6.生命の価値
左から蹴り。右に躱して懐に潜る。肘、入ったが浅い。拳が降り翳される、後退。左肩の隙、右脚で蹴り、摑まれた。そこに体重を掛け左脚を上げる。胴を捻り、踵、左側頭部に当打。右脚を摑んでいた握力が弱まる。上身を起こし、両腕を振り上げーー
「ギブ!ちょっ待った!ギブアップ!」
「ウィル!止めてあげて!」
ティメンの敗北宣言とオーシンの仲介が入り、身体の勢いを弱める。すんでのところで腕は避けられ、三人共安堵したのが伝わり合った。
「途中で留めるのも苦労だよ。」
「あれ入れられたらマルクス行きだって!」
「……救護室の事?」
一息吐くと汗が滲んでいる事に気付いた。置いていたタオルを手に取る。演習室の隅では基準未満の訓練生が腹筋運動を続けていた。その中には班員のノエルの姿もある。その隣で横たわっているのはオーシンの所の女生徒だろう。眠りこけているように見えるのは気のせいだろうか。
「あーウィルにも全然敵わねぇ。」
ティメンは場所を取る事も気にせずに腕と脚を存分に広げて横たわっていた。オーシンはそんな横暴さには慣れたという風に笑っている。
「こないだはヴェロニカにコテンパンだったよね。レベル下げたら?」
「そうだな、よし。オーシン!相手だ!」
「はは、貶されてる。」
二人は立ち上がり、場所の空いた場所へと移って行った。オーシンとは比較的よく話せる間柄だと思っていたが、ティメンが加わるとどうも難しい。もう使い終わっているタオルと一緒に正体のわからない感情を握りしめた。
演習室内に擦れ合う音と鈍い叩音が響く。昨日は静かだった。誰もいない居棟はなぜか少し暗かった。どこへ歩いても呼び止められることのない空間は、俺が生きてきた今までの人生と同じだ。けれどたかが二ヶ月そこらの生活はそれに物足りなさを感じさせるには充分だった。ここへ来る時には二年という期間を果てしなく、不安に思っていた。時間はあっという間に過ぎるものだということは知らなかった。きっと今はもう、意識をして動かなくても、絵の中に溶け込んでいるのだろう。
「……ぐっ!」
「はっ、はぁっ。……ったーー!私の勝ち!」
叫んだのはジゼルだ。ニコラスとジゼルも区切りが付いたらしい。沸いた気持ちを隠すように二人の元へ向かう。
「ああーー。足をもっと早く捌かなくちゃあな。」
「ふふふっ。あっねえ、さっきの、エリックの真似でしょ!」
「おっわかった!?そう、昨日の!……いや、出来なかったんだけどさ。」
聞こえてきた名前に覚えはなかった。初等部に『エリック』という奴はいない。
「ウィル!どうだった?」
ジゼルがこちらに気付く。座り込んだニコラスの傍にタオルを置いた。
「勝ったよ。今オーシンとティメンでやってる。」
「お、それも白熱しそうだな。」
「ねぇニック!次はルイスの真似してよ!」
ジゼルが話の流れを戻し、ニコラスに燥ぎ立てる。
「俺には厳しいよ…。あっチャバにQやってもらおうぜ。」
「わあー、似合いそう!ねぇ、じゃあマキシムなら出来る?」
「お前なぁ。ジゼルがリーナの真似してみるのと同じだよ。」
次々と聞き慣れない言葉が飛び交う。恐らくは全て人の名前なのだろうが。ニコラスは俺の疑問に気付き少し申し訳なさそうな顔を向けてきているが、ジゼルの口は止まらない。
「練習すればできるもん。」
「わ、言ったな。そうやってさ、意地になるの少し控えなよ。」
「……う。あ、ま、なんと言ってもさあ!やっぱりアレックスが一番すごかったよね!」
「話の逸らし方下手だろ。」
そこで初めて興味引かれる人名が飛び出す。どくん、と止まっていた鼓動が動きだす感じがした。
「ーーねえ!」
「わっ、え、びっくりした。ウィルがそんな声出すなんて。」
「アレックス、って……。」
次の言葉が続かなかった。聞きたい事が多いにある為、考えが整理できず喉が詰まる。ジゼルは驚嘆したまま戸惑って俺を見つめる。
