3.森のかがやき
目覚めの瞬間が人生に於いてどんな意味を持つのかは知らない。だけど想像してみて欲しい。朝目覚めて、最初に見るのが親狎を突き付けてくる饒舌な男の顔なのだ。これだけで気持ちが萎むのは致し方ない。
講習の形を取った検診をひとつ終え、最後の項目となる大演習の為に各自森の中の集合場所へと足を進めていた。そんな時にも横にいるのは例の男である。
「なーんか嫌だよな。ってウィル聞いてる?」
大袈裟に顔を覗き込む仕草は果たして必要なものなのか。
「ああ。嫌だって何が?」
「会って間もない同期とさ、個人同士で競い合うなんて。仲違いさせられてるみたいだって思わない?」
「思わない。」
いちいち問い掛け、その答えにいちいち騒ぐ。入門時にこの男に会ってしまったが運の尽き。ずっと付纏わられ、部屋まで同室となってしまった。
「ほらあいつ、剣持っただけでバランス崩して降ることも出来なかったやつ。」
「剣よりもさ、弓矢の方酷かったぜ。弦に掛けらんなくって。無理矢理引いても斜め上にぴょんって少し跳ねただけで終わってたもん。」
ひそひそと話す声が丸々聞こえる。その話題は他でもない俺だ。先程の武器操縦の時間に散々だった事を笑っているのだ。
「おい何馬鹿にしてんだよ!全部結果が出ても同じ事言えるんだな?あとで怯むことになるからやめとけよ。」
しつこく絡む視線をニコラスが自分の事でもあるまいのに自信有り気に追い払う。別にあういうのは構わないのだが。よく互いを知らない相手に一部だけを見られ嘲笑される。それは当然とも言える、よくある事だ。なんとも思わない。
「それにしても、ウィルほんとに武器下手だったな。赤子に字でも書かせていたみたいだったよ。」
しかしこういうのは別だ。正義感たっぷり振る舞いながら避難した相手と同じ事を言うなんて。ふつふつと怒りが湧く。遠くから馬鹿にしている方がまだマシというものだ。
実はマレインに入ったこの数日で言葉を交わしたのはニコラスだけではない。ほかにもっと居心地の良さそうな相手がいるのだが、悲しい事に現実は甘くない。自分はそれほど社交的ではないし、率先して寄ってくるのはこの男なのだ。昨日まで違う相手と行動していたと思われる二人組が森へ向かうのを視界に留め、溜息をつきながらそれに習った。
『マレイン』に入ってまず行なわれた試験の数々。試験って、どうしても苦手だ。その言葉だけでもう難しい気持ちになってしまうし、自分の結果で誰かを落胆させてしまうんじゃないかってプレッシャーがどうも苦手だ。でもその試験もいよいよ大詰め。もうすぐ終わる。そう考えたら使い切ったはずのやる気が、少し出てくる。よし、最後は一丁頑張ろう。
「おっ。カイやる気じゃん。」
膝上を叩き立ち上がった所に囃しを立ててきたのはアンディだ。泊まる部屋が一緒で仲良くなった。アンディは明るくて気持ちの良い奴だ。
「最後だし気合い入れて行こうと思って。」
「いいな!よーし、俺もやるぞー!」
「揃いましたね。」
「始めるぞ。さっさと前置きして来い。」
「はい!」
前列でよく見ると先生達のやりとりってちょっとなんだか不自然だ。何が、って言われたらよく分かんないけど。多分、イリヤ先生が。
「最終種目を開始します。お静かに。」
一生懸命なシェルビィ先生もかもしれない。真面目すぎるんだ、多分。貫禄あるほかの先生達に比べると少し浮いてる様にも思える。イリヤ先生は若いのに態度が大きすぎるんじゃないかと思うけど。もしかしたら幼く見えるだけで結構いってるのかもしれない。いや、まさかね。そんな事より入構時以外あまり見なかったテオバルド主任がいるから、少し緊張する。
「最終種目は初等部の所有するこの森全体で行います。」
えっ全部?そう思ったのは俺だけじゃない。周囲から息衝きや囁きが聞こえる。
「刻限は午後五時丁度。それまでにこのオリーブの木まで戻ってください。」
ざわつきは一回り大きくなる。比例して俺の驚嘆も。えー迷ったらどうしよう、なんて聞き取れるほどざわつきが大きくなった時。
「うるせぇ。」
