表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/48

幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(31)

 其 三十一


 榮太郎の悲しい身の上話を逐一(ちくいち)聞いたその男は、聞き終わると同時に急に怒ったように、今までの調子とは打って変わった声の、沈んだ力強い重々しい語気で、

「よし、解った。もういい、泣くな榮太郎、俺がテメエの孝行心に一ト力出してやることに決めた。安心せい。テメエの苦労も今夜限りだ。テメエの辛苦はこれから皆俺の肩で受けてやる。憎い奴らも退治してやる。テメエやテメエの(おふくろ)はあんまり正直過ぎるので、他人(ひと)の話を吟味もせずに()に受けて、しなくてもいい心配までしているのだ。それにつけ込んで、女一人、子ども一人のテメエ等親子を食い物にする卑劣(しみったれ)な奴等は何とも言いようのない、鼻くそ(あく)(とう)。いいわ。俺様が踏み倒してやる。第一勇造とか言う奴に八反の土地を抵当(かた)にしてテメエの親父が金を借りたというそのこと自体が嘘の話だ。そいつの捏造事(こしらえごと)だ。話の皮を(ひっ)()いで反対(あべこべ)に泥を吐かせた上、謝罪状(わびじょう)若干(いくら)かの和解金を取るくらいは簡単なことだ。俺の言うことに間違いはない。それから扇面亭とか、又平九郎とか辨次郎とか言う奴等も確かに臭いのする奴等だ。心配するな。テメエの姉のお須磨というのもそいつ等の手の中にあるのに違いはないわ。逃げたというのは捏造事(こしらえごと)だ。あくまでお須磨を食おうというので、一旦当人を隠して、死んだということにして、籍を消してしまおうと企んでいるのだ。いけ太々(ふてぶて)しい畜生めらが。こいつ等の油も一ト(しぼ)()めて、金と一緒に()ってくれるわ。ハハハ、可哀想に西も東も碌でもない奴等ばかりに取り付かれて、テメエの(おふくろ)清潔(きれい)な心や、テメエの小さな胸の中に無益(むだ)な波風を立てていたものよ。ああ、世も恨むな、他人(ひと)も恨むな。世間は神代(かみよ)の時代から今の今まで、又、末の世まで大抵こんなものだろうぜ。弱ければ何時も強い者に苛められるのが当たり前の理屈のようになっている。正直(まっすぐ)な者は曲がったことが出来ないだけに、半分の弱みがあって、反対(あべこべ)に曲がった奴は何でもする。だから、それだけ強いというもので、ともすれば悪徒(あくとう)が幅をきかすのはどうしようもないわ。しかしな、いいか、(あく)(とう)(あく)(とう)なりに、又それを責める責め方が無いでもないから、気を腐らせることもない。吃驚するなよ、この俺はな、世間を残らず(かたき)にして、自分の生命(いのち)玩具物(おもちゃ)にしている我が(まま)者の大将だ。腹が立てば人も殺す。涙が湧けば虫も助ける。地位のある奴は親の(あだ)で、財を誇る奴は俺の子の(あだ)政府(おかみ)の役人は肌の(しらみ)だ。テメエに聞かせても解るまいが、卑劣漢(しみったれ)のために都合よく組立っているこの世界はぶち壊しても問題ないわ。たかが俺様が負けたところで、俺の生命(いのち)以上のものを世間に()られる気遣いはない。好きなことをして遊ばないのは損、癪に障る世の中に未練は無いから、何時(なんどき)でも頼み次第でこの世間に(いとま)をくれてやるだけのことよ。どうだ榮太郎、好い暮らしだろう。ハハハ、吃驚するなよ、先刻(さっき)テメエが見て疑った彼品(あれ)は何だと思う? ハハハ、教えてやろうか、驚くなよ。彼品(あれ)は世間の卑劣漢(しみったれ)がこれで大丈夫と頼みにする錠前という卑劣(けち)なものを、気の毒だけれど、何の苦も無く降参させて、俺の言うことをきかせるものだ。ハハハ、そんなに怯えることは無いわ。ナニ? それならお前は盗賊(どろぼう)かだと? ハハハ、まあそうよ。大抵そんな名のつくものさ。これ、何故そんなに堅くなって震える。気の小さい奴だ。テメエも俺の宗旨(しゅうし)の中にたった今入ったじゃねえか。ナニ? 盗賊(どろぼう)はもうしないと? ハハハ、それもよかろう。もっともだ。しかしな、テメエはもう盗賊(どろぼう)だよ。次第によれば、今夜の(うち)に俺は言わないがテメエが(つか)まる。暗いところで臭い飯。下らない奴等に抱き寝されて、とんでもない目に遭わされる。(おふくろ)は助けられず、姉には会えない悲しいことになるだろう。ハテサ、俺が何で(はだ)(じらみ)の役人なんかにテメエのことを訴えなどするものか。だがなあ、今夜万一(ひょっと)すると肌虱めがおいでになるぞ。ムム、もう大抵来る頃だ。オオ、噂をすれば影がさすだ。あれを聞け、門口が開いたようだ。あれは確かにそうらしいぞ。出ろ、テメエの夜具にくるまっていろ、好いか、親子だぞ。親子だぞ。しっかりしないとテメエが()られる。俺は寝込むぞ。テメエが返事をしろ、それっ、と言いざま榮太郎を夜具の外に突き出して、掻い巻きを引っ被り、雷のような鼾を轟かせた。

 驚き呆れた榮太郎は、動転しながらも言われた通り自分の床の中に入ったが、それと同時に二人三人の足音がし、(ふすま)をさらりと開ける響きがして、

「もし、お客様」と、亭主の声がする。横の男はなおも鼾を続ける。再び呼ばれて、仕方なく榮太郎は目覚めた振りを装いながら、微かに答えて起き上がり、眼を見開けば、警察の提灯(ちょうちん)先に巡査二人、鉄挑燈(かなぼんぼり)を手にした宿の手代、そして迷惑顔をした宿の主人と、合わせて合計四人の男が榮太郎の枕元に立ち(なら)んでいた。


つづく

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