ヤイヤイ
『ヤッホー!』
と、山で声出す“やまびこ”遊び。
誰でも一度は経験あるものと存じます。
ですが、古くは“山彦”と呼ばれるこの怪異は、地方によっては大変恐れられております。
それというのも、山の怪異には人の声を真似て、それに応えた者に障りを成すものが数多くいるのだとか。
例えば、東北地方に伝わる“呼ぶ子”は、山で「おーい」と人に声をかけ、応えた者の声を奪ってしまうとか。
声を奪われた者は、何を言おうとも、呼ぶ子の「おーい」という声しか出せなくなると言います。
今宵、お聞かせしますのは、そんな“山彦”の怪。
九州は山岳部に伝わる、【ヤイヤイ】あるいは、【山おらび】と呼ばれる物の怪の噺にございます。
江戸の昔、ある猟師の男が一人、山道を急いで下りておりていた時の事でございます。
日はとっぷりと暮れ、辺りは真っ暗。いつもなら虫や鳥の鳴き声が聴こえるのに、その日に限って不思議と静まり返っております。
夜の山の静寂は、いくら慣れた山道とて、妙に不気味で気味が悪い。
男は己の恐怖心を紛らわせようと、谷向こうに向かって、思い切り、
「ヤイヤイ!」
と、声を張り上げました。
すると……
「ヤイヤイ!」
「おっ?」
すぐさま向こうの峰から、全く同じ調子で声が返ってきた。
男は最初、不思議に思いましたが、すぐに、
(ああ、ふもとの村の猟師仲間が、まだ山に残っていたんだな)
と、少し嬉しく思い、すぐさま「おう、まだおったんか!」という意味を込めて、もう一度、
「ヤイヤイ!」
と、叫びました。
すると、
「ヤイヤイ!」
「え?」
返事はすぐに来ました。
しかし、様子がおかしい。
それというのも今度は、さっきの峰よりも明らかに“一つ手前の尾根”から、声が聞こえたからだ。
(ーーおかしい。あんな距離を、一瞬で移動できるはずがない!)
背筋からぞぉっと寒気が走り、男は気味悪くなって黙り込みました。
すると今度は、男が叫んでもいないのに、少し遠くの麓から、
「ヤイヤイ!」
今度は少し遠くの林から、
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
「ヤイヤイ!」
どんどんどんどん近づいてくる。
「ひぃっ!」
ここで、男は初めて、山に伝わる、言葉を交わすごとに近づき、最後は応えた人間の命を取る、“山彦”の怪異の事を思い出したのです。
男は腰を抜かして座り込み、その場から一歩も動けなくなりました。
「ヤイヤイ!」
そして遂には、男の目の前の茂みから、地鳴りのような図太い声が響いた。
「ひぃいっ!?」
目の前の茂みが、ガサガサと鳴り出す。
次は、耳元で「ヤイヤイ!」と言われ、命を取られる!
男が覚悟したその瞬間、男は夜道に備えて先端に火を灯し、手の中でずっと燻らせていた、狩猟用の火縄銃の存在を思い出した。
正体も見えぬ目の前の茂みに向かって、ただあの音を掻き消したい一心で、無我夢中に銃口を向け、引き金を引いた。
ダァーーン……!
夜の山中に、男の撃った銃声が、ひどく木霊しました。
十秒、二十秒、三十秒……
辺りは、しぃんと静寂に包まれる。
目の前の茂みからは、あの“なにか”の気配が消え、ここにきて初めて、男は自分が助かったのだと気付きました。
「……っか、はぁッ! はぁ、はぁ……!!」
その後、男はなんとか山を下り、無事村へたどり着いたといいます。
そこで、村の老人たちから、
『古くから山の怪異というものは刃物や金物、そして【凄まじい金属の音】を嫌う』
という事を教えられたそうで、もし、男が火縄銃を持っていなければ、今頃はどうなっていたのかわかりません。
……ですが。
男は、命からがら生還しましたが、その夜から、耳の奥でずっと
「ヤイヤイ……ヤイヤイ……」
という、幻聴が消えなくなってしまったのだそうです。
ーーーー
さてーー。
所詮は昔話とお思いの方も、中にはございますでしょうが、本当に、“昔話の中だけ”でしょうか?
ひょっとしたら、この【ヤイヤイ】もまた姿を変え、あなたの近くにいるかもしれません。
……例えば、あなたが見ているスマホ。
もし急に着信が来て、「はい」と応えてみたら……
その奥から、あの声が聞こえてくるかもしれません……
「ヤイヤイ!」
お付き合いいただき、誠にありがとうございました。
次回、【第5話(最終話)・七日間の足音】は、七月六日の20時10分に更新致します。
……ああ、それと、ひとつお伝えし忘れておりました。
次の最終話だけは、前書きにある【注意事項】を必ずお読みになってから読み進めてくださいね。
それでは、また。