「アレックスが、どうしたの?」
振り向くとニコラスが宥めるように微笑んだ。その隣にはいつの間にかチャバが立っている。状況整理をして少し頭が冷えたのか、興奮が引いていった。努めていつも通りに話す。
「……会ったの?」
「会ったって言うか、観に行ったんだよ。ほら、昨日の階級決着戦。」
「なにそれ。」
俺の落ち着きに笑顔を浮かべたニコラスだったが、俺の質問の為に呆れ顔へ変わった。やれやれどうしようもない、と首を振って、三人で同調している。
「だから言ったろ。ウィルなら知らないかもしれないって。」
「そんなの嘘よ。ええー、ウィルって何なら知ってるの。」
ジゼルが失礼な物言いをして、ニコラスとふたりで溜息をつく。チャバは黙って苦笑いを浮かべていた。
「ずっとメンバーでも話してたけど、ウィルは入ってこなかったからね。講習も聞いていないし。」
口数少ない彼の話す事は、感情論でなく明確な結論だけだからチャバに言われるとぐうの音も出なかった。だいたいウィルは、なんて関係の無い悪口に突入するニコラス達の会話を遮るように質問をいれた。
「で。その『オーダーマッチ』でアレックスに会ったわけ。」
「会ったって言うか観たんだって。観戦して来たんだ。」
『オーダーマッチ』がわからないからか、ニコラスの回答はピンとこない。それを察してかジゼルが割り込んだ。
「ウィル。あのね、私達は『初等部』一年目なの。」
「知ってるよ。」
何を今更言っているのだと返せば、困ったようにほかのふたりに目を配る。ニコラスもチャバも少し考え込んでいるようだ。明らかに、俺がおかしいという雰囲気。なんだ。なんだって言うんだ。
「俺たちは"圏外"なんだよ。」
ニコラスが変わる。
「マレインは年に一度順位を決めるんだ。在構生全員で。ただ、新入構生は除外されるから俺達は参加しないんだけど。」
「順位って?」
「単純に強さの順位だよ。戦うんだ。俺達は今能力指数で順位は付いてるけど、来年からはあまり関係なくなる。それよりも実際に対決して、勝った負けたで力量を判断するようになるんだ。」
「へぇ……。それがーー」
「そう。『階級決着戦』。昨日は最上位決定戦が執り行われてたから、マレインの在構者はほとんど集まってたし、警総轄局とか軍討衛隊とかからも来賓があったんだよ。」
ニコラスの話に首を傾げる。
「それって別機構だろ。部外者ってマレインに入れるんだっけ?」
「中枢直属の機構のトップと、ここの出立者はね。」
「もうー。ウィルってほんとになんにも知らないんだから。周りに興味ありません、ってかっこよくないからね。」
「かっこつけてはないよ。」
ジゼルの揶揄に否定を入れていると視界に影が差した。固まるメンバーに冷や汗をかきながら後ろを振り向く。懸念通り、体術の指導官、カルリーノ=ユリウスが立っていた。
「あら、お喋りはもういいの?」
ニコリと浮かべた笑みが焦りをあおる。
「すみませんでした。」
四人の声が綺麗に重なった。いそいそと体を起こし、誤魔化すように動き始める。ニコラスがチャバに相手を頼んだから、俺はジゼルか、と思ったときだった。
「ウィル。」
ユリウスに名前を呼ばれ、心を構える。しかし発せられたのは説教の言葉ではなかった。
「私が、相手をしましょう。」
体術では、主任のハルトリッターにも勝るという、熟練者からの誘いだった。
扉を開けると白い服を着た補助者が応対してくれた。どうされましたと、聞かれたので事の顛末を話す。ユリウス教官に痛めつけられたのだと。それはもう、どんなに腹を立てているのだ、と思うくらいのやられようだった。補助者は患部を確認している。
わざわざ救護室へ足を運ばなくとも俺の班には治療者がいるのだから、ノエルに治して貰えばいいのだが、修練中に負った傷は届け出るのが規則だった。更に言うと、治療するほど負傷した訳ではないから診てもらう必要もないのだが、立場上そうもいかないのかユリウスに強く指示されたのでそれも仕方なかった。
