2.彼等の才能
" 嘗て人間と霊物の住む地は隔たれずに在った。獣は草木の如く中立の者であり、人間に対する霊物の強襲に不干渉であった。人間は安息を持たず憂える日々を過ごした。
幾時か神の寵人より霊物を超克する者が現れた。其の者は民衆を導き未踏の地を拓いた。また其の地から一切の霊物を退けた。其の地は宏大な人間の領域と成った。
民衆は其の者を讃え、敬い、崇めた。また其の地に感謝し豊かな人間の世を『和』と呼んだ。"
『創世伝記』より
仄かな陽射しが大地を包み込む。季節は冬。冬も冬、真冬だ。当然の事乍ら一年の中で一番冷える時期である。けれど人々が居付いたこの地は常時平穏な気候が保たれる。真冬と言えど凍える程の寒さは無い。例え雪が降ってたとしても積もることすら無い。
十五歳の誕生日が終わり、迎えたこの冬。私ジゼル=ミュラーは、神に選ばれた者のみが集う世界最大の施設『マレイン』に晴れて入構した。
小さな商店の一人娘として産まれた私は、平凡ながらも暖かな家庭で育った。特別取り柄がある訳ではないけど、特別手の掛かる訳でもない、なんてことはない娘として、充分な愛情を貰いながら、私は育った。
十一歳の春、帽子を買ってもらった私はそれがすごくお気に入りで毎日被って遊びに出掛けた。けれど活発な子供だった私はあんまり走り回るものだから、ある日帽子を風に飛ばされてしまった。必死に泣きながら追いかけたけど帽子は風に乗ったままなかなか落ちてきてはくれなかった。あの帽子は私を嫌がって、逃げて行こうとしているのではないか。なんて思ってしまってそれをどうにか止めようと力一杯手を伸ばした。直後に目を見張った。帽子をさらっていた緩やかな風と逆行するように突風が吹いたのだ。私の能力が発生した瞬間だった。
「ん……おはよう。」
「あ、うん。おはよう。」
どうやら同居人が目を覚ましたみたいだ。
私たちは昨日、初等部の本拠地に到着した。案内された主要棟は簡素だけど気品のある装飾が施されていて、素敵な空間にこれからの生活が楽しみになった。中は広く、演武室、教習室、講演室や食堂、浴場など精倒な設備が整えられていた。そして私室用の小部屋は一二〇室。教訓者以外は二人一部屋で割り当てられた。そこで私の期待は萎んでいってしまった。とは言っても、部屋は二人で使っても充分な広さを持っている。問題は同居人だった。
私室は班分けが決まるまでとりあえず、という形で入構試験の札番号順に男女別で分けられた。そして私はクレアという子と同室になった。クレアは淡い曙色の毛に透き通った白い肌を持ち、可愛らしい容姿をしていた。そしてその色彩の様にぼんやりとした、何というか、おっとりの度を超えた口数の少ない一風変わった少女だった。話をする事があっても噛み合っている様には感じられない。掴み所が無く少し不思議な、そんな雰囲気を纏っていた。率直に言うと私はその子との接し方が分からず困っている。
クレアは寝呆けているみたいで何も無い空間に焦点を合わせたまま動かない。まあ彼女はいつもそんな風なのだけど。やっと動いたかと思うとその場で指を組み目を閉じた、だけでそのままぴたりと止まってしまった。…また寝てしまったのだろうか。とにかく集合時間まで一時間を切っている。まだ朝食も摂っていない。初日から遅刻するなんてまっぴらだ。私は上体だけを起こしてベットに入ったままのクレアに声を掛けた。
「あの、クレア?」
「………。」
確実に届いただろう呼び掛けに返事は返ってこない。置いて行く訳にはいかないだろうと待っていたが、馬鹿みたいだ。私は出る事にしよう。そう思って支度を整える。彼女が寝ている間にあらかた済ませていたので時間は掛からない。
