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虚実の境目(AprilfoolSS)

 



 ホストクラブ「HOSPITAL」は今日もそれなりに賑わっていた。


「せ、先輩なんて嫌いです!」

 正面に座る“ゆり”が急に言うものだから、俺は少しグラスを混ぜる手が止まった。

「……ふぅん。そう」

 口を一文字にした“ゆり”へ俺は「ふぅん」と答えながら笑って見せた。“ゆり”が「はいっ」なんて勢い良く頷いて見せるものだから、俺は殊更笑みを深くして「そう」と返した。“ゆり”は必死な表情で、俺はにこにことして、しばらく睨み合っていたんだけれど。

「……っ、うー……」

 やがて顔を俯け唸る“ゆり”。俺は勝った、と思いながら「“ゆり”」“ゆり”の顎をくいっと「っ!」上向かせた。

「せ、先輩……」

「うん。誰がお前に吹き込んだのか、教えてごらん?」

 さっきからの笑顔とは違う極上の笑みを意識して、俺は“ゆり”に問い質した。両方の瞳をうるうると潤ませて、俺へ免罪を無言で、目線で乞うて来る。だけど口は閉じたまま。言いたくなさそうだ。……うん、可愛い。

「でもゆるさない」

「!」

 俺が笑顔でこう断言すれば、“ゆり”は叱られた犬みたいにショックを受けた面容を見せる。“ゆり”は可愛い。可愛いけど、だからってゆるしてはあげられない。

 俺を嫌いだなんて、嘘でも言ってもらいたくないし、そう言う愚かな入れ知恵するヤツを庇うのも気に入らない。“ゆり”は案の定、うぅぅううっと洩らしている。ちょっと可哀そうかな?

「た、……龍」

「んー? 何だ」

「お前いい加減にしろ」

 俺は、弱って悄げる“ゆり”から、“ゆり”の後ろに在る別のボックス席で笑いを隠す、源氏名『龍』こと竜也へ矛先を向けた。

「あれ、バレた」

「隠しているつもりなら巧くやれ」

 “ゆり”が俺を嫌いと言ったところから竜也が笑っているのに気付いていた。竜也は悪怯れもせず「はーいはいすみませんでしたぁ」と軽い謝罪をする。場を悪くする訳にも行かないので、俺は黙って苦笑に留めているけれど、正直腸が煮え繰り返っていた。

 ────“ゆり”にあんなこと言わせるなんて。俺を嫌いだなんて。

 ここは店の中で。俺は今仕事中で。“ゆり”も竜也も接客中だ。この店で一番の俺が、営業中にやらかす訳に行かない。まぁ? “ゆり”や俺に牙を向くならばたとえ営業中であろうと容赦はしないけれど。

 せいぜい甘噛み程度の悪戯だ。落ち着けと自己冷却に勤めた。すると「悪かったけどさ」竜也が立ち上がった。

「俺や『優季』の本名を呼ぶのはやめとけよ」

 俺たちのボックス席まで来て、俺の肩に手を置いて耳打ちする。途端にお客さんが黄色い声を上げた。女性は好きだよな。見目の良い男がじゃれ合うの。

「気を付けるよ」

 俺は微笑んで了承する。『優季』は“ゆり”の源氏名だ。“ゆり”の本名は『優李』だけれど。ミスった。そもそも竜也が悪いのだが、本名は俺たちにとって立派に個人情報だ。とち狂った客が、俺たちを調べる足懸かりにしてしまう。ま、こう言う手合いが出ようものなら、俺自ら消してあげるけどね。

 俺にならやさしく諭して、“ゆり”になら────。

「……」

「お前、目付き怖いぞ。いつまで怒ってんだよ」

 竜也に指摘され己がそうとう酷い形相をしていると悟る。お客さんもびっくりした顔だ。危ない危ない。想定如きで俺も、まだまだだな。我に返って“ゆり”に視線をやると、物凄く青褪めて怯えていた。うん、可愛い。俺の様子に、竜也が何を思ったのか一つ嘆息する。