「おや、怪我人ですか。」
白く塗られた部屋の、奥の白いパテーションから部屋の主が顔を出す。教訓者の一人、マルクス=A=コムフォートだ。気のせいか、目線は俺より少し後ろに向けられたように見えた。
「マルクス先生!こんにちは。」
ジゼルが嬉しそうに声を出した。彼はいつも穏やかで優しく、少し融通が利く性格をしているので訓練生からも人気がある。
「できますか。」
補助者の隣まで来たマルクスは彼女の仕事をみはるようだ。頷いた彼女は両の掌を合わせて俺の腕にある痣にかざした。彼女の手から細かい光が煌めいた。治療者に限らず、ドヌムが使われるときには見られる現象だ。彼女のドヌムは、からだの治癒力を活性化させて傷口の生成を促す力らしい。皮膚下で血が動き出すのがわかった。
「カルリーノ教官と手合わせを。」
「はい……突然指名されて。」
「ここへ向かわせるほど加減をしなかったなんて、大層腕を見込まれているのですね。」
「……そういうことなんですかね。」
「そうですよ。」
マルクスは目を細めて笑った。会話はそこで終わり、沈黙が流れる。待つことにくたびれたのかニコラスが口を開いた。
「マルクス先生は、先生になる前は何位だったんですか?」
「え……。ああ、階級決着戦の話ですか。」
マルクスは話を振られた事に少し驚いた様子を見せたが、穏やかな笑みは絶やさない。訓練生の興奮には慣れた様子だった。
「私は治療者ですから。たいした順位にはついていませんよ。」
ジゼルがそんなことないでしょと茶化し、ニコラスとふたりで、浮ついた期待を口々に話した。マルクスは慌ててそれらを否定しながら謙遜する。どこか不自然な遠慮にも見えた。チャバが口を開く。
「でも、教訓者って確か『クラック』以上が希望してなるんじゃあ。」
「クラック?」
聞き返したのは俺だ。今日は聞き慣れない言葉が目立つ。
「百位以上のドーニウスの事だよ。」
チャバが教えてくれている。その間に、うるさい二人がマルクスに興奮をぶつけていた。
「先生、『クラック』だったの?それとももっと上?」
「すごーい!じゃあ、ほかの先生もってことだよね?」
「ああ、ええと、そうとも限らないって言うか……。私は本当に……。」
マルクスは首を振りながら困り果てていた。口下手な人ではなかったはずだが言葉に詰まっているのは、褒められるのに弱いのだろうか。何だとしても、嫌がっているのだからニコラスとジゼルははしゃぎ過ぎだ。
「おい、二人共。」
一言声を掛けただけで驚くほど二人の口はすぐに止まった。普段からあまり脅かしたり厳しくしたりはしていないが、こう威厳が保たれているならばリーダーとしてはやりやすい。しかし、何故だろう。
「うるさい。教官が困ってるだろ、ほらもう行くぞ。」
丁度よく治療を終えた治療者に礼を言い腰を上げる。俺が歩きだしてから、みんなが付いてくる。いつも通りのその流れにようやくながら疑問を感じた。偉そうにしているつもりはないのだが。
「じゃあ、お体に気をつけて。」
マルクスが見送りをしてくれた。教官のくせに俺達に向かって"お体"なんて。へんな言い回しだ。
「ありがとうございました。」
救護室を出て廊下を歩いていると、ノエルに袖を掴まれた。
「ごめんね、わたしが治してあげられなくて。」
しおらしく下を向く顔に思わずドキリとする。
「いや、ノエルは悪くないだろ。元々怪我したわけでもないし、大丈夫だよ。」
ノエルは顔を上げ、力なく口角を上げた。この子はよく悲しい顔をする。
「ちょっとなにその空気!ウィル、抜け駆けするなよ。」
そこにニコラスが割り込んできて、俺の腕を掴んでノエルから離した。
「なあノエル。俺にもやって、さっきの。」
「えっ、さっきのって?」
「俺にも後ろから、肘のとこ摘んでみて。」
ニコラスは顔はそのままに背中を向けてニヤニヤした。
