異世界の身支度 ―化粧品と着付け石―
服装、服装。
今日の服装、よ。
今、食堂に行ったら志乃さんに会えるかな。志乃さんじゃなくてもいい。
羅来国の常識がない私に、誰か教えてほしい。
そう思ったら居ても立ってもいられなくなった私は、食堂に来てしまった。
あ、千代さんがいる!私は千代さんに声を掛けた。
「千代さん、私今日、『飯屋・藤』に仕事の話をしに行くんですけど、何を着て行ったらいいですか?」
千代さんはにこやかに微笑んで、
「そうですね、特に決まりはないですけど、派手すぎない和服がいいと思いますよ」
と、答えてくれた。
「和服は昨日着ていた服しかないんですが、あれで大丈夫ですか?」
半之助さんが買ってくれた朱色の小紋だ。私には、和服はあれしかない。まあ、洋服も昨日着ていた服しか持ち合わせていないんだけど。
「あの小紋の服なら大丈夫ですよ。武田様似合ってましたし、ばっちりです」
千代さんは太鼓判を押してくれた。
「良かった…」
私はホッと胸をなでおろした。
「着付けには昨日お風呂の時に差し上げました、着付けの魔法石を使ってください。一瞬で着替えられますから」
はっ!
そうだった、千代さんから着付けの魔法石もらってたんだった。
私の身の回り、魔法石だらけになってきてるな。羅来国の人じゃ普通なのかな。
時告げ石でしょ、灯りの石、それと着付けの魔法石……。小さな石ばかりだが、それぞれ特化した高性能な魔法石だ。
羅来国の人はそれを上手く使って生活している。日本じゃ考えられない事ばかりだ。
「そういえば、志乃さんからお化粧品の話は出ましたか?」
千代さんの言葉に、私は目を白黒させた。
「いえ…特には…」
羅来国の人も化粧するんだ!
江戸時代にも化粧はあったみたいだったし、あってもおかしくはないけれど。
「『飯屋・藤』に行かれるのでしたら、お化粧はしていた方がいいと思います…」
千代さんが言ってくれたけど、私はまさか異世界に来ると思ってなかったし、すっぴんで買い物に行って、化粧道具はアパートの方に置きっぱなしだ。羅来国から帰れない以上、私に化粧品はない。
「化粧品の持ち合わせがないんですけど…」
千代さんに素直に打ち明けたら、千代さんは、
「私が使ってるものでよかったら、お貸ししますよ。今日町に出たら自分用のを買ってきてくださいな。『飯屋・藤』で働かれるのであれば、必須ですよ」
千代さんに念を押され、私は脳内にメモした。
(町に出たら、自分用の化粧品を買うこと…メモメモ)
「千代さんの化粧品ってどこにありますか?」
千代さんは私の顔をじっと見つめて、こう言った。
「武田様はまだお若いから、白粉はさほど必要ないですね、口に紅だけで十分です。だったら私より若い女中のを借りた方が良さそうですね。若い女中なら今、流行りの色とかも知ってますから」
(…つまり、ファンデーション入らないけど、口紅はつけていけってことよね?)
千代さんは、食堂の奥に声をかけた。
「はい~何でしょう~千代さん」
「瑞枝、武田様に紅を貸してあげてちょうだいな。武田様は午後から『飯屋・藤』に行かれるから」
瑞枝と呼ばれた若い女中さんは、多分、見たところ私とあまり変わらないくらいの年齢の女性だった。
「はい、喜んで!」
と、言った。
「私の化粧用品とかは女中部屋にあるので、一緒に行きましょう、武田様」
瑞枝さんはそう言って、私の手を引っ張る。
「これこれ、瑞枝、武田様びっくりしておられるから、ゆっくり行きなさいな」
千代さんが、そう言ってくれて助かった。
瑞枝さんに案内され、女中部屋へと向かった。廊下を歩きながら、瑞枝さんは楽しそうに話しかけてくる。
「武田様、こちらのお屋敷にはいつからいらっしゃるんですか?」
「まだ来たばかりなんです。今日で……二日目、かな」
「そうなんですね!それじゃあ、まだ右も左も分からない感じですよね。私も最初はそうでした」
そう言いながら、瑞枝さんは廊下の角を曲がり、小さな引き戸の前で立ち止まった。
「ここが女中部屋です。散らかってますけど、どうぞ」
戸を開けると、六畳ほどの部屋には、畳んだ布団が積まれ、隅には鏡台がひとつ置かれていた。鏡台の上には、小さな紅の容器や、白粉の刷毛などがきちんと並べられている。
「さ、座ってください。今、良さそうな色を選びますから」
瑞枝さんは鏡台の引き出しをがさごそと探り、いくつかの紅の容器を取り出して並べた。
「これなんてどうでしょう。今、流行っている色なんですよ。少し明るめの紅で」
そう言って、瑞枝さんは小指の先に紅を取り、私の唇にそっと乗せようとする。
「あ、あの、自分でできます……!」
慌てて紅の容器を受け取ろうとすると、瑞枝さんはくすくすと笑った。
「あら、遠慮しないでください。せっかくですから、私にやらせてくださいな。武田様のお顔、よく見せてください」
有無を言わさぬ様子で、瑞枝さんは私の顎に軽く手を添えると、顔を近づけてくる。至近距離で見つめられ、なんだか落ち着かない気持ちになった。
「……武田様って、肌がお綺麗ですね。羨ましいです」
「そ、そうですか?」
「はい。千代さんが仰った通り、白粉なんて要りませんよ。この紅だけで、十分お綺麗になります」
丁寧に紅を塗り終えると、瑞枝さんは満足そうに頷いて、鏡を差し出してきた。
「ほら、見てください」
鏡に映った自分の唇には、上品な色の紅がのっている。いつもの自分とは、少し違って見えた。
「……ありがとうございます、瑞枝さん」
「いえいえ!お役に立てて嬉しいです。『飯屋・藤』にお出かけなんですよね?楽しんできてくださいね」
「いえ…仕事の話をしに行くだけなんですけど…」
「それでも、『飯屋・藤』は有名店ですから、色んな有名人が来ますよ!私なら、喜んで行っちゃうな~」
瑞枝さんは楽しそうだ。
「じゃ、樹とかいう人とかも来ますか?」
何気に気になってる有名人、『樹』。彼女なら知っているだろう。
「樹をご存知なんですね!『雪村樹』は大人気のピアノ弾き語りのスターですよ!」
ピアノ弾き語り?
羅来国にはピアノがあるの?
それだけで目を丸くする私。
「『飯屋・藤』にも来てると思いますよ!樹は有名人ですからね~。私も見てみたいな~!」
瑞枝さんはうっとりしている。私にはよくわからないが、有名人を思うってそういうことなのだろう。
(恋とは違う、憧れみたいなものかな…?)