「お前ね、もう酔ってんのか? エイプリルフールの嘘くらい広い心でゆるせよ」

「エイプリルフール?」

「そ。エイプリルフール」

 俺は時計を見た。営業開始時は三月三十一日だった。現在零時を十分程過ぎている。確かに、四月一日だ。

「うぅぅぅ……先輩、すみませんでした」

「良いんだよ。……うん、俺も少し今日は酔っていたかもね」

 ごめんね、と謝れば、恐縮したように、そんなこっちこそ! と慌てて謝り返す。本当に可愛い。

「大丈夫だよ」

 目を細めてそっと“ゆり”の頭を撫でた。




「竜也」

「何だよ」

 閉店しアフターを終え、“ゆり”にちゃんと帰れたか確認のメールをして返信を読んでから竜也を呼ぶ。今、タクシーの中では運転手の外は俺と竜也だけだったから遠慮無く本名だ。

「俺に悪戯を仕掛けるのは良いが、“ゆり”を使うな」

「……」

 厳重注意をする。だってそうだろう? あんなに素直で良い子を。竜也は返事をしない。再度「竜也」念押しするみたいに強めて呼ぶ。しかしそれでも竜也は無言を貫いた。

「おい、聞いているのか」

 腕組みして前方を見据えたまま動かない竜也の二の腕を押した。竜也はポーズを崩すこと無く横目で俺を見返して来る。

「聞いているさ……運転手さん、そこ、右ね。コイツも降りるんで」

「おい、」

「ここでする問答じゃないだろう。あとで聞いてやる」

 横柄な竜也は俺の問いを遮断して話を強引に終わらせた。普段、こう言う言い方をするヤツではない。言われ、俺も組んでいた足を組み変え舌打ちはしたものの、従う。竜也はまた一つ溜め息を零した。


「ほれ」

 竜也の部屋に着き、早速続きを始めようとした俺だが、竜也が「取り敢えず水な」キッチンへ行ってしまったのでソファに座って待っていた。

「ありがとう」

「どう致しまして」

 何とも無しに目線を走らせていると「で、どうしたんだ?」竜也が尋ねて来た。

「何が」

「見回して」

「別に。相変わらず広いな、と」

 二十代後半の、男の独り暮らしにしては広く部屋数の多い竜也の自宅。ホストと言え、そこまで大きくなく店舗展開もしていない、大通りからや繁華街から外れた場所の流行っていると言い難い、あの店の売り上げで住んでいられる規模ではなかった。

 当たり前だ。この男にとってホストは言わば社会勉強を含めたお遊びでしかない。元は良いところのボンボンなのだから。かく言う、俺も医者の息子で跡取りで医師だけど。

「お前だって実家出ればコレぐらい住めるだろ?」

「俺はただの医者の家系でお前みたいに御曹司じゃないんですけど────てかさ、」

「何だよ」

「さっきの続きだよ」

 俺が話を再開すると若干うんざりした風に額を押さえたあと「……お前さぁ」一呼吸置いて竜也が喋り出した。

「優李に構い過ぎだろ」

「べっつに、大学の後輩だし可愛がったって良いだろ」

「本気で言ってんのか。アイツ、成人男性だぞ? 過保護過ぎるだろ」

「優李は危なっかしいんだよ」

 嘘は言っていない。“ゆり”はあの年にしては純粋過ぎる。良い子だし、変な女にも付け入られ易い。なので、俺が出来るだけ守っていた。俺に付いているお客さんもだいたい“ゆり”をいっしょに愛でてくれる人が多いから、同伴だって連れて行くこともしばしばだ。“ゆり”の客もいるけども、そっちもちゃんとリサーチ済み。下手な虫は近付くのもゆるさない。

「あのな……お前、異常だぞ? それとも何か? お前優李に惚れてるのか?」

「違うよ。俺は異性愛(ヘテロ)だよ」

「じゃあ……“由梨”に重ねてるのか」

「……」

『由梨』。俺と、竜也の同学年で生徒会の仲間で────ある日姿を消した少女だ。

「優李のこと。“ゆり”なんて呼んでいるし。名前が縮んだだけ? 反対に延びたならともかく、『う』なんて略すかよ。……由梨と被せたんじゃないのか? わざと」

 俺と竜也は、同じ学校に通う同窓生だった。学校は所謂お坊ちゃまお嬢様の通う私立のエスカレータ式で、やっぱり少々変わっていた。

 俺は生徒会長で、竜也は副会長。家柄は劣るが品行方正で優秀な成績を誇ったリーダー気質の俺に、お調子者だけど柔軟でバランサーだった竜也は良いコンビだった。

『由梨』は、高校からの編入組で。おとなしくておどおどしているけれどやや頑ななところも在って。我慢強くて。

 素直で明るい、家柄とか資産とか職業とかそんなもので差別しない、ごく普通の少女だった。

“ゆり”────優李のように。

「晃、」

「違うよ。重ねてない」

『由梨』は、俺を苛付かせてばかりだった。けど苛立ちを隠して評判通りの俺を演じていれば、縋って来るから突き放せなくて。だけど。

“椰家くん、ごめんね。私のこと嫌いなのに、付き合わせて”