「ええ、なんか嫌だな。ニックは背が高いから袖口のところになっちゃうよ。」
「良い!全然良い!」
「嫌って言ってるんだからやめてやれよ。」
「私がやってあげようか。」
「ジゼルは、いい。」
「ひどい!」
ニコラスがジゼルと口論している間にノエルはチャバを挟んで隠れた。俺より少しだけ背が高いノエルも、チャバのかげにはすっかり収まってしまう。
恒例の喧嘩も階段を登り終えた頃には収まった。食堂へ向かおうとすると前方から人等が歩いてくるのが見えた。その中には顔を合わせづらいヴェロニカも居る。
「あ、美少女トリオだ。」
ニコラスが呟く。
「ええー?ベルとローラはわかるけど、リージャはそこに入らないでしょう。」
「え、どうして?かわいいじゃん。」
ジゼルとニコラスがそこまで話すと、連れの二人にひっきりなしに喋りかけていた女の子がこちらを向く。
「はっ。僻んでんじゃねぇよ、ブース。」
リージャがジゼルに向かって言った。
「……性格は悪いけど。」
「はぁ?一丁前にカオデカが貶す言葉覚えてんじゃねぇよ。」
ニコラスの付け足しが気に入らなかったのか、リージャは彼にも挑発を入れる。佇むようにヴェロニカの隣を歩いていたローラがリージャの肩に手を置いた。
「あんまり言うと可哀想よ。この人達だって懸命に生きているんだから。」
便乗でしかないローラの言葉に、こちらの班員の二人は言葉も出ないほど怒りを増長させている。止めに入ろうかと思ったところで折悪しく後ろから声が響いた。
「あれ!何してるのかと思ったら、こんなところで負け組に……慈善活動?」
振り向くと、何が楽しいのかニコニコしながらアントニーが手を振っていた。その後ろを癖毛の少女が縮こまって付いている。……ミラビリス、だったか。
「あーあ。集ってる姿も貧相だね。ね、ミラもそう思うデショ。」
「えっ。……いや、私は、や……。」
癖毛の少女は返答を避けるように俯く。その顔を見て思い出した。確かノエルと仲が良かったはずだ。
「負け組って誰のことだよ。」
アントニーの存在が効いたらしくニコラスが声を震わせる。
「なんにもかもそこそこで、いっつも二番手止まりなお前らのことだけど?」
「なっ……!ベルとローラのおこぼれ貰ってるだけのあんたに言われたくない!」
「はん。お前だけで、あたしに勝ってから言ってみろよ。」
ジゼルとリージャも一触即発だ。いや、すでに勃発しているのだろう。まずい、と思いながらも女の争いにはどうも入りづらいものがある。
「俺、おこぼれでも良いなあ。毎日綺麗な女の子達と居られて幸せ満喫中だもん。そっちのつまんないブスと励んでるより絶対イイや。」
「は!?トニーまでブスって言う?」
「何言ってんだよ。こっちには結婚したい女子ナンバーワンのノエルが居るんだぜ。」
「ニック!あたしにフォローはないの?」
「あー、ノエルちゃんはイイよねぇ。彼女にしたい。」
「お前なんかに絶対やらないぞ。」
「ちょっと聞いてる?この、ニコル。絶対許さない!」
「貧乳は黙ってろよ。」
男ふたりに散々けなされ、最後にリージャからとどめを受けて、ジゼルは今にも泣きそうな勢いで俺のところに避難してきた。だったら最初から入っていかなければ良いだろうと思ったが、今、咎めるほど俺も空気が読めない訳ではない。口争いは依然続いていて、三対一でニコラスが不利な状態だった。そもそもアントニーとリージャのコンビに言い負かせられる人物を俺は知らない。
ヴェロニカを見る。ほかの訓練生にもよく誹謗を浴びせているあのコンビを彼女はいつも窘めている。だけど俺達が相手の場合、ヴェロニカは全く止めはしなかった。今も黙り込んでいる。黙り込んで、俺のことを睨んでいた。
「ていうか、その女のどこがいいの?ほぼ最下位の足手まといじゃん。」
「顔!」
「癒し。」
「胸!」
アントニーが二回答えたことに、リージャは腹を抱えて笑った。ノエルが、貶されたことにも辱める言葉を挙げられたことにも腹がたったが、俺よりも先にアントニーが口を開く。