「なあに、ジゼル。」
もう本当にあと少しで支度を終えるという時、クレアが声を発した。いや、私が呼び掛けてから数分経っているのだけど。
「ほらあと四十分で集合時間だよ?私、もう食堂に行こうと思うんだけど。」
「うん。」
「…クレアは?」
「私も行く。」
「……うん。着替えて?」
「うん。」
クレアはそこでようやくベットから出た。簡単に顔を洗いパジャマからユニフォームへ着替える。そして動きを止め、私を見つめた。
「……。え?えっと、何?」
「行かないの?」
…ああ。どうも支度を終えたらしい彼女はずっと待ったままの私を不思議に見ていたらしい。不思議に思っているのはこちらもなのだけれど。ともかく呆れる時間も無いので先を急ぐ事にしよう。
食事を済ませ庭園へ出ると、既に大半の初等部生が集まっていた。食堂にいる人数を見てわかっていた事だけど。私達は自然と出来ている数列の中に溶け込むように並んだ。あと数分で七時半、昨日告げられた集合時間となる。
「ねえ、ジゼル。」
右に並ぶクレアに袖を引かれる。
「なに?」
「これ、何をしてるの?」
「教訓者を待っているのよ。」
根本的なクレアの問いに呆れを越して驚きながらも答える。
「プリセプターが来るとどうなるの?」
「修練が始まるの。しばらくは能力のテストをするみたいだけど。」
「テスト…?ドヌムのってーー」
「集合時刻です。皆さんお揃いですね。」
クレアの言葉にシェルビィ先生のお言葉が被る。意外にもクレアは空気を察してくれた様で私の腕を離し前を向いた。
「本日は森に出て、単純な検査を二つ行います。初等部所有の森にはマールは出ませんので安心してください。」
「たまーに小ちゃいのが出てくるけどおいちゃん達がやっつけちゃうからね、安心してください。」
「ケイル教官!余計な事言わないでください!ピピスを返して!」
初等部生への案内中、急に割り込んだケレイブ先生をシェルビィ先生が咎める。彼女はピピスを奪い返し、取り乱した事を隠す様に咳払いをして早急に締めくくった。
「早速森へ移動します。目的地は徒歩で十五分程なので車は用いりません。私とイリヤ教官が先導しますので付いてきてください。」
今日は教訓者全員は来ないらしい。シェルビィ先生とイリヤ先生が前を歩き、初等部生を挟む様にケレイブ先生とマルクス先生が最後尾に付いた。人群は動き出す。
目的地へ向かって歩いていると、ふと昨実のカルリーノ先生の言葉が頭に浮かんだ。
"あなた方はこれから多岐に渡る能力、価値を数値で分析され管理されます。"
"あなた方を育むのはあなた方自身であるという事をしっかり自覚してください。"
分かっていた事だった。でもその場に放り込まれるとどうしようもない不安が湧いてくる。生温い環境に生きてきた私には全身が麻痺してしまう様な耐えがたい緊張感。今、自分は上官に評価される為に目的地へ向かっているだと思うと心臓は暴れる様に鼓動を大きくした。こんなんじゃ夢を叶えるのには程遠いと言うのに。
顔と胸に鈍い衝撃を受ける。思案に夢中で列が止まった事に気付かず、前を歩いていた人にぶつかってしまった。咄嗟に謝る。幸いにその人は温厚な人の様だった。ごめんなさい、と言うと、とんでもない俺が立ち止まるのが急だったから、と返事が来たのだ。そんなの当たり前の事なのに、なんて優しい人だろう。
列が止まったのは一本の大木の前だった。周囲の木もそれなりに大きいが、この一本だけ抜きん出ている。植物には詳しくないが、きっとマレインが出来るよりもずっと前から立っているのだろう。
「一つ目の検査です。ここから五㎞程離れた所に同じ様な大樹があります。そこまでのタイムの計測を行います。ーーこれが地図です。」
