ。今まで何度も同階級の人間達と食事をしてきたルーサーも感心させられた。ここまで綺麗にご飯を食べる人は、同じ貴族でも初めてかもしれない。それでいて、当たり前だがきちんと口の中のものは飲み込んでから喋っているし、それでいて話しながらも食事ペースが落ちていない。これは、父親に連れられて商談の席に何度も同席しているかな、とルーサーは踏んだ。
「ですので、今回、ルイーズ様に目をかけて頂いて大変驚きました。お話に伺っていた通り、お美しいですね」
「恐縮です。ユリシーズ様も、私が想像していた通りの方でした」
「想像していた、というと?」
「失礼ながら、遠目からユリシーズ様のことを見て、お近づきになりたいとずっと思っていたのです。階級を問わず、友人が多く、そして勉強熱心でいらっしゃる。そして実際お会いして思ったのは、想像通り非常に紳士的な方だということです」
ちゃんと“お世辞”という名の社交辞令が言える。まあ、確かに姉は美しい人物なのだけど、とはルーサーは心の中で思う。今の自分はその姉そっくりであるはずなのだから、と。
「色々な方と会食してきましたけれど、ここまで綺麗に食事をされる方は初めてかもしれません。私も見習うべきだと心から思っているところなのです」
一応姉から、ユリシーズに惚れた経緯は聴いている。ただし、そもそも自分は実際にその現場に居合わせたわけではないし、姉の高校での生活の一部始終を知っているわけではない。下手に一目惚れの経緯をツッコまれると、ボロが出る可能性があった。それとなく話題を擦りかえるルーサーである。
「もっとユリシーズ様のことが知りたく存じますわ。……このあと、お話できる時間があるのですよね?」
「ええ、勿論。それと……」
少しだけ、ユリシーズが口ごもる。なんだろう、と思って見れば、彼の視線の先にはさっきから妙に言葉数が少ないルーサーの両親の姿が。なんだろう、少しばかり目がうるんでいるように見えるのは気のせいだろうか。
あ、これはもしや。
「私としても、驚いているのです。ルイーズ様はとても活発な方と御聞きしていたのですが……思っていたよりずっと、お淑やかで上品な方でいらっしゃるなと」
ルーサーはずっこけそうになるのをギリギリで踏みとどまった。どうやら両親は事前に、ルイーズに関してあれこれと先方に話をつけていたということらしい。一体なんと語ったのだろう。テーブルマナーが未熟なこととか、丁寧語で喋るのがヘタクソなこととか、相手を立てず自分の話ばかりしてしまうとか――それで失礼があったらゴメンナサイ!くらいのことは全部話していそうである。
なんとなく、ルーサーは察してしまった。そのへんは全部、姉の悪い癖というか苦手な点である。彼女は初日の“食事”で、己の普段の性格が誤魔化しきれずに相手をドン引かせてしまうことを察していたのだろう。姉と自分が入れ替わっていることに気づいていない両親はきっと“ああ、あの娘もやればできるじゃないか!”と感激していると思われる。――すみません別人なんです、とは言えない。
――姉さん。本当に、本当に今日一日だけで済むんでしょうね?この入れ替わりは。
ルーサーは心底うんざりしたのだった。
――次回以降であんまり自由奔放に振舞うと……せっかく上げた印象もあっさり地に堕ちますよ?
とりあえず。このままいけば、次回以降の約束を取り付けるところまでは出来そうである。
***
食事が終わった後は、自宅の庭先でゆっくりと話すことになった。
アベンガネの大樹の下のベンチは、ルーサーのお気に入りの場所である。晴天に恵まれたのは僥倖だった。春先の温かい陽射しの中、本を片手にのんびりと過ごすのはまさに至福の時間である。有りがたいことに、ユリシーズもまた読書家だった。少しまずいかな、と思いつつも本に関して水を向けられて、ついつい話が弾んでしまったルーサーである。
「英雄という言葉はあまり好きではないのですが。ことに“ラスタの英雄譚”のクロフォードに関しては……英雄という言葉以上に相応しいものはないと思っているのです」
ルーサーは革表紙を撫でながら、うっとりと呟く。後で姉にこの辺の本を読みこませなければいけないな、なんてことを思いながら。
「愛する人を見捨てるか?それとも町の人を見捨てるか?そのどちらかを選べと悪魔に言われた時……彼はそのどちらも選びませんでした。英雄としては“お前を倒して両方を救う”という選択そのものはベターなものであったことでしょう。ですが、彼が選んだ道はそれとも違っていた。“ならば俺が救うべきは、その両方であり、また別のものである。悪魔ランディルよ、俺は君のことを救うことで、全てを守ってみせるとしよう。何故なら俺は最初から、そのためにこの城までやってきたのであるから”と」
「ああ、そこは私も好きなシーンです、ルイーズ様。悪魔と呼ばれたその青年が、本当は人々から迫害されただけの人間であるということ、その心さえも彼は拾い上げて真の英雄となったのですよね」