「でもそれならうちのローラ様も負けてないよねぇ。胸も大きいし。こう見えてベルには献身的なんだよ。見て、このまなざし。癒されるぅ。」
「トニー、近いわ。」
貶し合いからいつの間にか自慢大会になっている。それからは幾分か和やかな会話だった気がするが、俺の方が視線の恫喝に耐えられなくなる。もうヴェロニカと顔を合わせていたくはなくて、彼女の班員を避けて歩き出した。
「もういいだろ、行くぞ。」
ぼそり、そう言うと、いつまでも続くようにも思えた口喧嘩はあっさり終わった。皆、口を閉じた。そこから俺の班員がさっきみたいに後ろから付いてくる。なんだかまるで明確に言及されていないだけで、皆が知っている、ルールか何かでもあるようだった。収集の付かない悪い状態になるのを危ぶんでいたが、あれはあれでもしかしたらこの人達のコミュニケーションだったのかもしれなかった。
すれ違ったときの、音にもならないヴェロニカの舌打ちがなんだか虚しく届いた。
二月の前半だというのに、マレインの木々は薄く葉を付けたままでいる。そろそろ順に散っていき、けれどその間にも新しい若葉を生成しながら、裸になることはないという。一年もの間、樹木に被り続けた木の葉たちは硬く尖っている。特殊能力者達が枝を蹴る度にそれはほこらしげに踊った。
「順位にあてられた階級が、ここに居る上では"絶対"。ここまではわかったか。」
「ああ。」
昨日まで気に留めていなかった重要事項を、今、一から聞かせてもらっていた。俺と同様に、落ち葉の敷かれた土場を強く蹴り続けながらニコラスは続けた。
「今期でマレインの在籍数は一二七四人。これは覚えなくていいけど。『激動の八年間』以降、一一〇〇人から一三〇〇人くらいの幅で安定してるそうだ。それ以前も、だいたい千人越えと思っていい。で、これに、階層をつける。」
時折現れる、倒木、崖、池や岩などの障害を器用によけながら、森の奥へと急ぐ。
「まず、千位より下位の『最下級層』がある。ここに入ると、任務や業務は振られない。仕事に就けるように、修練を続けたり、能力を磨いてなにかに特化させたりして、自身向上することが課題になる。」
「はみ出し者ってことか。」
「……心無い言い方するんだな。」
踏みどころを間違えて小石が後方に蹴り上げられる。何度か跳ねて、ころころ転がった。ニコラスがそれを一瞥する。束の間、眉を寄せた。
「千位以上の特殊能力者は『可位級層』って呼ばれてる。在構の本意は変わらないけど、修練の水準が段違いに上がるから、格段に優遇されるようになる。内申をあげる為に『オーソリティ』になっておいたり、功績を残そうとしたりって活動してるらしい。」
傾斜を上ると細かく人集りがみえた。到達が早く感じるのは成長の証だと言っていいだろう。落葉に滑らないように重心に注意を払う。
「五〇〇位以上になると階級があがるから、『可位級層』はその間を指すことが多いんだ。次が、一〇一位から五〇〇位までの、『上級位層』。ここはーーーー」
大人を三人くらい縦に並べた程の高さがある大岩に手を付ける。速度がついていたので、両足もついて、身体ごと突進したかたちになる。急いだ、道程のおわりを表していた。
「遅かったんじゃないのか。」
そこに黒い、身体の線が出るほど、吸い付くように密着した運動着をまとった小柄な男が近づいてくる。この時間を取り仕切る教訓者、イリヤだ。イリヤは、苛立ったような訝しむ顔でこちらを見ていた。
「並以上だと思いますけど。」
俺がそう返すと、イリヤは怒りを隠すことをやめた。
「お前は尚短い記録を出せと言っているんだ。そこらの水準で測るんじゃねえ。」
更に舌打ちをして、
「いい。とりあえず、俺の前から消えろ。」
放るように言い放った。今日は、手酷く邪険にされる一日だ。
「ウィル、早く、行くぞ。」