シェルビィ先生は背負っていた荷物から紙束を取り出し初等部生へ配る。
「経路は問いません。どこを通っても、高低や障害物が多くあります。あなた方の特技や能力をふんだんに使って出来る限り短い時間でゴールを目指してください。」
よし、この類は割と得意な方だ。遅れをとったりはしないはず。
ふいにほかの教訓者の方を見る。マルクス先生が何処かへ向かう様だった。ピピスを一頭連れてケレイブ先生と話している。それにしても大荷物だ。シェルビィ先生よりいくらか大きめの鞄を背負っている。ケレイブ先生はともかく、マルクス先生より歳下そうなイリヤ先生も手ぶらだと言うのに。
マルクス先生が立ち去ると、次はイリヤ先生が伸脚を始めた。ケレイブ先生は、おそらく茶化しているのだろう、ヘラヘラとイリヤ先生に話し掛けている。イリヤ先生は素っ気ないながらもそれに答えていた。
地図が行き渡ってからしばらくして、シェルビィ先生の声が響いた。
「地形は頭に入りましたか。まず模範としてイリヤ教官に先行して頂きます。シーンピピスをご存知でしょうか。ピピスティーリオの亜種で、音声ではなく映像の交信をします。このシーンピピスを追わせ、教官の所作を見学してもらいます。」
ではイリヤ教官、とシェルビィ先生が声を掛ける。イリヤ先生は木の根の一本に立った。そこがスタートラインとなるのだろう。そこへ一頭のシーンピピスが近づく。ピピスとの違いは目が少し離れている所だろうか。イリヤ先生の用意が整ったところでシェルビィ先生が原種のピピスに向かって声を投げる。
「マルクス教官、よろしいでしょうか。計測を開始します。」
[はい、こちら準備整っております。]
通信の相手はマルクス先生だ。出発から十分も経っていないと思うが既に到着地にいるみたいだった。
「イリヤ教官、計測を開始します。行きますよ、三、二、一…」
零、と言う声と共にイリヤ先生が駆け出した。すぐに姿は見えなくなり、慌ててシーンピピスの映像を見る。彼のひとつひとつの歩間は速く、大きい。地盤や岩、時に木の幹を蹴りながら、着地点に吸い込まれる様に次へ次へと詰めて行く。爽快な速度で進み続ける映像に心が躍った。
ふと教官が小さく映る。シーンピピスが高く飛んだみたいだ。森は急な下り斜面に差し掛かっていた。崖とまでは言わなくとも坂道と呼べるほど易しいものではない。しかし教官は速度を落とさずそこへ詰め寄る。刹那。寸前の地盤を強く蹴り、幅跳びの様に跳躍した。そして信じられないほど離れた箇所へ向かって急降下していく。心なしかそれすら着地点から引っ張られている様な速さに見えた。大きめの岩に足を着け、そのまま蹴りあげ、また走り始める。着地した岩はいくつかに割れてそのまま吹き飛んだ。しかし彼にダメージはない様だ。平然な様子で涼し気に走行を続ける教官に思わず見惚れた。
やがて前方を横切る様に川が現れた。左方に大きな橋が架かっているが教官はそのまま突き進む。どうやら彼は最短距離を直線上に走っている様だ。川幅は三十mはありそうだが。斜面の時と同じくギリギリの所で跳び上がる。彼は空中で膝を曲げ足を前へ向けた。そのまま対岸の太い木の枝へ向かって滑空して行く。私はやっと彼の能力がそれだと気付いた。
まるで地へ落ちるように教官の身体はまっすぐと太枝へ着地した。少し身体を捻り衝撃を逃した彼は、そのまま大木の枝を足場に次々と跳び渡る。そしてある一本を踏み越えた所で下方へ進行した。最後の着地点は大樹の根、ゴール地点だった。到着したイリヤ教官はぴたりとも動かない。まるで先前の疾走感の余韻を噛み締めている様だった。…すごい。格好良い!
