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黒刃のルーサー  作者: はじめアキラ
14/22

<14・おもいだす。>

 果たして、ユリシーズから貰ったコーヒーと薬はどこまで効いているのか。ティムが見た限り、ルーサーの様子は今までと何も変わらないように見えた。ルーサーがコーヒーを嫌がったらどうしようかと思っていたのだが(何かを察するということはないだろうが、いかんせん味の好みはあるのである)幸い、ミルクと砂糖を多く入れれば飲めない味ではないようだった。ほとんどカフェオレになってしまっているが、まあそれはそれとして良しとしておこうと思う。

 そもそも、現在のルーサーの状況では、変化があっても分かりづらいというのが実情なのだった。なんせ、あの夜を最後にルーサーはルイーズの部屋に呼ばれて暴力を受けている様子がないからである。ルイーズの機嫌が良いのが理由だろう。もう一度入れ替わって、自分が“ルーサー”として婚約を受ければいい、それが絶対成功すると確信しているからということらしい。時々ルーサーを呼びつけて小さな我儘を言って困らせることもあるし、ルーサーがそれを嫌々聴くのも何も変わらないが、そもそも“洗脳”の結果が大きく出るのはルーサーが折檻を受ける前後のはずである。現状、明確な症状改善が見られないのも、仕方ないことなのかもしれなかった。


――効果が出てると信じて、続けるしかない。


 既に、次のお見合いの日まで一週間に迫っている。一応ユリシーズには間に合わなかった時、返事を保留してお茶を濁して貰うようには頼んであったが、それでルイーズが何かを察しない保障がない。そうなった時、自分の正体がバレたと思って再びルイーズに怒りを向ける可能性は非常に高かった。その前に、ルイーズ本人が自分の意思で抵抗できる状況を作っておかなければならない。無抵抗のまま、彼が嬲り殺しの目に遭わないとも限らない――あの夜の凄まじさを知っていれば、ティムがそう危惧するのも無理からぬことだっただろう。


「あ……ごめんルーサー、時間だわ」


 ついヒートアップしてしまった読書会。ルーサーのコーヒーカップを片づけながら、ティムは言った。


「そろそろ夕食の準備に行かねーと。俺も呼ばれてるんだった」

「おっと、もうそんな時間でしたか。……すみません、僕等の食事なんですから、本来僕等が自分で準備するべきなのに」

「俺らは給料貰ってんだから、気にすんなって。それよりも……」


 ちらり、とルーサーの手元の本を見る。藍色の革表紙には、金色の文字で“暁の空で捕まえて”と記されていた。人を殺す快感に目覚め、快楽殺人鬼となってしまった息子を、母親が苦悩の果てに殺すというサスペンスだ。

 公明な貴族の長男であるジョンソンは、見目麗しく頭脳明晰で母の自慢の息子だった。しかし、ある時誤って子猫を殺してしまったことから“イキモノ”を殺す快楽に目覚めてしまい、長年優等生を演じてきたストレスの反動もあってどんどん衝動がエスカレートしてしまうのである。最終的に対象が“スラムの子供達”になるまで、そうそう時間はかからなかったのだった。

 母親は最初は息子の犯罪を見て見ぬふりをしていたが(我が子がそんな残酷なことをするなど信じたくない気持ちもあったのだろうし、侯爵家の名誉もあり世間体を気にする立場だったというのもあるだろう)、最終的には間接的に殺人の手助けをする己を恥じて、息子を殺すことで惨劇を食い止めようとするのである。

 まさか母に殺されると思っていなかった息子は、信じられないという気持ちで呟くのだ。


『まま、どうして……?ぼく、なにかわるいこと、した?』


 オペラにもなった話だ。最後に母親が事切れた息子を抱きしめて号泣するシーンは、見ている人間も涙が止まらないと有名である。

 今回の議題は、“母親の決断は正しかったのか”“正しくなかったのだとしたら、他にどんな選択肢があったのか”というものだった。ティムは母親のやり方は間違っていなかったと言い、ルーサーは“どんなに酷い息子でも子供は子供、もっと丁寧に説得を重ねるべきだったのでは”と言った。彼らしい答えと言えば答えである。果たして己とルイーズを重ねてそう言ったのかは定かではないところだけれど。

 ここ最近は全て、自分達の“議論”のお題はティムが持ちこんでいた。それも、みんな共通して“あらゆる愛の形とその是否”を問うものである。まだルーサーの洗脳が解けていないとしても、少しでもその潜在意識に働きかけたいという意識があってのことだった。ルーサーは“ティムも哲学に目覚めたんですね。ひょっとして好きな子でもできたんですか?”なんて頓珍漢なことを言っていたが。


「また後でな、ルーサー」

「ええ、また」


 手を振って、ルーサーの部屋を後にした。食堂まではなかなか遠い。既に外は暗くなり、僅かにオレンジがかった藍色の空が広がるばかりである。窓の向こう、星が瞬いているのを見てティムは眉をひそめた。確か、どこかの気象の本にあったのではないか。星がちかちかしている時は、空気中に塵が多い時だ。あるいは、薄く雲がかかっているということである。このあと天気が崩れたりもするのだろうか――確か、食事が終わったあとで買い物に行くようにと言われていたのだけれど。