ニコラスに肩を押されて人集りに紛れる。木登りや発進の練習などをして番を待っている人衆の中だ。全方位を人で囲まれた辺りでニコラスが言った。
「イリヤ先生はウィルにいつも食ってかかるな。」
「……そうか?あの人はだいたいあんなんじゃないの。」
「ウィルだから、そう思うんだよ。だいたいの人は関心も示されてないんだ、ってあからさまに感じるくらいだよ。」
言われてみれば確かに、当たりを強くされていたかもしれない。俺がなにかしたのだろうか。けれど、それよりも気になることがあった。
「それで。五〇〇位以内が?」
「ああ、ちょっと待って。」
流石に話しながら走ったのが辛かったのか、ニコラスは屈みこんで呼吸を大きくした。それを見て少し罪悪感をもつ。いつもどんな状況でもおしゃべりな彼が、それで息が上がるなんて思ってもなかった。日に日に伸ばされて行く距離に、ニコラスは付いてこれていないのかもしれない。
「ーーニック!大丈夫?」
先に順番を終えたノエル、ジゼルとチャバが駆け寄る。ニコラスは、情けないと言った顔で笑った。やがて息は整ったようだった。
「ありがとう、大丈夫だよ。」
ニコラスが立ち上がって、ノエルはホッとしたように黙った。チャバが頭をかきながら囁くように話した。
「最近、道が長くて大変だよね。俺は遅いから、速い人とペアになると心が折れるよ。」
「私達、ただ普通に走っているだけだものね。」
さっきチャバとペアで走り終えたノエルが添える。ふたりはすばやく動くのには向いていない特殊能力をもっている。ニコラスが俺のほうを見た。
「ええと、『上級位層』だよね。」
「なに?さっきの続き?」
ジゼルが口を挟む。
「ああ、階級から教えようと思って。」
「いいから、続きを言ってよ。」
俺が話を戻そうとすると、ジゼルは不機嫌そうに頬を膨らませた。が、文句はないようだった。彼女もおしゃべりだから、話にまじりたいだけなのだ。
「『上級位層』から本格的に、任務がまわされるんだ。それより下位だと初等部の延長で、経験のために簡易なやつに行かされることはあるけど、五〇〇位以上になると、警総轄局や軍討衛隊に派遣されたり、マレイン内で隊を編成したりして、達成が目的の任務につかされる。マレインは貴重な特殊能力者をこんなに囲ってるわけだから、まあ義務みたいなものだよね。」
「マレインの運営にも携われるんだよ。催事とか事務とか、上級位層が協力してやってるの。」
加わったジゼルの解説に顔がしかまる。
「こき使われるんだ。」
「もう!雑務じゃないんだよ。マレインをあちこち見て回れるわけだし、ここを動かすのってすごいことなんだから!先生達のお手伝いをしてる補助者も、この階級から選出されるんだよ。」
彼女は必死に熱弁している。つまり、五〇〇位以上の"アッパー"という階層から、修練以外の余裕を持てるということか。
「さっきの補助者も、現役の『上級位層』なんだ?」
チャバが眉をひそめてジゼルに問う。言われてみれば、救護室にいた女は上半分にはいるような能力者には思えなかった。
「そ、そうなんじゃないの?」
「でもマルクス先生も心配そうにみてたし、なんか"できる女"には見えなかったよな。」
ニコラスもチャバの疑問に賛同し、なんだかジゼルが責められているようなかたちになった。
「でも、確かにきいたことあるもん。補助者は、『上級位層』の仕事なんだよ。」
「あっ、あのねっ。」
ジゼルが頑なに訴えると、チャバの後ろからノエルが出てきて遮った。
「わたしたちは、治療者は、また違うの。」
ノエルはなぜか俯いて、罪を告白するように言葉を紡いだ。
「治療者は、軍事の演習でいい成績をとることをできない人が多くって。でも、それに就くことができる能力は限られてるから。だから特別に、治療能力だけで選ばれるの。もちろん、現場に駆けつけなくちゃいけないから基礎もできなくちゃだめなんだけど……。」