[三分五十四秒。]
初等部総勢が息を飲む。誰もこんな数字は想像していなかったのだ。少しの静寂の後、あちらこちらで歓讃と焦燥の声が騒ぎ出した。
「静かに。」
シェルビィ先生の通る声が響く。ピピスの拡声器を使わずに届いた声は人々の鎮静に酷く効果的だった。
「イリヤ教官は悪魔で模範です。彼は熟練者の中でも機動力に特に長けていらっしゃます。対してあなた方の殆どは何の訓練も受けていない、この森も初めて入ったエレメンタリーです。何十分掛かっても構いません。これは昇格試験では無いのですよ。あなた方の特性を見極め、最適な役務を考慮する為の検査です。落ち着いてこなしてください。」
シェルビィ先生の冷静な励ましのお陰で一同は意欲を取り戻した様だった。かくいう私もその中の一人なのだが。
「シェルビィちゃん、かっくいぃ〜。惚れ惚れするなぁ。今度優及等部で演説でもして貰おうかなぁ。」
「ケイル教官、放任主義も結構ですが放置してばかりでは進みません。少しは手伝ってください。」
静まり返った空間に教訓者達のやりとりが響く。茶々を入れるケレイブ先生をシェルビィ先生はばさりと一蹴した。
「何言ってるの。俺はこの子達もシェルビィちゃんもこうやって見守りながら育ててるんだよ。」
「…はぁ、もう。いいです。始めましょう。」
けれどケレイブ先生の方が彼女を翻弄している様に見える。シェルビィ先生もそれは承知しているみたいで軽く悩まされた頭を切り替える様に私達に向き直る。
「全てで九頭のシーンピピスを用意しています。内、四頭は教訓者各員に付き、観察に用います。残り五頭を付け、五人同時に実行して行きます。さて、記録の点けやすいように入構番号順に並んでもらえますか。」
教官に従い、列が形を変えていく。わたしは五七番、前半の方だ。そこへ向かおうと歩き出す。その時、袖を引かれる感覚に既視感を覚えた。
「私、これやりたくない。」
クレアだ。走術が苦手なのだろうか。なるほど、彼女のこの調子では素早く動くところなんて想像出来ない。確かクレアは五九番。私と同時に行うことになる。
「それはだめだよ。速く動くのが苦手だとしても、それを告知する場でもあるんだから。」
とりあえず彼女の手を引き、列の前方を目指す。
「…地図、ニガテなの。」
「うーん。大丈夫だよ。森の中だけど結構単純なコースだし。多分私と一緒に行くことになると思うから付いてきて、ね?」
「…うん。」
クレアを宥めて説得する。付いてきて、とは言ったものの、できればこの試験で点を稼ぎたい。どうしたものだろう。そもそも彼女がどんな能力を持っているかも知らないし。まさか目的地までゆったりと歩いて行くつもりではないでしょうね。薄く溜め息が漏れる。
試験が始まった。段々と列が前方から縮まっていく。シーンピピスは教訓者にのみ映像を見せているから、先に並んでいた人達の道中はわからない。けれど出発時だけを見ても、どこから筋力が湧いているのかと思うほど瞬時に消え去った人や、本当にドーニウスなのかと疑う程ただ懸命に駆けて行った人など、様々な例があった。タイムもバラバラの様でシーンピピスがなかなか戻って来ない時もしばしば。
私達の番はどうなってしまうのだろう。私は割と機動力には自信があるのだ。イリヤ先生までとは行かなくても前例の上位には組み込むだろうと自負している。けれど彼女、クレアは。能力を使わずにただの少女が歩いて行ったら一時間はゆうに掛かるだろう。教訓者達もそれ位は想定内なのだろうか。いやでもこの後もう一つ試験があると言っていた。五分以内までは言わずとも掛かって二十分、ぐらいの計算なのではないか。何十分掛かっても良いと言っていたが、それが続いたらどうするつもりなのだろう。もしかしたら一定時間を越えると強制終了になるのかもしれない。もしそうなったら評価はどうなってしまうのだろう。頭の中が疑問と不安で覆い尽くされる。
いや、けれども他人の事でここまで悩む事は無いだろう。方角だけ示して、付いてこれなかったら置いていけばいい話だ。面倒を見る必要はない。そう結論付けて、気を持ち直す。そろそろ順番が回ってくる。私は最後にクレアに勧告した。