 俺の苛々も演技も察していた。『由梨』は、だけれど態度を変えなかった。僅かにバツの悪い俺に苦笑するだけだった。俺は。

『由梨』が好きだった。

 でも『由梨』は。『由梨』は。

“私ね、好きな人がいるの”

 俺を苛付かせるだけだった。

“椰家くんは、やさしいね”

 俺の感情に気付いても、俺の苛立ちに起因する想いにも本性にも気付かなくて。

 莫迦みたいに無防備で。

「なら、良いけどさ……」

「そうだよ」

“ゆり”とは異なる。

“ゆり”はサークルの顔合わせで、俺の本性に真っ先に感付いた。だって最初避けたもの。目を合わせることもしなかった。呼んでも、何やかんやと言い訳して逃げた。だのに。

 俺が困った顔をしたら、眉を下げて、唯々諾々と従うんだ。うれしかった。

“ゆり”は、逃げない。『由梨』みたいに、勝手に俺と言う人間を決めて、勝手に俺に幻滅しない。

 ゆえに、“ゆり”は重ならない。『由梨』とは。

“ゆり”は俺を苛々させない。“ゆり”といると安心した。

『由梨』なんかと、いっしょにされたくない。

『由梨』なんかと「同じにしないでよ」俺は吐き捨てると水を呷った。空のグラスを置いてタクシーに電話する。タクシーは十分後に来るらしい。電話を切りながら玄関へ向かった。

「大丈夫か」

 後ろから付いて来た竜也に「大丈夫だよ、ありがとう」答えると竜也が妙な面差しになった。笑うような、泣きそうな、複雑な心情の乗った。

「竜也?」

「お前、変わらないよな」

「は?」

「や、ごめん。……ああ、そうそう実はさー」

 竜也は一言謝意を口にして、話題を切り換えた。俺にとっては、至極どうでも良い情報だった。生意気な新人が入るとか言う。


“大丈夫だよ、ありがとう”

「……」

 今度は一人のタクシーの中で先程の会話を反芻する。“大丈夫だよ、ありがとう”。俺が言った言葉だ。この言葉は、一見礼を言って相手の厚意を受け容れているみたいに聞こえるけど、実際には装った拒絶だった。

 竜也は初等部から俺を知っているだけ在って、熟知しているんだろう。呆れていたのだ。

 触れてほしくないと、俺は拒んだ。

 だってそうだろう? 無遠慮に人の事情も知らないで────。

「───」

 俺が、隠しているだけだけど。ああ、早く帰りたい。帰って早く『由梨』に会いたい。もう俺を煩わせない『由梨』に。ああ何だか頭痛いな。体も怠いし、風邪引いたかな。今日休もうかな……俺が窓に頭を寄せてドアに凭れ掛かっていると携帯がメールを受信した。

「……」

“先輩、大丈夫ですか?”

“ゆり”だった。“昨夜はごめんなさい。本当は電話でも、と考えたのですが、ちゃんと今日謝ろうと思い直してやめました”あんな些細な出来事で律儀にメールを寄越す。俺は、ふっと、頬が弛むのを自覚した。今日は休もうと思ったけれど、“ゆり”がこう言うなら這ってでも出勤しなくちゃ。俺は続きを読み進めて、目を留めた。

“午後からになっちゃいますけど、どうせなら先輩も俺に嘘を付いてくださいね! あ、でもお手柔らかにお願いします!”

 盛り上げ役を担うことの多い“ゆり”。しかし裏腹に物静かな“ゆり”の、本来の性格を反映した顔文字や絵文字が付いていないメールはこれで締められていた。

「嘘、ね……」

 やっぱ、“ゆり”は可愛いなぁと実感する。

“ゆり”、俺はね、ずっと嘘を付いているんだ。

『由梨』が現れる前から、多分、生まれてから。

 すでに、虚偽と真実の境もわからぬくらい。

 だから、ごめんね。


 今更、虚言らしい嘘なんか付けないや。







   【 了 】

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