イリヤ先生の声が響いた。よく通る声をしている。本当にこの人の公然とした態度はどこから来るんだろう。けれど昨日教訓者としての威厳を打ち付けたイリヤ先生の咎めは初等部生達によく効いた。
「概要を説明します。」
シェルビィ先生が続けた。ここはよく聞かないと。
「森全域にこれが仕込まれてあります。」
シェルビィ先生が手を上げる。指で摘んでいたのは小石だった。キラキラ眩しく太陽光を反射してる。
「皆さんにはこれを集めて貰います。」
「オーシン、右!来てるよ!」
その声にはっと右後方を見やる。小柄な女子が短い前髪を揺らしながら器用に木の枝を伝い眈々と距離を縮めて来ていた。咄嗟に付近の木の葉を彼女へ向かわせた。
「ゔわっ。」
数百枚の木の葉が風に吹かれたように、彼女へと突進する。数枚が顔へ張り付いたその子は苛立った様子を見せながら葉を払い始めた。落ちたそれらはバラバラに裂かれている。攻撃、というほどの物でもない為長くは保たない。登っていた木のてっぺんから目当ての物を取ると直ぐに彼女から遠ざかるように移動した。
「はぁ、はぁ。助かったよ。ありがとう、トニー。」
「 もーう。俺が行くなんて言っときながら、油断しちゃダメだよ。」
彼、アントニーは笑いながら軽く窘めた。全くその通りだ。場所が場所なだけに移動能力なら俺の方が自由が効くだろう、と名乗り出たは良いがそれだけに意識を取られてしまったのだ。
「それにしてもさっきの子。闘志満々って感じだったな。」
俺の育った村では女性は慎ましくあるのが常だったから、あの少女の様に能動的な子は驚嘆すべきものだった。
「女の子なんてあんな物でしょう。何?オーシンって女の子に夢見てるタイプ?女兄弟とかいないの?」
またもトニーはケラケラと俺を茶化す。彼の言葉選びは斬新だ。これも、故郷の村では思い付く事すら有り得ない。コンコルディアって面白い。
「俺、田舎から出てきて良かったって思うよ。」
「…はぁ?何の話?」
雑談もそこそこにこれからの事を展望する。俺達は『光石』と呼ばれる石を集めていた。直径二〜五cmの小石で、教訓者に寄って初等部の敷地内である森中に散らばしてある物だ。全てで五百あるという光石は、重さで三種類に分かれている。三十gと二十gがそれぞれ二四五個ずつ、五十gが十個。制限時間は三時間で、終了時に所持している光石の質量がこの検診の結果になる。
光石は日光などに当たるとその名の通りに光を放つ。見付け出す事はそう難しくない。だが、問題はその後だった。発見した光石は腰に下げた器具に嵌めておかねばならない。そしてそれの奪い合いは認められているのだ。だから俺とトニーみたいに誰かと組んで行動している奴は結構いるみたいだった。
「さっきみたいに、盗みに来る子を回避するのは難しくないよね。」
「そうだな。」
油断してかなり接近されたものの、逃げるには問題なかった。トニーなら尚の事だろう。
「こっちから仕掛けたり奪い合ったりする必要はないと思うんだ。今まで通り、人は避けながら着々数増やしこうよ。」
「それがいいな。みんなどんな能力持ってるかまだ分からないし。」
トニーは落ち着いて物事を考えるし周りをよく見てる。なにより無茶で物騒な事を言い出さないからやっぱり彼と組んで正解だ。
「アンディ。次どっち?」
「ん!?カイちょっと速ぇよ!」
「あっ、ああごめんね。」
つい癖ですいすいと進んでしまっていた足を少し緩めた。アンディは鼻が利く。鼻だけじゃなくて感知能力がずば抜けている。この種目ですごく役に立つ能力だ。タッグを組んでくれて本当にありがたい。
「これぐらいでいい?」
「おおサンキュー。奥の湖に大物の予感!」
「わかった。アンディすごいな。」
アンディは照れる様ににいっと笑った。お調子者である彼は、がんがん走って少し遅く走る俺の事を抜いた。
「教えてくれてありがとう。」
え、いつの間に。一mも離れていない、至近距離に女がいた。バキッと枝を折りながら踏み越え俺の事を易々と抜く。
「なんだお前!?」