「クレア。始まったら私、あなたに構えないからね。とりあえず、私の行く方向に付いてきて。私も直線でゴールを目指すから。その方向に進むと、この木と同じくらい大きな木があるの。多分上から見たらすぐ分かるくらい大きな木。そこがゴールだからね。」
「上から…。うん、わかった。」
クレアは浅く頷いた。本当に分かったかどうかは知らないが、これで私にできる事は全部だ。文句は受け付けない。
「用意!計測開始五秒前!…三、二、一、零!」
シェルビィ先生の掛け声に合わせて地を大きく蹴る。方角はばっちり頭に入っている。そこへ向けてひたすら真っ直ぐ進むだけだ。
軽くクレアの方を見やる。彼女が走る事ができるのは意外だったが、あれでは非能力者の方が速い。やはり置いていくしかないみたいだ。と、思った時だった。
彼女の足の下から床が生えていく。地が盛り上がったのでは無い。紛れもなく床だ。床は見張り台の様に柱を伸ばしていき、見る見るうちに上空まで昇がった。足を進めながらも、突然の事態に驚きを隠せなかった。上空へ達したクレアはきっと目的の大樹を見つけたのだろう。上昇を止めた床から長い板の様な物が生え、それは遠方まで伸びた。ご丁寧に幾つかの支柱と、板の縁には柵も出来ている。
「何…あれ……。」
この斜面で一気に滑り着く算段みたいだ。"わかった"の意味はこれだったのか。あまりに高くてはっきりしないがいつの間にかクレアは艝に乗っている。あんなのってずるい。
悔しいがここは、懸念が解消されたのだと前向きに考えるしかないだろう。彼女ほど派手さは無いけど、私のは"風を吹き起こす"能力だ。その風量は心許ないが、集中すれば大木を割くほどの威力を持つ。風に乗ってふわふわ飛んでいく事はできないけど、身体を押してぐいぐい推進する事位は可能なの、よ!っと地を蹴りながら、先程のイリヤ教官の動きを思い起こす。あんな風に、彼の様に。自由に、疾風の様に動く事ができたらどんなに気持ち良いだろう。自然と彼の動きを真似て、彼の進んだ経路を辿る。少し進んで、そして直ぐ頭にある問題が浮かんで肝が冷えた。
ーーー見えた。この急な坂。彼はかなりの落下時、衝撃を受けたはずだが見事に受け流していた。…私は?私は落ちたらどうなってしまうのだろう。しかし思い付くのが遅かった。身体は既に急斜面に差し掛かり、策の無いまま飛び出してしまった。ああ、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
けれども私の思考より防衛本能の方が勝っていた。地に着かぬ様にと背を押した風は結果的により遠くへと私を運び、衝撃を防ぐ為に足元へ起こした突風は上方へ私を追い上げ無事に太枝へ運んでくれた。そして貪欲な私の身体は何事もなかった様にまた前へ前へと進むのだった。
「ジゼル=ミュラー、十二分二十八秒。お疲れ様でした。」
私に記録を教えてくれたのはマルクス先生だった。ああ、この先生優しい。癒される。先生の笑顔と労いに和んでいると、いきなり左袖が引っ張られた。クレアか。
「…おかえり。」
「えっ?た、ただいま…?あっ、ねえ。クレアの能力すごいね!記録は?何分だった?」
すごく気になる。この子が私より早く着いたなんて。開始前には思いもしなかった。
「十分五秒。」
「…え?そんなものなんだ?もっと早く着いてたかと思った。」
「早く…うん。速さを求めるならもっと滑り易い素材を造れって怒られちゃった。」
クレアの返答に顔が引きつる。そりゃあそうだ。頓着ないのだな、私の貪欲さとは似ても似つかないな、と思う。あれ、でも怒られたって…。
「…誰に?」
クレアはきょとんとした顔で私を呼び刺した。え、私そんな事言っていない。と疑問が膨れた瞬間。
「おい!!お前、名前は!」
背後から怒号がぶつかった。恐る恐る振り向くと、そこには不機嫌な顔のイリヤ先生が立っている。あ、格好いい。
「ジ、ジゼル=ミュラーです。」
口が籠る。恐怖と憧れでアタマはショート寸前だ。ああ恥ずかしい。
「お前、計測中に他人に構うほど余裕なのか?遊びじゃねぇんだ。自分の能力を上げる事だけに集中しろ。」
「はっはい!すみませんでした!」
小柄な体型と綺麗な顔立ちから想像出来ない大きな叱声に竦み上がる。駄目だ、これ以上何か言われたら泣いちゃいそう。そう思ったけど、私の心が解つれる前に救いの手が差し伸べられた。