「そうです。彼は“誰かを当然のように要らないものとするこの世界を変えたい”という心情を、最初から変えなかった。読者には、散々悪魔ランディルの所業は提示され、相当ヘイトを貯めこんでいたはずなのです。私もその時まで目が曇っていました。クロフォードのその言葉で、眼が醒めたのです。そして己を恥じました。誰かを当然のように弾く、世界の仕組みこそが悪であったのだと。それを変えるためには、世界から爪弾きにされた者達を守り続けてきた……悪魔と呼ばれる青年の力が必要不可欠であったことを」
ティムと交わしてきた論戦が、こんなところで役に立つとは思わなかった。一見突飛に見えるファンタジー小説であっても、議論を交わす余地は十分ある。あの時あの登場人物があしていなかったら?あの登場人物が唐突に崖から飛び降りた本当の理由は?あの物語は本当にハッピーエンドだったのか?悪魔が倒された後、世界は本当に平和になったのか――などなど。
物語を語ることはつまり、己の心を語ることと同義であるとルーサーは思っている。誰に共感し、誰の言葉が響き、そしてどのようにそれを噛み砕いて己の血肉としていくのか。
恋愛感情ではないとはいえ、ルーサーもまた目の前の青年に好感を持ちつつあった。同じく、悪に堕ちてしまった青年と、その青年さえ救おうとする英雄に共感したユリシーズに。
「私も、ルイーズ様と同じ考えなのです。英雄・クロフォードの教えは、現実の世界にも十分に通じるものがあるでしょう」
本の上に置いた、ルーサーの手に。そっと己の手を重ねてくるユリシーズ。
「スラムでの犯罪率が高い、もっと憲兵の巡回を増やすべきという考えが貴族院で持ちあがっています。しかし、果たしてそれは根本的な解決になるのでしょうか。クロフォードは言いました……ランディルとその仲間たちが悪に堕ちたのは、そもそも彼等が黒髪黒目だからという理由だけで迫害され、まともな職を与えられなかったのが原因であると。彼等を牢屋にブチ込む前に、やるべきことがあるのではないかと。真に変わるべきは、人々の心に潜む悪魔であると」
そうだ。あの話で、作者が一番伝えたかったのはそこなのだろう。
悪魔をただ悪魔として断罪するのは簡単だ。しかし本当に平和を望むのならば、それで物語を終わらせていいはずがない。悪魔が悪魔になるしかなかった、その根本的な理由を叩かなければ意味がないのだと。
「火事が起きてから火を消して回るよりも、火事が起きないように“防災”を徹底することこそ、一人でも多くの人々を救う行いということです。黒髪黒目の人々への不当な扱いが変われば、彼等の犯罪率は劇的に減少する……クロフォードはそれがわかっていた。現実でも同じです。この愚かな身分制度と差別がなくなれば、スラムで食うに困って犯罪に走る人々を間違いなく減らせることでしょう」
ルーサーは目を見開いた。
こんな身分制度などなくなればいい――そう心から願う人間が、まさか自分以外にいるとは思ってもみなかったからだ。ましてや恵まれた待遇の貴族から、その意見が出ることなど殆ど無きに等しいとばかり考えていたのに。
「驚きました。身分制度など無い方がいい……そう思っていたのは私だけとばかり。まさか、ユリシーズ様からも同じ意見を聞くことになろうとは」
そう告げると、ユリシーズは少しだけ頬を染めて“昔からの夢なのです”と言った。
「私は薬学と医学を勉強し、将来は……貧しい人々でもかかれるような病院を作りたいのです。ああ、でも学校を作る夢も捨てきれない。階級制度そのものをすぐになくすことはできずとも、彼等が身を立てられるよう学問を教えることはできる。それとも法律を学んで、時間がかかっても政治家としての道を歩むべきか……お恥ずかしい。やりたいことが多すぎて、まだ道を決めかねているのです」
「……いいえ、恥ずかしいことなんてちっともない」
ルーサーは心から告げた。
「立派な方です。貴方は本当に……本気で、誰かの役に立つことをしようとされているのですね」
恥ずかしいのは自分の方だ、とルーサーは思った。己はまだ、将来のことなど一つも決められてはいない。家督を継ぐ継がない以前の問題だ。階級制度をなくしたいという希望はあっても、そのために具体的に何が出来るのかなど考えたこともなかった。
なるほど。――夢を持ち、誰かの役に立ちたいとキラキラとした笑顔で語る青年。こんなところに、ルイーズは惚れ込んだのかもしれない。
「貴女はまだお若いでしょう、私よりも。……これからじっくり、未来のことお考えていけばいい。どのような職に就くとしても、私は応援しますよ」
ああ、本当に良い人である。女が仕事に就く、ということを嫌がる素振りもない。
「……ありがとうございます、ユリシーズ様」
指先に、彼の温もりを感じながら。ルーサーは微笑み返したのである。
屋敷の方。窓の向こうからこちらをじっと見つめる――姉の視線を、感じながらも。