皆が黙ったままいるのは、細々と続けられた言葉が終わったのか判断がつかないため。そしてノエルがこんなに縮こまっている理由がわからないためだろう。その沈黙を流し去るようにノエルは言い足す。
「だから、きっと、……マルクス教官もクラックではなかったんじゃないかな。って、思うんだけど。」
それでも誰からも返答がないことに不安を感じたのか、ノエルは上目遣いに視線をあげた。
「……そうなんだ。」
自分でも呆れるほどに間抜けな声が出た。不思議なことにノエルの方がすこし頰を赤らめた。
「どうしてノエルがそんなにかしこまるのさ。」
ニコラスが優しい声で言う。そうだ。俺もそう言いたかったのだ。ノエルは顔を上げて、でも下の方を見ながら答える。
「だって、なんだかズルしてるみたいで。この制度があるから、わたしはほかができなくてもいい、って思ってるんじゃないかって思われそうで。」
ノエルがそこまで言うと、彼女の頭に大きな掌が乗せられた。俺の目線より上の、その位置から更に高い場所にあるチャバの顔が優しく笑みを浮かべる。
「そんなこと、疑ったりしないよ。だれも、ノエルを責めない。ノエルが頑張ってることみんなよくわかってるから。」
チャバがそう言ったのに、まるでニコラスも、そしてジゼルも今同じことを話したように思えた。みんな同じ顔で、同じことを伝えていた。それに包まれたノエルも、同じ顔をした。和やかで優しい空気が漂う。同じ年齢の同じ場所にいる、チームだからこその温かい空気だ。
それが、一瞬にして壊された。いつの間にかイリヤが近くに立って咎めるように凄んでいた。午前の再演のようだと思った。彼は威圧するように腕を組む。
「自主トレーニングを怠る上に集合にも応じないとは、余程の事情があるようだな。」
だとしても許さないが、という口振りだ。
「イリヤせんせ、もうそんなやつら、森に捨てて行っちゃいましょうよお。」
イリヤに侍るようにリージャがくっついている。叱られている身で何も言えないけれど、恨めしそうにジゼルがそれを睨んでいた。
「すみませんでした。」
「ウィル。つい今し方も言ったよな、お前には自覚が足りてねぇ。ーーおい!全員、俺から一km範囲内で自主訓練だ。サボるんじゃねえぞ。」
イリヤが謝る俺に一言添えたあと、初等部生に向けて怒鳴った。そしてリージャを払う。
「お前も行け。ウィル、てめえは説教だ。そのほかもな。」
イリヤはいつもこうだった。他人に配慮をしない。歯に衣着せない物言いで傍若無人に振る舞った。リージャが名残惜しそうに離れ、走り去っていく方向にヴェロニカがいた。また、俺を見ている。心底迷惑そうに、どこか悔しそうに顔を歪めていた。
贔屓も無関心も隠そうとしないイリヤはジゼルとリージャの敵対も、俺とヴェロニカの不仲も悪化させている。そんな事など眼中に入れずに。
「で?お前らがくっちゃべっていた、俺の演習より大事なものってのはなんだ?」
聞き方が、悪い。誰も言葉を発せずにいた。イリヤは舌打ちを打つ。
「クーヘン。何を話していた。」
今度は名指しで問うた。ニコラスがおそるおそる口を開く。
「……階級の話です。」
「あ?」
「ウィルが、階級決着戦を知らなかったので、説明していました。」
ぶっ。息を吹き出した音が響いた。イリヤは先程から一転、心底可笑しそうに笑っていた。
「"知らなかった"か。教訓者でも話題だったぞ、お前が観戦に来なかった理由。間抜けなもんだ。」
くっくっと、喉を鳴らしながら何度か肩を震わせて、思い出したようにイリヤは顔を元に戻した。
「で。」
「……え?」
「その説明は、終わったのか。」
「ああ、えっと……。」
緊張のあまり記憶をたどれないのか、ニコラスはどもる。イリヤはただ静かにそれを待っていた。教官が、語って聞かせてくれるのだろうか。早く、続きを。その気持ちが意識をするより前に口をついた。
「一〇〇位からです。一〇〇位より上を、まだ聞いていません。」