「イリヤ教官。そろそろ次、始まりますよ。」
マルクス先生だ。イリヤ先生は促されるとマルクス先生と私を順に睨んだ後、定位置に戻った。先生の事も睨みつけるなんて。
マルクス先生を見上げると、彼は慰める様な少し困った笑顔をくれた。ああ、本当、癒される。ありがとうございます。
その後はイリヤ先生の関心が私に向く事はなく、クレアに頭を撫でられながら第一試験が終わるのを待った。
「はい。三十七番ミラビリス=ホール、合格。」
今年は両極端な情勢だ。というのが検診の様子を見ての感想だった。まだ第二種目を始めてそこそこだが、伊達に教訓者としてケレイブ・ケイル『先生』をやっている訳じゃあない。これだけ見れば訓練生の気質は大体判る。
修練への意欲、軍人の素質、享持する能力。どれを取っても個々の差が目に余る。頭を悩ますのは大部分が否か応かの二つに分けられてしまう事だ。きっと表にでもすれば綺麗な谷ができてしまう。
班分けは平等にはいかないだろうな。優秀な者は固めて更なる向上を望むべきだ。仲間の補助を学ばせる意味で適当な奴を入れるとしても、見劣りする班が出来る事は避けられないだろう。見栄えのしない者をぞんざいに扱う気はないが、優秀生の指導に追われる二年間になる事だろう。
ムルーブ中に名を馳せる、優良な御家の出が並ぶのが大きな要因だ。いやだいやだ。優れた遺伝子なんて教育者からすれば厄介なもんでしかない。礼儀正しいのだって有難いと言えば有難いが、堅苦しいのは勘弁して欲しい。只でさえ教訓者主任はあの堅物様だと言うのに。けれども優れた遺伝子が全て名家の物とは限らない。神に選り取られた者達。その中から思わぬ伏兵も現れた。
まあ何と言っても奇抜な世代だ。無理もない。十五歳。この子等が生を授かったあの年、今はもうおっさんの俺も十五歳だった。命、というのは不思議なものだ。人は、造られる時、親の気持ちをも汲み取るのだろうか。 十五年前、あの時代はーーー
「ーー官。ケレイブ教官?準備整いました。」
マルクスが視界に現れる。そこでやっと思案に暮れていたことに気が付いた。大事な大事な模擬テスト中にいけないことをした。
「あ、ああ。ごめんごめん。じゃあ、はい、次。どーぞ。」
「四十番の方、お願いします。」
急に現実に引き戻された様な妙な感覚が残る。未だに張りのない俺にマルクスが助けを入れる。お前はよくできた優男さんだよ、全く。
第二種目は第一種目での移動先にある小川で行っていた。この川は途中、三本に枝分かれしている。まあ人の手を加えたものなのだが。そこに、とある頑丈な岩を密閉させて水流を止める。検診内容は限られた時間内に、岩の先を濡らすことができるかどうか、だ。因みに偉そうに見ているが俺には難しい課題である。
川岸に訓練生が立つ。彼女は岩へと腕を伸ばす。意識を集中したのだろう短い時間の後に岩の頂点にヒビが入った。そのまま一つの面でも作る様に見る見るうちに亀裂が走った。奇妙なのは岩が砕ける物とは違う、擦り合わせた様な歪な、音。ヒビが底まで届くと岩は大きく二つに裂けた。その隙間を縫って川水が流れ出る。ふと、幼子が無邪気に虫を千切る光景が脳裏に浮かんだ。訓練生は得意げな笑みを浮かべ、こっちを振り向く。
「はいはい。四十番ルージェ=リャン、合格。」
あしらう様な俺の応えが気に入らなかったのだろう。彼女は不満を隠す事なく漂わせて列へと戻った。
基本的に俺に仕事はない。第一種目同様、訓練生を観察するだけ。大変なのはマルクスだ。
真ん中の小川で仕事を終えたマルクスがこちらへ向かって来る。小走る彼を見ると少し可哀想にも思う。治療者でもあるマルクスの持つ能力は『復元』。あらゆる物を事象の起きる前へと戻すことができる、という大変便利な能力だ。その力を借りることでたった三本の小川で一六四人もの検診を可能にしている。破損した岩の修復は勿論、川底の潤いを奪い、やっと次回が始められるのだ。
「準備整いました。」
「はい、ご苦労さん。次、四十三番。」
