昼下がりの小紋と『飯屋・藤』
私は瑞枝さんとあれこれおしゃべりをしながら、食堂へ戻った。
(瑞枝さんも樹…雪村樹のファンみたい。羅来国では大スターなのね。それにしてもピアノ弾き語りかあ…)
戻ると、千代さんに声を掛けられる。
「まあ、お似合いですよ、武田様。ぱあっと花が咲いた感じがします」
千代さんに言われて、私は少し照れる。瑞枝さんはドヤ顔をしていた。
「これで服を昨日の小紋にすれば、いつでもお出かけできますよ」
千代さんの言葉に頷いて、私は部屋へと戻ることにした。
「ありがとうございます、千代さん。着替えてきますね」
「ええ、ゆっくりどうぞ。お時間まではまだありますから」
瑞枝さんが、名残惜しそうに手を振ってくれる。
「武田様、また今度お話しましょうね!樹のこと、もっと教えますから!」
「あ、はい……また今度」
そう言い残して、私は自分の部屋へと向かった。
部屋に着くと、昨日半之助さんが買ってくれた小紋を広げる。淡い朱色に、細かい模様が入った着物だった。
私は、着付けの魔法石を握り、「着て!」と念ずる。
それだけで一瞬で私は小紋姿になる。
鏡の前に立つと、紅を差した唇と相まって、いつもとは全く違う自分がそこにいた。
(……これが、この世界での「私」なのね)
しばらく鏡を見つめながら、そんなことを考える。
時告げ石を触り、
「今、何時?」
と、聞く。時告げ石は、
「朝十一」
と、告げた。
もうすぐお昼だ。出掛ける時間も迫ってきた。
なんだか落ち着かない。
…かといって、時間を潰すには『転移者のための読本』を読むくらいしかない。
まだ頭の中が整理できていないのに、これ以上一気に知識を詰め込むのもよくない。
かといって、何もすることがない。スマホ一台あれば、ゲームで遊んだり、動画を見たりできるのに。
それがかなわない今、何をすれば時間が潰せるのだろう。
シュークリームはあと一個残っているけど、口紅を塗ってしまったから気が引ける。お昼一時間も前に食堂に行ったりすれば、忙しい女中さんたちに気を遣わせてしまうかもしれない。
悩みに悩んだ末、私はひとまず座布団を折りたたみ、枕代わりにして寝ることにした。
(こういうこと、よくお父さんがやってたのよね……)
「さやかちゃん、そのカードダブったね、良かったら、僕のと交換しようよ」
「ありがとう、千秋君!何のカードと交換してくれるの?」
「僕の『ベビードラゴン』と交換してあげるよ、このカードも可愛いよ」
「私ね、可愛いモンスター集めてるから嬉しい!」
「じゃ、僕さやかちゃんのクリボーもらうね」
「ありがとう、千秋君…」
「千秋君……じゃありません!」
私は目を擦る。
「あ…志乃さん…」
志乃さんが呆れた顔をしていた。
「お昼ですって伝えに来ましたら、武田様、すっかりお眠りになってて…私は千秋君じゃないですよ!」
「す、すみません…!」
(何であんな懐かしい夢見るんだろう…)
私は体を起こして、目を擦る。
「もうお昼ですか…」
「お昼ご飯を召し上がったら、『飯屋・藤』に行く手はずになっておりますから」
私は志乃さんの一言で目が覚める。
そうだ、これから『飯屋・藤』に仕事の話をしに行くんだ。旦那様と半之助さんも一緒だった。
「わかりました、志乃さん…」
身支度を整えて、私は食堂へと向かった。ちょうど旦那様と半之助さんも席に着いたところだった。
「武田様、お目覚めになりましたか」
半之助さんが、穏やかな声で言った。
「はい……すみません、お待たせしてしまって」
「いえいえ、構いませんよ。午後からのことを考えると、少し休んでおられたほうがよかったでしょう」
旦那様は軽く笑い、箸を取った。
「今日は『飯屋・藤』で、先方と顔合わせじゃ。堅苦しい話ではないが、粗相のないようにな」
「はい、気をつけます!」
私は緊張しながらも、なんとかそう答えた。やがて食事が並べられ、私たちは黙々と箸を進めた。
食事を終えると、志乃さんが茶を持ってきてくれた。
「武田様、お召し物、とてもお似合いですよ」
「あ、ありがとうございます……瑞枝さんに紅も塗っていただいて」
「まあ、瑞枝が。あの子、お化粧は上手ですからね」
志乃さんはそう言って微笑むと、旦那様のほうに向き直った。
「旦那様、そろそろお時間かと」
「うむ、そうだな」
旦那様が立ち上がると、半之助さんも続いて席を立つ。
「武田様、行きましょうか」
半之助さんに声をかけられ、私も立ち上がった。
「半之助さん、『飯屋・藤』は有名店と聞きましたが、半之助さんも行かれますか?」
「ええ、たまにですが…。料理も美味いですし、料理によっては他の店より安いものもありますから」
(料理によってはどこよりも安い…ファミリーレストランとかファーストフードみたいなところなのかな?)
私と旦那様、半之助さんは連れ立って『飯屋・藤』へ向かった。
徒歩で行けるというのがありがたいところだ。
「最近、『飯屋・藤』には行っとらんから、久しぶりじゃ」
旦那様が楽しげに話すと、半之助さんは、
「拙者は一昨日行きました…」
「半之助さん、一昨日ですか!もしかして、半之助さん常連ですか?」
私がそう突っ込むと、半之助さんは、
「常連というほどではないと…、拙者、週に三回ほどしか行ってませんので…」
「そういうのは、常連っていうんですよ!」
私の突っ込みに、旦那様は声を上げて笑っていた。当の半之助さんは、「はぁ……」と、いまいち理解できないといった様子だった。
(半之助さんって、天然さんなの?!)
「まあまあ、半之助はそういうところがあるからのう」
旦那様が笑いを収めながら、そう付け加える。半之助さんは相変わらず、納得していないような顔をしていた。
「拙者、ただ味が気に入っておるだけで……」
「それを常連って言うんですよ、半之助さん」
私がもう一度言うと、半之助さんは少し首を傾げてから、ようやく納得したような顔になった。
「なるほど……そういうものですか」
「そうですよ!」
そんなやり取りをしているうちに、通りの向こうに大きな暖簾が見えてきた。「藤」と染め抜かれた紺色の暖簾が、風に揺れている。店の前には、すでに何人かの人が列を作っていた。