 雨は好きではない。

 幼い頃、雨風もろくにしのげず、ボロ切れだけを纏ってガタガタと震えていた頃のことを思い出すから。


『パパ、ママ……なんで、死んじゃったの……?』


 労働者階級と一言で言ってもピンキリだ。ティムの家族はお世辞にも上の方とは言えなかった。廃工場を改装して作った宿に、両親と同じ工場で働く人々が雑魚寝しているような状態。雀の涙のような安い給料では、まともな賃貸料など誰も払えなかったためである。共用のシャワーやトイレが辛うじてある程度。水は時々止まったし、順番待ちがあるので毎日使うことなど到底かなわなかった。キッチンもなかったので、まともな料理も叶わない。

 おまけに何が辛いって、薄汚れた格好の労働者達が何十人も狭いスペースに、床に直接ごろ寝して休息を取るしかなかったということである。ごわごわした安いタオルを三人で使ってどうにか体を休めていた。時々聞こえる、誰かの呻き声や呪詛に耳を塞ぎながら。

 そもそも、両親の労働環境そのものがお世辞にもいいとはいえない。ティムが大きくなるにつれ、一緒に眠れる時間さえほとんどなくなっていた。――二人が過労と衰弱で命を落としたのも、必然と言えば必然だっただろう。

 そして、工場で働く両親がいなくなったティムは、他の労働者達に当然のように宿を追い出されたのである。雨の中、ふらふらと歩く時間は絶望しかなかった。とても寒い冬の日。このまま自分は死ぬのではないかと思った時――誰かが馬車から降りて飛び出してきたのである。


『きみ、だいじょうぶ!?』


 それが、ルーサーだった。

 彼は自分の傘をティムに差し出し、あまつさえ高級な上着を脱いで貸してくれた。――そして両親の反対を押し切ってティムを家に連れ帰り、シャワーを浴びせてくれ、服を貸したり紅茶を飲ませてくれたりと世話を焼いてくれたのである。


――あの時の紅茶。……ルーサー、入れるのヘタクソだったなあ。はっきり言って、美味しくはなかったはずなのに……すげぇ、あったかかったな。


 そんなルーサーを見て心を動かされた旦那様と奥様が、ルーサーとさほど年の違わない少年を養子として引き取ることを決めてくれたのだった。ルイーズは最後まで反対していたようだが。

 ルーサーは友人であり、家族であり、自分にとっては命の恩人だった。彼がいなければきっと自分はこの年まで生きるこどころか、あの雨の中、町の片隅で野垂れ死んでいたことだろう。


――友情もまた、愛だ。セックスがないだけで、愛情であることにはなんら変わらない。……誰だったっけか、そんなこと言ってたのは。


 その理屈は、きっと間違っていない。自分は、ルーサーを愛している。親友として、間違いなく愛している。だからこそ危険を冒してでもユリシーズと連絡を取り、彼を救うためやれることをやろうとしているのだから。バレたらきっと、自分もルイーズに目をつけられるのは確実とわかっていながらも。


――あの時救われた恩。階級の違う、薄汚れたガキだった俺に文字を教えてくれて……友達だと呼んでくれた恩。それをやっと、返す時が来たんだ。


 エゴでも、自己満足でも、何でもいい。これは、彼を救いたい自分のためにやっていることなのだから。そう。




「……ティム」




 そう、例え。

 それが己の立場や命を、脅かす可能性がある行為だとしても。





「――っ!」


 思わず、肩が跳ねた。背後からかかった、少し低めの少女の声。聴き間違えるはずがない。ああ、食堂まであと少しだったのに。


「……なんでしょう、ルイーズ様」


 どうにか数秒で平常心を取り戻し、ティムは振り返った。拾われた経緯もあり、ルーサーのことがなくてもルイーズとは仲が良くない。向こうもティムを毛嫌いしているし、ティムもルイーズを避けて来たからだ。それに加えてルーサーを苦しめてきた張本人と思えば、良い印象など持つはずもないのである。


「さっきね、一足先に執事長に話をしてきたのよ」


 ルイーズはにこりともせずにティムに言う。


「ちょっとティムと、個人的に話したいことがあるから……夕食の手伝いから彼を外して頂戴って」

「俺に、ですか」

「ええ、貴方によ」


 喜怒哀楽がすぐ顔に出るルイーズが、まるで虚無を貼りつけたような無表情でそこに佇んでいる。ルーサーと瓜二つの、顔立ちだけ見ればどこまでも美しい少女。まるで彼女らしくない、人形のような佇まいがどこまでも不気味だった。


「色々と、訊きたいことがあるの」


 背筋に、冷たい汗が流れる。動揺を悟られないように拳を握りしめるティム。ひょっとして、自分がしていることが彼女にバレたのだろうか。あるいは、まだ確信はないもののカマをかけられている状況なのか。いずれにせよ、確かなことは一つだった。


「少し、私の部屋に来てくれないかしら。ええ、とても……とても大切な話なのよ」


 どれほど不穏な気配がしても、拒否権などあるはずがない。

 彼女は家の主の一人で、自分はその召使いなのだから。

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