俺が興味を示すことをジゼルにも珍しがられたように、彼にとっても意外だったのかイリヤは目を大きくさせて、軽く頷いた。
「『優高等層』だ。」
「クラック……。」
「ああ。世界中から集められた能才者のなかでも、特に秀でていると認められる者たちだ。千人以上の相似から上位一割にはいることは、それなりの腕があるということだ。教訓者の採用基準でもある。」
イリヤの顔には淡やかに誇りらしきものが浮かんでいる。彼がこうも高く表現するのだから相応のものなのだろう。
「あなたも、そこに……。」
そう尋ねると、彼は馬鹿にするな、というように鼻を鳴らした。
「俺は更に上だ。」
「……上。」
「『優高等層』は三一位までを指す。十一位から三十位までの二十名を『特選精鋭』と、呼ぶ。俺の最高取得順位はニ一位だった。」
「…………。」
息を飲んだ俺の顔を、イリヤは得意げに見下ろした。彼は褒め上げられたい性格をしていない。見せ付けて、黙らせたいのだ。まさに今のように。
「ーーすっごい!じゃあ、イリヤ先生、"インサイド"に居たんですか?」
この教官を褒め上げるのは、彼に心酔している小柄な少女達だ。ジゼルの質問に、イリヤは首を振った。
「いや。……奥地の警護は『特選精鋭』の役目だが、就くのは五人。順位が上の方から放棄権があるから、配置されるのは希望者か下位者だ。」
興味なさそうに答えた彼は、当然ようにそれを拒んだのだろう。"奥地"というのはよくわからないが、イリヤは定地の警護など好みそうにない。うんざりした態度をとられたジゼルは、かしこまって引っ込んだ。
「そんなことはいいだろう。階級制度で最も重要なのが、この上だ。マレインに君臨する十名の特殊能力者。彼らは『 X 』と呼ばれ、世界屈指の実力を持つ。それに属しているだけであらゆる機関、組織、派団に顔が効き、各位さまざな分野でその名を轟かす。」
なおざりにされた訓練生たちがこちらの様子を伺っている。そろそろしびれを切らしているのだろう。気付いているのかいないのか、イリヤは後ろを見ようとしなかった。
「お前も、エリックの名くらいは聞いたことがあるだろう。」
「……いいえ、今日、初めて聞きました。」
正直に答えただけなのに、イリヤはたまらなそうに吹き出した。
「はっ。ふ、そうか。お前はほんとうにおかしいな。まあ、仕方もないよな。俺らみたいなもんは……。」
ふ。イリヤはまだ静かに笑っている。さっきから、俺に向かって話しているのに、あたかもひとりごとのような、誰にともない喋り方だ。自分のなかの何かに語り掛けているようだ。引きとめてここに戻すように、言う。
「俺が知りたいのはアレックスのことです。」
「……お前が言うと、ああ、嫌んなるな。」
核心をつかれてみたいにイリヤは顔を歪ませる。勝ち気な彼に似合わない、見たことのない顔をした。
「現代の『 X 』はこれまでにないほど、奇抜で優秀なメンバーだ。見ておいた方がよかったぞ。四年前だ。四年前、あの人が覇者になってから、『 X 』は大きく変わった。はっ、探らなくても、あの人の話なんかは自然と耳に入るようになる。急ずに待て。これからは、人の話をよく聞くんだな。」
誰にともない喋り方で、ぼそりぼそりと呟いた。もうおしまいだ、と言うようにイリヤはゆっくり後ろを振り向いて俺に背を向ける。気を遣って、一定の距離を開けていた訓練生の方へ歩き出す。呼び止めたいとも思ったが、話は充分に聞いたとも思って、結局黙って彼についていった。班員たちは、その俺についてきた。後ろで、ジゼルが小さい声でイリヤの笑顔が素敵だったなどとノエルに話している。訓練生達が、話し終えた俺達に気付き一点に集まり始めた。当然のようにそれを眺めながらイリヤは歩いている。こちらを振り向くことはしない。固い落葉を踏みしめる音にかすかに声が混じる。
「俺はお前を、あの人のようにーー」




