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幸田露伴「あがりがま」現代語勝手訳(18)

 其 十八


 我が子に急に引き留められ、打ち驚いた母のおこの、二歩(ふたあし)三歩(みあし)戻されたが、騒ぐ心を押し隠して、

「おお、榮太郎、目が覚めたのなら風邪を引かないように、そのまま寝ていて、少しの間、留守番をしていなさい。私は(じき)に戻るから」と言い紛らわすが、榮太郎は納得せず、

「今頃どこへ行かれます。どうしてもご用があるなら、私が行って参ります。こんな夜半(よなか)にどこへ? どこへ?」と、訊かれて、「さあ、その、あの」と、答えに窮する様子に、いよいよそれと察して、(たもと)を掴む手にばらばらと涙を(おと)し、震え声で、

「母様、あなたは冥途(あのよ)とかいう遠いところへいらっしゃろうとお思いではありませんか。先刻(さっき)から榮は寝はしておりません。皆見て知っております。私も一緒に連れて行って」と言えば、言う子の思いよりも言われる母の胸の辛さ、一句一句に大斧(おおおの)で身をつんざかれる心地(ここち)。我と我が身を支えられず、なおも紛らわそうと踏み(こら)えても、(おお)い隠せない心の乱れ、小賢(こざか)しく立った霜柱が日によって力なく(つい)えるように、引かれるままに崩折(くずれ)れ坐ると、榮太郎を掻き抱きながら、言葉も無く(むせ)(かえ)った。


「母様、母様が遠いところへいらっしゃるならこの榮も一緒に連れて行ってください。私も死んでしまいたい。生きていても、お父様は無し、(ねえ)(さん)()らず、(ひと)皆悪徒(あくとう)ばかりで私を(いじ)める。テメエの父親(おやじ)は馬鹿野郎だの、テメエは(うち)が貧乏なので根性が曲がっているだの、すね虫の死神面(しにがみづら)だのと、村の子ども達にも苛められて、生きていたってつまらない。六三(ろくぞう)(うち)の婆さんや源右衛門殿の寡婦(ごけ)なんかは可愛がってくれますが、あそこの子達も、私を見れば、犬をけしかけたり、栗の(いが)なんかをぶつけたり、私を遊びの種にして泣かせては、いつも逃げて行きます。私もいっそ死んでしまって、お父様の居るところへ行きたい。私も先刻(さっき)から床の中で死んだらどうかと思っていました。母様、一緒に死にましょう」と、年端もいかない者の口から『死』という言葉を言い出されて、流石(さすが)にここまで考えていたとは思いもかけなかった母の驚き、自己(じぶん)が浮世を()(はかな)んでいたことも忘れて、急に言葉も忙しく、

「とんでもないことをお言いでない。お前はこれから前途(さき)の長い、花も咲こうという身体(からだ)。心次第で、今お前を笑う奴等を見返すことも、苛める奴等を苛め返すこともできないこともないのです。私はお前のお父様に亡くなられたので、生きていてもどうせ半分死んだ身体、いっそのこと身を捨てて、お前のためにもなるようにと、後のことまで考えた末、死のうと思ったけれど、お前にそんなことを言い出されては、死ぬにもなかなか死にかねる。お前はどうか生きながらえて、仏様の前に上げて置いたあの手紙通り、江戸へお上り。そうすればまた、お前一人は必ず助けて一人前の立派な男児(おとこ)にしてくれる好い叔父様も居るのだから。いいですか、きっと私の言葉を忘れてはいけません。もし又強いて私の言葉に背くようなら、七生(しちしょう)親ではありません。お前を私の子にはしません」と、言い切ると、心を鬼にして、取り縋るのを突き放して、身体を起こそうとする母親、振りもぎられまいと取り付く子。

「母様、それは私は厭、母様の子で無いなどと言わずに、私も一緒に連れて行って下さい。そうでなければ一人になっても私は死にます。ああ、誰か来て、母様が」と、叫んで一生懸命になるが、

「エエ、聞き分けが無さすぎる」と叱って、焦る母も必死。いつまでもお互いに揉み合う有り様であった。


つづく

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