アンディが振り向いた。女は更に速度を上げアンディに詰め寄る。
「序でに頂いて行くわね。」
女の言葉に、反射的にアンディは背中を隠した。多分これもまた反射的に右脚に体重を乗せて左脚を上げ、ようとした。でも蹴りが入れられる事はなかった。
抵抗しようとしたのがいけなかったのだろうか。俺が女の出現に驚いてる間に、アンディは深く負傷してしまったのは。
三だ。答えがやっと出て、ホッとする。代わりに今いる場所がどこなのかはわからなくなったが、最悪真っすぐ進めば城壁がある。それを伝えば森は抜ける。
考えこんでたのは光石とか言う石の、数だった。何個持てば優等生で、何個以下なら劣等生なのか。そこで五〇〇÷一六四をしてみようと思ったのが間違えだった。光石の数を増やさずに何分も過ごしてしまったんだから。
でも答えは出た。三だ。あと一つ集めれば平均には届く。そう思ってまた走り出そうとしたのだが腰に違和感を感じた。ん?あれ、無い。無い。光石を嵌めておいた器具が。
「うおぉい!てめぇ待ちやがれ!」
「あはははははっ。いっただっきまーす!」
気付かぬ内にどうやったのか、真っ二つに分断された腰紐を両手に女が去っていく。愉快そうにはしゃぐ姿に更に苛立つ。幸い追いかけられないスピードじゃない。上等だ、てめぇの分まで奪ってやる。俺は地を蹴った。
多量の血が背中にべた付く。アンディは数分前から言葉を発さなくなった。聞こえるのは呻き声だけ。大丈夫だろうか。けれどどんな能力であろうと特殊能力者は能力を持たない人間に比べて格段に生命力が強いのを俺は知識として持っている。信じて進むしかなかった。
「けっ怪我ですかっ…?」
数m先に女が見える。通り過ぎようと思ったが声を掛けられた。運良く大人しそうな子だったが、その怯える顔は本物だろうか。
「待ってください。止まって!」
「…悪いけど、これの時に光石は全部取られちゃったんだ。」
「そ、そんなのではありません。」
怯えた顔も傷付いた顔も本物みたいだ。なんて酷いこと言ったんだろう。アンディが倒れて、ぴりぴりしていたみたいだ。この子の声、いや雰囲気だろうか。それに触れて少し気持ちが和らいだ。
「ごめん…。」
「いえ。治療に向かわれているんですか?」
「うん、オリーブの木に行けばマルクス先生が居るはずだから。」
「…見せてください。」
「え?」
彼女は俯きがちだった顔を上げた。そこでやっとかわいい子だったことに気付く。冷たくしてしまったのは彼女の高い背や長い髪をさっきの女に重ねていたのかもしれない。あの女も綺麗な顔をしていたから。
「私、治療者なんです。」
彼女は打って変わって強い表情で言った。
「えぇーん。痛いよおーっ、あは。」
「…なんなんだよてめぇ!」
上方から騒がし気な遣り取りが聞こえる。チラリ、目をやると男女が奮闘を繰り広げている。
「もぉう!しつこいよっ!」
「それを返せば終わるんだよ!」
男の方は器具を巻いておらず、それは女が持っている様だ。持っている、で良いのだろうか。女が右手に掴んでいるのは女の左手だ。肘下から離されたそれを痛がる様子も見せずに持った女は唯々笑っている。
「てめぇの体はどうなってやがんだ!」
男は女に殴り掛かる。けど殴ったのは空だ。それでも衝撃は女に届いた様だ。それも左肩が吹っ飛んだだけだから良く解らないけど。
「あはははは、いったいなぁ。」
女は飛ばされた方肩を拾いへ行く。男もまたそれを追い掛けた。遣り取りを全て木々の頂上付近で行っているのは双方の能力の高さだろう。
それはともかく、あの女はアタシとは相性が悪そうだ。要警戒人物に加えておこう。
「二十gが四つと、十gが六つかあ。」
トニーが呟く。俺らが集めた光石の合計だ。
「えっと、総量が七八五gだから、一四六で割ると…。五十弱ってとこか。今、一四〇gあるなら二人で分けても充分じゃない。」
「うん、そうだね…。」
俺の計算にトニーは頷いた。けれど何か引っ掛かっている様だ。
「足りない?」
「いや、そうじゃないんだけど。」
トニーが顔を上げる。目が合った彼の表情はいつもおちゃらけている時とは違い真剣味が含まれていた。