"彼"の能力をこの目で見ておきたかったが一六一番、隣か。自然とモチベーションが下がる。こういう、訓練生への興味を平等に持てないところは、一応自分でもいけないなあとは思っている。イーリャがあんななのは俺の姿勢を見ての事なのだろうとも。そしてイーリャが目立ってくれる分、俺は批難を避けていられる、なんて感謝してしまうのもいけない。とは思っているのだが。
次々と小川へ挑む訓練生をのっぺりと眺める。しかし色んな方法があるもんだ。大半がまず岩を壊そうとする。しかし使用している物とはそこらに転がっている岩っころとは一味違う。思い通りに行かない様子の奴が多かった。一方で、破壊力に欠ける奴や特殊な能力を持っている奴はそれぞれに面白い方法でこれをクリアする。毎度毎度不意を突く様な斬新な手法を眺めるのはそれなりに楽しい。しかしそれでその人物、或いはその能力に興味を持つかといったらそれはまた別の話だ。
すっかり数分前の反省を邪険にして次の興じ事へと意識を移す。どんな班割りが楽しいだろうか。今期は自我もそれぞれ強いみたいだから変に均等にして、はいみんな仲良くねなんてするよりも、似たり寄ったりをくっ付けてチーム同士競い合わせた方が面白いのでないか。不平等大いに結構。なんの働きも無しに甘く優しく扱ってくれる世界ではない。それを教えるのも大人の役目だろう。
なんて思いを馳せているがここ数日の動きを見る限り、テオバルド先輩が中枢へ連れて行こうとしているのはカルリーノの様だ。一昔前の俺へのスパルタは今はもう影を潜めている。主任の厳しい育成指導の矛先はカルリーノへと移ってしまったのだろう。三十路のおっさんが漂わせる哀愁も些か目に痛い物があるが。
「一六四番アンドリュー=ライト、合格。」
イリヤの声が響く。最後の検診が終わったらしい。今日はここで終いだ、本部へ戻ろう。徒歩圏内だ、と連れてきて五㎞も移動したのは騙した様で心苦しい。だか我慢してもらうしかない。この先こんなもんじゃあない過酷な任務を遂げてもらわなくちゃあいけないのだし。
まだ生活の匂いの薄い寂し気な部屋。けれどそれでも少女の部屋だと判断するに足りる程度には持ち主の色を醸している。
「微塵も疲れを感じないのだけど。マレインも大したことないのね、『特殊人材中央養成機関』なんて大層な名前を掲げている割に。」
「ヴェロニカ様、今日は初日だもの。まだなんとも言えないわ。それに一般のお家の方の事も考慮してるのではないかしら。皆が皆特殊能力者になってから、年月が経っているのではないのだし。」
この部屋が他に比べ少しばかり大きいのもこの殺風景の原因の一つだろう。そしてきっとこの部屋に当たったのは偶然ではないのだろう。私ではなく目の前のこの方が。
「それにしてもじゃない?これじゃあ何をしに来たのかわからない。時間が惜しいわ。」
「初めだけよ。まだ検測期間なのだし。それに明日は少し大掛かりにゲームをするみたいよね。」
「ゲーム?」
「あら、ご存知かと。なんでもテオバルド主任やケレイブ教官のような円熟の方にとって、これ以上の検診は不要のようよ。だからあとはシェルビィ教官みたいに新参の方に分かりやすい様、実践を閲されるんですって。」
振る舞いや仕草の全て、否。髪一本、その瞳、構築される細胞の全てから、気品と才能を感じる。こんなにも早く、こんなにも近く、お逢いする事が叶うとは思っていなかった。
「もう評価は始まっているのだし焦る事はないわ。細かに観察される入構時の記録はこの先も大きく使われるそうよ。」
「記録ね。一体何を見ているのかしら。」
「今取られているのは十の項目。突攻、体術、武器扱い、防御、回避、機動、ドヌム指数、判断、学。これ等の力を数値化して初期順位が出るの。組み分けにも影響するわ。」
「詳しいのね、ローラ。」
マレインに入構できたからといって全ての人間が軍人として優れている訳ではない。平凡に育ちながら、ある日突然能力が発生した人間にとって此処は想像を絶する厳しい学びの場となるだろう。例えば今日の検診で既にへとへとに疲弊した様に。
「身内から聞かされているだけよ。兎も角明日は思いっきり楽しめると思うわ。甲斐性も出てくるのではないかしら。」
「そうね、楽しみ。」
ともすれば産まれながらに訓練を積んで来たこの方の優越は測り知れない。叶うのならばこの先もご一緒に、この部屋を素敵につくり上げたい。




