異世界の飯屋で働くことになりました
「おお、今日も繁盛しておるな」
旦那様が満足げに言う。
店の戸を開けると、
「いらっしゃいませ~!飯屋・藤へようこそ!」
と、元気な女性の声が聞こえてきた。
旦那様は店の女性に名前を告げると、私たちは待っている人たちを横目に店の中へと案内された。
活気のある声と、良い匂いが一気に押し寄せてくる。厨房のほうから威勢のいい掛け声が聞こえ、店内は思ったよりも広く、たくさんの席が並んでいた。
「こちらへどうぞ」
案内の女性に導かれ、私たちは奥の座敷へと通された。障子を開けると、少し落ち着いた雰囲気の座敷だった。
「ここなら、ゆっくり話ができるな」
旦那様がそう言って腰を下ろすと、半之助さんも続いて座った。私も勧められるまま、その場に腰を下ろした。
「武田様、何か気になるものはございますか?」
半之助さんが、壁に貼られた品書きを指しながら聞いてくる。達筆で書かれた文字は、私にはまだ少し読みにくかったが、いくつかの単語はなんとなく分かった。
「えっと……これは、何て書いてあるんですか?」
「天ぷら蕎麦ですね」
(天ぷら蕎麦、羅来国にもあるんだ!今度食べてみよう…)
「こっちの字は…?」
「さば味噌煮定食です。拙者のお気に入りです」
(さば味噌好きなんだ、半之助さん…メモメモ)
「え…?ラーメン?」
「ラーメンがどうかしましたか」
「チャーハン?」
「チャーハンがどうかしましたか」
半之助さんは、戸惑う私を気遣うように尋ねてくる。
まさか江戸風の羅来国に、中華料理のメニューまであるとは思わなかったので、私はすっかり面食らってしまった。
「これはなんて書いてあるんですか?」
「饅頭ですね、ここの饅頭も美味しいですよ」
「饅頭って、中にあんこが入ってる甘い食べ物ですか?」
「そうですよ」
「飯屋さんにお饅頭があるんですね…。ご飯ものだけじゃなく、甘味もあるとは、幅広いですね…」
「幅広さと味で売ってますから」
そう言ったのは、いつの間にか近くにいた恰幅のいい、気の良さそうなおじさんだった。
……誰?
「私、『飯屋・藤』の主、井熊太一郎と申します。どうぞよろしくお願いしますね、転移者さん」
この人が、主人!私は立ち上がって、
「私、日本の東京から来ました、武田さやかです」
と、名乗り、お辞儀をする。
「おお、東京からですか。この江戸と縁深いですな」
「早速で悪いのじゃが、この武田様をこの『飯屋・藤』で…」
「わかっておりますよ、旦那様。うちで面倒見させてもらいましょう!」
良かった…。
私は、ほっと胸をなで下ろした。
ふと半之助さんの顔を窺うと、相変わらず無表情だった。
「武田様には、明日からうちの給仕が着ている服を着て、働いてもらいますよ。大丈夫ですかね?」
店主だけでなく、旦那様も半之助さんも私を見る。
「はい!大丈夫です。明日から頑張ります!」
私の反応を見て、みんな笑顔になる。
……半之助さんも、少し笑ってる……のかな?
「では、武田様には明日から朝九つ半に、うちに来てもらいましょう。店を開けるのが朝十なのでな。明日、詳しい説明は給仕長の竹子から話すということで」
「はい!わかりました」
私は元気よく返事をする。
「元気がよくて可愛いお嬢さんですな。うちの評判も上がりますよ」
店主にそう言われて、私は頬を赤くする。
「では明日の朝九つ半にお待ちしてますよ、武田様」
「はい!よろしくお願いします!」
私はまた元気よく言葉を返した。
「話が済んだな。じゃ、わしは軽くところてんをもらおうかの」…」
「拙者も同じところてんを…」
私は何にしようかと迷って、さっき半之助さんに聞いたお饅頭を頼むことにした。
「じゃ、私はお饅頭をお願いします!」
店主は、「はい、はい」と言って、店の奥へ行ってしまった。
店主と入れ替わりで、可愛い真っ白なエプロンをつけた給仕さんがやってきた。
「お茶お持ちしました。ごゆっくりどうぞ~」
あれが『飯屋・藤』の制服なのかな。結構可愛いエプロンだ。あれを明日から私も着て働くんだな。
和食のお店に通う感じでいいかも。
「どうじゃ、武田様、『飯屋・藤』は、いい店じゃろう」
旦那様に言われて、私は、
「はい。いいお店ですね!働き甲斐があります!」
そう言うと、旦那様は笑顔を見せた。
「半之助さんは週三回通ってるから、これが普通なんですよね?」
半之助さんは、話を振られて一瞬、はっとした顔をした。けれど、すぐにいつもの無表情に戻る。
「そうですね。これが普通ですね」
と、答えた。
お品書きが店中に張られ、いかにこの店が幅広い料理を扱っているのかがわかる。…中には達筆すぎて読めないものもあるけど。
なにせ、ラーメンやチャーハンという中華料理もある店だ。多分、転移者が伝えたんだろうけど、幅広すぎて、実際に私が働き始めたら戸惑うんじゃないか。
それでも不安より、楽しそうというのが自分の中で勝ってしまう。この状況を楽しんでいる自分がいる。
(もしかしたら、私も持ってきたパスタを生かせるかもしれない!)
「武田様、嬉しそうじゃな」
「え、そうですね。こんな素敵なお店で働けるなんて、楽しみで!」
旦那様は腕を組みながら、ニコニコと笑っていた。
(このぐらいの愛嬌、半之助さんあってもいいのにな…)
「おまたせしました。ところてんにお饅頭になります」
さっきの給仕さんが持ってきてくれた。ところてんもお饅頭も美味しそう。
「わあ、美味しそうです!いただきます!」
私は目を輝かせながら手を合わせた。お饅頭はほんのり温かく、中の餡がしっとりと甘くて、一口食べただけで頬が緩んでしまう。
「美味しい……!」
思わず声が漏れる。
旦那様は満足そうに頷きながら、自分のところてんをすすっていた。
「うちの饅頭は近所でも評判での。武田様に気に入ってもらえて何よりじゃ」
「拙者もこの店のところてんが好物でしてな」
半之助さんが珍しく自分から言葉を続けた。無表情のままだけど、心なしか声が少し柔らかい気がする。
「半之助さんも好きなものとかあるんですね」
「拙者にも好みぐらいはありますが」
そう言って、半之助さんはまたところてんに視線を戻した。素っ気ない返事だけど、なんだか少し面白い。
窓の外を見ると、通りを行き交う人々の姿が見える。着物姿の人、荷を担いだ商人、子供を連れた母親……。この世界に来てからまだ日は浅いけれど、こうして日常の中に溶け込んでいく感覚が、じんわりと胸に広がっていく。
(明日からここで働くんだ……)
不安がないと言えば嘘になる。慣れない言葉遣い、慣れない作法、それに中華料理まで扱う幅広いメニュー。けれど、それ以上に「新しい生活が始まる」というワクワクが勝っていた。
「武田様、お饅頭がお気に召したようで何よりじゃ」
旦那様の声に我に返る。
「あ、はい!本当に美味しいです。明日からここで働けると思うと、ますます楽しみになってきました」
私が笑顔でそう言うと、旦那様はまた大きく笑い、半之助さんはいつも通り小さく頷くだけだった。
こうして、私の『飯屋・藤』での新しい一日が、静かに、けれど確かに近づいていた。