「わざわざたった十個だけ高得点の石を用意してる訳じゃない。単に重さだけじゃなくて、それを誰が手にするのかも見るのかなーって思って。」
終了まであと一時間と八分。トニーが本気で五十gを取りに行こうとしているとは思えなかった。きっと今もそこらを飛び回っているピピスヘ向けてのアピールなのだろう。俺は気づいているぞと。
「けど今まで奪い合いは避けて来たんだ。きっともう、それを厭わない実力者が手にしてるよ。狙うのはリスクが高い。」
「うん、俺もそう思う。」
俺の保守案に待ってましたとトニーが賛同した。再びヘラリと笑った彼は立ち上がって服の塵を払った。
「じゃあ行きましょか。誰か来たみたいだ。」
彼の能力は探知とは無縁なのに、どうしてこうも危険察知が早いのだろうと不思議に思った。
怖い怖い怖い。微かにでも物音がすると心臓が跳ね上がる。誰かが来たらどうしよう。誰かに襲われたらどうしよう。襲われたらところで私が持っているのは、やっとの思いで見つけた恐らく十gの小さな一粒だけだ。狙われる事もそうないだろうけど。
残り時間が三十分を切る。少し焦りも湧いてきた。光石はこれだけで大丈夫だろうか。お前は失格だ、なんて言われて追い出されたりなどしないだろうか。けれど下手に量を増やして同期生に目を付けられたら。
もうどうすればいいのだろう。あの子が、ノエルが居れば。あの時私が近くのイザコザに怯えて逃げ出したりしなければ、彼女と逸れたりせずにこんな心細い思いなんてしなかったのに。わたしはいつもこうだ。涙が浮かんできた。ノエルに会いたい。彼女に、ミラ。大丈夫よ。と一言言われるだけでとても安心できるんだ。
ああ、もう時間もないし意欲もない。これ以上何もできたりしないだろう。そう諦めて本部の方角を目指す事にした。先生に会って安心したい、と言うのが本音だけど。
しばらく夢中で走って、森を抜けるのももう少しだろうと思ってすぐの事だった。恐らく同じ場所へと進んでいた相手に追い付いてしまった。きっと背後から迫った私を、光石を奪いに来たのだと思ったのだろう。その女の子は、驚いて止まった私からさっと距離を取って睨み付けてきた。
「あ、あの…。ごめんなさい。盗ろうとした訳じゃ…。」
声が震える。対峙している相手は同い年の女の子とは思えない気迫と佇まいを見せていた。さっきのとは違う焦燥が湧き出した。どこかでゆとりを感じた先程の物とは比べ物にならない、切迫したどす黒く濁った焦り。
しかし、私の様子を見て誤解はちゃんと解けたみたいで、眼差しの鋭さは少し和らいだ。けれど警戒は解かれない。きつく私を見据えている。
「なら何故そんな速度で?」
彼女の問いは高圧的で、私は更に怯んでしまった。我慢できなかった水の粒がぼたぼたと頬をなぞって落ちていく。
「あわ…わたしっ、わたしもう…。も、もどろうと思ってっ。」
上擦った声など気にせずに必死に弁解をする。緊張に緊張が重なり、引き詰めているのか解れてしまったのか、もうわからない。
「そう。」
女の子は睨みを蔑みに変えた。
「逃げてきたのね。」
比喩ではなかった。本当に一瞬だけ、心臓が止まるのが分かった。彼女が一言だけ吐き捨てた言葉が重く絡み付く。単と事実だけ述べるように、でもその中に少しだけ非難を込めた言い方だった。ああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
もうこれは完全に解れきってしまっただろう。わたしの意識を支えていたものが、がらんと崩れて落ちて真っ暗だけが残ったのだから。
「あっ!ウィル!」
「………ああ。」
「やっと会えたねーってもう時間迫ってるけど。」
「…。」
「ウィルもそろそろ戻る?」
「…実はもう終わろうとしてからだいぶ経つんだけど。」
「迷っちゃったんだ。あはは。」
「…。」
「じゃあ一緒に行こ。俺も終わり。」
「ああ…ありがと。方向わかるの。」
「方向って言うか…。」
「…ん?」
「地形大体覚えたよ。」




